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「災害に強いアイデンティティ溢れるコンパクトシティーを新都市づくりの基本に!」


佐藤 隆雄氏の写真佐藤 隆雄氏 (財)日本システム開発研究所 まちづくり・防災研究室長 主任研究員 技術士

名城大学第1理工学部建築学科、京都大学工学部研究生(地域計画学専攻)を経て、現在に至る。

国土交通省「将来展望研究会(国土計画局長の諮問機関)」委員、総務省・地域活性化センター「地域づくり」アドバイザー、神戸市市民防災大学講師、日本建築学会「都市防災・復興方策検討小委員会」委員。

著書に『都市防火対策手法』(大成出版社)、『暮らしの安全百科』(学陽書房)など。

その他、講演・テレビ・ラジオ出演多数。各地において、住民と行政のパートナーシップによるまちづくりを提唱、実践。多くの成果をあげている。



はじめに

海外を訪れて帰路につき、成田空港に着陸する間際になり、空から東京のまちを見渡すとき、いつも思う。「これだけ建物が密集し、延々と果てしなく続いている都市は無い」と・・・。

ボンにしてもミュンヘンにしても、あるいはパリにしてもそうだし、サンフランシスコやロサンゼルス、ニューヨークやワシントン、あるいはまた、シンガポールやジャカルタにしても、空港に着陸する間際の空から見る都市のコンパクトさと美しさは、わが国の首都のそれとは比較にならないのである。

このような思いを抱くのは、私一人だけだろうか?。ゴルフ場があちこちに造られ、山肌はあたかも猫の爪で引っかいたような無残な姿に見えるし、建て詰まった家並みが留まることを知らぬほどに広がり、高速道路と河川の線だけがくっきりと浮かびあがっている光景は、どう考えても歪(いびつ)である。

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何故、首都"機能"移転なのか?

本題に入る前に、少し考えてみたい点がある。それは、平成2年11月の「国会等の移転に関する決議」あるいは平成4年12月の「国会等の移転に関する法律」等において、何故、"首都移転"とせずに、"首都機能移転"としたのか、という点である。

「国会等の移転に関する法律」においては、その第1条に、国会等とは「国会並びにその活動に関連する行政に関する機能及び司法に関する機能のうち中枢的なもの」と定義されている。つまり、首都機能移転とは、国会、内閣・中央省庁、最高裁判所を移転させるということなのである。

ところで、「首都」とは一体何か?。『広辞苑』によれば、首都とは「その国の中央政府のある都市」と定義され、また、中央政府とは「国家行政の中枢機関。狭義には内閣を指す。」と定義されている。すなわち、国家行政の中枢機関である内閣・中央省庁がある都市がまさしく首都なのである。

しかしながら、首都にはもう一つの定義がある。それは「その国家の元首が居住する地」というものである。今回は皇居の移転は含まれない。したがって、首都"機能"移転なのである。

ならば、首都"機能"移転などと、分かりにくい用語はできるだけ用いずに、「三権の中枢機能を持つ新都市建設」とか「首都機能を持つ新都市建設」とでも言った方が、よほど国民にとっては分かりやすいのではないだろうか?。そして、この「新都市建設」に対して、もっと夢を持って議論に参加するのではないだろうか?。

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今、新都市建設論が必要とされる訳は?

今日のわが国の経済社会動向から鑑みて、大規模投資を必要とする"首都機能移転"などもってのほかである、という論調が目立つが、果たしてそうであろうか。このような議論は、首都機能移転を単なる「首都」の移転とか「機能」の移転としてしか捉えない瑣末な議論である。

ここでは敢えて"首都機能を持つ新都市建設"(以下は「新都市建設」と略す)と言わせていただくが、最も大事なことは、21世紀を迎えた今日、わが国の有り様をめぐる議論の一環としてこの課題を捉える必要があるということである。

わが国は、古来においては隋や唐に学び、明治維新には欧米に学び、第2次世界大戦以後は主として米国に学び、これらを範として、常に追い着け追い越せのキャッチアップを図りつつ、今日までの繁栄を培ってきた。

