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「首都機能移転の効果は戦略によって決まる」


平本 一雄氏の写真平本 一雄氏 (株)三菱総合研究所 取締役 社会環境研究センター長

1944年生まれ。1970年京都大学大学院工学研究科修士課程修了。1971年三菱総合研究所に入所。大阪南港、横浜みなとみらい21,東京臨海副都心、ソウル市街地再開発、マレーシア情報首都の都市プランニングをはじめとするさまざまな社会プロジェクトの企画立案、事業化推進に従事。1996年より現職。工学博士。著書に「臨海副都心物語」「高度情報化と都市・地域づくり」「快適環境社会の形成」など。



ドイツの首都移転と日本の首都機能移転の違い

私はベルリンの首都移転をこれまでいろいろ調べてきましたが、ドイツで行われている首都移転は日本の首都機能移転にいろいろな示唆を与えてくれます。

日本の首都機能移転と比較してまず感じるのは、ドイツの場合は首都移転の目的が非常に明確であるということです。ドイツの場合は国家を統一するための象徴にするという目的でベルリンへの首都移転がなされました。ベルリンの壁があったシュプレーボーゲン地区に東西ベルリンを軸状に貫くような形で施設群が配置された都市づくりに、その理念が明確に表現されています。

比較して日本の首都機能移転を見てみると、政府のパンフレットにも、各候補地のパンフレットにもいろいろなイメージ像が描かれていますが、どれも似たようなものになってしまっています。目的が空間に具現化された都市像になっていないのです。それは、日本がなぜ首都機能移転をしなければいけないかという理念が余り明らかにされていないためではないでしょうか。

国会等移転審議会による移転費用のモデル的試算の中で、首都機能の移転規模が2分の1というケースが設定されているのですが、この2分の1が何を意味するのかは論じられていません。これも首都機能に対する理念がないために、新都市の政治・行政機能がどのようなものになるかはっきりしない、したがって規模を決められないということだと思います。

それからもう一つ、ドイツと比較して非常に興味深いことは、ドイツの首都移転はドイツという連邦国家が、ボンのような小さな都市に首都があるとばらばらになってしまうのではないかという危惧があったために、ベルリンに移転されたということです。東ドイツ地域を合体して一つの国家に統合していこうという中で、国民の統合の象徴になるような大きな都市、それも地理的にある程度中心性を持つような場所に特定の機能を一極集中させて結合していくことが求められたわけです。これはドイツの特殊事情だったと思います。ドイツは、過去1世紀、2世紀を見てみますと、連合国家である場合と統一国家である場合、その引力が強くなったり弱くなったりという歴史を繰り返してきています。今は統一国家のほうに向かっていることもあって、そのような政策をとっているのだと思います。

日本の場合もドイツに似ている面があります。江戸時代は江戸に実質的な首都機能がありましたが、どちらかというと地方分権型の国家形態で、明治になって東京に首都が移りました。これはちょうどベルリンが正式な首都になったのとほぼ同時期で、ベルリンがどんどん一極集中型の首都になるのと並行して、東京も帝都の道を歩んでいきました。戦後、ドイツは首都を移転しましたが、日本の場合は移転せずにそのまま残りました。そして、一極集中がますます加速していったのです。

ドイツは転換期があったわけですが、日本は転換期なくして1世紀以上経っていますから、一極集中が行き着くところまで行き着いて、弊害が大きくなってしまった。そうすると今度は逆に、分散型のほうに戻すベクトルを働かせないといけない時期に来ている。これが全くドイツと逆の形での首都機能移転を必要としている背景ではないかと思います。

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求められる非日常的な再生手法

こういう一極集中型の首都をつくった結果、1世紀以上の間、日本全国から資金を中央に吸い上げてそれを地方に配分するという中央集権のシステムが確立してきたわけです。それが政治や行政の沈滞を呼び起こし、現在は東京を中心として国全体が糖尿病にかかってしまっています。世紀が変わっても政治は混乱を続け、国際的な国家の格付けも低下する状況になっています。この時点で何らかの背水の陣をしいて国家の再生を図らないと日本は沈みっぱなしになっていくのではないでしょうか。

