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「首都機能移転を日本病克服のきっかけに」


福川 伸次氏の写真福川 伸次氏 (株)電通 顧問 電通総研 研究所長

1932年生まれ。1955年東京大学法学部卒業。

1955年通商産業省(現 経済産業省)入省。以後同省において、貿易局長、大臣官房長、産業政策局長等を経て、1986年通商産業省事務次官。事務次官退官後、(株)野村総合研究所顧問、(株)神戸製鋼所代表取締役副会長等を経て、1994年(株)電通顧問、(株)電通総研代表取締役社長兼研究所長。1999年4月より、合併により現職。他に、中央環境審議会(環境省)、総合資源エネルギー調査会(経済産業省)など政府審議会委員のほか、(財)地球産業文化研究所顧問、米日財団理事、日米欧委員会委員などを務める。

主な著書に、『IT時代・成功者の発想』『産業政策』『美感遊創・プラスサムへの途』など。



「日本病」蔓延の危機

日本の現状は、70年代後半から80年代初めにかけての、アメリカ病、イギリス病、ヨーロッパにはヨーロピアンペシミズムが蔓延した時期に近い状況です。経済の活力が非常に衰えてしまって、例えばIMD(International Institute for Management Development)のインターナショナル・コンペティティブネスの評価だと、日本は93年まではトップでしたが、今は26番目に下がっています。また産業の空洞化といったことも起こっているわけで、そういう点では経済全体の活力が落ちていると思います。

外交的にも日本の発信力は非常に弱いですし、海外に行くと「日本は再生できるのか」という声さえ聞かれます。日本全体の社会の規律も下がっていて、欧米に比べればまだ低いけれども犯罪発生率もふえています。学力の低下もあり、親子の関係も非常に不安定になり、自殺もふえています。このように、日本の国力が全体として下がっていることに、私は非常に危機感を持っています。

構造改革は大事だけれども、構造改革の次にどういう社会を目指すかの国民的な議論がないし、日本は公権と私権に対する認識が低い。国民は、政治にはショーとしては関心を持つけれども、「観客民主主義」と言われるように、自分の問題としてではなく、興味本位でものを見ています。ジャーナリズムも国のあり方や政策よりも、むしろ政治をショー的に報道するという状況で、私はこれを「日本病」だと思っているわけです。

「日本病」とは何かというと、一つは危機感がない、変化に対する感受性がない。二つ目に政策形成能力が非常に落ちている。三つ目には企業の活力が非常に落ちている。リスクには挑戦しないし、収益力も非常に低いという状況になっている。四つ目には、社会に連帯感が乏しい。非常に規律が下がっている。五つ目には、人々の意識が非常に固定的、保守的、横並び的、現状維持的、消極的です。この五つぐらいに現れている。英語でコンサバティズム(Conservatism:保守主義)、ネガティビズム(Negativism:消極主義)と言われるような価値観が「日本病」の本質です。

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技術と芸術を融合させ個性が発揮できる社会を目指すべき

これから人口減少は始まるし、高齢化社会は進んでいく。アジアの競争力はもっと強くなっていくし、21世紀は技術革新が非常に進んでいく。そういう大きな変化の中で、日本はどうするのかを考えなければならない大事な時期に来ています。構造改革の後に、どういう国を目指すのかということについて、もっと国民的な議論、合意がなければいけないと思います。

20世紀は、世界秩序の維持などにおいて国民国家が人々の活動の基礎になっていました。たぶん21世紀はそうではなくて、自立性を高めた個人が人間性を尊重しあい、すべての主体がネットワークで連関して、社会の運営に参画し、国際社会と調和した社会になっていくのだろうと思っています。そういう社会像をどう描くかが重要な課題です。

「アート」とはラテン語の「アルス」から来ているのですが、アルスは技術と芸術を意味している言葉です。その後の言葉の発展では、英語ではartificialというと技術的な意味、artisticというと芸術的な意味の言葉になる。このように、近代化の過程では技術と芸術は分かれて発展してきました。

しかし、情報技術が進んでくることによって、これらがまた融合してくる可能性があります。例えば建築物あるいは洋服のデザインにしても、コンピュータ・グラフィックスを使うとか、コンピュータ・エディトリアルデザインとか、感性を満たす形で情報も使われるようになってきています。DVDは、文化、芸術を伝達するには非常に優れている。さらに、レーザー光線が街を美しく演出するようになるでしょう。

