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「首都機能移転に求められる景観とメッセージ」

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中村 良夫氏の写真中村 良夫氏 東京工業大学名誉教授

1938年生まれ。東京大学工学部卒。工学博士。1965年東京大学工学部助手、68年同大学講師、75年同大学助教授。76年東京工業大学工学部助教授、82年同大学教授。98年京都大学大学院教授。2002年定年退官し、現在東京工業大学名誉教授。

著書の「風景学入門」(中央公論新社,1982年)でサントリー学芸賞・土木学会著作賞、「研ぎすませ風景感覚」(技報堂,1999年)で土木学会出版文化賞を受賞。その他にも「風景学・実践編」(中央公論新社,2001年)など著作多数。

また、設計監修をした「古河総合公園」が、メリナ・メルクーリ国際賞(ユネスコ,2003年)を受賞している。



政治的行為としての首都機能移転

首都機能移転については、作業プロセス全体に関わる問題として、問題提起の仕方、調査や候補地絞込みのプロセスなどいろいろな問題があるように思います。細々でもとにかくこの火を消さずにじっくり議論していく方向に持っていってほしいということを前提としていろいろと考えてみますと、一番大事な問題は、結局なぜ移転しなければいけないかということの説得力にあるのではないでしょうか。都市というのはすべてそうだけれども、特に首都機能の移転などということは、非常に大きな政治的行為だと私は思います。

政治的行為という意味は二つあります。一つは、十分な食料、安全保障、社会の公正の維持、効率的な経済システム、防災といったことです。要するに、国民の安全、生命にかかわる実務的な課題をきちんと処理するというのが重要な目標です。

そして、政治的行為のもう一つ重要な側面は、一種の国民ないしコミュニティーのモラル・文化の問題です。首都機能移転に関して言えば、将来の日本という国家のグランドデザインをどうするかという強いメッセージ性があるということが、政治の非常に重要な側面だと思います。

つまり、政治は、実務的側面とややオーバーな言葉で言えば一種の建国の志が強く打ち出されていることが極めて重要であって、この二つともがなければいけないと思います。

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分権のメッセージと結びつく首都機能移転

我が国は、古代からわりと首都移転をやってきた国であることは言うまでもありませんが、そのたびに差し迫った問題が背景にあったように思います。例えば、衛生状態が悪くなったということであったり、大陸との交通の問題を解決しなければいけなかったり、大都市を運営するための基盤が狭かったりと、実務的な問題があったわけです。そういう問題に加えて、為政者が、新都市によって新しい日本の国家のあり方をメッセージとして送ったわけです。首都の移転にあたっては、その当時の日本が置かれた国際的な情勢、あるいは国内の矛盾を解決するための大きな国家的デザインが前提にあったが故に、説得力を持ったということです。

今回の移転論議でも、もちろんそういったメッセージがないわけではありません。東京を中心とした序列意識が抜き差しならないような閉塞状態にあって、これを打開しなければいけない。そのために、首都機能移転が分権と表裏一体になって、分権を前提とするとまでは言えないけれども、両輪のような関係になるという考え方があると思います。ただ、この分権というのは非常に重要な問題ですが、首都移転の問題と両輪をなすには具体的な分権の形をもう少しはっきり出さないとメッセージ性に弱いのではないかと思います。今の状態では「分権」と言っているだけですから、それが新しい基礎自治体を中心にした分権なのか、道州制なのか、そういう国家デザインがはっきりしません。分権の問題がもう少しはっきりした形をとってくれば、車の両輪で首都機能移転というものが必要だというメッセージが非常に明快になってくるのではないかと思います。

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首都機能移転が持つ政治的メッセージ

今までの日本の首都移転の歴史を考えてみると、外国との関係においてキャッチアップしなければいけないという非常に強い危機意識を持っていました。明治政府がそうでしたし、奈良時代あるいは藤原京、平城京もそうかもしれません。大陸との関係を非常に強く意識していました。

逆に、むしろ内政重視型といいますか、日本の国の文化というものをわりと強く意識したような政権による首都移転というのがおそらく平安京ということになると思います。それから、徳川幕府による移転もそうかもしれません。

それでは、今回の移転はどうかというと、確かにこの両面を持っていて、国際的な問題もあれば、国内の行き詰まり、いろいろな規制の問題や政治、行政、民間の結びつきが不透明になったというような問題があります。しかし、それだけではなくて、今までの首都機能移転とは違う、ある種のメッセージを出す可能性のある状況が生じてきました。それがいわゆる地球環境問題です。

