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「行政機能のバックアップのための新都市建設を」


村上 陽一郎氏の写真村上 陽一郎氏 国際基督教大学 教授

1936年生まれ。東京大学大学院比較文化博士課程修了。

上智大学理工学部助教授、東京大学教養学部教授、東京大学先端科学技術研究センター教授、同センター長等を経て、1995年より現職。

専攻は、科学・技術史、科学・技術論。

主な著書に、「文化としての科学/技術」「科学の現在を問う」など。



推奨できない「人が住む人工的な新都市」

首都機能の移転に関する平成2年の国会決議があるにもかかわらず、移転先の候補地の自治体幹部を除いて、多くの人々は、それを現実のものとしては捉えていないように思われる。すでに議論は尽くされているのだろうが、完全に、そうしたこれまでに積み重ねられてきた議論の外にいる人間にとって、近年に外国で行われた人工的な新都市建設の実例が、およそ推奨に値する結果を生み出していない、という事実は、どのように受け止められてきたのだろうかという疑問をもつ。例えば首都で言えばブラジリアである。ブラジリアの状況は、どう贔屓目に見ても、新首都を建設してよかったと誰もが言える状態ではない。日本における身近な例では「つくば」あるいは「けいはんな」を考えてもよい。

「つくば」は、かなり長い間、住民の自殺率が異様に高い町として全国に名を馳せた。旧住民と新住民との融和も、未だに十分とは言い難い。もちろん、このところ、「つくば」は、ようやく人間の住む場所としての顔貌を少しずつ呈し始めてきたことは、つくば市の名誉のために付け加えておかねばならないにしても。私のある友人は自動車嫌いで、自分で自動車を持ち、運転することなど、金輪際有り得ないと常々言っていた。しかし、彼女は筑波大学に勤め、その近隣に住むことになったとき、とうとうこらえ切れずに自動車を買い、免許証を取った。自動車が無ければ生きられない町(ロスアンジェルスはそうだが)というのは、人間の住む町として、果たして許せるのだろうか。

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無駄ではない「安全のための無駄」

もちろん、首都機能だけを考えれば、別にその場所に人間が常住する必要は無いという考えも成り立つかもしれない。しかし、首都機能の一つとしての国会を考えても、国会が、およそ透明で空虚な人工的空間のなかに孤立していて、その機能を十分に果たせるとはとても思えない。

私にとって、新しく人工的な都市を建設しようとするのは愚かな行為に思える。それが許されるのはただ一つの場合に限られるのではないか。その場合とは、人間が住まない都市である。言い換えれば、行政機能の「バックアップ」空間である。現在国家・社会の諸機能が東京地区に集中していることの最大の問題点は、集中点がテロに襲われたり、あるいは地震などの災害で崩壊したり(という恐るべき実例を、私たちは2001年9月11日のアメリカに見た)したときに、直ちに代替的に機能するバックアップ、いわゆるレダンダンシーに乏しいことである。全国の地方自治体の行政的な機能も含めて、行政の機能のバックアップを、堅固に防護された場所に、体系的に保存し、一旦事あるときには直ちに代替機能を発揮できるシステムこそ必要ではないか。

それは、通常の目から見れば、およそ「無駄」に見えるかもしれないし、事実日常的には無駄に違いない。しかし、安全を目指すこうした「無駄」は、決して無駄ではない。そして、そのような機能を持った場所であれば、多くの人間が常住する必要は全く無いのであり、人工的に建設された空間で十分に用が足りる。

私の考える首都機能移転の「現実」とは、そんなところにある。

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