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「首都機能移転は国民の共感が不可欠」


吉村 作治氏の写真吉村 作治氏 早稲田大学 教授

1943年生まれ。カイロ大学考古学研究所留学。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学人間科学部教授。工学博士。

子供の頃に読んだ本でエジプトに興味をもち、早稲田大学在学中に仲間を集めエジプトへ調査に行ったのがきっかけとなり、エジプト考古学者となる。その後カイロ大学に留学し、エジプト考古庁より発掘権を得て、エジプトで35年にわたって発掘を続けている。その中で遺跡発見にハイテクを使い、数々の成果をあげている。

近年では、東海大学と共同で人工衛星の画像データを分析し、砂漠の砂の下より今から3,400年ほど前の貴族の墓地群を発見した。最近はギザの大ピラミッド建造主であるクフ王の名がついたスフィンクスを発見するなど、注目すべき発見が相次いでいる。また、エジプト考古学の分野に限らず、世界各地の考古学的遺跡などを対象とした比較文明についても調査を行っている。

日本にエジプト文明を広めるため、調査隊友の会「ピラミッドクラブ」を主宰したり、各種の著作を発表している(ホームページ「えじぷとぴあ」http://www.egypt.co.jp/)。

主な著書は、『エジプト発掘30年』(平凡社)、『痛快!ピラミッド学』(集英社インターナショナル)、『ひとのちから』(麗澤大学出版会)など。



「首都移転」と「首都機能移転」の違いを明確に

私は原則的に「首都機能」移転は賛成ですが、「首都」移転には反対です。「首都」の移転に反対なのは、世界中の国が、日本のキャピタルは東京だと知っています。これを、何年かかって世界中に周知させることができるでしょうか。日本国民1億2,000万人も説得できないようで、どうやって世界中の61億人に説得できるのか疑問です。移転するのに必要な財政面での十分な説明もありません。「国債発行は増やさない」と言っている政府がどこからお金を出すのでしょうか。

こういったことも含めて、首都が変わるのか、首都機能だけを移すのかということをきちっと国民に説明する必要があります。もし首都機能だけであるということであれば、いま東京都がこれだけ混雑しているから、行政と立法を他の場所でゆっくりとやってもらい、それ以外の機能を東京に任せた方がいいと思います。首都が東京のままであれば、地理の教科書を変える必要もないし、外国に説明する必要もない。お金もかからない。

したがって「首都機能移転」には賛成です。ただし、性急に結論を導く必要があるのでしょうか。性急に事を進めれば、国民はその様子を見て「やはりこの話には裏があるのだな」と感じることでしょう。

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国民への説明の徹底を

そもそも、なぜ首都機能移転の話が出てきたのでしょうか。「首都」を移転するのではなく、「首都機能」を移転するということですが、「首都」と「首都機能」の違いを国は国民に説明しているのでしょうか。もちろんしているのだろうけれど、このような疑問が出てくるのはその説明が国民各階層まで行き届いていないからです。国土交通省は、首都機能移転についてホームページにも掲載し、冊子も発行している。しかし、それで足りているとは到底思えません。冊子に関しては、賛成の人の意見ばかりを集めているのではないかという先入観をもたれ、反対の人は見ることもないでしょう。

それに比べ、例えばペイオフについての説明はよくされています。しかし、どう考えてもペイオフよりも首都機能移転問題の方が大切な問題ではないでしょうか。「銀行がつぶれたらどうするか」「ペイオフされたらどうなる」と、徹底的に毎週のように新聞やテレビで取り上げられています。ペイオフはお金のある個人の問題ですが、首都機能移転は我々の税金で行う、国民全体の生活に直結した問題だからなのです。

首都機能移転については、多くの国民の意識としては「ゼネコンを助けるためにやるのだろう」といった懸念をもっています。役人や政治家は、国民のナイーブでセンシティブな感覚がわからずに、計画を進めています。つまり、自分が正しいと考えていることは国民も正しいと考えるべきだ、と思っているのではないでしょうか。これが決定的に大きな問題だと思います。

役人は本当に国のことを思っていると、私は信じています。しかし、役人が国のためを思い、国民のためを思っている、ということが国民にわかってもらえていないのです。それは、わかってもらうように努力していないからです。役人はサービス業です。役人は国のためを思って当たり前、国民のためを思って当たり前なのです。我々は税金を払うことによって、行政を役人に託しているわけです。99.9%の役人は国のため、国民のためを思って働いています。そのことをよく説明すべきです。いまアナウンスされているのは移転の予定だけです。移転した後どうするか、といったことも説明されていないと私は感じています。

