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「日本における防災対策の必要性と国会等の移転」

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溝上 恵氏の写真溝上 恵氏 東京大学名誉教授

1940年生まれ。新潟県生まれ。東京大学理学部地球物理学科卒業。同大学院理学研究科地球物理学専攻博士課程修了。理学博士。

1966年東京大学地震研究所助手。地震予知観測情報センター長、和歌山微小地震観測所所長を経て、1985年東京大学地震研究所教授。1997年定年退官し、東京大学名誉教授。

1996年より地震防災対策強化地域判定会長を務めるほか、国会等移転審議会委員、中央防災会議委員などを歴任。

主な著書に、「大地震は近づいているか」(筑摩書房,1992年)「徹底検証 東京直下大地震」(小学館,2000年)「地震予知と社会」(古今書院,2003年)など。



地震と津波から見た日本

国会等の移転については、これまでも随分と議論がされてきてはいるかと思います。私自身、国会等の移転というような大きな問題は、基本的に長いスパンで考える必要があると思っています。しかし、その間に何がくるかというと、地震がくるということを忘れてはいけないのではないでしょうか。日本では、100年から150年に一度、ものすごい地震が起きています。例えば、安政年間に起きた地震では、ちょうど来ていたロシアの軍艦がひっくり返ってしまったという記録が残っています。江戸では、この地震で1万人くらいの人が亡くなりました。当時の幕府の役人などは、ロシアからの外圧だけでなく、地震の被害も受けて酷い目にあいながら幕末を迎えたわけです。

その次に大きな地震がきたのは、戦時下の空爆を受けていた頃で、東南海・南海地震、鳥取地震、三河地震、福井地震などが続いて起こりました。まさに戦前の日本と戦後の日本が切り替わるときに、いたたまれないくらいの地震が立て続けに起きたわけです。

これからはというと、まず、東海はいつ起きてもおかしくない状況なので、既に24時間体制で監視しています。東南海・南海は、あと30〜40年もすれば起きるでしょう。まさに再来です。ですから、それにどう対応するかということが問題になってきています。日本は地盤工学や建築技術などは随分進んでいますが、まだまだ老朽化した木造家屋やモルタル家屋が多くあります。建築基準法、耐震基準を守っていれば、死者が想定の4分の1くらいになるのですが、実際にはほど遠い状況にあるのが現実です。

また、地震を考えるときには、津波のことも考える必要があります。これまではあまり大きな津波がきていないということもあって、200〜300人が亡くなるくらいでした。しかし、大きな津波がくれば、この程度ではすみません。大きいものになると、何十メートルという津波が発生します。これくらいの津波にのみ込まれると、今の都市はあっさりとやられてしまいます。下水口が海に出ていますから、下水管を通って裏からもやってきますし、堤防や防潮堤などはあっさり乗り越えられてしまいます。また、水門は自動化していませんから、閉めに行っている間に津波が来てしまいます。

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一般国民の命を守る防災対策の必要性

そういうことを考えますと、都市の防災には、津波を含めて非常に大きな問題が横たわっているわけです。それに対する社会的な資本投資、防災への投資をしなければなりません。もちろん、現在では、こうした都市防災の調査が進められています。国の中央防災会議では首都直下地震といったことでも調査を進めています。

その中では、中央政府の機能を確保するということとともに、民政の問題も検討されています。やはり、数万、10数万という一般国民の命をどう守るかということが第一義的な問題であるべきです。中央政府をどうするかということももちろん大切ですが、日本の国は日本国民で成り立っているのであって、一般国民の命を守るために、中央政府にはしっかりしてもらわなければならない。それが正しい順序であり、地震対策の軸足が置かれるべきところだと思います。

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首都圏の地震と防災対策

国会等の移転の問題で防災を考えることは非常に大切だと思いますが、それは東京にとっても同様です。実は、東京直下地震というのは関東大地震とは違うものです。東京直下地震は、関東大地震に向かってひずみがたまっていく間に起こる、露払いのような地震です。しかし、安政の江戸地震が荒川河口付近で起きたときでも1万人くらい亡くなっていますから、相当な被害が出る可能性があります。今の知見では、関東大地震に向けた露払い的な地震を、何千年に一度というような活断層の地震とは区分して考えています。首都圏の一部では、地下のプレートが地震を引き起こしやすい状態になっていますし、最近の20年間を見てもマグニチュード6ぐらいの地震が数回起きています。もしマグニチュード7クラスの地震が起きれば、時間帯によって、あるいは場所によっては相当な被害が出るでしょう。首都圏では、河川や沼地、さらに東京湾を埋め立てた人工地盤の上に巨大都市が作られています。そのため、大地震で一瞬にして砂上の楼閣に変じかねません。

首都圏の場合、地震そのものというよりは、人間側の問題のほうがはるかに深刻なのです。ですから、老朽化した住宅などを耐震基準に合わせたり、狭い道を消防車が入れるようにできれば、死者はあまり出なくなるということになります。これは、やろうとすればできること、解決できる問題です。そのときの決断は、逃げ出すか、踏みとどまって自分の街づくりにまい進するかということです。これが防災の大きな分かれ目です。

