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「地方分権の推進と秋田から見た首都機能移転」

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寺田 典城氏の写真寺田 典城氏 秋田県知事

1940年生まれ。秋田県大曲市出身。早稲田大学法学部卒業。

大学卒業後、建設会社社長を24年間務め、1989年(社)日本機械土木協会常任理事。1990年通商産業省中小企業近代化審議会専門委員。1991年横手市長。市長2期目途中の1997年秋田県知事選に当選し、現職。現在2期目。



これからの国の役割と地方分権

地方分権の推進が求められていることの裏側には、中央集権の行き詰まりということがあるように思います。もはや中央集権が機能しなくなった、それではやっていけなくなったということではないでしょうか。今はインターネット社会で、アメリカ政府の情報もとる気になればとれる社会です。秋田県庁でも、すべての会議を含めて徹底した情報公開をするということで、政策形成過程まで全部公開しています。そういう形になると、コネクションや地縁などという形で物事が進む時代から、安価で公平、迅速な情報システムで若い人たちが判断を下して物事が進むという、非常に合理的な時代になってくるのです。

国も高度な情報公開をせざるを得ない時代になってきていますが、そういうことで中央集権でやっていけるかというと、やっていけない、機能しないということになってきていると思います。

地方分権が進めば、国の役割は、防衛、外交、通貨、衛生関係など、国家を維持するためのものになってくると考えられます。国の仕事は、道路1本に対して、認める、認めないということではなくなって、国家を維持するためのものになります。そうなると、国の役割は、国家の枠組みを決めることになるでしょう。そこから、首都機能移転も考えるべきだと思います。今のように、権限がどうだ、省益がどうだというような形でやっていたのでは、首都機能移転も含めて何も決められません。ですから、永田町での政治の考え方が変わるのを待つよりも、私は、地方分権を進めるほうがいいのではないかと思っています。これだけ大きなシステムの中では、論理的に中央集権は機能しなくなっているのです。

平成11年に地方分権一括法が通り、平成12年から施行されていますが、それで実際に権限や財源を地方に与えているかといえば、相変わらず「ああでもない、こうでもない」とやっています。霞が関、国会議員たちが、自分の権限を捨てられずにいるのです。今は、権限を捨てた者こそが勝つ時代です。どうしてそんなに権限を持たなければならないのでしょうか。

権限など、持っていても仕方がないのです。いかに権限をなくすかということに専念することが大事だと思います。そのほうが、いい仕事ができるのではないでしょうか。権限を持とうとすると、何かと理屈をつけます。権限を守ろうとするから、余分なエネルギーがかかるのです。そんなものにはこだわらず、新たな形でやっていけばいいのではないかと思います。

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オーダーメードによる基礎的自治体の自立

秋田県では、町村合併も含めて地方分権を進めていますが、「基礎的な自治体の自立」をキーワードにしています。そして、県は基礎的な自治体が自立するためのサポート機関だと思っています。基礎的な自治体が立ち行かなくなれば、県も立ち行かなくなりますし、ひいては国家も転覆することになります。昔は中央に頼る傾向もありましたが、最近では、県庁の職員の考え方も変わってきました。「頼れるのは自分だけだ」「自分の力で生き残らなければならない」と考えるようになってきました。

ですから、秋田県では、平成17年度に向けて、市町村で担ったほうがいいものは条例ですべて与えることにしています。また、市町村が実行しようとすることが、仮に国の法令上問題が生じるのであれば、県条例でそれを可能にすることも検討していきたいと考えています。まず、基礎的な自治体を自立させてしまうということです。それにはスピードが必要だということも感じています。

また、県は、市町村に「やれることはやりなさい」と言っています。指導機関というより、完全にサポート機関になっているためです。ですから、一律の対応ではなく、すべて個々対応です。「この町は、こういう事業が弱い」ということになると、その事業に力を入れるわけです。このような画一的ではないオーダーメードのやり方が今後の行政の在り方ではないでしょうか。

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地方分権で重複する行政コストや人員の整理を

地方分権を考えるには、行政コストについても考える必要があります。このままでは、日常の行政サービスが受けられなくなるということが生じてくるかもしれません。私は市長をやったことがあるのでよくわかるのですが、人は生まれてから死ぬまで、役場のお世話になっています。生まれたときには出生届を出し、乳児健診、就学前健診もありますし、介護までやってくれます。亡くなれば、死亡届を出さなければいけません。「ゆりかごから墓場まで」の行政サービスを受けているわけです。今までは、簡単に言えば、バブルの影響などもあり、行政サービスに放漫経営的なところがありました。しかし、これからは、国からの仕送りが今までの3割減ぐらいになってきます。要するに、3割ぐらい行政コストを落とさざるを得ないということになります。