要するに、そういうハイテクが、感性を満たす、技術・文化・芸術を高めるという要素が非常にふえているのです。そうした要素をうまく使いながら日本が目指すべき社会は、技術と芸術が融合し基礎となって、もっと個性が発揮できるような社会だと思います。

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大事にすべきジャパナビリティー(Japan-ability)

日本の歴史や文化に根ざした日本独特の特質を「ジャパナビリティー」と呼びますが、それを大事にすることもまた、21世紀の日本に求められる大きな課題です。ジャパナビリティーをおろそかにしたことが、今日の「日本病」の蔓延につながった、と言っても過言ではないのですから。ジャパナビリティーについては以下のとおりです。

一つには、日本には歴史的に優れた要素があった。例えば、知識と知識を融合する能力は、例えば遣隋使、遣唐使のころから、中国の優れたものと日本の伝統的な文化を加えて美しい建築物もつくったし、平仮名文化で優れた文学も残しました。徳川時代は鎖国をしていたけれども、オランダ、ポルトガルの技術を入れて、だんだん近代技術に発展させてきました。明治維新になって、植民地にされそうなアジアの中にあって、ひとり頑張って近代国家をつくっていった。そのときはまさに西欧の統治機能を導入したし、戦後は米国の優れた近代技術を取り入れて産業をめざましく発展させました。

二つ目は、規律を重んじて道を究めるということです。例えば「武士道」とか「商人道」という言葉がありますが、やはりそれぞれの中で道を究める努力は非常にしてきました。華道、茶道もただ単に形だけではなく奥義を極めるということがある。匠(たくみ)の技と言われる、非常に優れた技術を深めるという、技と心を非常に大事にする規律があるのです。

三つ目は人と人との関係を非常に大事にする特技がある。これが横並び意識につながったという意見ももちろんありますが、人と人との間を大事にするのは、新しいものをつくる上で非常に有効だと思っています。それは他人の価値観を尊重、理解できることにつながるわけですから、ネット時代でも国際的なグローバリゼーションの展開を考えるにしても、これから異分野の技術とか文化を融合して新しいものができるという形になってくると、やはり他人の価値観を理解する、尊重することは非常に大事なことであって、この点に関し、日本人は優れていると思います。

四つ目は、自然を尊重して美を追求することです。自然を大事にすることはいろいろなところにあらわれています。例えば日本庭園を考えてみても、自然の美しさと人工の「粋」が融合している。借景などもその一つの例で、自然と人工を非常に大事にする文化がある。もちろん農耕社会で育ってきたから環境を大事にしますし、江戸時代は畳を肥料にするとか、周辺の農村と街との循環システムができ上がっていたわけです。また、日本食も、素材の味を大事にしながら、目にも美しく、味もよいという非常に優れた文化です。

ジャパナビリティーには伝統的にそういうものがあった。今は残念ながら、戦後50年間の近代化の過程で、そうしたものを少しずつ見失いかけてしまってきていると思います。

近代では、効率性を追求することで落ちこぼれを出さない教育にする、あまり競争をさせないで標準的な若者をつくる、個性とか創造性なんてあまり教えないということですし、企業でも大量生産、大量消費という方式でいくから、あまり変わった人材は要らない、このように人も物もできるだけ標準化するという形で近代文明は伸びてきました。企業の経営でも当初は別だけれども、ある程度成長過程に入ると、前例を尊重する、横並びで処理をすればいい、業界ではほかを見て、ほかの会社がどうするかということばかり考えて、少し改良して大きく売り込むということになってきたものだから、創造性というものがだんだん落ちてきました。できるだけ現状維持がいいということで、政官財の鉄のトライアングルという方式ができ上がってしまったのです。

特に政治の世界でも、80年代になってから非常に固定的な政治運営が行われて、例えば当選回数で党の役員、閣僚のポストにつくとか、話し合いでやることになったわけです。戦後の「和の政治」は、争わないで話し合いでやっていき、物事は詰めないということになっている。特に日本は同質的な社会なので、あまりものは言わないほうがむしろいい、「雉も鳴かずば撃たれまい」や「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という意識がだんだん広がってきました。むしろ「沈黙は金」という文化になってきて、企業の中でも前例主義がはびこることになってきたのです。こういうことが「日本病」につながっていると思います。

