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「ブッシュ・キャピタルでの豊かな暮らし」


池田 俊一氏の写真池田 俊一氏 オーストラリア国立大学 助教授
1948年生まれ。オーストラリア国立大学アジア研究学部卒業。ニューヨーク州立大学バッファロー校教育学部大学院博士課程修了。比較教育学専攻。オーストラリア国立大学アジア研究学部日本学科専任講師、ハーバード大学東アジア言語文明学科専任講師を経て、現職。

また、オーストラリア国立大学にて、1970年代より日豪の留学生の交流に長期間携わる。

訳書に「儒教ルネッサンス」、オーストラリアや日本の文化等を紹介する「フールーはどこ?」「おりがみ」等著書多数。



はじめに

国会等の移転に関するオンライン講演会を拝見して、様々な考え・意見があるものだと感心すると同時に、一般の人々の間でなかなか関心が盛り上がらないと言われている首都機能移転の問題について、世論を喚起しようという各界の識者の熱意を感じました。そこで、私は、国土交通省の「諸外国における首都機能移転」パンフレットでも取り上げられているオーストラリアの首都キャンベラに永年住む者の一人として、首都機能移転を果たした都市に住んでいて感じることを率直に述べ、皆様の御参考にさせて頂きたいと思います。但し、これはあくまでも個人的な意見であり、キャンベラに住んでいる日本人を代表しての意見ではないことを予めお断りしておきます。

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ブッシュ・キャピタル - キャンベラ

私事で恐縮ですが、キャンベラに住んで通算25年になります。当時はまだ珍しかったオーストラリアの大学への私費留学生として、現在奉職しているオーストラリア国立大学に来たのが32年前の1970年。20代の独身時代をキャンベラで過ごした後、大学院留学のため米国に行き、1988年に再び母校に戻って、今度は家族と共にキャンベラ生活を続けています。生まれ育った日本で過ごした年月より、海外生活が長くなりました。従って、居住者としての視点から、キャンベラのことを語らせて頂けると思います。

2000年にシドニーでオリンピックが開かれたので、日本人の中には、オーストラリアの首都はシドニーだと思っている人も多いと聞いていますが、首都はキャンベラです。この首都キャンベラは、「ブッシュ・キャピタル」とも呼ばれています。ここで使われている「ブッシュ」というのは、豪州英語で「都会から離れた」とか「田舎の」という意味で、多少揶揄的な響きがあります。つまり、「田舎にある首都」ということになるでしょう。オーストラリア人の間でも、キャンベラは首都でありながら、「田舎町」というイメージが強いようです。事実、中心部から30分も車を走らせれば、全く人の手がついていない自然があります。都市機能と自然が一体になった町ということもできると思います。

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「ブッシュ・キャピタル」ができるまで

そもそもオーストラリアがイギリスの植民地から独立して、連邦政府が成立したのが1901年。当初、仮の首都として連邦議会が置かれたのはメルボルンでした。当時から二大都市として張り合っていたシドニーとメルボルンの間で首都よこせの綱引きが行われ、結局、1908年に両都市の中間に位置する(実際は、シドニーまで約300キロ、メルボルンまで約800キロで、シドニーに近いのですが)何もない「ブッシュ」地域に新たに首都を建設することになりました。キャンベラというのは、先住民アボリジニの言葉で「出会う場所」という意味だそうです。

もう一つ、首都が海岸から離れた、内陸の山の中に定められた理由があります。オーストラリアは海岸線の長い島国なので、万が一戦争が起こり、敵に攻められた時、首都が海岸線にあると、たやすく中枢機能を押さえられてしまうことを恐れたからです。現在の州都(シドニー・メルボルン・ブリスベン・アデレード・パース・ホバート・ダーウィン)は皆、海に面した港町です。実際に第二次世界大戦中、不幸なことですが、日本軍によってシドニーとダーウィンは攻撃を受け、敵国に本土を攻撃されたことのないオーストラリア人を震撼させました。その意味で、首都を「ブッシュ」に移したのも、まんざら意味のないことではなかったわけです。