しかしながら、これからのわが国は、自らの目標を、自らの手や頭で定め、その目標を達成するための方策を、誰の助けをも借りずに、自らの力で創造して行かなければならない時期を迎えているのである。もはやキャッチアップの時代は終焉している、と言える。

このような時代認識に立つとき、わが国の政治・経済・社会システムや大都市の状況は、果たしてそれに相応しい形態や内容を兼ね備えていると言えるであろうか。

明治維新から100有余年、第2次世界大戦後から50有余年を経た今、世界に範たるわが日本をどのように創っていくのか、そのためにはどのような政治システムや行政システムが必要なのか、そしてそれを可能とする新しい都市とは如何にあるべきか?。そのことが深く問われているのである。

果たして、今の東京にそれを受け入れて、可能とする条件はあるのだろうか?。詳細については後述するが、答えは「否である」と言わざるを得ない。

"首都機能移転"の議論は、わが国の政治・経済・社会システムの変革と一体的に考えることにおいて、その意味を持つものであり、まさに"新都市建設"の必要性の有無とその有り様についての幅広い国民的議論がなされるべきであり、新世紀の課題として捉えられるべきなのである。

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災害に対しては極めて脆弱な東京

東京都が行った地震に関する被害想定(『東京都の被害想定:区部直下型』平成9年、東京都中央防災会議)においては、死者数7,159人、負傷者数=重傷17,438人、軽傷140,594人、家屋倒壊数=全壊42,932戸、半壊99,596戸、焼失戸数378,401戸、帰宅困難者数3,714,134人、と発表している。東京23区内だけで、これだけ多くの直接的な被害が発生するのであるから、このこと自体だけでもその対応に苦慮せざるを得ないと思うが、大規模災害時には、こうした直接的な被害のみならず、政治・社会・経済のシステムも大きく麻痺するのである。阪神・淡路大震災の例を見るまでもなく、大都市になればなるほどその連鎖被害や麻痺は相乗的に増えるのである。

例えば、我々に身近な問題として、大規模災害時のトイレの問題がある。トイレ自体が被害を受ける場合はもちろんであるが、トイレ自体は被害を受けていなくても、水道被害が発生すれば使えなくなるし、下水道が壊れても使えなくなるのである。確かにその対策として、簡易トイレの設置なども行っているが、圧倒的に数が足りないのは火を見るより明らかである。さらに加えて、簡易トイレに溜まった汚物をどのように処理するのか。そもそも東京や東京周辺の何処にバキュームカーなどがあるというのか。

これ以外にも、膨大な瓦礫の発生(関東大震災のときは、皇居の外堀さえ瓦礫の埋め立てに使われているのである)や交通麻痺、遠距離通勤の中にいる多くの政府職員や都区職員、及び数多くの災害時に必要な関連機関の職員、これらはほんのごく一例に過ぎないが、とても迅速な対応などできる状況にあるとは思えない極めて深刻な状況である、と言わざるを得ない。

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災害危機管理と新都市建設

さて、本題である災害危機管理と新都市建設について考えてみよう。災害を考える場合に三つの要因がある。

一つは素因、この素因には二つあって、一つは自然的素因。これはいわば自然のエネルギ−、地震とか台風とか豪雨とかである。もう一つは社会的素因、これは火気とか廃液とか排気ガスとかである。火気自体は災害ではないが、火気があって燃えるものがあるから災害になる。二つ目は、この素因を災害にしてしまう要因で、必須要因という。つまり、耐震性のない家屋が建っていて、もし、地震が発生すれば、それは当然壊れることになる。耐震性のない家屋が必須要因である。三つ目は拡大要因。一度発生した災害をさらに拡大させてしまう要因である。例えば木造密集市街地の存在などはまさにこの拡大要因である。法律で定める木造密集地域は、全国に25,000haあるが、そのうちの3分の2が三大都市圏にあり、さらにその3分の1は東京区部にある。

