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「構造改革特区による首都機能移転と地方の再生」

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高橋 進氏の写真高橋 進氏 (株)日本総合研究所 理事

1953年生まれ。76年に一橋大学経済学部卒業後、住友銀行に入行。79年に調査第一部、87年に経済調査部とほぼ一貫して経済調査畑を歩む。調査部ロンドン駐在中は、欧州経済・金融情勢を調査。90年から日本総合研究所調査部主任研究員、96年から調査部長。04年より現職。アジア経済、日本経済・金融の調査を担当。2000年より早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授。2003年より近畿大学経済学部・経営学部客員教授を務める。現在、財務省アドバイザリー・グループ・メンバー、法務省出入国管理政策懇談会委員、21世紀臨調「新しい日本を作る国民会議」運営委員。

主な著作に、「英国金融機関における証券化の潮流」(住友銀行月報所収)、「クリントノミクスと日米緊張関係を読む」(共著、講談社)、Financing Capital Market Intermediaries in East and Southeast Asia (共著,Kluwer Law International)など。



東京への一極集中と都市国家化

現在の日本を俯瞰したときに考えなければばらないのは、東京への一極集中という構図が日本経済再生の足かせになりつつあるということではないでしょうか。具体的に見てみますと、地方と東京では全く別のことが起きています。

地方では、産業の空洞化が進んでいます。その中で地方は公共投資依存を強めてきたのですが、ここに来て公共投資の減少が始まっています。加えて、東京への一極集中がさらに加速し、地方の人口減とそれに伴う需要の減少が起きています。こうしたことが重なり、地方の衰退という状況になっています。

一方、東京を見てみると、一極集中の弊害が相当強くなってきています。自然、住環境、交通などの面で負荷が大きくなる中で、生活の快適性、利便性、安全性、あるいは安心確保のためのコストが非常に大きくなってきているのです。東京圏では、過密しているがためにこうした条件が悪くなっていて、条件悪化を防止するために、さらにインフラ整備をするという状況にあります。しかし、インフラ整備をすれば、また一極集中が加速する。そういう過密とインフラ整備の悪循環が起きてしまっているように思うわけです。

このままの構図が続くと何が起こるかというと、日本全体が都市国家化していくことが考えられます。東京だけが繁栄して、それ以外の地域は東京に支えられるという構造になっていくと思うのです。シンガポールのような国になることは、日本がこれから高齢化社会に向かっていく中で、望ましい方向ではないと思います。高齢化社会というのは、生活する人たちのすぐ身近に行政やいろいろなサービスがなくてはなりません。しかし、都市国家という非常に大きな固まりの中では、おそらくそういう形は実現できないでしょう。

これからの社会のありようを考えると、価値観やライフスタイルの多様性、自己決定、あるいは生活者を基点とする考え方といったものを進めることが、21世紀における日本の進むべき道だと思います。都市国家化というのは、むしろそれに逆行していくことになるのではないでしょうか。

このまま東京への一極集中が続けば、地方の持つ豊かさや多様性が失われて、首都依存がどんどん強まっていくことになるでしょう。そして、地方が首都にぶら下がるという構図が続けば、結局はそれが日本全体の足を引っ張ることにもなっていく。そういう意味で、東京への一極集中というのは、東京と地方の双方にとって放置できない問題だと思います。

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地方再生の二つのパターン

東京への一極集中という構図の中で首都機能移転の問題を考えると、首都をそのままどこかに移転するというよりは、首都の機能を地方に移転することを通じて、中央と地方との関係を変えていく、あるいは地方の再生につなげることが重要になってくると思います。では、地方として具体的にどういう再生のあり方が考えられるのかというと、基本的には二つのパターンしかないと思います。

一つは、国際社会、国際経済に直結するまちづくり、地方づくりをすることで、必ずしも東京を通さなくても、世界と結びつくことで生きていくというパターンがあるのではないかと思います。日本でいえば、中京圏、近畿圏などです。ここは、世界的な大企業があることで世界と直結することができています。あるいは、北九州のように、アジアの玄関口としてアジアに直結していくというケースもあります。いずれにしても、東京の持っている機能を通すことなしに、地方都市、地方経済として自立できるというパターンだと思います。ただ、こういう都市においても、例えば羽田の問題などを考えると、東京との関係が足かせになってくるのです。そういう足かせはありますが、国際社会、国際経済に直結していくというあり方が一つあると思います。

