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「情報化時代の国土構造を創造する首都機能移転都市像」

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戸所 隆氏の写真戸所 隆氏 高崎経済大学 教授

1948年群馬県前橋市生まれ。1974年立命館大学大学院地理学専攻修了、立命館大学地理学科教授を経て、1996年より郷里の高崎経済大学教授へ。現在、高崎経済大学附属地域政策研究センター所長。文学博士。専門は、都市地理学、商業地理学、国土構造論。

国会等移転審議会専門委員、経済審議会特別委員を歴任し、日本地理学会理事、日本都市学会常任理事、日本地域政策学会常任理事を現在務める。

主著に「都市空間の立体化」、「商業近代化」、「地域政策学入門」「地域主権への市町村合併」など。



大きな構造変化の中にある今の日本

今の日本は、非常に大きな構造変化の中にあります。私が小学生のころ、日本の人口は約7000万人でした。それが今では、およそ1億2700万人になっています。また、GDPについても、1965年から2000年の35年間だけで15.6倍になっています。この時代は、ある面で官民ともに自然に収入が増えるという構造にありました。

それが今後は、人口増加、経済成長ともに停滞してきます。また、周辺国が高度経済成長を果たしてくる。私たち日本人は、そうした未経験の人口減少という環境下で、地域経済や地域政策、政治体制を模索していかなければなりません。そのためにはまず、ゆっくりと他国の高度経済成長を見ながら、自らの生活を楽しむことのできる構造をつくらなければならないと思います。それが、今やらなければならないことではないでしょうか。

ニュースや世情の声を聞いていますと、「日本はかつてトップだったけれど、今はどん底にある」という感覚を日本人は持ってしまっています。例えば、「中国は日本よりはるかにすごい。日本は負けた。」という感覚です。しかし現実を見ると、中国のGDPはまだ日本の4分の1程度です。こうしたことを我々はしっかりと認識して、経済力、国際競争力があるうちに新しい国土構造を形成してしまわなければなりません。これが、首都機能の移転を考えるときの前提だと思います。

これまでの日本は、いわば東京が機関車になって、全国を引っ張るというパターンでした。それを、首都機能移転によって国土構造を変え、日本全体に動力がついた電車型の国土構造に変えていく。これからは、先頭の機関車だけが多くの動力を持たない客車を引っ張るというパターンから、皆で協調しながら進む電車型のパターンに国土構造を変えていくということが必要だと思います。

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時代の変化と地域・社会構造の関係

地理学では産業類型を、第一次産業(農業革命時代)型、第二次産業(産業革命時代)型、第三次産業(情報革命時代)型に分けてきました。今は、まさに第三次産業中心の時代、情報化時代になってきています。産業革命では、動力の開発によって体力の機械化が進みました。産業革命の時代は、組織力で動くという時代でした。ですから、大企業ほど強いということになります。ところが、今日の情報化時代では、人工知能の開発によって知力の機械化が始まりました。知力はまさに個人の問題になるため、組織よりも、個人を優先させることが多くなってくるのです。

どこに住んでいても個々人の能力が発揮でき、個人が活き活きと生活できる国土構造を考えると、これからは水平ネットワークの構造になると思います。水平ネットワークの構造は、規模の大小や中心と周辺の関係はあるにせよ、上下関係のない開放的な地域と地域、人と人の関係に基づきます。これまでは機関車型で、階層型ネットワークの構造でした。都市の形態についてもこれまでは集中型でしたが、これからは集中と分散にメリハリがついた都市構造を持つことになると思います。形でいえば、大都市集中から大都市化・分都市化という構造に変わっていくのではないでしょうか。

そうした状況の中で、富の源泉も変化してきます。今までは、土地や資本、動力を持つ者が強い力を持っていました。これを集中的に持っていたのが東京です。それが、これからは知力や知恵、情報が富の源泉になってきます。すでにそうなってきている分野も出てきています。そうであれば、なんでも東京だけに集める必要はないということになります。

家族形態も変わってきています。かつての農業の時代というのは、大家族で皆を支えるというのが特色でした。それが工業の時代になってくると、大規模農業にしても機械化などで核家族でもできるようになる。産業社会というのは、核家族化を進め、そこに特色があります。そして情報化社会の今は、個人が中心になってきています。

こうした様々な変化の中で、新しい時代に対応した国づくりが必要になってきています。工業化時代には、農産漁村から都市へ多くの人々が移住する中で、核家族化が進み、それに対応した都市・国土構造をつくってきました。しかし、情報化社会になるにつれ、個人を基本としたかなりパーソナルな社会になってきています。家族の絆は依然として大切なものです。そのため、個人を優先しながら新しい家族像をどうつくっていくか。また、個人を優先する時代に適した国土構造、日本の国の形をどのように創っていくかが求められていると思います。そのためのリーディングシティとして、新しい首都機能都市を造る必要があるのではないでしょうか。

