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「首都機能移転は文明論的観点を大切に」


御厨 貴氏の写真御厨 貴氏  政策研究大学院大学 教授

1951年生まれ。1975年東京大学法学部卒業。

1988年東京都立大学法学部教授、99年政策研究大学院大学教授(政治学専攻)に就任し現在に至る。2000年よりC.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト研究リーダー。

日本政治学会理事、内閣府「栄典に関する有識者」、東京環状道路有識者委員会委員長などを務める。

最近の主な著書に、「日本の近代3 明治国家の完成」「馬場恒吾の面目 危機の時代のリベラリスト」「本に映る時代」など。



消極的移転論からの脱却を

首都機能移転は、1990年代の初めには注目される問題であったように思います。ただ、「首都機能」と言っているように首都全部ではなくて、主に政治機能をとにかく移すということで積極的に話が進められてきました。一種の社会資本の新たな蓄積という観点もありましたし、とにかく東京は過密すぎるから少し首都機能を移転して都民の生活を楽にするということで、議論の最初のころは勢いがあったという気がします。

一方東京都は、首都機能移転に関しては最初から歯牙にもかけないという感じでしたが、私は、これは非常に大きな思考実験だから最終的な結論がどうなろうと東京都がみずから調査したり、研究をしたりすればよいと言ってきましたし、現実に東京都もそうしてきました。これからも首都圏はどんどん拡大していきますから、昼間都民のことまで考えて、もっと広い意味で「首都とは何か」といった本質的なことを含めて議論を活発にするとよいでしょう。

東京は世界一忙しく「大都市の中の大都市」であるということと同時に、「首都」であるという二重性を持っている点は見直す必要があるのではないか。ところが現実に行われている議論は、しだいに「移転先をどうするか」といった矮小化された議論が活発になり、誘致合戦みたいなものが始まって、これは土木の問題であると考えられるようになってしまいました。「首都がどうあるべきか」ということは、省庁再編や特殊法人改革などの行政改革や、統治のあり方の再検討などと密接不可分の問題です。そういう議論を抜きにして、「東京の混雑や過密の解消のため」とか、「政治・行政改革のため」といった、いわば行き詰まった課題を克服するためという「消極的移転論」になってしまったことが今日の首都機能移転論の最大の問題点だと思います。こういった類の議論を乗り越え、首都機能移転を国の統治のあり方、国民性を含めた文明論の見地から論じない限り、この問題が国民的な議論にはなることはないでしょう。

例えば、仮に首都機能が移転した場合に、移った先で都市機能がよくなるかというと、交通などはエコロジーの観点からそれほど機能的にはならない、という感じがします。大学や都庁の移転などから類推すると、首都機能が新都市になじむまでに10年間以上かかるでしょう。その10年間は、新都市に住む人や仕事等で訪れる人はかなりの不便を強いられることになるのではないか。その不便さに今の人たちが耐えられるでしょうか。

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皇居の存在も考慮した検討を

首都機能が移転するという大きな思考実験をした場合、いまの首都機能移転論議は、最初から「皇居の移転はない」という前提で始まりました。しかし、東京の交通体系は皇居を中心に放射状になっていますから、皇居をそのままにして都内の交通をこれ以上よくすることは不可能です。一方、皇居は「東京都心で唯一豊富な緑の残るオアシス」という側面もあります。このように、皇居の存在を抜きにして東京問題への対応をどうするかは考えられません。首都機能移転論議に際しては、皇居の存在も考慮した検討を行なうことが必要です。

明治初期に天皇が京都から東京に住まいを移したのも、充分な議論の末に移転したわけではありません。おそらく、首都という問題について自覚的に掘り下げた議論がなされないで、今日まできてしまったのではないでしょうか。やはりこの機会に国会・政府が本気になって、文明論の見地から首都機能移転と皇居の関係についても検討すべきだと思います。

よく「この国のかたち」などと言われますが、首都機能移転を考えるということはまさに「この国のかたち」を考えることであるという気がします。ただ、これをするには内閣が相当強力でないといけません。今回の首都機能移転論議がしりすぼみになっているのも、いくら国会で議決しても政府の方が頻繁に変わって、この話を推進する力の主体がどこにあるのかがわからない、といった状態が続いていることに原因の一つがあると思います。

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東京のあり方はまず首都論から

首都機能移転に際して東京がどうなるか、という観点も重要です。やり方としては、21世紀の青写真を10年以上先までえがいて、移転すれば東京は次の世代にこうなるということを示したうえで議論を起こすべきではないか。始めから「首都機能移転ありき」だと、東京都や都民は身構えてしまいますから、まず「首都とは何なのか」という議論から始めることが必要です。

東京が今のように23区と三多摩を合わせた行政区画でいいのかどうかも併せて検討すると、場合によっては「東京解体論」も出てくるかもしれません。また、政治や行政の中心地域は国直轄にして独立させる、という議論も出てくるかもしれませんね。23区についても大きなところは市になりたがっていますから、そういう問題も含めて議論していけば、さらに「首都とは何か」という問題がわかってきます。今までは首都機能を移そうという話ばかりで、東京の都市論には手をつけていませんでした。

それでは、「東京に何が必要なのか」を考えると、文化都市としてさまざまなアーティストが来たり、夜も店があいていたりというような話はよくあります。そういう文化論や社会論的な面からも、行政区画の面からも、東京を論じ、首都とは何だろうという議論を重ねていく。そこからおのずと、この部分は外に出した方がいいという方向性が出てくれば、そこでおそらくは皆が納得する移転論になると思います。

「首都機能を移すと東京がさびれる」という意見もありますが、そうではなく、さびれないようにするにはどうしたらいいかという工夫もできるわけです。国会と行政機能があるだけで東京が文化的であるわけではなく、東京独自に発信できることもあると思います。文化都市、経済都市としての東京には何が必要か、何ができるかを考えることが必要なのです。

「分散移転すべし」という意見もありますが、政治・行政機能は政治・行政機能でまとまって初めて複合的に機能していくものです。分散しても結局は一番強いところに吸収されてしまいます。仮にまとまって政治・行政機能が移ったとしても、東京は文化の発信地として残ると思います。むしろ、空いた場所を文化施設などにして発展させていくとか、緑をもっと増やしていくことも考えられます。

つまり、首都機能を移転しても、東京は東京なりの再生ができるという説得ができるかどうかにかかっています。

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首都機能移転は行政改革と同時並行で

国の行政改革を見ると、省庁再編と言いながら、単に省庁を統合しただけのような気がします。多少の変化はあっても、そこにいる人は昔からの考えでいるわけです。そんな行政に首都機能移転が与える影響には、場所が変わることにより無駄な機能がそぎ落とされる、という効果があるかもしれません。そのときにうまく組織を統合して、人員の再編も行った上で、新都市に新しい省庁を移せばずいぶん違ってくるでしょう。

これからの行政改革を考える場合、不必要な権限をどんどん分権化して各府県庁に渡し、残された国家機能だけをどこで維持するかを考えることが必要です。首都機能移転にともない、警察、防衛機構も含めてすべての行政機構を再編成して、「こういう行政の体系になる」という青写真が示せればいい。そういう意味で、行政改革と首都機能移転は、全体的にリンケージさせなければいけません。

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