ただ、こうしたことができるところは日本の中でも数えるほどしかありません。10都市もないぐらいだろうと思います。そうすると、残りの大多数の地域、都市はどういう形で再生していくかというと、「持続可能な生活圏」をつくるということが重要になってくると思います。「持続可能な生活圏」とは、地方の中でヒト・モノ・カネが循環することで生活が維持できるという意味です。そうはいっても、一定量のヒトやカネの流出はどの地方でも避けられません。ですから、流出した分を補うために、大都市や東京、中央からそれらを引っ張ってくる必要があります。そういう意味では、ヒト・モノ・カネを引きつけるだけの魅力あるまちづくりができるかどうかが、持続可能となりうるか否かの一つの判断ポイントになってくると思います。

この二つのパターンに共通するのは、東京に頼らなくても生きていける、あるいは東京にないものをつくり出していけるということです。まさに、東京とは違うという意味での多様性こそが、地方再生のキーになるわけです。東京への一極集中というのは、こうした多様性を殺してしまうことにもつながってくることを考えると、それを逆転させる発想が必要ではないでしょうか。

首都機能移転は、地方にとってこうしたまちづくりの一つのきっかけ、あるいは東京にないものをつくり出す一つのきっかけになると思います。そのように考えると、地方自身の再生努力と首都機能移転を組み合わせることで、地方の自立的な再生が可能になるのではないかと思います。

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「構造改革特区」と首都機能移転

現在、日本では構造改革について様々な議論がされてきており、中身についても規制改革や財政改革、社会保障改革等々、いろいろなメニューがあります。その中で私が着目したいのは、「構造改革特区」です。構造改革特区はようやく実現して、幾つか具体例が出てきているというところです。日本の構造改革特区の基本的な発想というのは、あくまでも地方の自助努力を引き出すということにあります。今回の場合は、沖縄金融特区のような、国が財政まで含めて積極的に支援するという従来型のものではありません。規制は緩和するけれども、財政的な支援などについては特別扱いをしないというのが、今回の特区の発想です。地方の自助努力、自立性を引き出すことに主眼を置いた特区であり、それはそれで意味があると思います。

ただ、今まで出てきている特区の考え方だけでなく、沖縄金融特区のように中央からの財政措置まで含めた形の実験的な特区を作ってもいいのではないかと私は思います。そして、その実験区のコンセプトを「首都機能移転特区」とすることも考えられます。首都機能移転をキーワードにして、必要な規制緩和、分権、あるいは可能な範囲の財政支援などを組み合わせていく。ただ、何をどう組み合わせてまちづくりをするかというアイデアや発想は地方に任せる。どのような機能を分散させたいかというところまで、地方がアイデアを出してもいいのではないでしょうか。中央として言うべきことは、首都が持っている機能を分散させるということだけでいいと思います。あとは地方に任せて、オープンコンペにしていくわけです。

もちろん、そのときに東京を排除する必要は全くありません。今、東京が担っている機能をさらに強化していく、より有効活用していくということであれば、そのための提言を東京が出せばいいわけです。そうすれば、東京を排除するということになりませんし、あくまでも地方に自立性を持たせることを大事にしながら、分権をはかっていくことにもつながっていくのではないかと思います。その材料として、首都機能移転を使ってもいいのではないでしょうか。

例えば、外交都市のようなものが考えられます。先ほどの地方再生パターンの一つですが、地方都市が外交的な面で国際社会につながっていくということです。外交都市では、単に大使館や国際機関が立地するだけではなく、それをサポートするためのインフラ、街が必要になります。そうすると、外交官や外国人、あるいは外国人と交流する人たちの仕事、生活の場がそこになくてはなりません。そういうものを支えるまちづくりを一つのキーワードにして、地方都市、地方が再生していくということもあっていいのではないかと思います。

そういうアイデアを幾つか出しながら、個別の首都機能をはたせる都市をつくることができれば、結果として首都機能移転に結びつくと思います。あくまでも地方主導で、かつ個別機能の移転として考えていくことが、結果として地方にとっての刺激にもなりますし、一極集中の是正にもつながっていくのではないでしょうか。