1913年に、現在連邦議事堂が建っている地で鍬入れ式が行われ、首都建設事業が開始されたと言われていますが、実際には、1927年に旧連邦議事堂が完成し、連邦議会がメルボルンからキャンベラに移転するまでは、首都としての発展はなかったに等しいと言えます。更に言えば、キャンベラが都市としての機能を備えるようになったのは、戦後も15年以上経った1960年代になってからでした。それまでは、連邦政府で働く役人を、各州から躍起になってキャンベラに呼び寄せようとしても、「誰があんなブッシュ・キャピタルなんかに行くものか」という人が多く、人集めに苦労したと聞いています。

オーストラリアは連邦国家で、6州、1準州、1首都特別地域から成り立っています。各々の州に州首相がいて、州議会もあり、今でも国防と外交を除いては、各州が各々独自の政策で州の運営を図っていると言っても過言ではありません。今でこそ諸外国との関係が深まり、国として連邦政府の下に結束するという意識が高まってきていますが、1960年代までは「連邦首都不要論」も根強かったそうです。

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首都特別地域

今、触れた「首都特別地域」というのは、ACT(Australian Capital Territory)のことです。一般にキャンベラは首都ということで、一つの小さな町と思われているようですが、実際は、ACTという地域(ニュー・サウス・ウェールズ州南部に位置する東西約40キロ、南北約80キロの細長い地域)の中の都市部分を指します。ACTの残りの部分は自然の原野です。連邦政府関係の建物が集まっている区域と、ACT自治政庁を中心とした区域を中心に、住宅街と大規模なショッピングセンターで一つのまとまりになっている区域(日本の大都市の区に当たります)が7つあります。この中心区域と、各々が幹線道路で結ばれている周辺の7つの区域全体をキャンベラ市と呼んでいます。この区域の一つ一つが、日本の町に当たる「サバーブ」と呼ばれるいくつかの住宅地域に分かれていて、各々小さな「ショップス」と呼ばれる店鋪の集まりを囲んでいます。このような町造りは、静かな住宅環境をもたらし、同時に生活に必要なものは、容易に手に入るようになっていて、住み心地がいいと言えます。

もう一つ「首都特別地域」を設ける利点は、国有地のまま住む人に土地を貸与することができるからです。ACTに住む人は、土地の所有が認められず、連邦政府と99年の借地契約を結ぶことになります。こうして、土地の騰貴を押さえ、投機の対象にならないようにすることができます。借地とは言え、その土地に家を建てた人はその家の所有権を持ち、自由に売却できます。そんなこともあるからでしょうか。プール付の家も多く、庭でパーティーを開くスペースもあり、日本からのお客様は居住水準の高さに驚かれているようです。

日本も首都機能移転を目指すなら、新都市として一つの都市を考えるのではなく、土地利用が自由になる国有地に、ACTのような特別地域を設け、その中にキャンベラのような複合都市を造ることを考えた方がいいと思います。国土交通省で出している「首都機能移転 新時代の幕開けとなる新都市像」という小冊子には、「国会都市(中心クラスター)と小都市(周辺クラスター)」という言葉が使われていますが、複数の都市を建設するという誤解を招きやすいので、「首都機能地区を中心として周辺の住宅区域を含めた新都市」というように言い換えた方がいいように思います。

キャンベラが首都に決まってから今日までの経緯を長々と述べたのは、キャンベラが短期間に発展して首都としての機能を果たすようになったわけではない、ということを言いたかったからです。ですから、日本で首都機能移転が実現したとしても、すぐさま理想的な新都市が誕生するわけではないことを皆に納得してもらうことが必要です。すべての生き物が成長するのに時間がかかるように、都市も生きている人間によって形作られていく生き物のようなものですから、その誕生からすくすくと育つ時期は、温かく長い目で見守っていかねばならないと思います。その時期が長くなるか短くてすむかは、新都市に住む人々の熱意と意気込みによると思います。いや、住む人だけではなく、国民全体の支えていこうという意思によるのかも知れません。

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「ブッシュ・キャピタル」の印象

キャンベラは人工都市だから無味乾燥でつまらない、歴史がないから趣に欠ける、清潔過ぎて人間臭さが感じられない、と言ったような批判が国内のみならず国外からも寄せられるようです。しかし、そのほとんどは、短期間キャンベラに滞在しただけの人の印象に過ぎません。どの都市も、どんな町も、そこに住んでいる人の感覚と、旅行者としての印象はかなりかけ離れているのではないでしょうか。

