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「連邦首都ベルリンに学ぶ日本の首都機能移転のあり方」


中村 静夫氏の写真中村 静夫氏 大妻女子大学教授

1975年ドイツ・ミュンヒェン工科大学客員研究員、77年同大学都市計画大学院修了。工学博士。90年大妻女子大学家政学部助教授、98年教授に就任し現在に至る。専攻はドイツ都市計画学、環境デザイン学、住環境学。日本都市計画学会、日本庭園学会などに所属。旧国土庁・都市の独立性と連関性に関する比較分析調査委員会委員、春日部市環境基本計画策定委員会委員長、国土交通大学校講師などを務める。

著書に『市民参加の大都市づくり・国際都市ミュンヒェン』、『アルプスはなぜ美しいか』、『みんなでまちを造った』、事典『現代のドイツ』など。



各行政体が主体性確保のために競い合うドイツの連邦共和国制

ドイツのシステムをもとに首都機能移転について考えてみたいと思います。ドイツの連邦共和国制の行政区分は、ブント、ラント、クライス、ゲマインデで構成されています。ゲマインデが日本でいう市町村にあたり、小さな市町村をまとめるクライス(郡行政府)、独立市(政令指定都市よりも自治独立権が強い)、その上にラントがある。ラントは邦(ほう・くに)と訳しますが、これはもともと国だったもので、日本の都道府県とも意味が違います。ラントが集まったのがブント(連邦)です。連邦は大枠の政策は扱っても連邦内共通のこと以外は、国内向けの実務の殆どをゲマインデとラントが所管するということになります。

そのため、国のいろいろな機関でも、実務を行っている場所にその機能を分散することができ、連邦首都に全ての機能を集める必要はありません。ボンは30万都市ですが、戦後ずっと西ドイツの首都として存続できたというのは、もとは南北ドイツの大都市への配慮の結果ではありますが、首都機能的に困ることが何もなかったからです。人口の多い都市が首都になるべきだ、ということはなく、地域の行政府(自治体)が自立していれば、首都と首都機能は小さな自治体でも機能できるのです。ましてやIT時代の現在ではもっと容易でしょう。

ブント、ラント、ゲマインデは、それぞれに自治を可能とする条例制定等の立法権限をもち、特にゲマインデの自立性が強く保持されていることが特徴となっています。条例を侮ってはいけません。そのため、日本のように上意下達の関係ではなく、それぞれの主体性確保のために競い合う関係となっています。都市整備・計画は各行政体にとって、自治の体系を具体化する手段であり、ゲマインデでも独自に策定しています。そして、そのことは法的に保障されています。

また、国民や自治体が主体性を確保し合うと言っても、行政情報が少なければ何もできないので、連邦政府の行政情報公開は非常に進んでいます。戦後ドイツは行政情報公開と国民主権を徹底しており、まさかというところまで情報公開をして、だれもが連邦や自治体の情報を取れるようになっていますし、行政も積極的に分かりやすく情報公開を進めています。

自治体は将来の都市整備に向けて「土地利用計画図(F-plan)」を策定しますが、その具体化としての「事業地開発計画図(B-plan)」の案ともども一般に公表する義務があり、市民は意見を述べる権利があります。市民から口頭、電話、書面などで出された意見に対しては全て回答しなければならない義務があるため、各行政体ともデータの整理がしっかりしていますし、都市計画のプロがそろっています。その道をずっと専門にやっているので、官僚がいつでも大学教授になるだけの技量を持っています。むしろ、利害調整の現実を相手にしていますから、アカデミズムよりも優れて計画性と実効性とを相互に近づける専門特性を認めることは容易です。

さすがに小さな町になると人材が不足していますので、市町村同士で"計画連合体"を組んで、質の高い仕事を確保するわけです。このときにクライス(郡庁)が支援することも多いようです。やはり自然環境対策を含めて都市整備・計画のような場合には、国を維持できる計画能力や策定能力のある人がかかわっていかなければならないでしょう。

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コンセンサス形成の努力により達成できたベルリンの首都機能移転