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首都機能移転を新しい国づくりのきっかけに

首都機能移転は、新しい日本をつくるきっかけにすべきだと思っています。日本人にはきちんと目に見えることが非常に大事だと思うからです。

東京を見ると、都市としての競争力が非常に弱い。パッチワーク的に広がったから都市として住みにくい、今でも長距離で通勤する人が非常に多い。要するに仕事と生活とが分離してしまって、街としては長続きしないと思います。マンハッタンだって、東京の都心3区に比べれば居住人口ははるかに多い。東京は都市機能としては非常に偏っていると思います。東京には美術館やコンサートホールがあるが、生活全体は極めてアートフルから遠い存在になってしまっている。生活文化というものも育たない街になってしまっているのです。

例えば、諸外国と比べても、日本では番地だけで目的の場所を訪ねることは難しい。確かに地下鉄は便利になっているけれども、乗りにくい。これから国際化時代になってくると、外人が来てもすぐ住める街、楽しめる街でないといけない。技術にしろ、文化にしろ、人間が主役なのです。人間がきちんと知的活動ができなければ、都市としての生活環境は成り立たないと思っています。

私は現在、日本を新しい情報化時代にマッチした美しい庭園都市にしようという構想を検討しています。それには都市と農村がもっとネットワークでむすびつき、都市はもっと縦にコンパクトで横にグリーンがある構造にしたいと考えています。つまり、都市と農村がグリーンを含めた技術と文化のネットワークを形成することで、両者の協調をもっと図っていくべきだという訳です。

これは大変な労力と時間を使ってやっています。縦にコンパクトで、横にグリーンがあるような都市をつくるというのは非常に難しい。「人間にはいろいろな生活基盤や文化があるからこそ新しい技術や発想が生まれる」と考えると、やはりもう少し東京全体の居住環境をよくしないと都市から新しいものが生まれにくくなってしまうのではないでしょうか。東京都心3区へ通勤している人の3分の2ぐらいは片道1時間以上かかっていますし、通勤ラッシュの混雑は大変なものです。そういうところで新しい知恵が生まれるわけがない。こうしたことからも、東京は国際競争力を失ってきているのです。

東京を変えていくには、ある程度のスペースがないとできません。東京都の最大の問題は災害と言われるけれども、防災都市にしていくには臨海副都心のようなものを活用して、東京の密集地帯にゆとりを持たせて、既存の都市を改造するということが必要になりますし、その中に生活文化の潤いがなければいけません。もちろんそこに情報関連の施設も入れながら、美あるいは文化を埋め込んでいくことが大事なのです。

しかし、臨海副都心だけを活用して東京改造を行うのは難しいと思いますから、首都機能移転を行うことが必要だと思います。また、それに加え、首都機能移転はいろいろな意味で日本の大きな変革のきっかけになると思っています。首都機能の移転先となる新都市では、国際的にも魅力的で、透明性がある街づくりが求められると思います。そこは、アートフルな雰囲気、技術と芸術が融合している雰囲気がなければいけません。まさにそこに理想都市をつくることにより、日本人にもう一度自信を回復させ、ジャパナビリティーをも復活させることにつなげてほしいのです。日本の社会がここまで行き詰まってしまうと、それぐらいしないと変えられないのではないでしょうか。

新しいモデル都市をつくることによって東京をすかせる。これで東京の人々がまた新しい街づくりを考えていく。それは技術、経済、文化の都市で考えるなど、東京の人たちが自由に考えることができる訳です。

「人づくり」などといって、日本の教育は進んでいると日本人は思っていますが、決してそうではありません。例えば、98年のユネスコの統計では、世界全体の海外留学生のうちアメリカに行っている人は28.2%です。それと比較して、日本は世界でのシェアで15%のGDPを持っているにもかかわらず、留学生のシェアは3.3%でしかありません。このことはもっと反省しなければいけない。要するに、世界の若い人たちは日本に来たがらないということです。

新都市は、そういう教育面も含めて、グローバリゼーションが進展する国際社会と日本がどうつき合っていくのか、どう貢献することができるか、日本はどういう国を目指すのかという問いに答えを出せるような、つまり人間性や知性が思う存分発揮できるような街にしなければ移転の意味は薄れてしまうでしょう。新都市は、何も立法・行政・司法機能があるというだけではなく、「街」という側面があるので、総合的な都市という形で世界に誇れるようなものを考えていかなければなりません。それには都市のコンセプトを明確にして「街」をつくっていくことです。外国の事例も幾つかありますが、それをまねるより、ジャパナビリティーが生きているような街づくりを目指してほしい。

最後に、首都機能移転論議を盛り上げるためには、国民全体で「日本病」の危機感を共有した上で、首都機能移転はそれを克服するための画期的なきっかけになる、という観点から検討することが不可欠だと思います。

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