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構造改革特区による地方の自立の可能性

もちろん、私もこうした構造改革特区だけで地方が再生できるとは思っていません。他の幾つかの構造改革の具体的な措置とともに行われて初めて、地方の再生につながると思います。今、政府が進めようとしている「三位一体の改革」は、構造改革の具体的な措置の一つに挙げられるでしょう。三位一体の改革を理念に近い形で進めていくことができれば、地方経済の再生にとって不可欠な財政的自立ができると思いますので、まずこれが大前提になります。ところが、三位一体の改革を進めることは、結果的に地方間の格差を生み出すことにもなってくる。そうすると、地方はこれまで以上に自立を迫られることになるわけです。先ほど申し上げたように、地方の自立のパターンは二つしか考えられませんから、そのパターンを生み出すための一つのきっかけとして構造改革特区が考えられると思うのです。

もちろん、三位一体の改革、規制改革などの構造改革がきちんと理念どおりに進んでいくのであれば、特区は必要ないと思います。ただ、個々の改革のスピードには違いがあります。また、理想的な形で優先順位がつけられて、うまく進んでいくかどうかはわかりません。例えば規制改革にしても、言うは易しで、なかなか進まないわけです。そういう意味で構造改革特区の発想というのは、構造改革を進める上での一つの手段として、いわばセカンドベストの発想として出てきているのです。特区を活用することは、三位一体の改革や規制改革の遅れをはねのけ、地方の自立を模索する一つの手段になるのではないでしょうか。ですから、今の日本の現実に鑑みれば、特区という考え方は、ベストではないにせよセカンドベストということで評価していい動きだと思います。

実際に、北九州などの積極的にその活用を試みている地方都市を見てみますと、特区があるから地域振興をするということではなく、地方自立のための地域振興という大きな枠の中で特区というものを捉えています。そういった捉え方をすれば、特区が自己目的になることもなく、地域の自立、地方の再生につながっていくと思います。ですから、特区については、地方自治体の意識改革を促す一つのきっかけ、手段として捉えることができるのではないでしょうか。

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改革の起爆剤としての首都機能移転

識者の中には、構造改革と首都機能移転を組み合わせることについて、あまり積極的でない方もいます。あるいは、そもそも首都を移転しなければ改革が進まないという発想は本末転倒ではないかとおっしゃる方もいます。しかし、日本の構造改革はある意味で意識改革の問題であるわけで、私は、現実に改革がなかなか進んでいかない、意識改革が進まないという中で、改革の起爆剤になるようなものが必要だと思っています。

そういう意味で、意識改革を促す一つのきっかけとして、首都機能移転を考えていくことも必要ではないかと思います。首都移転ではなく、首都機能移転ですから、そのとき必然的に派生する問題として、行政をどう改革していくか、21世紀型の社会・国土をどのように作っていくかということが一緒に考えられなければなりません。そこから、さらに根本的な発想として、生活者基点の改革を進める。そういう発想から分権、分散という発想が出てきて、21世紀型の日本の多様な社会というものにつながっていくのだと思います。そういう意味で、下からの改革と上からの構造改革があり、それをつなぐ一つのものが首都機能移転だと考えてもいいのではないでしょうか。

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一極集中による負の効果

首都機能移転の経済的な側面と生活者的な側面について考えてみると、この二つは決して二律背反するものではありません。東京、あるいは首都圏に暮らす人たちの生活環境の改善という意味では、機能を分散したほうが望ましいわけです。また、機能を分散することで東京の集積効果が失われるかというと、私はそうではないと思っています。むしろ、今は過度な集中によるコストが非常に大きくなってきています。具体的にいえば、環境や交通の負荷であり、それを緩和するためのインフラ整備のコストとしても跳ね返ってきているのです。単に快適な生活が確保できないという問題だけではないため、実際の計量化は難しいですが、マイナスのコストが発生していることになります。東京だけで考えるとわかりませんが、首都圏ということで考えると、機能の維持のために膨大なインフラ投資を余儀なくされています。そこまで考えると、過密に伴う負の経済効果が発生しているわけです。首都機能移転によって、それは是正されると思います。

