ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 「国会等の移転」を契機に「地方の時代」にふさわしい新しい日本の経済システムの構築を目指せ

国会等の移転ホームページ

「国会等の移転」を契機に「地方の時代」にふさわしい新しい日本の経済システムの構築を目指せ


寺西 重郎氏の写真寺西 重郎氏 一橋大学経済研究所 教授

1970年一橋大学大学院博士課程修了。経済学博士。73年同大学経済研究所助教授、76年エール大学客員教授、84年一橋大学経済研究所教授、85年オーストラリア国立大学客員教授、2000年には一橋大学副学長を経て現在に至る。専攻は金融論、日本経済論、開発経済論。現在の研究課題は、日本の経済発展の現段階を資源配分の効率性と所得分配のあり方の両面からみなおすということにある。また、アジアの金融制度および企業統治について基礎的なサーベイと論点の整理を行っている。東京大学日本経済国際共同研究センター運営諮問会議委員、文部科学省高等教育局科学官等を歴任。

著書に『日本の経済システム』、『日本の経済発展と金融』、『工業化と金融システム』など。


今、日本の経済システムは深刻な危機的状況にあるわけですが、それは何が問題なのか、新しい経済システムはどうあるべきなのかについて、私は、日本がこれまでの経済発展過程で経験した2つの主要な経済システム、すなわち、「明治大正経済システム」と「高度成長期経済システム」の生成過程、そのメカニズムや衰退要因を比較・分析することで、歴史的経路依存性を前提にしたシステム改革の方向性を探り、日本経済の将来像を描き出そうと研究をしてきました。その研究の成果を著書『日本の経済システム』(岩波書店2003.1)としてまとめましたが、私はその中で21世紀には再び「地方の時代が到来する」必要性があるのではないかということを論じました。何を根拠にそう議論したのか、国会等の移転を含めどのような方法で「地方の時代」を実現させるかということについて、これまでの日本の経済システムの変遷を概観しつつ、意見を述べてみようと思います。

日本の経済システムの特徴とその変遷について

日本の長期的な経済発展にとって明確な意味があるものとして、1890年頃から形成された「明治大正経済システム」と1955年頃から形成された「高度成長期経済システム」の二つの経済システムを挙げることが出来きます。

「明治大正経済システム」の特徴は、殖産興業、官営工場・農場に代表されるような国家の主導の下で産業発展のために資源動員を図る開発主義的な方法によって早急に経済システムを作ろうとしたことへの失敗やこうした政府の行き過ぎた市場への介入に対する批判を踏まえて、市場・民間重視という発想の下で発展をはじめたものです。しかし、1920年代半ばからそれは機能しなくなってしまいました。

次に1955年頃から「高度成長期経済システム」が起こります。このシステムが発生した主な理由としては、後発国であった日本が欧米に追いつくために政府を挙げて国内産業を規制によって保護し、欧米からの技術導入を積極的に推進し、国際的な競争力を高めたためだと言われています。また、この「高度成長期経済システム」の特徴は、自由主義経済思想に対し、市場は万能ではないというケインズ主義に影響されて、政府の市場への介入を大幅に容認していることです。しかし、1980年代のバブル前後から様々な問題が発生するようになりました。

「政府と民間のインターフェイス(界面、接点・接触面という意味)」という観点から見ますと、1910年から20年代には地域経済圏を軸とした政府と民間との間のインターフェイスの構築が行われました。当時、政府の市場への介入がはじまる背景としては、第1次大戦期の好景気による税収があり、それをもとにして教育や道路等の行政サービスの供給が大幅に行われるようになりました。一方、1940年代以降の政府の市場への介入は、経済政策の思想の変化が大きく影響したもので、福祉政策による所得再分配政策、財政金融政策による経済安定化政策等が行われました。

