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「共同体としての『江戸市』の復活を」


杉浦 日向子氏の写真杉浦 日向子氏 文筆業

1958年生まれ。江戸(前東京)の都市生活文化史を素材とする著作が多い。

1980年「月刊漫画ガロ」で漫画家としてデビュー。処女作は、吉原が舞台の「通言室之梅(つうげんむろのうめ)」。1984年幕末上野戦争を描いた「合葬(がっそう)」で日本漫画家協会賞優秀賞受賞。1993年漫画家を廃業(隠居宣言)。酒と蕎麦と公衆浴場をこよなく愛し、船旅を終生の道楽とする。

主な著書は、「杉浦日向子全集」「江戸へようこそ」「大江戸観光」「東京観音(荒木経惟との共作)」など。



素顔の東京に返れるとき

東京をどう考えるかは、つまりは地方をどうとらえていくかという問題だと思います。「東京一極集中」とよく言われますが、それは地方自治の力が弱まったからではないでしょうか。

首都機能移転というのは「形」から入るような気がしますが、むしろ大事なのは意識改革だと思います。東京は過大評価され過ぎていると思いますので、その洗い直しが必要です。私は東京以外はほとんど知らないで育ちましたけれども、東京のイメージは虚像のかたまりのような気がします。東京には江戸からつながる本当に慎ましい、質素なところがあります。虚飾の部分をもう少し取り除いて、素顔の東京に返れる時期が来たのではないでしょうか。

そして、地方にもっとエールを送った方がいいと思います。東京に万一のことがあっても、地方は独立してやっていける自信をつけてほしいというのが一番の願いです。もう少し各知事に権限を与えて、独自性、独立性を持たせていくことが、今後の日本にとっても活力になると思います。東京だけでなくて、今度は「地方からの発信の時代」になるべきだと思いますし、21世紀は必ずしも一極集中に終始しないと思うので、首都機能移転はもったいない事業、時代遅れの感じがします。

21世紀は右肩上がりの高度成長期とは違います。20世紀の「生産と消費の時代」から、今度は「立ちどまって自分の足元を見つめる時代」に変わっていく時期だと思います。

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政治・経済の中枢「東京」と、居住のための「江戸市」

東京のあるべき姿としては、やはり政治や経済の中枢を支える「東京」と、それとともに居住地としての「江戸市」をつくるといいと思います。「江戸市」では居住空間として緑をもっと多くしていくとか、「東京」の中枢部はもう緑は切り捨ててしまって、機能性、利便性だけに特化します。東京だけにこだわらずに、やはり「東京」と「江戸市」とを切り離して考え、江戸400年の財産もそのまま受け継いでいくという形です。

例えば、「東京」を通過するだけの車にも税をかけるとか、本当に必要のある人だけが機能よく動き回れるように整備すべきで、「東京」に住むことに伴う負担も当たり前として受けとめなくてはいけないでしょう。

江戸幕府でも「人返しの令」が発令されて、地方から出て来た人を故郷へ帰らせました。東京も2代目になるときに、かなり大きな相続税をかけるなどすれば、東京に住むのは一代限り、住むのであれば、東京はお金がかかるということを前提にすべきだと思います。

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廃藩置県から廃県置藩へ

明治の廃藩置県とは逆に、「廃県置藩」というような考え方がこれから必要となるのではないでしょうか。つまり、連邦制的な考え方です。各県に独立性を持たせて、緊密に中央とやりとりしていく体制が一番望ましいと思います。

地方には今の県民性というよりは、「藩民性」の方が根強く残っていると思います。例えば、津軽と南部、盛岡寄りと秋田寄りで真二つに青森県は分かれています。逆に藩を復活させた方が住み心地のいい環境になると思います。言葉も藩制が敷かれていたころのまままだ残っている気がしますし、土地に対する愛着も増して、お国自慢がもっと楽しくなるでしょう。地方独自の文化性をアピールして、知事同士の会合とか協議とか、もっとたくさん機会がほしいですね。東京もその中の一つに過ぎないというぐらいに、縦ではなく横のつながりをもっと密にしてほしいものです。一極集中では何もかも賄いきれない時期にきていますので、やはり東京を見直すというよりは地方を見直す時代なのでしょう。

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「まち」単位で暮らしを考えた江戸

江戸の生活の特徴は、エコロジーとリサイクルです。江戸はほとんどが平屋で、特に町人地は江戸全体の2割弱しかないのに、人口の約半分が住んでいたので相当な過密都市でした。

これに対して、武家屋敷は緑を蓄えており、町人地とのギャップがすごく大きい。江戸を俯瞰した場合、かなりの緑園都市だったことがわかります。つまり、武家は公的機関で面積を広く割かれていることにより、町人地が狭く感じられるのですが、それが緑地化に貢献していました。町人がそれで不快に感じなかったのは、家にすべての機能を持ち込まずに「まち」に暮らしていたからです。つまり、集会所は銭湯の2階だったり、お寺さんの境内だったり、家の外に機能を求めて「まち」単位で暮らしを考えていたということです。

銭湯とか、できるところはすべて共同設備にする。個室がなくても、子供たちは外に出て遊ぶし、行くべき寺子屋がありました。家はただ帰って寝るだけのところだったので狭くてもいい。現在のワンルームマンションのような機能しかないので、「まち」に暮らしている時間が一日の大半を占めていたという住みよさがあったわけです。

現代と違ってぜいたくはありませんでしたが、一日の個人の時間が長い。何にも属していない人がほとんどで、いわば大半が自営業でした。今のような会社に所属するという暮らし方は、人口の1割しかいない武士の生き方です。つまり、個人商店がもっと元気になるまちということが、これからの東京の理想だと思います。

江戸の暮らしは生活用品を最小限に絞り込んで、持ち過ぎず、低消費、低生産、長期安定でした。このシンプルな暮らしを現代にも取り戻したいと思います。右肩上がりの幻想はやめて、GDPの伸びがなくても、逆に落ち込んでも心配しない。長い目で見て平らであれば別に構わない。去年より年収が上回らなければ過ごせない社会は間違っているというのが私の主張です。

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大人が生き生きし、楽しめるまちに

江戸をつぶさに調べると、半径150メートルほどの地域で一生を終える人がほとんどでした。今はインターネットなど便利になって、どこでも連絡はとれるわけです。むしろ今になって、半径150メートルで過ごせる東京というのも実現しつつあるのではないかと思います。SOHOなどが普及すれば自宅での勤務も可能ですし、個人の時間も増えていくでしょう。そのときに何をしていいかわからないのは、物は持っているが創造力がないという逆の「貧しさ」です。

江戸時代には「連」というサークルがあり、価値観が同じ人たちが職業、身分、年齢を越えて集って創作活動をしていました。一番有名なのは俳句で、リベラルなサークルが大人の楽しみであったわけです。東京もこれから「遊び」を開発していくべきではないかと思います。加齢に伴って楽しみが増えるまちづくりは、江戸時代の人たちが最も得意とするところで、学ぶべき点は多いと思います。大人が生き生きしていれば、子供も大人をばかにしたりしなくなるのではないでしょうか。

都市のこれからの課題は、プライバシーを守りつつ、連絡が密であるということです。現在のように家の中で全てを完結させるのは、逆に言うと江戸時代の農村部の暮らしです。東京は今「巨大な田舎」化していると思います。そうではなくて、都市の暮らしというのは、やはり共同体というものを強く意識していくということだと思います。

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