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「日本の独自性を大切にした首都機能移転」


星 吉昭(姫神)氏の写真星 吉昭(姫神)氏 シンセサイザー奏者・作曲家

宮城県出身。1971年ビクター電子音楽コンクールグランプリを受賞。1980年「姫神せんせいしょん」結成。81年「奥の細道」でデビューし、84年アーティスト名を「姫神」と改めてソロ・ユニットとなる。1998年8月「縄文海流〜風の縄文」で第40回日本レコード大賞企画賞を受賞。2003年、通算21作目のアルバム「青い花」を発表した。

代表作は、『まほろば』『北天幻想』『風土記』『神々の詩』など。また、著書に『北の風あおあおと』。



それぞれの土地に、それぞれの民俗音楽が

私は日本の民俗音楽から影響を受けた音をつくるということを、東京から岩手へ拠点を移したときに発想しました。だから、今は東京にいろいろなものが一極集中していますが、私にとっての東京は、中心に位置付けられているわけではありません。私がやっているような音楽の仕事は、昔だったら東京に出てこなければ仕事になりませんでした。しかし、21世紀になってそういう時代ではなくなってきました。やろうと思えばどこでも仕事ができてしまう時代になってきています。東京から離れていようとどうだろうと、特に問題ではなくなってきているのです。逆に東京に住むと、民俗音楽を探すためにわざわざ出かけて行かなければならなくなります。ヨーロッパの音楽を演奏する方はヨーロッパに行かれるのが一番いいし、アメリカのジャズをやりたい方はニューオリンズに行かれてそこで学ぶことが一番いいでしょう。

そういう観点から言うと、現在住んでいる場所が中心ということになります。ならば、気分的な問題ですけれど、東京にだけにいろいろなものが一極集中しているというよりも、例えば長野へ行けば長野らしさが感じられ、北海道へ行けば北海道らしさが感じられる方が楽しいし、バラエティーに富んでおもしろいのではないか、いろいろなものがそれぞれの土地に根付いていけば、おもしろい日本が生まれてくるのではないかと考えています。

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地方だから守ることができる独自性

私の音楽における独自性は、拠点を岩手へ移したことで堅持されました。レコード会社からは、「岩手にいると大変だから東京にいらっしゃい」と言われもしましたが、私は頑として動きませんでした。実際、東京を中心にしてさまざまなことが動いていますから、岩手にいるとなかなかお呼びがかからないという面もあります。しかし、一見マイナスに見えるこの距離が、私にとってはプラスだったのです。

どういうことかと言いますと、岩手までわざわざやってくる仕事にいいかげんな仕事はない、ということです。私に仕事を頼む人は、遠路はるばるわざわざやってくるのです。それは、「どうしても姫神さんでなければ」「姫神さんに、ぜひやってもらいたい」というものになります。そのかわり、数は少ないです。しかし、少ないけれども、私もきちんとやりたいと心から思えるものばかりなのです。だからこそ、音楽スタンスを守ることができたのだと感じています。

これが東京にいたらどうでしょう。私は気が弱く、よく迷う人間ですから、「ちょっとこれやってくれない?」と言われたら、引き受けていたでしょう。今の私があるのは、私自身が積極的に仕事を選んだ結果ではないのです。これは、首都である東京から離れ、田舎に拠点を持ったことの結果です。

経済面での利点もありました。シンセサイザーという楽器を使って演奏するためには、電気があればいいのです。今、岩手で自分のスタジオを持っていますが、これはやはり地方だからできることです。土地は、東京に比べたら非常に安価ですから。同じ演奏活動をして得た収入があったとしても、東京を拠点とすると、ちょっとやっていけない。ところが、地方だとそれがやっていけるのです。

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地方のリズム、東京のリズム

今でも日本の南端である沖縄では民謡が作曲されています。一方で、今の若い人たちのポップスもある。沖縄の人口は240万人ほどで岩手と変わらないのですが、インディーズレーベルのレコード会社があって、すごいタイトル数のレコードを出しています。

青森にもそういった根っこがあります。津軽三味線を含めて、やはり音楽が好きなのです。青森には民謡酒場のような居酒屋があって、今でも若い人たちが楽しんでいます。

私は、それを何とか現代的に、地方発信で若い人たちの感性を取り入れられるものができないかなと考えています。簡単に言うと、東北音楽祭のような形で、民謡だけではない新しい音楽をやっていこうというものです。私が見た範囲では、秋田、青森、岩手県北にはまだまだおもしろい文化があって、不思議なんですよ。

岩手では、自分の好きな風景が何箇所かあります。そこは、夏と冬ではもちろん違うけれども、そこに建っている建物も風景に同化していて、一つの音楽のイメージがわいてきます。同じ風景でも、雨が降っているときと晴れているとき、春と秋では風景のリズムが違います。私は風景に接するとすぐ、この風景と運命を共にできる曲は何だろうと考えてしまいます。私にとって、東京というところは「ややこしい場所」です。曲が浮かばないというのではなく、ややこしいのです。わからないのではなく、いつもややこしいなという感じがする場所です。風景のリズムが複雑すぎる、といったところでしょうか。