また、「インターフェイス」と「資本や労働などの要素の産業間移動」という観点から見ますと、「高度成長期経済システム」ではその企業にしかない特定の技術・ノウハウを身につけた企業固有技能が形成され、企業間・産業間での生産要素の移動が制限されてきたため、人々は産業ごとに結集して政府と交渉するインターフェイスを構築する方が有利であることから、産業や業界団体を軸に発言力を高め政府に対して自らにとって有利な政策を要請するようになりました。

また、価値規範については、「明治大正経済システム」では、名望家の下で地域社会が発展していくことに価値規範を持っていたわけですが、「高度成長期経済システム」では、企業や産業の成長が究極的には社会発展に繋がるといった価値規範を形成していったわけです。

「明治大正経済システム」の後退理由としては、農業が衰退産業となり名望家、特に大地主が地域において影響力を失ったことや政府介入の変化、社会主義運動の発生、労働小作争議の激化、政策手段の手詰まり、階級間・産業間の利害対立が厳しくなるといった様々なことが起こったためと考えられます。

また、「高度成長期経済システム」が衰退した理由は、一言で述べることは難しいですが、インターフェイスという観点から見ると各企業系列が自己のグループ内にすべての種類の産業を所有するフルセット型の産業構造であったため、産業間の対立が普遍的なものとなったことや、さらに産業以外においては消費者やNPOなどが発言力を持ち、金融においては資本市場の自由化や国際的な政策協調の必要性の高まりといった海外要因、省庁を横断的に行動する族議員の存在等の影響が大きかったものと思います。

ページの先頭へ

21世紀は再び「地方の時代」が到来。「国会等の移転」を契機として、地域を軸にインターフェイスを持ち、地方の活力を取り戻す

私は、グローバリゼーションの進展等により、21世紀は再び「地方の時代」が到来するものと考えています。その理由としては、情報の公開や情報技術の発達により中央政府を通さずに、容易に情報入手が可能となったことやモノ・金融商品のモジュール化、会計制度等の制度の国際標準化によりまして、中央政府から許認可を受ける必要性がなくなったため、地方においても自由な経済活動が行うことが可能となり、産業集積が容易となったこと等が挙げられます。

では、こうした「地方の時代」の変化にふさわしい新しい経済システムの方向はどういうものが考えられるでしょうか。それは、政府・市場の役割分担の面では市場メカニズムの重視、政府・インターフェイスの面では地域経済圏の中間組織としての活用、そして民間部門の経済システムは、これらの改革にあわせて調整されることになろうかと思っています。市場主義の視点で見ると、中央政府の縮小や、産業政策の転換、業界と政・官の関係の改善が必要です。そのための一つの選択肢として、人々が従来のように産業にインターフェイスを持つのでなく、地域にインターフェイスを持つ必要があるのではないかと思っています。

具体的には、政府の役割を思い切って限定し、規制による政府介入を大幅に廃止し、また、中央集権化し肥大化した中央政府機構をスリム化することが必要であると考えています。ただし、民間部門で新技術開発に対応しやすい個人投資家中心の金融市場にただちに移行し得ないということを補完するため、中央政府は新しい任務として大規模な新技術開発に関するリスクをとる必要があります。

また、地方分権の下での政・官・民がどのようにインターフェイスを構築すればよいのかについては、私の主張は、まず地方分権をやって、地方に従来から中央官庁がやっていたような産業とのインターフェイス機能を持たせ、それぞれの地方ごとにある程度のところは自治体に任せ、残った部分も民間が独自に動けるようにするということです。

つまり「政府・民間のインターフェイス」は、原局・業界団体システムに変えて、地域経済圏を軸とするインターフェイスに戻すことが必要であると考えています。地域経済圏を軸とするインターフェイスでは、地方が中央を支え、中央をモニターするシステムを究極の姿と想定しています。現在計画されている地方分権の推進や地方振興策の多くは、これとは逆に中央が地方をリードするかたちで進められており、上から地方を育成してやろうという発想でやっているように見えます。そうではなくて、人々が新しいコミュニティづくりに真の生きがいを見出すためには、この関係を逆転させなければならないと思います。豊かな地域社会をつくることを新たな価値規範とすることによりこの問題への取組の第一歩とすべきだと思っています。そのためには、その元となる地方独自の社会文化システムを構築することが理想です。また、経済も大変重要な要素ですので、地方が国際的な経済競争をできるようなシステムを構築する必要があると思います。