国家を再生をする手法として、どうも日常的な中ではできそうにないということがこの10年もがき苦しんできてわかりました。では非日常的な方法は何かというと、日本の歴史を振り返った場合、日本が再生できたきっかけは外圧があったときか、あるいは首都を移転したときの二つしかないのです。外圧の機会はどうもなさそうですから、首都機能移転を契機に背水の陣で国政を改革していくことが必要なのではないでしょうか。

首都機能移転の目的の中で、一極集中を是正するということと国政を改革するということは別のものとして考えられているわけですが、これを一体化したものとして、これこそ最大の目的であるということで押し進めなければならないと思います。目的が余り分散していると国民は理解しにくいものです。一つの目的に集約して首都機能移転を進めていくことが非常に重要であると考えています。

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首都機能移転の社会経済効果

首都機能移転の社会経済効果をどう見るかということに関して、私が分析した結果ではかなり大きな効果が期待できると思います。

まず、一番狭い範囲の効果に建設経済効果の分析があります。これは首都を建設していく建設行為に絞ってその効果を分析したものです。審議会の試算では4兆4000億円の公共投資と7兆9000億円の民間投資で首都機能移転のプロジェクトができることになっていますが、その結果、32.2兆円の経済波及効果が起こることが産業連関表を使った計算で分かりました。

東京都などが首都機能移転への反論の材料として効果分析を行っており、マイナスの効果のほうが大きいという反対論を展開していますが、効果の範囲が極めて都市計画的なものに限定されている点で問題があると思います。効果というのは、もともとの目的に対してその効果を考えるわけですから、ある程度、限定した範囲だけで効果を算出したり、また数量化作業が可能な範囲だけで効果を算出しても、余り意味のある分析とならないのです。

首都機能移転には、大きく国政改革、一極集中是正、震災被害の同時被災回避という三つの効果があるわけですが、この効果をきちんと算出しないといけないわけです。ところが残念ながら東京都の効果分析はそこに十分触れられていません。確かに、数量的な観点の効果分析はなかなか難しいのですが、意外に少ない費用でこの三つの目的が達成できると私は考えています。

それはどういうことかといいますと、まず仮に2015年ぐらいに10万人の国会都市が完成したとします。これは全体で4兆円の投資で達成されますが、そのうちの公共投資は2兆3000億円にすぎないわけです。仮に10年間が投資機会としますと1年当たり2300億円です。これは平成12年度の補正予算の2%程度の金額です。

しかしこの2兆3000億円の公共投資で10万都市をつくることで、まず国政改革に手をつけることができます。さらに一極集中の是正にも手をつけることができます。国の中心がもう一つできるわけですから、多極型になるというだけでも既に効果が出てくるわけです。それから同時被災も回避できます。さらに霞が関地区が空き地になるわけですから東京改造のカンフル剤にもなるというように、最後まで新しい都市が完成しなくても始動期の10万人の都市を建設するだけで総合的な効果が発揮され始めるという、そういった点に着目すべきではないかと思います。

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首都機能移転を東京改造の起爆剤に

もう一つ考えておくべきことは、首都機能移転は日本の国家のために行うわけですが、同時にこれまで首都であった東京がそれによって疲弊することは避けなくてはなりません。一部に首都機能移転に必要とする投資額を東京に回せば、東京がよくなるという考え方もありますが、1987年から1996年の10年間に、東京都の一般会計の投資的経費として16兆円が投下されているのです。これだけとっても大変な額で、首都機能移転の費用をはるかに上回る額になっています。しかし目に見えて東京がよくなったということは感じられないのが実態です。

また、東京が持っている社会資本のストックは膨大なものです。東京都自身が推計している数字で、2010年から10年間にメンテナンスのために4兆5000億円が必要となるのです。恐らく首都機能移転のための経費を投下してもメンテナンス費用で消えてしまうというくらいの規模であるわけです。

それでは東京はもう再生できないのかというとそうではないと思います。東京を再生するためには、民間の投資を呼び込むことが一番重要であって、そのための刺激剤、起爆剤が必要なのです。その材料としては3つあると思います。