この地球環境問題は、新しい問題の一つということもあって、先進諸国でいろいろと苦労しているけれども、まだ初等的な段階ではないかと思います。人類が21世紀にどういうライフスタイルをとったらいいかについては、それほどはっきりとした方針が打ち出されているわけではありません。ここでもし首都機能移転を考えるのであれば、新しい文明のスタイル、あるいははっきりとした新しい都市のメッセージを打ち出すという機会があるはずです。

地球環境に関する問題、日本の国内の分権体制、分権国家のイメージがどうなるのかを含め、日本という国家あるいは新しい文明のデザインをどうするかというような大上段に構えたような話になりますが、だいたい首都機能移転なんていうのは非常に大上段の話だと思います。キャッチアップの時代はもう終わったわけですから、日本から新しい文明の形を示すというぐらいの気概がないと、首都機能の移転に数兆円をかける意味がないのではないかと思います。首都機能を移転する新都市が持つ政治的メッセージ性は、やはり文明論的な視野に立って、今後の人類の進むべき方向を差し示すというぐらいのつもりがなければいけないのではないでしょうか。

これに関連して大事なことが一つあります。国際交流の拡大につれて激化する国際競争という観点に立ったとき、世界の文明をリードできるような日本の超大都市をどう考えるかです。東京のような1000万人を越える超集積都市は国際化のなかの日本のプレゼンスという点では有利になります。しかし、分権によって国力を多角的に解放発展させる点では問題があります。分権しながら超大都市を東と西にバランスよく2〜3ヶ所育てるのが、日本の国力からして当然ではないでしょうか。つまり、新都市を考えるのと同時に日本の超大都市を国際競争の中でどう位置づけるか。これは、新都市の政治的メッセージと有機的に関連付けなければいけません。こういう観点に立つと、首都問題を幅広くとらえ、様々な方の首都機能論をタブーをなくして討議すべきです。この意味で、最初に述べたように、議論の火を消さずじっくり考えていきたいのです。

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景観から考えるエコロジーと文化の関係

景観を考える際の一つの問題提起として、エコロジーは非常に大きな問題であるということがあります。エコロジーというのは人類の生存の物質的基盤ではあるけれども、もっと精神文化に昇華しないといけないのではないかと思います。エコロジーとはサイエンスの概念であって文化の概念ではありませんから、もう少し文化の概念に高めることに成功すれば、非常に大きなメッセージになります。わかりやすく言えば、環境美学をつくるということです。これは、おそらく世界でもまだはっきりと成功していないと思います。世界の流れとして、生物の多様性というところまでは話がうまくいきましたが、文化の問題とエコロジーがどのような関係にあるのかについては、十分な回答が得られていないのが現状です。

また、生物の多様性と同様に、文化の多様性が重要だというようなことも盛んに言われ始めています。面白いことに、我が国の場合は、文化の多様性と生物世界の多様性、エコロジカルな多様性というべきものの非常に融合した文化が日本の伝統的文化の中にたくさんありました。このことは、少し自覚してもよいのではないかと思います。

例えば、里山文化です。里山は、決して野性の自然ではありません。極めて人工的とまでは言えないけれども、要するに人間が自然と共同でつくったエコロジカル・システムです。その中には、日本人の文化的な表象、思い出、文学の記憶がたくさん詰まっています。非常に簡単なモデルだと思いますが、里山は文化の問題と環境の問題とを一つにまとめるための新しいアイデアのヒントになるかもしれないと思います。

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山水を活用した新都市の景観

首都機能を移転する場所を選ぶときには、地形がつくっている景観を重視すべきではないかと考えます。地形がつくっているというのは、要するに山と水面です。場所によっては、海がくっついている場合もありますし、淡水湖が入っている場合もあります。いずれにせよ、首都機能を移転する候補地は、かなり大きな水面、あるいは山が取り囲んでいます。「山水都市」という名前を我々はつけたのですけれども、山水がつくっている空間は、日本の伝統的な空間のつくり方です。山地の京都などはその典型で、大和ももちろんそうです。こうしたことは現在では忘れられてきていますが、古いからもう役に立たないというものではないと思います。人間は何世紀になっても山と水の間に住んでいることに変わりないのですから、もう一度山水がつくっている都市というものを見直してはどうでしょうか。

もっとも、山水といっても、いくつかの類型に分けられますし、それぞれの候補地を類型に当てはめていくとそれぞれおもしろみがあって、どれが一番優れているということにはなりません。