私は、何もせずに「地方自治体の時代」が来るとは思ってはいません。道筋を付けながら、一種のコンセンサスを得ていく必要があると思っています。一極集中というのは途上国的であり、地方文化が花開いているのが優れた国のあり方だと思っています。

では、そのための手段としてどういう方法があるのかということですが、地方への税源委譲が最も効果的ではあると思いますが、現実的には大変難しいと思われます。そうした方向に努力するとともに、すでに国会において議論されている「国会等の移転」を進め、政治と経済の中枢を分離することによって地方の活力を取り戻すことも現実的な対応としてきわめて重要なのではないかと思っています。もちろん、「国会等の移転」を実際に行うに当たっては、地方も相当変わる必要があると思います。

地方が国を支えるためには、そもそも分権の考え方や切り口を本質的に変えていくことが重要だと思います。ただ、実際にはそんなに簡単には出来ないわけですから、少しずつ頑張っていかなくてはいけない。「国会等の移転」も一歩一歩進めていくことが大切です。一括移転という既存の「国会等の移転」の方法に対して反対ではないですが、もっと別の考え方があるのではないかとも思っています。例えば、国内にはしっかりとした都市機能を有するたくさんの20万人規模の都市があるわけですから、「国会等の移転」のために原野を切り開いて新都市をつくるのではなくて、国会都市として発展したいという都市を募るという方法もいいのではないかと考えています。

要するに新しい客観的条件の下での制度設計が必要だということだと思います。国土計画、国会等の移転、文化設計などは大切だと思います。日本には多様な可能性があり、戦前期はそれを重視してきたわけです。

日本でも戦前期には激しい地方間競争があったわけです。それは、市場への政府介入というものが、全国一律の産業政策として行われたのではなく、それぞれの地域で多様な政策が可能だったからです。こういう地域間競争を展開できる土壌をもう一度作って、地域間競争によって経済を発展させていくということが大切なわけです。その意味で、参考になるのが中国です。これについては経済学の中でも分析されていますが、中国は改革開放の中でいろいろなことをやって、地域単位である各省間での競争が大変激しくなりました。ある時期、各省にかなりの自由度を与えたことで各省が競争し合い、国全体としての経済も発展していったと考えられています。

「国会等の移転」を契機として、地方分権を進め、道州制などある程度大きな経済圏は形成することが必要だと思いますが、単に大きな単位にすればいいということではありません。最近、東京への一極集中・集積が再び始まっていますが、東京のみがグローバルなレベルにあり、中途半端に日本を地域経済圏に分割すると効率が悪くなるということで、国際競争力の視点から関東平野へ集積した方が良いという意見もありますが、日本は小さな国ですので、東京圏に集中させて上海に対抗させるというのではなく、長期的に極東ロシア、朝鮮半島、東南アジアと携連した経済圏を構想した方がよいのではないかと思います。経済圏自体はあまり国境にとらわれないで、広く考えていく必要があるのではないでかと思っています。例えば、北海道ならば極東ロシア、北陸ならば朝鮮半島、九州・沖縄であるならば東南アジアをターゲットにした経済圏を考えていく必要があるでしょう。

また、地方の国際的な経済競争を可能とするシステムは必ずしも全ての地方で構築しなければならないというものではなくて、例えば、規制改革を地域の自発性を最大限尊重する形で進め、経済の活性化及び地域の活性化を実現することを目的としている特区構想のようなものでもいいと思います。ただ、現在、全国各地で様々な特区構想が検討されていますが、どうも産業界がついてきていないのではないか、というような意見も耳にしています。これは、多分、地方の総力が動いてないから、部分的なアイディアに止まっているからだはないでしょうか。やはり、地方が持っている個性的な力が本当に動くシステムを構築していくことが必要だと思います。

ページの先頭へ