ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 「首都機能移転で真の分権改革を」

国会等の移転ホームページ

「首都機能移転で真の分権改革を」


新藤 宗幸氏の写真新藤 宗幸氏 千葉大学 教授

1946年神奈川県生まれ。1972年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。

財団法人東京市政調査会研究員、専修大学法学部助教授、立教大学法学部教授などを経て、2002年4月より千葉大学法経学部教授。この間、1983−84年米国アーバン・インスティテュート客員研究員、93−94年英国シェフィールド大学東アジア学部客員教授。

専門:行政学・政治学。

日本行政学会理事、日本政治学会理事、自治体学会代表運営委員。

著書に『財政破綻と税制改革』『福祉行政と官僚制』『市民のための自治体学入門』など。



大きな地方政府と、中央政府機能の純化が必要

今問われているのは、国が権限を今までどおりに留保している必要が本当にあるのかということだと思います。そもそも中央省庁の再編成というのは、中央政府の機能を高次なものに純化して、それ以外を自治体や独立行政法人に移管するというようにして、外へ出せばよいという議論でした。どのように考えてみても、中央政府の政策能力を高めるためには、ともかく中央政府を雑事から解放するほうがよいでしょう。自治体にとっても、これほど地域間で内政事項の多様性が目立つのであれば、当然のことながら中央政府からの自治体への関与を緩和するというよりも、権限そのものを移してもらったほうがよいだろうというのは当然の論議です。もっと大きい地方政府をつくって、しかもそれぞれが画一的ではなくて、多様な権限を持つような政府システムを一方に必要とし、他方において中央政府を純化することが求められているのではないかと思うのです。

ところが、そのためには地方の政府体制をつくるという問題が片づかないとそう簡単にいきません。つまり、いまのままの47都道府県体制と3,200余の市町村という体制で、中央政府の権限について内政事項に関係するものを全部よこしなさいと言っても、たぶん話はそう簡単にはいかないでしょう。

ページの先頭へ

首都機能移転で分権型政府体系の確立を

首都機能移転の前にふれておきますが、分権型社会あるいは分権型の政府システムということを考えたときには、中央政府の機能はかなり純化されるし、規模も小さくなるわけです。

また、私の理想で言えば、自治体のほうには3層制ぐらいがあるべき姿だと思います。それを州と言うのか道(どう)と言うのかはともかくとして広域的な自治体もしくは地方政府と、30万人程度の基礎的な政府があって、さらに近隣の自治があるという体系です。そして、一番上位の部分は、かなり機能的にも複雑というか大きな政府になってくるでしょう。そういう政府体系を前提として、首都機能をどう考えるかということが問題だと思います。

どちらが先かというのは卵と鶏みたいな話になってきますが、首都機能の分散化、あるいは移転を推進する議論を展開することによって、このような分権型社会の政府体系に近づけるということもできるのではないでしょうか。逆に、分権型社会、分権型の政府体系を強調することによって、首都機能の分散化を進めることもできると思います。

ページの先頭へ

地方分権一括法は「第1次」分権改革

2000年の4月から地方分権一括法が施行されました。ただ、この分権改革というのは、私から言わせれば、「第1次」分権改革にすぎません。

中身を改めて説明するまでもないかもしれませんが、最も大きいのは、いわゆる機関委任事務制度がなくなったことです。知事、市町村長あるいは都道府県市町村の行政委員会は、それぞれ主務大臣の下級機関だったのですが、少なくとも機関委任事務制度がなくなったことによって、法形式的に言う限り中央と自治体が対等な関係に変わりました。

他の点では、やはり必置規制が大幅に緩和されたこと、国地方係争処理委員会が設置されたこと、などがあります。つまり、国と都道府県・市町村は、同一行政庁内の上級官庁と地方下級機関という関係ではなくなったから、いろいろな法解釈で紛争が生じる可能性があります。ですから、これをジャッジするものとして国地方係争処理委員会をつくり、さらにはそこの判断に異論があるなら、高裁、最高裁に判断を委ねることができようにしようという改革です。

