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「首都機能移転で変わる東京と地方の意識」

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玉村 豊男氏の写真玉村 豊男 エッセイスト・画家・農園主

1945年東京都杉並区に画家玉村方久斗の末子として生まれる。1971年東京大学仏文科卒業。東大在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へ。

1977年に「パリ 旅の雑学ノート」、1980年「料理の四面体」を刊行してエッセイストとしての地歩を築く。以来、旅と都市、料理、食文化、田舎暮らし、ライフスタイル論など幅広い分野で執筆を続ける。

1983年より8年間、軽井沢で生活し、1991年より長野県小県郡東部町に在住。農園ヴィラデストを経営しながら、毎年数回の個展及び各地での巡回展も開催している。

著書・画集に「食の地平線」「グルメの食法」「種まく人」「田園の快楽」「田園の快楽−それから」「ヴィラデスト菜時記」「玉村豊男 パリ風景画集」など多数。



理想の土地の探訪と「第2のふるさと」

私は東京生まれで、軽井沢に引っ越したのは1983年、38歳のときです。その後、体調を崩したのをきっかけに、もう少し奥まったところで畑でもやろうかということになり、軽井沢を基点に土地を探して東部町に移り住みました。

東部町に移り住んだのは、軽井沢というのが標高1,000メートルくらいあるので、作物的に高原野菜や野沢菜くらいしかできないということがありました。そこで、標高700〜900メートルということを条件にして、斜面があって遠くに町がみえるような眺めがあること、周辺に人家が少ないこと、雑木林があることなどといった理想の土地のイメージを描いて、2年間ずっと探しました。その結果、ほぼ理想に近い土地を見つけることができたのが、東部町の今住んでいる土地です。私は「長野県民歴」といっているのですが、東京を離れて長野に移り住んでからと考えると、丸20年になります。夫婦2人とも東京生まれの東京育ちですが、いわゆる社会人になってから東京で暮らした時間より、長野に来てからのほうが長いという状況です。そういう意味では、すっかり定着してしまったので、今や長野が「第2のふるさと」といいますか、ふるさとに近い感じで暮らしています。

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東京から軽井沢までの距離感

私が軽井沢に引っ越してきたとき、東京−軽井沢間は特急で2時間15分でした。この2時間15分くらいの距離感というのは、「東京に行こうと思えばすぐに行けるけれど、『これから飲みに行くよ』となるとちょっと遠いような」という微妙でなかなか使いやすいものでした。今いるところは、軽井沢からさらに1時間くらい奥に入りますが、少し体を壊したのをきっかけに多少静かな生活を送りたいと考えていたこともあって、東京からもう少し離れてもいいと思っていました。

ところが、オリンピックなどがあって、皆があきらめかけていた新幹線が突然通ったのです。新幹線を使えば、東京から上田まで約1時間15分です。今いるところは上田駅から車で約20分ですから、ドア・ツー・ドアで2時間もあれば東京の都心に行けます。そうすると、軽井沢のころとあまり変わりません。今や東京−軽井沢は1時間ですから、当時の半分になってしまいました。むしろ軽井沢にいれば、東京に近くなりすぎのような感じがします。

私は東京の西荻窪で生まれましたが、学者村、芸術家村のような意味合いで郊外に分譲された土地に父が入ったためです。昭和の初めごろは、武蔵野市の境目、西荻窪から三鷹あたりが東京の西の端でした。成城や田園調布などもそうですが、いわゆる学者村、文化人都市というのは、基本的に閑静で、東京の外れにそういう街を作ろうという形で、新しくできた街です。成城や田園調布などは今や高級住宅街になっていますが、私の考えでは、かつての東京から三鷹や成城、田園調布までの距離感が、今の軽井沢との距離感だと思うのです。都心から1時間くらい離れていて、緑が多くて静かだということで、職住近接でなくてもいい人たちなどが住むというようなイメージです。そういう意味では、かつての東京の範囲というのが今では軽井沢あたりまで広がっているのだと実感しています。