音楽というのは必ずそこにリズムが内在していて、いろいろ浮かんできた音楽には、必ずバックにリズムがあります。それがどうしても、工業地帯や東京のような大都市では、どんどん速くなるのです。テンポが速くても癒される場合もあるし、テンポが遅くても癒されない場合もあります。その辺は難しい問題ですが、総じて「安らぐ」というのは「落ちつく」ということですから、階段をのぼって行って踊り場でゆったりと休むという場所のようなイメージになります。そういう意味では、東京というのは階段をのぼっているところで、落ちつかないという気分なのかもしれません。

東京はやはり、どうしても経済中心になってしまいます。私が音楽を学ぶために東京に出たとき、母は当時貴重であった米を持たせてくれましたが、どんな気持ちで食べたのかをいまでは思い出せません。当時の私にとっては、白米が母や故郷との結びつきを感じさせるものだったにもかかわらず、東京の雑念がそれをかき消してしまったのです。東京とは、若い人が、「僕も出て行って成功したい」とイメージするようなところでしょう。闘いの場所です。闘いは、我々人間にはきっと必要なことだろうと思います。しかし、闘って、すぐそこに癒されるところがなければ疲れ果ててしまうのではないでしょうか。

首都機能移転はやるべきです。

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大地から生えてくるような建物を

具体的に首都機能の移転に関して、私が考えることは三つあります。

一つ目は、大地から生えてくるような建物をつくるということです。やはり、東京に限らず都市の景観は、自然の景観とは違います。自然の景観の特徴は、杉の木や松の木が大地から生えていることにあると思います。都市の建物でも、大地から生えてくるようなものがつくれるとよいと感じます。そういう意味で、今の国会議事堂はなかなかすてきだなと思っているのです。あのような建物が、大自然の中に建っているとすごく気持ちが安らぐのではないかと思うのです。

昭和30年、40年代ごろに日本は大きな橋を数多くつくりました。その橋もただ機能的につくった。ですが、その機能を終えたとき、みんなが「惜しいから壊すのをやめよう」と言うかどうかは疑問です。日本はどうしても面積が少ないから、機能的なものをつくることが主眼になるのでしょう。しかし、そうして建てられた建築物には、どうしても違和感があるのです。

発想の原点としては、上から置いたような建物ではなく、"大地から生えてきた建物"です。景色と同化し、違和感のない建物が理想です。今の建築技術と日本の建築家の実力があれば、可能ではないでしょうか。機能を終え、100年たっても200年たっても、みんなが「壊すのが惜しい」「これは残そう」といって世界遺産になるような建物がつくられることを期待しています。

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自然と共生する首都機能

二つ目は、人間以外の生き物を感じられる場所への移転です。私が北上山地の山暮らしを始めて気づいたのは、この地球上は人間だけが生きているわけではないということでした。自宅の庭先がもともと獣道だったらしく、時には鹿や熊が通ります。また、国道107号線では、時々、車にひかれたタヌキの死骸が横たわっている。これが人間の死体だったら大変なことですけれど、もちろんタヌキと人間は一線を画しているので大きな問題にはなりません。しかし、タヌキの警察があったら大変なことになるなという思いにさせられてしまうのです。

最近よく言われるようになった「共生」ということを考えるのであれば、大きな公共機関が実際に「共生」を感じられる空間にあることは有意義なのではないでしょうか。熊が出てくるようなところに国会があるなんていうのもおもしろいと思います。

時の首相が、「ちょっと外でクマと出会って」と言う。これはすばらしいことだと思うのです。我々人間だけが生きているのではないと一国の主が実感する。人間中心に物事を考えるのではなく、そこに自然もあるということがわかるのも重要なのではないでしょうか。

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日本独自の考え方

三つ目は、日本独自の考え方でやっていってほしいということです。アメリカがこうだから、ヨーロッパがこうしているからではなくて、日本の歴史や文化に学び、建築様式にしても場所にしても、日本人独自の判断でものをつくろうという意思決定をしてもらいたいのです。前例のないものをつくっていくことの勇気を、強く持ってほしいと思います。

日本が「世界に誇れるものは何か」と問われたら、私は「日本の歴史や文化に学んだ独自性こそ世界に誇れるものだ」と答えます。真似は絶対やめた方がいい。首都機能移転というような大きな計画を進める際は、特に意識的に「日本って何だろう」ということを考えて取り組まれることが、すごく大事なことだと思います。

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いただきものへの愛と感謝を

私たちは旅人です。今ここにいて、さまざまな物を自分の物だと主張しますけれど、それらはほとんど幻であって、本来は旅人なのです。ちょっと生まれてきて旅しているもので、あとは彼方へ行ってしまうわけですから。私たち人間は、大したことのない存在なのです。だからこそ、あらゆるものへの愛と感謝を忘れてはいけないのではないでしょうか。

私が首都機能移転に関して話した、大地から生えてくるような建物、人間だけでなく動物もいるということ、日本歴史に学んで日本の様式美からつくる独自性、これらはすべていただきものです。先人が培ってきた自然との共存、人類の歴史という知恵を、愛と感謝を持っていただく。首都機能の移転を考える際にも、この姿勢を忘れずにいることが必要なのではないでしょうか。

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