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国民の共感が不可欠な21世紀の政治・行政

なぜこのような問題が起こるかといいますと、民主主義は説明しさえすればよいと思っているからです。我が国の行政は、国民に説明するところまでは努力しています。しかし、国民の共感を得ようとはしていないのではないでしょうか。私は「共感政治」が21世紀の政治のポイントだと思っているのです。

国民の一部の人が得をするようなことで政治や行政が成り立っていた時代は、20世紀で終わっています。21世紀はそれでは成り立たない。原発などがいい例です。ほとんどの人は、原発があることは仕方がないと思っているでしょう。にもかかわらず投票すると反対票が多いというのは、原発をつくることにより得する人間と得しない人間が出てくることに対する批判が強いからです。首都機能移転にも同様の批判があるのです。つまり、首都機能移転に関して、国民は利権が絡んでいると感じているので反対している面があるのです。

移転先候補地では、「ワールドカップの次は首都機能移転だ」というような捉え方もあるようですが、首都機能移転と万博やオリンピックの誘致を一緒にされてはたまりません。片方はテンポラリー、片方は国家百年の大計なのです。これが同じような発想になっている。空港をつくる約束が果たされないのなら首都ぐらい来てもらわなければ困る、というような発想です。

私がすごく心配しているのは、役人と一部政治家と一部財界人・ゼネコンとの談合によって首都機能移転が進められているのではないかと、心ある国民が感じているのではないかということです。ですから、今のように一方的に説明をして終わりというやり方には反対です。

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一極集中是正は道州制から検討を

首都機能移転の目的の一つになっている「東京一極集中の是正」について考えたいと思います。東京一極集中がおかしいのであれば、まず道州制についても検討されるべきです。一極集中がよくないのであれば、地方分権、地方主権を考える必要があるでしょう。けれども今の府県には力がないので、銀行の統合と同様に3〜4の府県が一緒になって道州制にするということであれば、そこから地理的議論が始まるのです。道州制になれば一極集中を避けることができるでしょう。そうした議論のプロセスもなしに、首都機能移転の話だけが進んでいることに問題があります。

一極集中がいけないから首都機能を移すというのでは説得力がありません。ともかく、「はじめに移転ありき」という姿勢が問題なのです。一極集中がよくないのであれば、多極分散型の国土構造にすればいいのです。「土地が広くて国有地が多いから」といったことだけで、新都市の場所を決めてしまっていいのでしょうか。例えば、「新都市は海に面していなくてもいいのか」という議論さえもなされていないのではないでしょうか。

エジプトの人口約6,600万人の中で、首都のカイロには約1,800万人が住んでいます。これはまさにカイロへの一極集中でしょう。第二都市のアレキサンドリアは約400万人だからです。しかしカイロは1500年にわたってエジプトの都なのです。その歴史を鑑みれば、「大事なのは一極集中を排除することであって、首都を変えることではない」というのがエジプト人の発想になっているのです。私もそれが正解だと思っています。一極集中がまずいのなら一極集中を外す。とすれば、その答えは首都移転だけということではないでしょう。

日本も、機能として行政と立法は新都市に移す。キャピタルは東京から移さないということであれば、それでいいのではないかと思います。

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歴史と文化を考慮した移転論議を

名古屋の人たちは、「京都から東京へ、名古屋を素通りして首都は行ってしまったけれど、大政奉還しろ」と考えているでしょう。福岡は福岡で、「日本は北九州から始まったのだから、首都機能が来れば卑弥呼の時代に戻ることができる」と言うかもしれません。歴史認識というのはそういうものではないでしょうか。私は移転先の候補に挙がっている3箇所のことを非難するつもりは全くありません。移転先候補地が主張する背景にあるのは、歴史と文化です。しかし、首都機能移転を考えている役人や政治家が、歴史や文化についても考えているかというと、疑問が残ります。

江戸時代から東京は400年近く首都だったわけです。都民に変えることを納得させるには相当な努力をしなければならないと思います。10回や20回のシンポジウムでは少ないと思いませんか。「国家百年の大計」という切り口で首都を捨てさせるということは、そう簡単なことではないはずです。もし無理押しすれば民主主義の根幹を崩すことになりかねません。

この日本人の歴史観の中における東京の位置づけをきちっとしなければならないと思います。なぜ皇居が東京にあるのでしょうか。天皇陛下は日本国の象徴だから首都にいらっしゃる意味があるのです。もし首都機能を移すとなれば天皇陛下はどこにお住まいになるのでしょうか。離れたらご執務に支障は出ないでしょうか。とすると皇居も移すのですか。例えば、天皇陛下が京都へお戻りになり、首都機能が移り、東京を商業都市にするのだという話であれば、納得できる部分もあるかもしれません。しかし、そういう話ではないですね。

いずれにせよ、議論不足の感はぬぐえません。首都機能移転は大きな問題であるだけに、タイムスケジュールに関しては性急だと感じています。

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