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地方の暮らしの変化と東京のローカリズム

距離感が変わってきたことと同時に、10年前、20年前に比べると、いわゆる「田舎の不便さ」もどんどんなくなりつつあります。情報に関しては、それこそインターネット社会ですから、どこにいても同じ情報を共有できるようになりました。モノにしても、インターネットや通販で探して買えば、どこでも同じです。物流も、地方都市のスーパーや、県庁所在地のデパートの品揃えなどは、ここ10年、20年で大きく変わってきています。モノと情報は車の両輪なのですが、モノの方に関しても、相当改善されてきています。公共施設、特に福祉関係などは、大都会よりも充実してきているところが多くあります。

むしろ、ある程度同じ利便性を享受しながら、きれいな空気があったり、東京の人が5時間かがりで行くところを30分でスキー場に行けたりというような遊ぶところを含めると、地方の生活環境は非常に豊かです。

ただ、東京に住んでいる人が、そのことを一番わかっていません。私はよく、「東京の人のローカリズムだ」と言うのですが、東京の人が一番ローカルです。東京が世界の中心だと思っていて、地方の文化にあまり関心がありません。それが東京一極集中の弊害だと思いますし、あらゆるチャンスをとらえて地方に目を向けてもらい、地方の良さをわかってほしいと思います。

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東京と地方の不幸なすれ違い

ただ、地方の良さについては、東京の人が理解していないということもありますが、地方の人自身が理解していないということもあります。私は今住んでいるところの景色が気に入っているのですが、近くで畑をやっていらっしゃるお年寄りに「いい景色ですね」と言うと、「そうかねぇ。いつも暗くなるまで下を向いて働いているから、気付かなかったよ」と言われます。また、見慣れてしまっていて、日本や世界のどこかと比べてどういう位置にあるのかわからないということもあります。ですから、外から来た人に言われて、初めて気付くわけです。

今いる土地を探しているとき、ここの近くの家を訪ねたことがあるのですが、その人から「100年もたった古い家だから、早く壊して新しい家をつくらないと恥ずかしくて仕方がない」と言われたこともありました。保存したいくらいの立派な家なのですが、彼らからすれば、新しい文化住宅に建て替えることが望みなわけです。また、そういう家では、自宅で野菜も作っているし、そばも作っています。そして、夕方になると奥さんが夕食のためにそばを打ち始めたりします。「すごい生活だな」とびっくりしたのですが、その人は「いつもうどんかそばではなくて、たまにはフランス料理も食べたい」と言うわけです。

私たちから見れば、100年を経た立派な家に住み、毎日そば、うどんを打って食べている生活は理想の生活です。しかし、彼らにしてみればそれが当たり前で、それよりも近代的な住宅に建て替え、カレーライスを電子レンジで温めて食べる生活の方が文化的だと思っているわけです。

こうした問題を含めて、地方の生活のよさに気づいていない人が多いのです。東京の人は「豊かな暮らしですね。やはりスローライフはいいですね」と言うのですが、スローライフがいかに大変かを理解しているわけではありません。そして、3日もすれば、「こんなところにいても仕方がない。」と帰ってしまうのです。そういう意味では、非常に不幸なすれ違いがほとんど解消されないままになっているのが現状です。

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農業と地域の生活の関係

地方の人の多くは、自分の子供たちに「こんな生活をするのではなく、東京に行ってサラリーマンになった方がいい」と言って、送り出しています。子供たちにも帰るつもりはありません。そうすると、そばを打って食べる生活は、今の代で終わりになってしまいます。実際、農業の後継者はどんどん少なくなり、遊休荒廃農地がかなりの勢いで増えています。畑をやりたいという人がいることはいますが、非常に少数です。

この10年くらいで、農業をやりたい人に対する優遇措置も出てきています。しかし、土地は余っているのですが、それを集約する方法がないというのが現状です。そのため、やりたい人が出てきても、土地が見つからず、手を引いてしまうことが多いのです。