もう一つ忘れてならないのは、日本全体として考えたとき、一極集中によって地方都市の機能、経済の自立力が失われていくということです。それによって、将来的に地方が東京にぶら下がらざるを得なくなってくる。一極集中によって地方がマイナスの経済効果を生んでしまうということになります。一極集中が進めば進むほど、地方のマイナスが大きくなるのであれば、東京の生み出すものが大きくなっても、最終的には日本全体を支えていくことができなくなってくるのではないでしょうか。

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非効率をめぐる視点の転換

今の首都・東京というのは、このままでいけばますます集積が続いていくということが予想されます。無理に集積を図る政策をとらなくとも、おそらく集積が続くことになるでしょう。東京では、自律的に集積が進むメカニズムが働きつつある。したがって、それを止める必要があると思います。そのためには、人為的に機能の移転、機能分散を図ることが必要だと思うわけです。

首都機能を分散することによって非効率になるという議論もありますが、それについては二つの考え方があると思います。一つは、非効率になると言われる部分でも今の技術で相当程度カバーできるということです。物理的な距離にもよりますが、数十キロ、数百キロという範囲であれば、今の通信技術などで十分カバーできるのではないでしょうか。あるいは、現在の姿こそ非効率だと考える発想が必要ではないかと思っています。東京の持っている非効率にも目を向ける必要があると思います。

もう一つは、非効率という発想は、経済原理だけで見たものだということです。社会の持つ豊かさや多様性などを認めていくことは、経済的には非効率かもしれません。ですが、これからの日本にとっては、ある意味で必要なことではないでしょうか。高い付加価値を生み出すという観点に立てば、それは決して非効率ではないと思うのです。むしろ、その中から初めて、従来とは違う形が生まれてくるのだと思います。だからこそ、わざわざ機能を分散させ、手間暇かけてまちづくりをしたり、行政を行ったりするのです。

例えば、ヨーロッパ型の社会のように、1人の高齢者に対して大変な手間暇とコストをかけて世話をするのは、高福祉・高負担です。しかし、そういう一見非効率な社会が、実は人間にとって非常に住みやすい社会かもしれません。ですから、効率一辺倒の発想ではなく、効率・非効率という基準以外のものを持ち込むことも考えることが望ましいのではないでしょうか。

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21世紀型の社会の姿

日本がこれからとるべき道というのは、21世紀型の社会をつくり、その中で生まれる付加価値によって世界で生きていくということだと思います。そう考えると、東京だけでなく地方を含めた生活・文化・価値観・スタイルの多様性というものを殺してはならないと思います。地方が東京依存を強めれば強めるほど、単一化が進んでいって、多様性が失われてしまいます。

例えば、21世紀型のものづくりとはどういうものかというと、医療や看護、教育、環境などの新しい分野で生まれてくるものづくりと、ソフトとものづくり部分が組み合わさって新しいものづくりが生まれるということが考えられます。それによって日本は、中国などのキャッチアップしてくる諸国をリードできる。従来型のものづくりを続けていくのではなく、新しい社会のスタイルをものづくりの中に反映するということが求められてきます。典型的な例は、高齢者に優しい医療のようなものです。

ただ、東京一極集中が進む中では、こうした新しいものづくりを生み出すことは無理です。地方への分散が進んだ21世紀型の豊かな社会を作っていくこと自体が、最終的に付加価値を生み出す源泉になるのです。そして、それが新しい輸出産業を生み出し、それがゆえに世界における日本の地位も維持できるのだと思います。

日本は今、21世紀型の新しい成長を模索するプロセスに入り始めているところにいますが、その答えはまだ出ていません。小泉内閣にしても、自民党にしても、あるいは野党にしても、21世紀における日本の社会のビジョンをまだほとんど提示できていません。その問いかけがこれから数年の間に出てくると思いますが、その中で必然的に多様性という問題も出てくると思います。

今までの日本は、「集中させる」「画一化する」ということが国の政策の背骨にあったと思います。その発想はもう変えるべきではないでしょうか。分散をすること、集中させないことが多様性を生み、日本が生き残るための価値観を生み出すのではないかと思います。成長一辺倒をやめるというと語弊がありますが、これからの成長の源泉は、従来のような経済効率性の追求のみからは生まれてこないと思います。非効率をあえて受け入れながらも、生活者や国民の豊かさやゆとりを作っていくという発想で社会を作ることこそが必要なのではないでしょうか。

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