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有効な防災対策の基礎は住民の意識

東京は、関東大震災のときに焼け野原になりました。しかし、神田神保町のあたりには、焼け残ったところがあります。何故かというと、その地域の人は、江戸の頃から非常に防災に関心が高くて、町ぐるみで市民が守るという意識がきちんとできていたということがあったのです。神田川が流れていましたし、土づくりの蔵が多かったということもありますが、それに加えて市民意識が強くて、燃えさかる火を止めたことが大きな理由でした。地震そのものは止められませんが、関東地震の時のように火災の竜巻がおきたとしても、市民が束なれば止まるわけです。束なるということは、相当の人数やパワーがなければならないのです。

どこに首都機能を移転しても、地震からは決して逃れられません。そこで地震が起きたとき、住民も含めて有効な手段をとるためには、相当な消防力や防災力を別に持たなければいけません。人数を集めて配置するだけではだめなのです。消防の文化とでもいうようなものが培われていなければ、とてもできないように思います。

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国会等の移転における防災の位置付け

「国会等の移転」と「首都機能の移転」とは、ずいぶん次元の異なる問題です。これまで、「国会等の移転」の議論が行き詰まると「首都機能移転」にすり替え、それも行き詰まると地震防災が引き出されてくるという感がありました。国会等の移転の目的は、「人心一新」、「行財政の構造改革」、「政官財の癒着を断ち切る」ことだといわれてきました。この目的そのものに反対する人はいないでしょう。しかし、それには国会等の移転よりも国会議員のモラルを高めることのほうが先です。国会議員のモラルの改善は望み薄なので、直接的でわかりやすい防災を持ち出してきたのでしょうが、地震防災とはそういう安易な問題ではありません。

日本は、世界有数の地震大国です。日本の国の安全、危機管理を考える場合に地震防災は避けて通れない課題です。日本では、同じ建物、橋梁をつくるにしても、高レベルの耐震性が要求されます。そのため、地震が起きない国に比べて何倍もの経費がかかります。日本では、一年に二、三回は地震被害が起きますから、いつどこで大地震に襲われるか分かりません。日本の政治家はもっと地震防災のために努力する必要があります。国会等の移転を考える場合にも地震防災を忘れてはいけません。しかし、地震防災は、一般国民の安全確保こそが最重要で、国の主人公である国民の安全を確保しないまま国会議員の安全を優先させるのは、主客転倒だと思います。

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国会等の移転では、100年先を見据えた議論を

地震は非常に恐ろしいものですが、何も東京や首都機能の移転先だけでおこるわけではありません。過去、日本では幾つもの災害が起こり、そこから立ち直った経験がたくさんあります。これまでは、その記録がきちんとした形で残されて市民の間に定着すべきだったのですが、なかなかできませんでした。それを今、歴史学者や経済学者を入れて、もう一度見直し、残そうとする動きがあります。

首都機能移転、国会等の移転に関しても、これだけの仕事を継続的にやってきたわけですから、意味のある議論を残してもらいたいと思います。結論は急がなくてもいいのです。継続的に幾つかの可能性を探っていき、ドキュメントを残してほしいのです。

日本には、これから大変な時代が待ち構えています。100年後には、日本も随分変わっているはずです。今の沖積平野や海岸線は、地球温暖化の影響によって全く変わってしまいます。そうすると、河川も変わります。それから、人口が大きく減少しますから、おそらく入出国の問題が出てくるでしょう。つまり、経済的な機能を維持しようと思えば、少なくとも国民の3分の1くらいは外国人を入れなければならないかもしれません。そうすると、日本は多言語、多民族の国になりますし、経済構造も変わってくるでしょう。

ですから、自然、政治、経済環境などを含めて、日本列島はそのときどういう姿になっているのか。国の成り立ち、統治のあり方、それから民族の繁栄、生き残りというものを、100年くらい先まで見据えることが大事です。非常に難しいですが、国会等の移転とは、それと並行して進めるべき仕事だと思います。

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若い世代こそが議論すべき国会等の移転

そういうことを含めて、結論を言うと、国民というものを主役に置いた議論をしてほしいと思います。しかも、なるべく若い世代を主軸に置き、国全体の在り様を議論することが必要だと思います。

21世紀は、激変の時代です。安定した時期ならば、100年先も読みやすいのですが、今はそういう時代ではありません。常に緊張感を持って、日本が生存を図らなければならない時代です。そのときに、「首都はどこに位置し、どういう政府があるべきか」ということは非常に重要な問題になってくるのではないでしょうか。それだけに、次の日本を背負って立つ若い世代、将来日本の中核となる世代がこれを議論すべきなのです。

また、そのときには今までよりも次元を高め、日本の将来像とセットにした議論になれば良いと思います。そして、「日本の統治機構はどうすべきか」「国民はどういう自覚を持つのか」ということを、私を含めた年寄りだけが言うのではなく、若い人が議論することが必要だと思います。私がぜひ望むのは、若い世代にこそシグナルを送って欲しいということです。若い人たちが「将来、どういう日本を望んでいるのか」ということから、「国の首都はどうすべきか」という議論が出てくるべきではないでしょうか。そして、それを次の世代に譲り、さらにその次の世代にバトンを渡すくらいのつもりで議論をし続ければ良いのではないでしょうか。

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