1990年にドイツが再統一を果たした際に、首都がボンでいいのかという議論が持ち上がりました。もう一方で、ヨーロッパ各国は、首都がベルリンに移ることを戦前の"大ドイツ"の再来になると懸念していました。しかし、ドイツはそのような懸念に対し払拭するよう見事に応えてきたと思います。戦後のドイツがヨーロッパの表舞台に立つことはなく、EUにおいてはフランスを立てています。またボンからベルリンに移転することについて、ロシアを含めてコンセンサスの形成に努力してきました。このような外交努力が認められたという側面も大きいと思います。

同時に国内的には自治体の自治強化、住民参加の義務、情報公開の義務を徹底しました。あらゆる点で極端なくらいの民主化を進めてきたということで、もはや過去の暗い時代を懸念されることのないことを、戦後50年をかけて実行し、内外にも印象づけてきたのです。

これらすべての成果として、新国家の新時代に歩み出すために首都をベルリンに移転しました。首都には世界に発信する大きな役割があるのです。ベルリンへの首都移転はドイツ再生のみならず、EU再生にも大きなプラスになっています。一国の利益ではなくて、EU全体の利益を考え、また、かつての東西陣営を結びつける橋のような機能を果たすことも含めて、ベルリンへの移転をしたわけです。EUの紙幣には多くの橋が図案化されたのもそうした気持ちの現れです。もう一つ、実務的な利点として、ベルリンにはインフラが既にあったため、整備しやすい状況にあったということが言えます。

また、ボンから移転する時に、経済の中心であるフランクフルトも候補になっていたのですが、旧東ドイツを強固に結びつけると共に、ドイツ国民の意識のどこかにやはりベルリンへの思い入れが強かったのです。その結果、ベルリンを連邦首都にすることにほぼ全国民が同意しました。

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地域の自立心と誇りを生むドイツの連邦制

ベルリンへの移転について、ドイツ国民のコンセンサスが得られた背景として、連邦国家制であることが大きく影響しています。各邦の首都機能がきちんと整備されて、自立している。その上で連邦の共通機能だけを再整備すればいいわけですから、ベルリン市邦以外のラントの人たちにとって、首都を地域の視点で我田引水することはないのです。ドイツ再統一を果たし、戦後最も遅れて連邦の首都機能が再整備されるということは、連邦全体の利益になるから賛成、ベルリンが最適というわけです。

日本のように中央集権で市町村が疲弊した状態では、このまねはできません。それぞれの地域が自立していないからです。ドイツでは小さな村を見ても、きちんと自立して都市機能がそつなく収まっています。自分たちのゲマインデに必要なものは揃っている。ラントにおいても揃っている。だから、あとはブントを何とかしようじゃないかというように、最後に連邦の首都機能、ベルリンの再建を行ったに過ぎないのです。あくまでも中央主導ではなく、国民と地域を全て充足していってから、最後に連邦行政庁を整備するという発想なのです。ボンは国家再建半ばという意味合いを強く意識付けていたのに対し、ベルリン再建は、国民と地域を大切にする連邦制のひとつの結果です。

連邦制のよさは、国内格差の是正に役立つことです。それから、地域特性が芽生え、自立心と誇りを持てることです。違いを言い合うのではなくて、違いを持って寄せ合うのが連邦です。共通の利益のために団結できるメリットがあるのです。

現実には、ドイツ再統一の際に、旧東の都市政策や業務遂行における考え方でも、あらゆる点でレベルを西側並に持ち上げられたわけですが、東側から見れば、自分たちが劣等だというレッテルを貼られた屈辱感があったと聞きますし、西側から見れば、税収を上げたのは我々なのに、なぜサービスが向こうへ行ってしまうのだ、という声もありました。しかし、ベルリンの存在が国民の意識統一に大きな役割を果たし、同じドイツ国民としての認識を持つことができたと言えるでしょう。連邦制では、社会サービスや社会的活動の面で地域差が極端に発生しないように施策を実施することが根幹なのです。一極集中ではこれはできません。