こうした状況を改善することが必要です。農業的なシステムを改善することによって、土地が生かされることは大いにありえます。農業生産を基盤にして、地域に持続可能な経済活動が生まれるということが一番大事なのです。そうでなければ、農業はいくら頑張っても、商品生産としての活動になりません。巨大な面積の土地で、作業はすべて機械化しなければ、農業はペイしないのです。しかし、農業が工業化するということ自体、自己矛盾です。農業とはそもそも、その地域の生活を成り立たせていくものであり、商圏の広さを競うものではありません。

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新しい都市から農業基盤の再構成を

私は、首都機能を移転する都市を作るにしても、その都市を支える農業的な基盤がなければならないと思っています。新しい都市を作るとすれば、利便性に満ちた都市機能があり、それを支える後背地としての農業生産活動のある地域が何割かしっかりなければ、本当の都市は成り立たないのです。地方に都市をつくるということの裏返しとして、地方の農業を再構成するということは非常に重要なことです。

私自身が農業をやっていながら一番感じているのは、農業がしっかりしないと、都市も生まれてこない。逆に、農業がしっかりしていれば、都市に遊びに行く人も増えるし、都市の人たちの生活も安定するということです。

犬歯と臼歯の割合のようなもので、都市機能を2ぐらい実現したいのなら、8ぐらいの農業基盤が後ろになければ、本当にバランスがいいとは言えないはずです。ですから、大きな都市を新しくつくるというよりは、こぢんまりした都市が、きちんとした農業に支えられている都市のモデルが一つあると良いのではないかと思います。きれいな街をつくって、そこに文化があって、行政や政治の大事な仕事をやっている人がいると同時に、街を支える広い森があり、田んぼがあり、畑がある。そうした全体を見て、「暮らしや都市とはこういうものだ」ということを理解させることができると良いのではないでしょうか。小さなモデルでもいいので、首都機能を移転するときには、都市と農業の望ましいバランスをぜひ実現させてほしいと思います。

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東京中心主義からの脱却

首都機能の移転についていえば、現在のようにオンライン化が進み、情報も交通も自由になってきている時代に、物理的にモノを東京の1カ所にまとめることが必要かどうかというと、私はやや懐疑的です。ですから、むしろいくつかの場所に分散しておくほうがいいように思います。もちろん、地震などの災害を想定して、データは複数のところで持っておく必要はあるでしょうが、三権分立ということを考えるのであれば、何も裁判所や国会を全部一緒にすることもないわけです。むしろ数カ所に分散していくほうが、現実的ではないかと思います。

そういう意味では、地方の再編を含めて、道州制のようなものに単位を変え、そこに権限を委譲し、財源もそこで手当てしながらやっていくのがいいのではないでしょうか。道路や新幹線などの整備も含め、地方に大きく権限を委譲する方向で大きな設計図を書き、それに従って進めていく方が良いと思います。その段階で幾つの州に分かれるかは分かりませんが、そのうちの3カ所ぐらいに主な首都機能を分散し、日本全体を広域圏として捉えてネットワークと交通で結びつくという形が望ましいと思います。

そのことによって、東京に住み、東京が中心だと思っていた人たちも、もっと流動的に物事を考えるようになれるのではないでしょうか。国会等が移転するということは、精神的なインパクトが非常にあることだと思います。それならば、1カ所ではもったいないと思うのです。「司法はそこ、立法はここ」というように、三つぐらいに分散する方がいいと思います。

候補地が三つあるので、あえて3カ所に分散すると言ったのですが、実際には、国会を何カ所かで持ち回りでやっても面白いと思います。国会を持ち回りにしたら、それだけで仕事が手一杯になってしまうかもしれませんが、与党がやっているタウンミーティングのように、もう少し地方の人も含めて議論する必要があるのではないかと思います。

東京の人は自分たちが中心だと思って暮らしていますが、地方の人は遠く離れているという感じが非常に大きいわけです。そうではなく、自分たちが司法・行政・立法の仕組みに直接かかわっていることをみんなに理解してもらい、自分たちの生活に近いものだというように見せる工夫が必要だと思います。首都機能移転には、そういう心理的な効果、教育的な効果もあるのではないかと思っています。