それは、これまで人口1000人に対して10人の職員を必要としていたところでも、合併してある程度の規模になれば、7人ぐらいでやっていけるようにするということです。あとは、どう運営するかという問題です。ですから、横並びの金太郎アメ的な行政はなくなるだろうと思います。

今は、市町村が道路1本つくるのにも、国にお願いをしたりということで、やるべきことが重なっています。県と国でも、やることがたくさん重なっています。そうなると、重なっている分だけ、コストも重複してかかっているということになります。おそらく、市町村、県、国のそれぞれ3分の1ずつぐらいが重複しているのではないでしょうか。

これからの市町村合併とはどういうことかというと、コストを落として、権限をたくさん与えるということです。日本という国を、グローバルに、地球規模で考えることが大切なのです。市町村が自立すれば、県のやるべき仕事も見えてきます。その際、県というものが要らなくなるという可能性もあると思います。もっと幅広く、世界に対応できる社会になってほしいと思います。

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東京スタンダード脱却による一極集中の解消

秋田県の面積は国土面積の3.3%で、人口が約117万人です。東京圏は、秋田と同じぐらいの広さで国土の3.5%なのですが、そこに約3400万の人が住んでいます。また、資本金10億円以上の大企業の半分以上があって、各省庁があり、研究機関や大学等も集まっています。カネ、モノ、ヒト、情報、すべてが集まっているわけです。これは異常な社会です。これだけインターネットが発達した社会で、そこまで集中することが、果たして国家的な利益につながるかというと、つながらないと思います。

今、地方に道路や橋をつくったからといって、企業が来たり、人が増えたりということはありません。過疎から脱却できるかというと、できないわけです。それなら、東京であれば30%の法人税が、北海道・東北地方では半分です、四国では半分です、というような一国二制度があってもいいと思います。そうすれば、企業は利益を出せばいいわけですから、人やモノが来て、コストも安くなります。何でも東京スタンダードでやっていくことは、日本の国益に必ずしもかなっていないというのが、私の基本的な考え方なのです。そのようなことで、地方も豊かになっていけるのではないでしょうか。

バブルが崩壊し、日本経済が危機に陥ったのは、すべてが横並びで、同じ行動、同じ考えしかできなかったからです。これからの時代は、それぞれが個性を持ち、自立していくことが必要になってきます。企業であっても、何かスペシャリティを持たなければ、生き残れません。そういう社会をつくるしかないと思います。

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首都機能の移転で変わること

首都機能を移転することを考えたときにまず思うのは、日本の国に「国家観」がないということです。つまり、捨てることができない、移動することができないということで、農耕型の最たる民族だと思います。しかし、国家的な視野から見ると、東京に全てが一極集中し、そこに首都機能もあるということ自体、ある種の危険性を持っています。例えば、阪神淡路大震災や北海道南西沖地震のようなものが東京で起こった場合、国家機能がすぐに対応できるかというと、できるわけがありません。もちろん、総理など一部の人たちは動けるのでしょうが、ほとんどの人は遠すぎて集まることもできません。警察機能でも、無理でしょう。そういう点から考えれば、まず首都機能は移転させるべきです。

また、移転するということによって、考え方が変わるということがあります。今年の4月1日に、私は田沢湖高原にスキーに行きました。非常にきれいなところです。ここに秋田県庁を持ってくれば県庁の職員の考え方も変わるだろうと、素直に考えているのです。いくら地震がおこっても、神戸のようにはなりませんし、大丈夫です。もちろん、秋田くらいの人口密度であれば、今のままの場所であっても歩いて何とかなるとは思います。しかし、田沢湖高原のようなところに県庁を持っていけば、職員はそこで家庭を持ち、畑を耕すこともできます。冬はスキー、夏は景色など、フィールドを楽しむこともできます。そうすると、心の広がり、大きさが全然違ってくると思います。価値観も変わってくるということになるのではないでしょうか。

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人生を楽しむ新たな時代への変化

私は、首都機能の移転先は東北地方がいいなどと言うつもりもありませんし、場所は問いません。交通の要にあるようなところで、国家的に利便性のある地理であれば、どこでもいいと思います。

ただ、首都機能を移転する際、秋田県を参考にすべき点はいくつかあると思います。秋田県は、道路もほとんど整備されていますし、ブロードバンドの高速情報システムの「地域IX」に皆が入っているなど、情報化も進んでいます。そういうところであれば、どこでもいいように思っています。あとは、住む人の人生観なのではないでしょうか。