私の教えている大学にも、毎年、日本から交換留学制度を利用したり、私費で留学したりする若い人たちが20名ほどやってきます。東京出身の人も、ほかの大都市や地方都市出身の人もいますが、はじめは誰でも「なんとちっぽけなつまらない町だろう」と思うようです。しかし、日が経つにつれ、また英語で意思疎通がはかれるようになるにつれ、自分でしたいことがいくらでもできることに気がついて、皆キャンベラの生活が気に入っていくようです。私の知る限りでは、キャンベラに住む日本人は二通りに分かれます。何から何まで非常に気に入って帰りたくない、もしくは、是非また戻ってきたい、という人達と、つまらないから早く帰りたい、二度と来たくない、という人達とです。後者は、誰かが用意してくれるおもしろいことがたくさんあって、それに身を任せていないと落ち着かないという受動的な人達です。もちろん、前者の方が圧倒的に多いことは言うまでもありませんが・・・。

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「ブッシュ・キャピタル」での暮らし

キャンベラは、もともと自然に流れていた川をダムでせき止めて造った人造湖(キャンベラの都市設計者の名前をとって、バーリー・グリフィン湖と呼ばれています)を中心に、南側に連邦議会議事堂をはじめ連邦政府の省庁や、最高裁判所、国立図書館、国立美術館などの建物が緑地の中に点在し、北側にACTの自治議会をはじめ、キャンベラ市の省庁やショッピングセンターが立ち並ぶ一画があります。いずれも周囲を樹木や芝生に囲まれ、キャンベラを訪れる人は決まって「まるで公園の中に町があるようだ」ということを口にします。それを、猥雑さに欠けるとか、清潔過ぎる、と言うのは、そういった環境の中で、自然と調和のとれた生活に馴染んだことのない人の「食わず嫌い」のような気がするのです。空間はいくらでもあるので、高層建築は必要ありません。建築基準で一定の高さ以下に保たれた建物は、町を行く人々にも、利用する人々にも威圧感を与えません。また、けばけばしいネオン・サインや音声広告は条例によって禁止されているので、夜は街路灯と住宅の明かりだけになり、晴れていれば、天の川がよく見えますし、不必要な騒音に悩まされたりすることもありません。

キャンベラは海から遠いのですが(一番近い海岸まで車で2時間余りです)、バーリー・グリフィン湖で、ヨット、ウインド・サーフィン、ボート、カヌー等を楽しむことができます。但し、モーターボート類は、水上警察を除いて禁止されています。ほかに水上スポーツを楽しんでいる人達にとって危険だから、騒音が迷惑だから、という理由もありますが、何よりも、燃料で湖の水が汚染されないように、との配慮からだそうです。こんなところにも、できるだけキャンベラ市民の生活を、より快適にという考えが優先しています。

私は、東京は品川で生まれ育ち、高校を卒業するまで東京に住んでいたので、大都会での生活がどんなものであるか十分知っているつもりです。しかも、東京が大好きで、故郷としていつも懐かしく思っています。しかし、キャンベラの住人としての感想を一言で言うと、ここの生活は「快適」の一語に尽きます。まさに何もなかった土地に一から建設を始めることができたおかげで、ほとんど計画通りに町造りが進められています。住宅街も、おおまかに言えば、はじめに道路を作り、公共施設や地域店鋪を建設し、最後に個人住宅を誘致するというやり方で、整然としています。道路と個人の家の間に「ネイチャー・ストリップ」と呼ばれる芝生と街路樹の部分をたっぷり確保し、行き交う車の騒音対策と、緑の景観を兼ねています。そこに舗装された歩道もついていますし、地域によっては、自転車道も整備されています。先に述べたように、住宅地域には、公共施設や地域店鋪が作られているので、何をするにもそれほど遠くまで出かける必要はありません。ある意味では、昔、日本のどの町でも見られた「角のタバコ屋さん」的な店まで歩いたり自転車で行ったりして用が足せるのです。