ただ、首都という特別な都市にとって、ふさわしい山水の姿はあるのではないかと思います。というのは、やはり首都機能を移転する都市は、非常に晴れやかな舞台でなければいけません。晴れやかな舞台で、なるべくわかりやすい風景がいい。外国のお客さんも来るわけですから、3日しかいなくても強く印象づけられるようなところでないといけません。1年住めば面白さがわかるというのもいいけれども、それは首都としてはどうかと思います。日本の都市からのレッスンですが、日本の都市は、例えば京都、昔の江戸もそうであるように、非常に大きな山水の骨格があります。首都については、山水の晴れの舞台をつくるという観点で、都市の景観を考えるとよいように思います。

山水を考えるときに面白いのは、大骨格に山水を取り入れているだけでなく、例えば各家庭の中にも山水、お庭があることです。家の中に入ると盆栽みたいなものがあって、床の間に行くとまた花がある。大きいところから小さいところまで、山水というパターンが何度も相似的に繰り返される形を持っていたと考えることができます。新都市は、そういう都市の形がいいのではないかと思います。これが、新都市の景観に関しては一番重要なのではないでしょうか。

山水については、やる気になればすぐにでもできることがあります。例えば、象徴的な山があるとします。これを生かした都市といえば、その都市の中心になるような場所からその山が真正面に見える、あるいは海が見えるということで、その気になれば別に難しいことではないのです。

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文化と社交の場を都市計画に

景観の重要な問題は、他にもあります。新都市の中心部には、いわゆる公共的な建築物を中心にした明確なシビックセンターをつくったほうがいいということです。もう一つは社交の場所、盛り場とか都市のレジャーの場所を計画的に配置することです。新しい都市を計画するのであれば、こうした都市の持っているソシアビリティーを演出する場所をはっきりと頭の中に置いてつくるべきだと思います。これは当然のことなのですが、現代の都市計画ではあまりやってきませんでした。用途地域優先ですから、例えば盛り場計画などというものは、終戦直後まではあったのに絶えて久しい。これは都市計画の常識であって、別に未来都市だからやるというものではありません。こうしたことは、既存の都市でも考えなくてはいけない問題でもあります。

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江戸に学ぶ自然と社交の融合

首都機能が移転した後、東京はどうするかという問題もあります。もっとも、これは東京だけに限る話ではないかもしれません。恐らく過密都市というものを緩和するのにどうしたらいいかというのが、東京をはじめとした日本の既存の都市の大きな問題の一つですから、特に大都市に共通した問題として考えることができます。

非常に大ざっぱな話をすれば、首都機能を移転する新都市ができることによって東京は少し過密が減るだろうから、減った後をどうするか。つまり、緑地を含めた自然環境の復元をもっと積極的にやるという話がよくあります。

その際、実は江戸がよい参考になるのではと思います。江戸には公園というものがありませんでしたが、非常に緑豊かで美しいまちだったわけです。神社仏閣などに非常に緑が豊かにあって、江戸のあちこちにありました。神社仏閣みたいなものは、起伏が割とあって大地の上に緑があり、下には水がたまっているために、山水が非常に美しい。面白いのは、その山水が美しいだけではなくて、大体そういうところが社交の場所になっていたことです。そこでは、飲んだり食べたりということだけでなく、旅館が境内にあったりして非常に社交的な活動が行われていました。また、お祭り、お花見、雪見などでお酒を飲むというような、盛り場的性格も持っていたわけです。同時に、大体神社仏閣というのは非常に由緒があったから、歴史的な場所でもあったわけです。江戸自体には公園という言葉がありませんでしたから、歴史的に由緒があり、山水が美しくて社交的なにぎわいもある場所を名所と呼んでいました。公園はなかったけれども、名所はたくさんあったわけです。しかも、江戸は平屋が多かったから各家庭に至るまで小さな山水を自分の家の中に持っていたということで、いわゆる山水都市だったのです。

江戸時代と同じにするなどとは考えるべくもありませんが、大きな骨格の自然だけではなくて小さな自然、単なる自然だけではなくて社交活動と結びついている、一種の社交と山水が渾然一体となったものを少しずつ回復する方向にいったらどうかと思います。だから、緑が足りないからといって、短絡的にすぐ大緑地を増やそうとする必要はないのです。

江戸を思い出せばわかるけれども、日本の名所は、非常に立派な山水、風景を持ちながら盛り場的要素まであったという、非常に不思議な空間です。近代ヨーロッパにはそういう空間はありません。緑地、公園というのは、基本的には純粋に緑地であるのが理想であるような空間です。中にポツンとレストランがあるくらいですから、日本の名所とは全くコンセプトが違います。

新首都移転の後の東京を含めた大都市をどうするかという問題を考えるときに、こういう視点を持つとよいのではないかと思います。

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貯金箱としての文化と都市空間

我が国独特の問題として、都市が人間の活動の中でどういう意味を持っているかと関係するのですが、都市というものをあまりに経済の面だけから考えすぎてきたということがあると思います。戦後の都市は、ほとんど経済の問題ばかりです。