私は、秋田県のように美しい野山があり、はっきりとした四季があって、人口密度も1平方キロメートル当たり約100人というようなところが良いのではないかと思います。日本全体の人口密度が約340人ですから、3分の1です。それでも、諸外国から比べれば多いほうなのでしょうが、山がたくさんあるというような自然に対する価値観を認めることができる方が良いのではないでしょうか。

例えば、英国などの人たちは、自分がリタイアしたら田舎に移り住んで、自然に触れて余生を送るということが、人生の夢だそうです。ところが、日本人は、東京に行って、ストレスを感じて生きるのが夢になっています。ですが、自然などの価値を認める価値観をしっかりと持っている人は、こちらに移り住むようになるでしょう。秋田県と同じ位の広さに3400万人も住んでいるところで、30倍のストレスを感じて住むのとどちらがよいかということだと思います。それは、価値観の問題です。

それから、社会の働くシステムです。日本の社会システムは、基本的にはまだ男性主体型のシステムです。労働システムは固定的で、長期休暇制度などもありません。しかし、これからは、自分の人生をいかに楽しんで生きるかということが求められてきます。所得が半分になっても、人生の楽しみが3倍あればいいという価値観を持つ人が増えてくるでしょう。それは、家族であっても、女性であっても同じだと思います。

そういう動きが、これから5年、10年の間にどんどん出てくると思います。日本人は、バブルが崩壊してからの10年で、考えたのです。人生の価値観を変える制度、自分の人生をいかに楽しんで生きるかという社会が、これから求められてくるのです。

男女共同参画型の社会システム。人生を楽しんで生きるという社会システム。多様な働き方、多様な価値を認める社会システム。ハッピーリタイアの社会システム。こういうことから再生の力がどんどん出てきて、地方には閉塞感がありません。東京にいては、そういう時代の変化に気づきにくいのではないでしょうか。

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閉塞感から広がりを持つ社会へ

人口1万人のところが五つ合併すれば、それだけ人口も面積も増えるわけですから、閉塞感ではなく、広がりを持つ社会になってきます。人口も5倍になりますし、面積も増えます。ですから、地方分権とは、夢を持ってまちづくり計画をすることだと言っているのです。当初はもちろん摩擦もあるでしょうが、だんだん慣れ親しんできます。しかし、日本国家だけは、その広がりを持てないでいるために、閉塞感ばかりが漂っています。それは、日本的に小さく考えているからです。配分を考えているから、省益を考えているから、閉塞感があるのだと思います。結局、自分たちで閉塞感をつくり出してしまっているわけです。

閉塞感とは何かというと、結局、自分たちで作っているわけです。日本人は、目標を設定されれば、それに向かって努力する国民です。ですから、今までの価値観を壊すところから始めれば、いい社会になるのではないかと思います。

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地方から日本を変える

日本の再生は、「変える」ということから始まると思います。私は地方の知事として、地方から変わる、地方から日本を変えるのが役目だと思っています。今こそ、地方から変わっていかなければなりません。それが国を変える近道だと思います。霞が関だけでは、変えられません。社会のシステムを変えるだけのエネルギーがないのです。地方自治体にもまだ軸足の定まらない町村がありますが、最後になれば、国の言うことを聞かないくらい、腹を据えてやっていくつもりです。

ですから、東京一極集中も含めて国家体制のあり方をどうするかということについては、しっかり論議すべきことですが、中央集権ではもうやっていけない、地方分権だとうたっているわけです。「地方にできることは地方に」と小泉さんは言っています。それをやっていけば、まず市町村合併をして、市町村が自立して、あとは県の役割が道州制になるのかどうかということだと思います。基礎的な自治体の役割が決まってしまったら、これから5年、10年の間に、県の役割を決めざるを得なくなってきます。また、県が道州制に移行し、東北6県が一緒になるというような形になれば、役割をどこまで持つかという問題が出てきます。おそらく、教育などは持つことになるでしょう。あとは、エネルギーをどう持つか、環境をどう持つかという話になっていくと思います。

ここ3年ぐらいで、地方の動きが全く違ってきています。知事会議でも9兆円規模の三位一体改革を言い始めていますし、道州制ということも出てきています。

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国家観を持つことからはじまる首都機能移転

そういうことを含めて、日本の国は、これから「国家観」を持たなければなりません。今は、そういう論議をすることが必要なのです。枝葉だけを見るのではなく、しっかりと幹を見つめることが求められています。少なくとも、国家的な責任を持っている霞が関の人たちは、国家について考えるべきではないかと思います。それがわかるだけの能力を持っている人たちなのですから、国家を考え、21世紀の日本の姿を示すことが、首都機能移転にもつながっていくのではないでしょうか。

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