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「ブッシュ・キャピタル」の利便さ

道路も交通緩和対策を軸に計画的に作られているので、朝夕の多少の混雑を除けば、交通渋滞でいらいらさせられることもありません。キャンベラ市内であれば、ある地点から別の地点まで行くのに、車で15分から20分もみておけば楽に行けます。少し遠いところでも30分あれば確実に着きます。従って、通勤・通学に費やす時間は往復でも大したことはなく、疲労を覚えることもありません。また、万が一家族の身に何か起こっても、すぐに駆けつけることができるという安心感があります。要するに、神経をすり減らすような要因があまりない生活ができると言えるでしょう。

車と言えば、道路の幅が広く、車線も広くとってあるので、運転していても疲れませんし、どこへ行くにもそれほど時間はかからないということがわかっているので、急ぐ必要もありません。市内速度制限は60キロですが、住宅のない地域は80キロ、住宅街と住宅街を結ぶ幹線道路は90キロ。もちろん時々事故は起きますが、至る所で歩行者と車との分離が図られており、致命傷に至るような事故はあまりありません。

ただ、問題が全くないわけではありません。キャンベラの公共交通機関はバスだけで、ふだんの日の夜と週末の本数は極端に少なく、車のない人は不便さを感じています。これは、電車かモノレールを敷設すれば解決するように思われるのですが、車と飛行機に頼っているこの国では、鉄道の人気は低く、当分実現しそうもありません。

通勤・通学時間が短いということは、仕事や学校が終わった後、自由に使える時間がとれる、ということを意味します。これは、自分の時間、家族や友だちと過ごす時間が多くとれ、一人一人が、その人の考え次第で時間を活用できるということになります。一年を通じて、キャンベラの人々は、ありとあらゆるスポーツや文化的活動、庭仕事、散策等を楽しむことができます。地域に密着したクラブ組織が発達しているので、人々は、職場や学校のクラブよりも、自分の住んでいる地域のクラブで、様々な職業の人々や違う文化的背景を持った人々と交わることができます。

また、既に述べたように車で30分も走れば、人工的なものが何もない自然環境の中に入っていくことができます。今でも、野生のカンガルーがたくさん見られます。野生動物と言えば、ポッサムというリスを大きくしたような有袋類の動物も未だに住宅街でよく見られます。この動物も夜行性のため、昼間はあまり姿を見かけませんが、夜、木の実や果実を求めて動き回る姿を目にすることができます。更に、日本の大都市では動物園でしか見られないような極彩色のインコやオウム類をはじめ、様々な種類の鳥が至る所で我が物顔に飛び回っており、見る人の目を楽しませ、そのさえずりで耳を和ませてくれています。小鳥のさえずりが目覚まし時計代わりというのも贅沢なことかもしれません。

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計画都市

キャンベラはまた、工業地帯がないので、車の排気ガスを除いて、深刻な公害問題はありません。しかし、人口30万人の都市ですから、自動車や電気機器等の修理工場や製材所、家具屋等は必要です。このような工場や店が集まっている区域は、はじめから計画的に定められており、利用者もそのような区域に足を運べば、効率よく用を足せるという利便さがあります。つまり、政府関係の建物、各国の大公使館、住宅街、大規模なショッピング・センター、修理工場や店の区域は、計画的に截然と分かれていて、各々が幹線道路で結ばれている、ということになります。

私が住み始めた頃のキャンベラは、公務員が当時の人口11万人の6割以上という、典型的な役人の町でした。それが、今では人口も30万人に増え、それと共に、公務員、大学の教職員と学生、各国からの大使館関係者ばかりだった昔に比べ、情報産業を中心に民間企業もキャンベラに拠点を構えるようになり、モールと呼ばれる大きなショッピングセンターもいくつかできています。もちろん、シドニーやメルボルンのような大都市に比べると質量とも劣ることは否めませんが、多様な店舗や飲食店等都市的なサービスも充実してきており、キャンベラでほとんどの用は足せるようになってきています。

よく、日本人短期滞在者が「赤提灯で一杯、というような雰囲気がなく、つまらない」とこぼすのを聞きますが、キャンベラにも豪州版大衆酒場と言える「パブ」や、飲食やゲームを楽しむ地域クラブの建物が至る所にあり、こちらの人はこちらの人なりに楽しんでいます。日本と同じようなものをキャンベラで求める方が無理なのではないでしょうか。もう少し言わせていただけるなら、赤提灯よりも、こちらではお互いに招いたり、招かれたりしてよく開かれる普通に行われるホーム・パーティーの方がずっと楽しいのではないでしょうか。

