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「首都機能移転でショウ・ザ・ドリーム」


藤岡 和賀夫氏藤岡 和賀夫氏 プロデューサー

1950年東京大学法学部卒業後、(株)電通入社。1980年同社PR局長(役員待遇)。1987年よりフリープロデューサー。

日本の広告史を画したキャンペーン〈ディスカバージャパン〉〈モーレツからビューティフルへ〉〈いい日旅立ち〉など、数多くのプロデュース活動により70年〜80年代を通して電通のエースとして活躍。84年のベストセラー「さよなら、大衆」では、成熟消費社会における少衆化現象を摘出し、「大衆・少衆論争」を巻き起こすと同時に、企業の多品種少量販売戦略化を促進した。また、20年にわたり海外の都市で日本の文化イベントをプロデュースするかたわら、1995年から「プロデューサー直伝塾」を主宰。

最近の主な著書は、「あっプロデューサー 風の仕事30年」「考えて生きる−男の人生ノート」など。



コンセプトから「ジャンプ」が必要

これまで論じられてきている首都機能移転論というのは理想論、空想論みたいなもの、つまりは観念論、あるべき論みたいな色彩がかなり強いと思います。新しい首都とはいかにあるべきかとか、新都の意味とはとか、国家像が先になくてはならない、などというのはもっともですし、それはそれでコンセプトを闘わせるのは結構なことです。私たちも自分の仕事でしょっちゅうコンセプトづくりには悩みますが、そういうあるべき論をいくら続けても、そこからは具体的なイメージ、プランはなかなか出てきません。なぜいま、世論の関心がないかというと、あるべき論が論じられており、具体的に首都機能移転とはどんなものかが見えていないからだと思います。

例えば、新しい国会議事堂をどうするのか。今後はイギリス式にするのか、アメリカ式にするのか。そんなことも含めて、国会議事堂を動かすときに、どんな議事堂にするのかをえがくことは重要なことです。これはあるべき論からは出てきません。ハイテクを駆使した近代建築なのか、森の中にひっそりたたずんでいるような建物なのか、ガラス張りなのか、木でつくられたユニークな日本的な建築なのか。また、一緒に移転が必要な官庁の建物にしても、具体的な表現としての建物、それと同時に中身のイメージ、また移転した跡に建てる建物はどんなものがくるのか、といったことをえがいておくことも必要なのです。

コンセプトの議論を闘わせるのはいいですが、そこからは「ジャンプ」が必要だと思います。クリエイティブに優れた者が、ある種の直感力で「こういうのはどうか」と言ったときに、それまで議論していたコンセプトを体現し、イメージできれば人々も興味を示すのではないでしょうか。その「ジャンプ」はコンセプトの議論だけで導き出されるものではありません。もっとクリエイティビティを大切にしていくことも必要だと思います。

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低成長でも豊かな国づくりができる人をリーダーに

このプロジェクトを誰がやるのかはもっと大事なことだが、今まで誰も触れてこなかった。これまでのモラルのない行政や政治家や経済人に国民も疲れ果てています。そこで首都機能移転などというと、陰では政治家、表では企業などがどういう動きをするのか、という不安感が国民の中に生じると思います。

また、これからの社会経済は困難な局面に直面するということは皆が考えていることですが、右肩上がりの時代の前提でさまざまなことに対応することが多い。しかし、過去のやり方を続けるのは無理なので、過去の慣行、今までの考え方を捨てることが大きな課題です。

それには、GDPが伸びなくても豊かな国づくりを目指せる方法を考えなければなりません。またそういうことを考えられる人が、首都機能移転のリーダーにならなければうまくいかないと思います。つまり、ディベロッパー的な発想では、このプロジェクトを推進していくことはもうできないのです。

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一部の人の利便性よりも多様な豊かさを重視した都市づくりを

私はかねてから、いま東京の頭の上を走っている首都高は本当に必要なのだろうかと疑問に思っていました。首都高の交通は5割以上が「通過交通」です。通過交通でない車は、もともと地上の一般道路を走っているのですから、仮に首都高がなくなったとしても都内の車の総数自体は変わりません。少なくとも都心環状線とその枝線は、外郭ができればそれで代替できるのではないでしょうか。それなのに誰も首都高撤去を言い出さない。今でしたら、首都の上に高速道路を通すなど絶対にできません。それほど、都市に対する人々の考え方や価値観は変化しているのです。

仮に首都高がなくなれば、例えば日本橋が復活し、赤坂や千鳥ヶ淵など至るところで風致がよみがえります。跡地は川や道路に変えさせて、住宅にも有効利用できるでしょう。「実現不可能」と言う人もいますが、都市にとって何が大切かということを考えれば、車を使う一部の人の便利さより住民のためのアメニティーであり美観が大切なことは当然です。そういったさまざまな豊かさを考えられない人に、新しい都市を論ずる資格はないと思います。

東京には歩道がないところが多いですし、バリアフリーのためには歩道橋も改善しなければいけません。道路はほとんど車優先の思想で造られています。さらに、電柱撤去を進めることと、一つでも二つでも水路を復活させた方がいいと思います。こういう問題を考えない人も、新都市論にはあまり参加してほしくないですね。ふだんからどんな思想や意見を持っているかが重要なのです。

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都市再開発「グランプロジュ(パリ)」に見る都市づくりの哲学

首都機能移転論とは違いますが、都市を考え直す意味でのいい例がパリのグランプロジュです。1985年から始まって既に多くのものができました。ルーブル美術館の改修、オルセー美術館、ラ・デファンスのアルシュ、バスティーユの新オペラ劇場等10件あまりの計画で、現在進行中のものもあります。

この計画に対しミッテラン大統領は、「都市再開発グランプロジュの最大のねらいは、すべての人が過去から現在に及ぶ作品と知に親しめるようにすることです。過去を生き生きとしたものに保っておくことは、保存するだけではなく、いま私たちが持っている手段を通じて、過去がどんなのものであったかと問いかけることです」と、歴史の中で物事を見て、自分もその一つの歴史の中で、いまこういう位置で大統領をやっているという自覚と責任を持った発言をしました。このぐらいの哲学がなければ、都市再生はできないと思います。

また、「私たちは都市を機能性だけに還元し、都会に生気を与え、生活可能な空間にしている意味作用、軌跡、シンボルがさまざまに存在していることを忘れ、圧殺してしまう非人間的な危険性をも承知しています」と、都会というのは機能だけではないということをはっきりうたっています。どうせコンセプトを議論するなら、思想家としても優れた人がこのくらい格調高い発言をして、そこから先に「ジャンプ」をして、具体的イメージをつくってほしいものです。

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「夢」と「いい時期、いいプラン、いい人材」がそろった移転論を

そういった過程を踏んだ上で、いいプランができ、いい人が得られて、その時期が来れば、私は首都機能移転することも構わないと思います。

しかし、今までに言われてきたような、一極集中の是正、過密弊害の回避、災害予防とか、政治・行政の改革の推進などの事柄は、話で言えば前振りの段階で本論がありません。核心の部分に触れていないと思います。

コンセプトからアイディア(プラン)に至るには「ジャンプ」があるけれど、その両方を通してこういう夢があるということが、具体的なイメージですぐわかるようなものでないと人は動きません。しかし、国民や世論の関心をかきたてるような夢さえ見えてくれば、やりたいという何よりの動機になります。無駄な金を使うという批判は飛んで、「無駄」という考えもなくなるわけです。いま最も必要なのは、「ショウ・ザ・ドリーム」ではないでしょうか。

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