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新しい時代のリーディングシティと首都機能移転

「首都機能を移転しなくても、東京を改造しながら今の国土構造のままで情報化時代も良いのでないか」という議論があります。しかし、今の構造のままで新しい時代に対応していくのは難しく、何か大きなインパクトを与える必要があると思います。そういう意味では、首都機能の移転は、大きなインパクトになるのではないでしょうか。

私は京都で30年ほど生活していました。その間、京都の都市計画、まちづくりに深くかかわったのですが、そのときに大久保利通などが明治初年に、首都を東京へ移したのはすごいことだと感じました。東京に首都を移したことによって、京都は京都文化を守れたのです。そして、東京は、産業革命の時代のリーディングシティとして何でも受け入れて、鉄とコンクリートとガラスの固まりをどんどんつくることができたのです。

京都文化とは、いわば農業文化です。要するに、江戸時代までの農業革命の時代の首都だったわけです。そこに超高層ビルや高架高速道路のような産業革命のシステムを、東京のように大量に持ち込むというのは、非常な難しさがあります。

一方、東京は産業革命の時代の首都です。日本は明治時代、東京に首都を移すことによって、近代化を達成するための機関車をつくったということです。首都をうまく移転できたので、その後の日本の発展があったのです。京都に首都を置いたままでは、農業文化と工業文化との文化的な衝突が起こっていたでしょう。また、今日のような工業社会の繁栄を日本はつくれなかったと思います。そして今、工業文化と情報文化の衝突の危険性が、東京で再び起こりつつあるのではないでしょうか。

東京は産業革命時代の首都です。ですから、東京圏外に情報化時代のリーディングシティを創るために、新しい都市像とは何かということを考え、日本の将来の文化遺産となるような街をつくっていくことが必要なのではないかと思います。情報化時代のリーディングシティとして、首都機能を移転する都市を新らたに創る必要があるのではないでしょうか。それが時代の転換に対応した様々な構造改革にもつながっていくと思います。

今、明治維新、産業革命に匹敵する大きな革命が起こっています。ですから、今ここで構造を変えることがとても大切なのです。日本の歴史、あるいは東京の歴史を考えてみると、東京は地方の利益や力を吸収することでできあがった都市です。例えば、地方で生まれ育った企業でも、成長すると本社を東京に移すため、利益も東京へ行ってしまいます。人材も東京へ出て行って地方に戻ってきません。そういう東京一極集中のシステムになっているわけです。今までは、それでうまく循環していました。しかし、東京は「もう地方の面倒を見られない」と言い始めています。そうであれば、東京に利益が集中する国土構造から、地方自らが力を出せるような国土構造に変えていく必要があるのです。そのきっかけとなるのが首都機能移転だと思います。

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階層型ネットワーク構造から水平型ネットワーク構造へ

産業革命時代は、生産者の論理が中心になっていましたが、これからは生活者の論理を中心にしていかなければならないと思います。産業革命時代は、大企業ほどよいという形でした。しかし、これからは必ずしも大企業が良い時代ではなくなってくるでしょう。

今、銀行をはじめとして、社会システムが大きく変わってきています。そのため、これまでのサラリーマン社会を新しい町衆社会に変えていく必要が出てきます。東京に本社のある大企業を中心とした日本のサラリーマン社会では、地方は出発地で東京が目的地で、上がりの地域になります。地方を卑下し、東京に向かって出世競争をする中で、画一的な集団主義と地方文化の破壊が進みました。しかし、これからは、地域に住み、働きながら地域の文化や活力を生み出す「町衆」が主体となるような社会へと変わることが求められています。それぞれの地域文化のあり様が大きな力を持つ社会に変わるべきです。

ところで今の日本には、東京が上で地方は下だという上下関係の精神構造があります。この構造を変えなければなりません。一般の生活では、情報化によっていろいろなものが水平型ネットワークになってきており、大きくシステムが変わってきています。ところが、官僚機構、大企業、大学などは、依然として階層型のネットワークのままです。そのため、水平型ネットワークと階層型ネットワークのミスマッチによって組織がこれまでのようにうまく動かなくなり、組織の力が生まれなくなってきているのだと思います。

これからは、こうした階層的な上下関係をなくす時代だと思います。大きい小さい、中心と周辺はあっても上下関係でなく役割分担で協調できるシステムをつくり、中心と周辺の役割も、流動的になるようなシステムが必要だと思います。今は、階層的に東京が絶対的な中心で、他の地域は下位に属する「いなか」という構造になっています。いくら分権時代といっても、中央が上だという認識ですべてを握ってしまえば、形だけの分権で終わってしまいます。