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子育て・教育環境

連邦政府の省庁や研究機関、国際機関、大学、各国の大公使館に勤務する人々の割合が多いということは、教育水準と給与水準が高い人が多いことにつながります。従って、教育に関心を持つ親が多く、キャンベラの公立学校は、先生の質も高く、ほかの都市と比べて教育水準も高いと言えます。託児所、保育園、幼稚園等も充実しており、子供を預ける制度も拡充しているので、夫婦共働きの家庭が多いのも特徴の一つでしょう。大学も3つあり、地元と近郊だけではなく、シドニーやメルボルンのような大都市や、田舎の小都市から来たほかの州からの学生も、キャンベラの生活を楽しんでいるように見受けられます。

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行政・生活サービス

キャンベラに永年住んでいる人にとっても、初めてキャンベラに住む人にとっても、行政・生活サービスが非常に分かりやすく、合理的なので、非常に助かっているのではないでしょうか。30万人という規模の人口ゆえ、やりやすいということもあるのでしょうが、従来からの書類による広報も行き届いている上に、インターネット等による情報提供や、オンラインの手続き等も充実していて、例えば英語が不自由な一時滞在者でも、諸々の手続きが簡単にできるようになっています。

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日本の首都機能移転

キャンベラは、連邦政府の政治の中心であり、立法・行政・司法三権の全機関が集まっていますが、オーストラリアの国の中枢がすべてキャンベラにあるかというと、そうではありません。経済・商業活動、文化活動、情報技術の中心はシドニーやメルボルンにあり、各々ニュー・サウス・ウェールズ州とヴィクトリア州の州都として、政治的・経済的・文化的な中心地の役割は、増えこそすれ、衰える兆候は見られません。

日本も、首都機能移転を目指すのであれば、政治・行政サービス等をまず合理化し、小さく効率的で無駄のない政府にすることを皆で確認し、それを思い切って実行することが大切だと思います。そういう身軽な首都機能であれば、移転費用もあまり大きくならず、国民の理解も得られるのではないでしょうか。

とは言え、個人的には、新しく造られる国会議事堂の建設には、一度限りの支出ということで、かなりのお金をかけて、国の象徴になるような建物にするべきだと思います。1988年に完成したキャンベラの新連邦議事堂も、できるまでは「国の象徴として立派なものが必要」「税金の無駄遣い」といった賛否両論がありましたが、できてからは、国内での評判は頗るよく、国内外の観光客が必ず訪れる場所にもなっています。建物の形態も、特徴的なデザインで、英国の伝統とは一味違った統一独立国家としてのオーストラリアを表していると評価されています。建物全体が丘のように見える姿はオーストラリアの大地及び国民の一体となった政治を、空にそびえる国旗掲揚マストは国民の意志及び理想を目指した政治を表現しているそうです。見学も自由で、極めてオープン、民主主義の象徴なのです。このように、オーストラリアの新しいイメージを提供する役割も担っていると言えるでしょう。日本の新議事堂にも、同じような役割を期待したいと思います。

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終わりに

以上、かなり長くなりましたが、永年キャンベラに住み、キャンベラの生活を満喫している者の一人として感じていることを述べさせて頂きました。キャンベラは雑誌などでの暮らしやすい都市ランキングで常に上位にありますが、永年住んでいても、日々その思いを新たにしています。

ところで、私も、このキャンベラで、日本大使館等を通じて、霞ヶ関で働かれている官僚の方々に接する機会があります。皆さん、とてもいい顔つきで、生き生きとされています。一方、マスメディアで知る霞ヶ関のイメージは必ずしも明るいものではない気がします。いつも、このギャップに戸惑うのですが、いろいろな方のお話を総合すると、どうも霞ヶ関の呪縛があるように思います。この呪縛を解くことができれば、官僚の皆さんが一人一人その能力を国民のためにもっと発揮でき、日本は世界に誇れる国になるように思います。そういった観点からも首都機能の移転を考えてもいいのではないでしょうか。

日本の首都機能を備えた新都市が、住む人々に潤いを与え、こよなく愛される地域として発展するよう、心より願っています。そして、ちょうどキャンベラの成長を見届けたように、できればそこに住んで、その成長を見守りたいと思います。

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