ただ、これは本来ならば1947年の地方自治法施行の際にと言いますか、戦後改革時にやるべきことを約60年間近く積み残してきたという部分です。つまり、知事の直接公選制を導入したわけだから、とりわけ知事は戦前期と全く性格を異にするはずだったにもかかわらず、他方で機関委任事務を導入したのです。機関委任事務の廃止というのは、本来なら1947年段階でやっておくべき話が、約60年間近くもたってやっと片づいたということでしょう。ですから、ある意味で言えば、それは60年前のスタート時点にいったん戻ったということであって、改革の意義は大きいけれども、今求められている時代状況の中で言えば、この2000年4月の改革にとどまるわけにはいかないということになってきます。

当然のことながら、法形式的に対等というよりも実質的に対等な関係というような分権型社会をつくるという観点からは、やはり権限と財源、さらには国税と地方税のシェアの転換を図ることが当面の最大の課題でしょう。

ページの先頭へ

実務面ではあまり変わらない分権改革

地方分権というと、中央省庁からすれば「私たちから権限を奪うのか」と言いたくなるけれども、そうではなくて責任というレベルで言えば、はるかに難しいというか重いものを背負うことになります。

また、現実問題としていうと、地方でも、すごく進んでいるところが一方にあって、他方において2000年の「分権改革」は何だったのかと思わせるような自治体も数多くあります。と言うのは、機関委任事務制度が廃止されたといっても、自治体の現場で言えば今までやっている仕事とさほど変わらないからです。例えば、都道府県のレベルでいうと、都市計画区域の設定、市街化区域と市街化調整区域の設定は、従来の知事への機関委任事務から今度は自治事務に変わったけれども、現場レベルで言えば仕事の中身はそんなに変わっていません。しかも、都市計画法全体がある一定の枠をはめているから、例えば都市計画区域の設定をして、その中を市街化区域と市街化調整区域に区分するということには何の変化もなくて、どういう区域をつくるかを自由に一切任せるというわけではないのが現状です。さらには、市街化区域の中に建築基準法で基本的には12の用途地域にしなさいというので、そういう線引きはせざるを得ないわけです。

その中をどういう用途地域にするかは、「自治体のお考えでどうぞ。基準法上に示した12の用途地域は単なる一種のモデルでございます」と書きかえているわけではありませんから、実務の世界で言うとそんなに仕事は変わっていないわけです。通達・通知で縛られていないというところはあるけれども、かわりにいろいろな指導基準が示されていたりしていますから、実務の現場においてはそれほどかわっていないのです。それが現実です。

ページの先頭へ

「第2次」分権改革で、より大規模で多様なローカルガバメントの創設を

「道州制」という言葉にはもう手あかがつきすぎているけれども、ローカルガバメントを再編成し、新しい体制をつくらないことには問題は片づいていかない。それをしないことには、権限が移管されないだけではなくて、国税と地方税のシェアの転換もなかなかうまくいきません。

国税と地方税のシェアの転換と言うと簡単そうですが、その議論をするには、例えば、今の65対35を国35・地方65に変えたとします。しかし、それはマクロのレベルで地方全体が65になったとしても、自治体間の横の関係で言えば、税収はどこでも経済成長率の正の関数ですから、でこぼこがたくさんあります。そこで、標準的サービスがどこの地域においても可能になるような、いわば「最低限のことは可能になるような財政調整」が必要になります。

このときに今の地方交付税のように、国と地方との間の垂直的財政調整をすることによって、副次的に水平的財政調整が機能するような仕組みはもうできません。というのは、そのときに国にやってくださいと言っても、「ふざけるな、こちらはもう35しかない。おまえたちに65を渡したのだから、どこにそんな金があるのか」と言われるのは、当たり前ですから、今度は65の中での水平的財政調整のシステムを考えなければなりません。

そうすると、都道府県が47もあって、市町村が3,200もあっては水平的財政調整もあまり機能しないわけです。ですから、「第2次」分権改革を考えるときには、今の地方政府体系をより広域的なものに変えていくことが求められるでしょう。地方制度調査会では、市町村合併絡みでこのことを議論しています。