したがって、災害を少なくするためには、必須要因を無くすか減らす、もしくは拡大要因を無くすか減らすことが必要になる。

防災対策には予防と事後対策の二つがある。予防対策は必須要因や拡大要因を無くしていくことである。つまりそれは耐災力を強化することであり、耐震性の強化や不燃化促進などの技術的対策の強化である。しかしながらこの技術的対策の強化には限界がある。つまり、地震で言えば、これまでの最大級の震度を想定した耐震強度の確保ということになるが、それを超える震度が発生した場合には対応ができないのである。水害で言えば、堤防を造るのに、雨量が50mmとか70mmとかを想定し、その雨量にも持ち応える堤防を築造することになる。しかし、それを超える雨量の大雨があった場合には、堤防を越えて、あるいは堤防が壊れて、洪水被害が発生するのである。しかも、それは、雨という力と堤防という力の関係によって引き起こされるのであり、堤防の力を前提として造られている都市は、ひとたまりもない洪水被害に陥るのである。

そこでもっと大事な防災対策の考え方は、そうした技術に頼らない回避策の強化である。つまり、大規模な空地を取り、災害の連鎖を断ち切ることである。「首都圏近郊緑地保全法」という法律があるが、これは市街地の拡大を防ぎ、緑地を保全するための法律であるが、関東大震災と戦災という2度にわたるわが国の被災経験から生まれた災害の連鎖を断ち切るための知恵であった。

しかし、現在は市街地が連坦し、ほとんど残っていない。わずかに残っているのは埼玉県の川口から大宮にかけて広がる見沼田んぼくらいである。

防災の視点からする都市の分節化に対する考え方のはしりであったと思うが、これを守り切れず、今日の東京圏を形成してしまったことは、極めて残念であると言わざるを得ない。

発災後の対策としては、「応急対応力の強化」と「復旧と復興の対応力の強化」がある。人命や財産を守るための、救急・応急のマンパワーと各種の資機材と情報の収集と伝達システム等の整備が整っている必要があるが、現在の東京において、先ほど示した被害に適切に対処できるだけの力があるだろうか?。その疑問は大きく残る。

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災害に強く、的確な対応を可能とする新都市建設を!

災害に強い都市とは、コンパクトシティーではないか思う。分節型の都市で、一定の範囲内での職住近接性の確保、これを一つの哲学としてコンパクトシティーを考えることは、より安全な都市形成という視点にとっては欠かすことができない。このコンパクトシティーの建設は、当然、コミュニティーの醸成という問題とも絡んでくる。職住近接の地域はコミュニティー形成も必然的に図られる。

わが国の場合、世界のどの都市と比べても、首都圏の1都3県にありとあらゆるものが集中し過ぎている。阪神・淡路大震災の被害範囲は概ね20km四方と言われているが、比較的コンパクトシティーの形態を成している京阪神圏域ですら、あれだけの大混乱と2次被害を出した訳であるから、のべつまくなしに市街地や通勤圏が拡大している現在の東京圏においては、いわずもがな、である。

また、「災害列島」と言われるわが国の諸都市や地域を守るためにも、「自立と自律」が可能な都市、災害対策にかかる情報の共有化と一元的管理、調整権限を持った対応が可能な都市、こういう都市こそが必要なのである。そして、この新都市建設の論議をトリガーとして、わが国の政治・経済・社会システムの有り様と変革を追及すべきであるし、それを可能とするわが国を象徴するデザイン感覚を持った新しい都市建設について考えるべきである。キャッチアップの終焉したこの時代こそ、この創造的な議論を、自らの頭で考え出すべき絶好の機会なのである。

首都機能移転、あるいは「首都機能を持つ新都市建設」についての議論は、まさに新世紀におけるわが国の有り様をめぐる極めて重要な議論であり、この課題に対する回答こそが、21世紀をどう生きるのかという、世界に対するわが国の回答なのではないだろうか?。

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