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「まちづくりの視点で見た首都機能移転」


森 まゆみ氏の写真森 まゆみ氏 地域雑誌「谷根千」編集者

1954年東京都文京区動坂に生まれる。早稲田大学政経学部卒業、東京大学新聞研究所修了。出版社で企画、編集の仕事にたずさわった後、フリーに。地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集者。同誌は愛称"ヤネセン"としてサントリー地域文化賞などを受賞。

主な著書に『小さな雑誌で町づくり〜谷根千の冒険〜』(晶文社)、『路地の匂い、町の音』(旬報社)、『神田を歩く』(毎日ムック)など。



まちの温度でわかる地域の意識

仕事で、町役場などに「こういうテーマで取材をしたい。案内してもらえますか」「町のこういう人を紹介してほしい」と連絡することがよくあります。すると、電話に出る人がほとんど「いつ来て、何が目的で、どんなことを聞きたいのかを申請せよ」と言うのです。大体どこでもそう。何かを聞くと、「わかりませんから、ちょっとお待ちください」と言われて、他の人に回されたりする。役所の観光課なんてそれが仕事なはず。こちらも遊びじゃなくて仕事で行くので、何も個人的なサービスを求めているわけじゃない。そういうことがあると、どうしてもそのまちの温度の低さを感じてしまいます。

こうした温度の低い対応しかできないのは、まちに誇りを感じていない、知ってほしくないということなのでしょうか。電話をしても自信のない返事が返ってくる。

これが、イタリアや韓国に行くと、「なんだ、何が聞きたいんだ」、「どこから来たんだ」、「よし、連れていってやる」という感じです。韓国では、夕方6時ごろ役所に行っても、「なんだ、なんだ」とみんなで寄ってきて、「こうかな、ああかな」と親身になって考え、対応してくれました。

日本でも、元気のあるまちや注目されているまちの人は、問い合わせをしたときの対応がホットです。実際、現地に行ってみると、「ここもあるし、あそこもいいですよ」「あの人にあうべきだ」という感じで、積極的にあちこちを案内してくれます。それこそ、「私たちのまちを全部見ていってくれ」という感じで。自分のまちのことが好きで、よく知っているからこそ、自信を持って紹介できるのだと思います。このような意識を地域の人たちが持つようになると、まちは変わっていきます。

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「道の駅」に見る町の元気さ

道の駅は役所としてはヒットした例。でも、これも各地で温度差がある。温泉のついている道の駅もあるし、地場産品の販売に力を入れている道の駅もあります。どこかへ旅行した帰りには、「道の駅が近くにありませんか」と言って寄ってもらいます。東京の5分の1くらいの値段でトマトなどおいしいものがたくさん買えたり、東京のスーパーでは手に入らない野菜が手に入る。

最初からハコモノありきでつくった施設とは違い、どの施設もそんなに大きくありません。小ぶりな施設の中に、集会室があったり、お風呂があったり、物販スペースがあったり、イベントをやっていたりと、その土地ならではのアイデアを出しながら運営してる。5時にレストランを閉めちゃうようなところは困るけど。道の駅の使い方を見れば、そのまちが元気か、頑張っているかということがわかります。

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まちをつくるのは、長い年月と努力の積み重ね

「地域コミュニティは崩壊した。」という前提で話をされる学者もいますが、そうかな。どうにか歯止めをかけようと、頑張っている人たちもたくさんいるわけで。ちがう形で再建してる所もある。そういった人がいるか、いないかで町づくりは大きく違ってくるように思います。まちづくりは壮大な実験のようなものですから、1、2年で大きく変わるようなものではない。20年も30年もかけて地道に努力を重ねてきた人たちが実際にいて、その人たちの時間をかけた積み重ねが、地域に対して大きく影響してきているということなのではないでしょうか。

私の住む谷根千(谷中・根津・千駄木)周辺は、東京という大都市の中にあるので、自治体としてまとまっているわけではない。区は基礎的自治体じゃないし。しかし、地域で活動していくなかで20年の間に仲間たちが結婚したり、子供を産んだり、子供を背負って働いたり、また離婚したり、犬が死んだりということをずっと見てきたと。例えば、何年も前に死んでしまった飼い犬のことも話題にできるから、関係が深まる。それこそ共に生きてきたって感じ。そして支えあい、助けあってきた。それがかけがえがない。まちづくりのソフトとは、本来行政が支援するようなものではないのです。

首都機能の移転を考えるとしたら、まちづくりを地道にやってきた人たちから、丁寧に話を聞くような会議を開いてみてはどうでしょうか。上からハコや道だけつくってもそれは町じゃない。どうしたらそのまちで暮らせるのかという視点で考える必要があるように思います。

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多様性が生み出すまちのおもしろさ

中心市街地の活性化が叫ばれていますが、そもそもは欧米で環境が悪くなったインナーシティを、どうやって都市の蓄積や文脈、文化を使って再生させていくことにあったかと思います。上からハードを整備するというよりは、歴史や人間関係を丁寧に修復するソフトに重点が置かれることになります。