小さい自治は、それはそれとして仕組みをつくらなければならないけれども、これ以上の大きい分権改革をしようという話になれば、より大規模なローカルガバメントをつくることが必要でしょう。

かつての道州制論というのは非常に画一的な話だから、私は手あかのついた「道州制」という言葉はあまり使いたくありません。言うならば一国多制度的な観点から、経済特区ではないですが、かなり地方政府の中身は多様であるべきだと思います。

そうでないと、やはり地域の問題に現実には耐えられないと思います。ですから、そういうシステムをつくることを「第2次」分権改革ととらえているし、それはもう日本という一つの国民国家の将来を考えれば、10年とか15年というスパンを見たときに、やはりやらざるを得ないのではないでしょうか。

ページの先頭へ

国体方式での国会の移転を

国土計画において「多極分散型」と言わざるを得なかったのは、結局東京というこのおばけみたいな巨大都市が、市民の生活にとって、まさに不便極まりなくなっているからでしょう。経済的な問題もあるけれども、あらゆるもの、とりわけ政治中枢を東京に置いたからです。

分権との関係で言えば、国会というのは、もちろん中央政府の行政、内閣に対するチェック機能もあれば、憲法的に言えば最高の意思決定機関です。しかし、国会議員は国民の代表なのだから、通常国会、臨時国会を東京だけでやる必要はありません。むしろ、彼らの感覚からいっても、時々よそへ行ってやるほうがいいはずです。

しかも、国会に関して言えば、そもそも東京にアンテナショップの意味合いであれ置いておく必要はそうそうない。国会のあり方というのは二本立てでいけばいいのではないですか。全国を巡回する審議の場と、もう一つは調査機能というか事務局機能とで、どこかに箱をつくればいいのではないでしょうか。それが東京であってもよい。

私が前から言っているのは、国会は国体方式でいい、47都道府県の持ち回りにしなさいということです。たかだか800人ぐらい入れるホールは、今はどこにでもあります。しかし、公聴会すらろくにやっていない。門構えの厳しいところに呼びつけて、参考人だ、証人だといって話を聴いているだけです。

国会議員みずから自分たちの頭で考えてほしいという趣旨で、国会は47都道府県の持ち回りでまわったらと私は本当に思います。

そういう施設面の分散と会議の移動というのは、あわせて考えればいいと思います。それはやはり国会なるものが身近になる話でもあるし、日本の政治改革にも通じるのではないでしょうか。先進国でどこの国にあれほど厳重な国会がありますか。

ページの先頭へ

司法改革に寄与する最高裁の移転

一番移りやすいのは司法です。霞が関に置いておく必要はありません。どこへ持っていくのかというのも大変な話になってしまうけれども、裁判の内容によっては最高裁の巡回裁判をしてもいい。それで大法廷だけを一つのところでやるとか、もっと考えればいいと思います。

やはり明治以来の伝統なのでしょう。要するに、首都の権威を高めるには、すべてがセットで置かれなくてはならない。首都機能を地方に行かせたら東京の権威がなくなってしまうというのは、明治政権というのがある意味では革命政権ですから、その革命政権の威厳が伝わらないという話にもなりかねないわけです。ですから、そういう意味の近代国家のツケがいまだに残っているということでしょう。

司法の移転は、司法を国民の身近なものにすることも目的となっているいまの司法改革に寄与するだけでなく、裁判官にとっても静かにものごとを考えられるところに行けるという意味でいいことではないでしょうか。そういう意味では、国際司法裁判所があるオランダのハーグは裁判官が勉強しながら静かにものを考える、そういう環境が非常に整っていて参考になります。

ページの先頭へ

ビジネスの拠点としての東京

内閣とか行政府について言えば、それ自体もっと人員が少なくなるはずです。しかし、機能的には非常に高度化して責任も増してくる。こういうときに東京というものをどう位置づけるかによるけれども、相変わらず東京が一種の国際金融都市、国際的な経済拠点だと位置づけるならば、行政府が完全に東京から離れることはできないでしょう。