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東京の活力が日本を支える

首都機能を移転しても、今の政治・行政システムが変わらないとするならば、単に陳情に行く方向が変わるだけです。首都機能移転によって、そういう陳情政治のようなもの、東京を中心にできあがった参勤交代システムのようなものを変えなければならないと思います。ただ単に、これまで東京だった陳情先が変わるだけで、「面倒くさいな。この仕事はあちらに行って、この仕事はこちらに行くのか」というような話ではしようがないのです。そういうシステムが変わることを前提に考えれば、「東京は果たして芸術・経済都市、文化都市として脱皮できて、生き残れるのか」ということが問題になってきます。

東京から首都機能がなくなったとき、東京の人が自信を失い、経済活動が低下するということも考えられなくはないわけです。アジアにおける経済の中心地はどこかという問題にもなってきますが、東京がこれまでのような繁栄を享受できるのかを考える必要があるように思います。首都機能が移転された後、東京は果たして、上海やソウル、シンガポールなどと対抗できるのかということです。逆に、この首都機能の移転を機会に、東京がこれまで以上に活力のある都市にすることが求められるのではないでしょうか。東京が低落するということは、日本経済全体が低落するということです。そういう危険性もはらんでいることを忘れてはいけないと思います。

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東京の人たちにこそ理解されるべき首都機能移転の意義

私たちは、今まであまりにも東京に頼りすぎてきたのかもしれません。しかも、東京の人たちは、東京が一体何の中心なのかもわからないようになっています。東京は、首都機能移転について「そんな話はしないでくれ」というような状況でしょう。しかし、本当は東京の人たちに理解してもらうことが一番大事なのです。東京の人たちが「首都機能が移転すると、空気もきれいになってもう少し住みやすくなるし、今までのように活発に活動するけれどもそれなりに落ち着いた生活ができるようになる。そのほうがいいね」と思ってくれなければ、おそらく成功しないでしょう。

東京の人たちは、自分たちが中心になっていることに誇りもあるし、うれしさもあるのだと思います。東京にいる人の大多数は田舎から来た人なのですが、それでも「皆がどこかに行ってしまえば、自分たちは静かに暮らせる」と思っているわけです。「お盆やお正月になれば空気がきれいになるのに、田舎から人が来るからこんなに困っているのだ」と思っているのです。お盆やお正月だけでなく東京にきれいな空が戻ってくるのが首都機能移転だということが理解されれば、この問題も動き始めるように思います。

東京に住んでいる人は、国会や官庁があるからといって、別にありがたいとは思っていません。東京から、首都機能移転反対の声が出ているのは、他にアイデンティティを持っていないからではないでしょうか。東京の人たちには、案外アイデンティティがないのです。東京は、そもそも後から首都になったわけですし、歴史的に見ると文化・経済の中心はずっと西日本、関西でした。ですから、現在、政治・行政の中心になっていることがアイデンティティとして感じられるのかもしれません。普段は意識していないのでしょうが、首都機能が移転されたら拠り所がなくなるというようなところがあるのだと思います。

となると、プライドとアイデンティティをうまく保ちながら、東京の人を説得しなければならないと思います。難問ですが、それをやらなければ首都機能の移転の議論は進まないように思います。

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首都機能移転で東京と地方の意識改革を

首都機能を移転するということは、東京と地方の意識の改革を含めた非常に大きな問題に関わってくると思います。逆に、そういう面を持っていなければ、単に新しい街を作るとか、新しいハコものを作るのだろうとしか理解されません。東京と地方の意識を流動化させ、垣根を取り払っていくという面を表に出した方が、全体の意味が理解されるのではないでしょうか。

道路や新幹線をつくったり、建物をつくったりというのは副次的なことであり、むしろ東京に一極集中してしまった経済システムを、新しい時代に即応できるような複数の多様性を持ったシステムに変えていくのだという哲学を前面に打ち出した方が、より議論が盛り上がるし、本質的な意味が理解されるのではないかと思います。

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