ところが、日本の場合はただの駅前再開発になってしまっているケースが目立ちます。整備はピカピカにすることだと勘違いして、何年もじっくりと生きてきた駅前の飲み屋街をスラムクリアランス的にのれんや看板をなくしてしまう。汚らしいかもしれないけれど、煮詰まったおでんのつゆみたいな味わいやなごみがそこにはあったはずです。結果、どこの駅前もつまらなくなってビルはできたがテナントは入らない。

東京にある多摩ニュータウンなども、人工的な団地群のようなつくり方をしてしまいましたが、あの近くには当時、開発に反対して用地買収に応じなかった人たちの牧場や農地などがあります。今は、むしろその人たちとの関係で多摩ニュータウンが生きているのです。ニュータウンに住む人たちが、牧場や農業にかかわったりして、精神的な安定を取り戻すんです。

多摩ニュータウンは、割といい会社に勤めていないと買えない値段でもあったために、結果として、年齢や勤務先、年収など似たような人たちばかりが集まってしまいました。しかし、人間の暮らすまちは、多様性があるほうがおもしろいのです。同じタイプの人が集まって話しても退屈でしょう。

私たちのまちには、お坊さんがいるし、職人さんもいるし、学生もいるし、お年寄りもいる。商業もあれば、町工場もあります。いろいろな世代の人がいたり、自分と違う人がいるからおもしろい。できるだけ違う人と会って、自分の考えていないことや知らないことを教えてもらえるのが「まち」なのではないでしょうか。

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まちづくりにも人の交流を

人間の持つ多様性は、行政が確保できるものではない。行政がやっているのは管理と画一化です。しかし、自分の頭でものを考える人間を育ててこなかったために、地域でなんか新しいことをしようとしても、「区役所にやらせれば」「都庁に言えば」といったような反応が帰ってくることが多いのが現状です。陳情してやってもらうことに慣れてしまっているのです。

むしろ、行政は人の交流や養成に力を入れてほしい。20年くらい前に湯布院の交流会で全国のまちづくりをやっている女性たちと知り合ったのですが、その人たちとはいまだにつき合いがあって、お互いに困ると相談をしたりしています。お互いのまちづくりの刺激にもなります。

湯布院の中谷健太郎さんや溝口薫平さんたちは30年以上もまちづくりをやってきた。国土交通省の「観光カリスマ百選」にも選ばれたりしていますが、どんどん波及していきます。彼らは、まちの若者を温かく受けとめ、ときに厳しい刺激を与えています。どんどん新しいアイデアの若い人が育っていく。ゆっくり語りあえる、こういった交流を増やしたらよいのではないでしょうか。

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首都機能の移転は人が豊かに暮らせるまちへ

交通のアクセスはすごく大切です。インターネットが普及したといっても、やはりどこかで地域の人々の直の接触が必要です。人間がインターネットだけで生きていく生活に耐えられない。いくらテレビ会議が可能だって、無機質な機械経由の社会になっていくというのは、あまり健全でないように思います。

万が一、首都を東京から移すとしても(私は別に構いませんけど、自分の町が静かになるから)、そこで働く人が休日に散歩して楽しい町でないといけない。仕事が終わったら山菜採りや釣りができるということが大事です。地方の豊かさというのはそういうところにあるのだと思います。地方でも、自然のたくさんあるところに仲間がいて、こぢんまりしたまちながら楽しくて、おいしい飲み屋や食べ物屋があって、山菜採りをしたり釣りができるのなら、そこに移ってもいい。もういくつか候補地はあるんですが。私が地方に行くと、「東京はすばらしい。」と言われるけど、だんだんお酒が入ってくると、それは全部うそ。本当は自分たちの暮らしのほうがずっといいと思っている。

首都機能を移転するのであれば、もうハコからではなく中身からつくる時代でしょう。まったくの新都市ではなく、地域に生活する住民がきちんといて、文化もあって、たのしく暮らせるような、豊かなところに首都機能をミックスすることが必要なのではないかと思います。そして、巨大な施設を建てるのではなくて、人の気持ちがやわらかくなるような建物を分散してつくっていく。

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リニューアルの視点で首都機能移転を

首都機能の移転もそうですが、これからは、とにかく大きなもの、高いもの、速いもの、数の多いものといったことではかることはやめたほうがいい。ゼロからピカピカの新しいものをつくるのではなくて、リニューアルしてみたらどうか。「今の技術力を持ってすれば」というのは新たな施設をつくるときの決まり文句ですが、まさにその技術でこれまでのものを十分に生かして新しく作りかえることができる。移転先も、ゼロからつくることには反対です。田んぼのど真ん中に新幹線の駅をつくるような形の首都機能の移転というのは、そこに移る人にとっても迎えるほうにとっても、得策ではないでしょう。

環境に負荷をかけないためにも新しいものをつくるより、リフォーム、リニューアル、リノベーションに知恵をこらす時代だと思います。例えば今、廃屋のようになったホテルを買い取って、それをすごくおしゃれにリニューアルする。町屋を改造して繁盛しているお店などもあります。歴史や文化に根ざさないと風格すら出ない。最近できた巨大ビルは完成したときにはもう陳腐化してます。あっというまに古びていく。道の駅も古民家を使ってやってみたら。首都機能の移転がリニューアルによるまちづくりの一つのモデルになれば、元気を失っている地方の都市やまちの活性化にもつながっていくのではないでしょうか。

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