だいぶ昔ですけれども、霞が関の三井ビルと、新宿に三井ビルと住友ビルなどが建っていたでしょうか、いわゆる超高層ビルが霞が関と新宿にしかなかったときのことです。霞が関三井ビルと新宿三井ビルに、同じ三井系のかなり大きい会社が入っていました。ところが、霞が関のほうには言うならば企業のトップマネジメント部分が入っていて、新宿には営業関係が入っていました。他にも、登記上関西に本社があるけれども、実質的に東京に本社を移しているところが数多くありますね。ある研究で、そういった企業の人たちに直接インタビューしましたら、大阪にいると「1日遅れる」と言うのです。当時は今に比べれば情報化などが進展してはいませんでしたが、それでも「これほどの情報社会でどうしてですか」と聞くと、やはり面と向かって話しているか、話していないかでお互いの情報量は違うというのです。30分間もあったら飛んでいけるか、いけないかで違う話になるというのです。

そういう意味で言うと、東京が国際経済都市、国際金融都市という位置づけでいる限り、二都物語と言いますか、つまり東京にビジネスの拠点がある限り、アメリカのニューヨークなどとはまったく異なり、たぶん東京から日本の官庁が全面的に撤退することは不可能でしょう。そういうビジネスと接触するというか、そこの情報をきちんと得るという意味で言えば、ビジネス側も官庁側もお互いに東京にそれなりの拠点を置かざるを得ないでしょう。

ただ、情報を加工して自分たちが何を考えるかという一種のシンクタンク的な機能というか、政策立案機能ということで言えば、それは別に東京に置いておくことはないのではないかと思います。

ページの先頭へ

危機管理の観点からも首都機能の移転を

また、首都機能というのは何となくわかって言っているけれども、実際問題は具体的にだれも明確に定義したことがない。ある意味でその議論をするには、厳格に概念定義をしたほうがいい。つまり、中央政府の権能です。これは、限定的に考えておいたほうがいいのではないですか。

大きいローカルガバメントをつくることは、そういう中央政府、とりわけ一つは行政府の機能を純化させるということです。それは言いかえれば、まさに首都機能がもし中央政府機能とイコールだと定義した上で言うと、それを縮小して純化することになるわけです。

その上で、中央政府は純化されて小さくなるわけだし、人数的にも減るのだから東京へそのまま置いておけばいいではないかという議論が出てくるかもしれませんが、東京というまちの構造を考えたときに、まずそれは「本当に安全なのか」という問題が出てくるのではないでしょうか。

普通の市民にとって、いくら首都機能移転が地方分権を促進するといっても、官邸は建て直す、防衛庁は建て直すでは、なかなか本気で考える気がしないのも当然です。そこで、分権のために云々ということももちろん重要ですが、一方で震災問題を考えるべきだということを強調したらどうでしょうか。というのは、東京に大規模な震災が起これば、いったいどこに司令塔が残ると思いますか。東京にあれだけすべて集めておいて、どこに司令塔ができると思うかという観点から議論する必要があると思います。

そういう意味からいって、ミサイルが飛んでくる話だけではなくて、東海地震だって、明日起きてもおかしくない話です。そもそも分権云々の話よりも危機管理のほうが正直言って怖い。東京にこれだけ集中させてしまうと、地震のほうがよほど怖いと思うのです。やはり災害の問題から考えても、この国はロンドンみたいに地震のない国ではないのですから、そういう意味から言えば首都機能をどこかに分散させたほうがいいのではないでしょうか。

そのときに中央省庁をさらに再編するという話が出てくるにしても、全省庁がどこかへそろって移るという発想をとる必要はたぶんないでしょう。AからCはこちらへ行って、DからFはあちらへ行く。しかし、AからFまですべて、やはり東京にそれなりの拠点を置くという形をとる以外ないのでは、と思います。

そういう意味からいっても、各省の東京事務所は必要、情報収集のためのアンテナは必要だとして、考えるところは分担しておいたほうがいい。そのことは東京というまちをもう少しスカスカにするとか、グリーンの部分をふやすとか、そういうことにつながってくるのではないでしょうか。したがって、日本の安全、東京の環境改善といった観点からも、分権の観点に加えて、首都機能移転は必要であると言うことができると思います。

ページの先頭へ