ただ、この経済の問題というのは、文化の問題と非常に関係があります。確かに経済は非常に重要だけれども、経済のパワーをどうやって文化に翻訳して残していくかという知恵があるかないかが問題になってくるように思います。

僕の見方では、非常に優れた都市というのは経済力がついているのでお金が儲かります。そうしたら、そのお金を都心に文化という貯金箱をつくってそこに投入するのです。都心に優れた劇場や美術館を作ったり、あるいは市庁舎でもいいのです。ただ、それがばらばらではだめで、ある程度の蓄積をもっていないといけません。優れた都心をつくって、その都心自体が文化財になるという形にお金を変えておくことが重要なのです。

京都は典型的な例で、室町時代の応仁の乱でだいたい丸焼けになったと言われているから、それから数えてもほぼ500年の蓄積があるわけです。その蓄積が今の京都に非常に生きているのです。

もちろん、皇居は東京に移ってしまったし、いろいろ問題があると言われているけれども、京都はとにかくあれだけ世界遺産を豊富に持ったまちです。あれは大財産であって、文化になっているけれども、経済と無関係ではありません。経済を文化に翻訳して貯金していたわけです。お金というものは、株や土地に変えても大して長持ちしません。新しい価値を創造してそこに貯金するとなると、やはり文化が一番長持ちすると思います。

だから、お金の運用、国民の財産運用というような観点からいっても、文化として都心に蓄積することが非常に重要だということを、首都機能移転の際に古くからの都市を改造するのであれば、ぜひ考えなければいけないと思います。

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東京を含む大都市がこれからすべきこと

日本は、特にここ20〜30年に非常にお金持ちになったこともあって、劇場も市庁舎も立派なものを持っています。博物館だけでなく、公園や立派なホテルなどいろいろなものができました。しかし、特に公共施設の場合は、ばらばらと地理的に豆をまくように作っていった。本来であれば、劇場はここになければいけないけれども、土地がなかなか手に入らないから、どこか土地があいたところにつくればよいという考えでやってきました。簡単に言えば、すべてそうやってきて、莫大な財産を持っているにもかかわらず、ばらばらに作っているから一向にぱっとしないというきらいがあります。

やはりそういうものは、ある程度まとめることで、一つのまとまったメッセージ性を持った都市空間をつくらなければいけなません。要するに、都市の中に都市の顔になるような都市象徴空間をつくるということです。こうした都市空間は、貯金箱だと思っていろいろなものを集めるようにすることが必要なのではないかと思います。

東京都庁を見ても、周りに超高層ビルがただ並んでいるというだけで、都市空間としては大して面白くありません。それは、複数の都市施設をつなぎ合わせて、象徴的な都市空間を運営していくという考え方が非常に不足していたからです。簡単に言えば、日本の都市というのは特に戦後の場合、必要なものはつくってきたけれども、都市を作るという強い意志が決定的に欠けていたように思います。都市をつくるというのは、ものをつくることではなくて、その関係をつくることです。都市とはそういういろいろな財産の目録があることよりも、それらがつなぎ合わさって一つの象徴的空間をつくれるかどうかが重要なわけです。都市らしい都市の文化というのは、そこから生まれてきます。ものだけつくっているのは、文化にならずにそれだけで終わってしまうのです。そのつなぎ方が文化だと私は思います。

つなぎ方ということでいえば、建築物と建築物との関係もありますが、建築物とインフラとの関係もあります。東京の場合、特に必要なのはインフラとインフラとの関係です。例えば、鉄道と道路との関係や、同じ地下鉄でも地下鉄同士の接続の問題です。あるいは、地下鉄と新しい都市空間の一体的整備ということが必要だと思います。

日本の場合は、お金よりそのような制度の問題が大きいと思います。組織はそれぞれの論理を持っているわけですから、組織の間の意思疎通がうまくいかないところに問題があるのではないでしょうか。多くのインフラがあり、立派な民間の設備もあるのに、都市空間としては全然説得力がないというのは、道路、鉄道、地下鉄の管理者、デパートやホテルを作った民間会社など、あまり顔を知らない人たちが集まって、共同で都市運営をするという姿勢がなかったからです。

都市に象徴的な空間を作らないと、いくら金を入れても一向にぱっとしませんし、文化としての都市というものが育ってこないということになります。それは非常に残念なことですから、首都機能が移転したとき、東京はぜひこうしたことをするべきだと私は思います。また、これは東京だけの問題ではなく、日本全国の都市の問題といえるのではないでしょうか。

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