今、EUにおいて都市間競争が非常に激しくなっている中で、ベルリンという連邦首都はそれに対応していかなければなりませんが、いわゆる西側陣営と旧東側陣営との橋渡し機能で存在感を出そうとしています。そのために、EUの機能やコンベンションセンター、大手企業のオフィスセンターなど、将来性のある機能を数多く誘致しようと努力しているわけです。特にビジネス街では、インフォメーション能力の強化に向けてソニーセンターを誘致したことは大きかったと思います。

ただし、都市間競争は、かつては大都市間競争だったのですが、その時期は既に終っており、むしろ中小都市まで含めたゲマインデ全体が、どこかと競わなければならないのが現状です。ヨーロッパの国土において、いかに自分たちが生き延びるかが最大の課題となっているのです。ドイツではブント、ラント、ゲマインデがそれぞれ自分たちの自治権を大切にしながら、行政情報公開と国民主権を徹底していますので、各行政体が住民と一丸になって、自前の特質を向上させながら、クオリティーも競い合って、国際化に対応しているわけです。

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地域主権の実現と持続可能な都市を実現できる「移動国会」

連邦の場合、1カ所が盟主になるのではなくて、各地域が既に盟主になっていますから、その連携をとることが大事です。これは信頼しかない。信頼のネットワークをどうつくるかが、連邦成立の一番大切なところです。

残念なことに、日本では東京都心5区に過度の一極集中です。首都機能の集中の激しい都心ではオープンスペースがなく、住環境の悪化が甚だしい。しかも過度の資本の集中的な投下をしたことから、その疲弊は全国に及びやすい。地方は地方で、一極集中のために補助金政策で地域特性を毀損されてきたという経緯がありますので、困難に対して自力対応ができにくい実情下にあります。そのため、デフレ経済にも回復への対応ができないのでしょう。

これらの構造を変えるには首都機能移転は必要ですが、1カ所に固定する形での移転では、広く考えて効果的ではないと思います。そのため、所定の都市において10年から15年を限度として国会を開催する「移動国会」が考えられます。これからの国際社会の中で日本の存続を図るためには、国民主権、地域主権の発想が必要であり、それを涵養(かんよう)するには「移動国会」の実現が必要であり、それを支える自治体としての力をつけることが前提でしょう。これを10ヶ所程度整備できれば、日本はパワフルになるでしょう。

また、どの地域においても日本国内であれば平等な社会的生活機会に恵まれるよう改善するため、各地域が主権を持った構造のもとに国会開催地を移動させる、言ってみれば「移動国会連邦制」にすることが順当だと考えます。連邦制と言っても、ドイツとは国も地域も歴史も違うので、全部が参考になるわけではありませんが、日本がこれからの国際間競争に勝っていくために、そして国民の利益を守るために参考になる部分もあるのではないかと思います。外国の制度だけを取り入れても機能しませんので、最終的には我々の考える国家像がなくてはいけないでしょう。

東京から首都機能が移ることによって、東京の国際的地位が下がることも一時的には発生するかもしれませんが、その時に新時代を見つめたインパクトのあるものを打ち出せばいいのです。一極集中の既得権益にしがみつくような国政・都政のあり方は、国民的な損失になります。

首都機能の移動で空いた建物は撤去してオープンスペースをつくることが必要です。既に過剰に集中しているわけですから、空いた建物をまた利用したら、一極集中が変わらなくなってしまいます。オープンスペースの確保がまた50年先、100年先の発展余地となり、持続可能な都市となるのです。

持続可能というのは、やはり基本はそこに住んでいる人が職を失わないで、自分の生計を楽しく有意義に維持できるようにすることです。さらに、現在そして将来への夢を育み、快適に暮らせることであり、各種サービス面も含めて良くなればいいということです。人のニーズというのは変化します。変化するニーズに対応できることが、持続可能になっていくわけです。その持続可能な自分の生活を満足に過ごせるように、自然環境対策に留意しながら、なるべく満足の度合いを増やしていくことが、次の社会整備であり、都市計画や国土整備の課題であり、その大枠である首都機能の移動はグローバルに変動する国際社会に柔軟かつ機敏に対応できる適切なシステムでなければならないのです。

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