1つは、首都機能を移転することによって、霞が関地区およびほかの官舎等の跡地を東京の改造のために利用できるということです。霞が関地区は国際文化交流拠点としてつくり直し、同時に防災型のセントラルパークとして利用するのが最適だと思います。ここに国連のような機能を誘致したり、ユネスコのような機能を持ってくるのです。それによって改造の刺激を与えることができます。

2つめは、ハブ空港を東京につくることです。ハブ空港がないために、アジアのハブとしての世界都市機能がだんだん沈下しているのです。ですから首都圏第3空港はできるだけ巨大なハブ空港にして、ソウル、上海、香港、クアラルンプール、シンガポールと並ぶ空港にすべきです。そのためには首都機能移転以上の投資が東京のために投下されるべきだと思います。

3つめは、東京が沈滞気味であるのは、やはり日本の各種規制の撤廃がまだ十分なされていないことに原因があります。それは同時に国政の改革が十分になされてないために東京が地盤沈下しているということです。首都機能移転を契機として国政の大改革を行うことができれば、首都機能は東京から移転するけれども、結果として東京はより栄えることになります。東京の再生は首都機能移転によってなされないのではなく、なされ得るのです。

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首都機能移転の効果は戦略によって決まる

もう一つ経済効果で考えるべきことは、単にこれまでの投資的経費をもとに過去の統計的な数字で効果を分析しても、これからはほとんど意味がないということです。投資の効果というものは投資戦略の適否によって決まってくるのです。例えば同じ数兆円でも、それを人が通らない道路建設に使えば、その効果はなかなか出てきませんが、極めて戦略的に使った場合には日本の産業を再生させる効果を十二分に発揮します。

私は首都機能移転先の都市をつくる場合に、日本が産業立国として再生するようなR&D戦略を軸にして行うべきだと考えています。私はこれまで、マレーシアの「マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)」地域にあるサイバージャヤという情報首都のマスタープランづくりに携わってきました。IT技術には様々な分野がありますが、それを総合的に活用していく場所として都市建設のプロジェクトが一番適切であると思います。そのためには統合的なシステムを開発していく必要がありますが、その開発こそが日本の産業にとって最大のR&D戦略になると考えています。

首都機能移転先の都市をどのような情報都市にすべきかということですが、私は都市の中にユビキタス(至るところ)に張りめぐらされた多様なITのネットワークが、通信、商業活動、交通システム、災害への対応などを支援しながら、常時、都市の状況をリアルタイムに感知・応答して動態的にマネジメントする「感応都市(ユビキタス・コンピューティング・シティ)」という新しい概念の都市にすべきだと思います。このような都市を建設するには、単に技術的なサイドからのR&Dだけでは不可能で、社会的な観点のR&Dが必要になります。

そのためには行政の面では縦割りを排して、総合的な横の連携を持った制度づくりをしていかなければこうしたR&Dは不可能ですし、産業界も横断的な対応が求められます。また旧弊を排して古いシステムを改変して新しいものに変えていこうという動きがなければ、こういう都市はできません。そういう意味では社会改革が新しいR&Dを呼ぶことになり、もしそれが実現すれば大変な効果を生んでいくだろうと思います。

現在、情報通信産業の国内生産額は113兆円です。情報通信産業全体の2005年の規模は推計されていませんが、恐らく数百兆円ぐらいに達するのではないかと思います。そのために必要な民間の情報化投資というのは毎年10兆円規模で行われているわけです。この毎年10兆円規模で行われていく民間の投資を、この首都機能移転先の都市におけるIT都市建設という戦略に一体化させることによって、情報通信産業の生産額をより一層拡大していくという戦略をとるべきだと考えています。そうすると2005年、数百兆円の規模がもっと拡大して2010年、2015年にさらに大きなマーケットを形成し、日本の国内にとどまらず、そのノウハウがアジア全体に拡大していって、1000兆円というようなオーダーになっていくかもしれません。

したがって、首都機能移転の経済社会効果は、戦略次第で膨大なものにしていくこともできるし、効果のないものとなってしまうこともあるのです。 我々は日本の再生を行う意味でも、この効果を最大限にいかしていけるような戦略を立て、このプロジェクトを実行していくべきだと思います。

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