成熟社会、知恵や情報の時代においては、こういった上下関係のない水平ネットワーク型の国土構造が必要です。首都機能移転は水平ネットワーク型の国土構造を創るための牽引力になります。

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構造転換を妨げる様々なミスマッチ

既に情報システムは水平ネットワーク化しており、社会構造も情報社会に適した水平ネットワーク型に転換する必要があるのに、国土構造や中央政府の統治システムが従前の階層型のままです。このミスマッチが、今日の日本が構造転換できない最大の問題であると思います。そこに手をつけずに、構造転換が進むはずがありません。

現在の都市再生政策も、東京への一極集中を再加速させているだけです。今、東京にどんどんマンションができて、都心回帰などと言っています。これは、東京に対する大都市中心型の都市再生のおかげでもあります。しかし、それが原因となって、地方ではもともと不良債権ではなかったものまで不良債権化しています。例えば、高崎は新幹線ができて東京まで約1時間という通勤圏となりました。その結果、東京からあふれ出してきた人たちが家を買って住むようになりました。そのときには、不良債権でも何でもありません。しかし、その人たちが公的資金を注入されて安くなった東京のマンションを買い、東京に帰えると地方の不動産は不良債権化してしまいます。要するに、東京が再生されるとともに、地方が疲弊していっているのです。これが今の東京再生の実情です。

また、人材供給の面でも、ミスマッチがおきています。優秀な人材の多くが東京に吸収されてしまい、地元には職がないために帰ってきません。そういう状況の中で、構造改革を進めようとしても無理です。しかし、人材が戻って来るのを待っていては、いつまでたっても何もできません。

地方分権も同じです。地方には人材がいないから分権は難しいと言いますが、分権化すれば「よし、やってやる」という人が帰ってくるのではないでしょうか。そうでなければ、いつまでも今と同じままです。いや、どんどん衰退していくでしょう。したがって、少々無理だと思っても、まずやってみるということが重要だと思います。

こうしたミスマッチがある限り、構造改革はできないのではないかと思います。逆に考えると、構造改革には首都機能移転が不可欠になってくるわけです。大きなインパクトの期待できる首都機能移転を行い、新しい国土構造を形成することで、ミスマッチをおこしている構造を改革することができるのではないでしょうか。

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百年の大計として考えるべき国土構造の再編成

これまでは、東京が機関車の役割を果たすことで、日本を引っ張ってきました。しかし、実は東京自身も今や危なくなってきています。今の東京は、病気で青白くなっているのに、ものすごいお金をかけて厚化粧をし、元気に見せているだけなのです。今、全国的に電車化しようと努力しているのに、東京が大きな機関車をつくるので、うまくいかない状況です。しかし、東京も今のままでは再び巨大な不良債権が生じるでしょう。JRでも電車化されるにつれて、機関車が要らなくなってきているところがありますが、それと同じような構造変化が今の日本で起こりかけているのです。

ですから、新しい時代における東京の生き方というものも模索しなければならない時期に来ているのではないでしょうか。明治・大正・昭和の東京時代から、平成は新時代に移行していかなければなりません。

京都が農業文化の首都とすれば、東京は産業革命時代における工業文化の首都として厳然としたものを持っています。京都は権力の東京に対して権威を持ち、伝統文化都市としての地位を築いてきました。京都は権威、東京は権力で来たわけです。しかし、東京の権力構造も限界に近づいてます。東京は国際化の中で世界の経済首都に移行するとともに、近代文化としての東京文化をつくり、その中で権威を確立する時です。そのためには、首都機能を外して東京改造をすることが非常に重要です。東京がしっかりしてくれれば、新しい首都機能都市も小さな都市で十分です。こうしたことを含め、百年の大計として国土構造の再構成を考えるべき時期が来ていると思います。

その1つとして、首都機能移転によって日本全体を、もっと自由に行動できるシステムにしてほしいということがあります。地理学ではメンタルマップ、頭の中の地図も研究しますが、今の日本人の多くはとても異常な頭の中の地図になっています。例えば、高崎から京都に車で行くとき、東京経由で東名・名神高速道路を使って行くと約640キロです。旧中山道から中央道を通って行くルートでは、約420キロです。要するに、220キロ短くなります。しかし、今はほとんどの人が前者のルートを通ります。これは、東京中心に国土交通体系が整備され、東京経由のほうが近いという意識と頭の中の地図ができ上がってしまっているからです。その結果、いつの間にか正確な日本列島の形が頭の中に描けなくなって、正確な政策判断、意思決定のできない人が多くなってきています。

東京にアクセスしやすいということは、逆にほかへアクセスしにくくなっているということです。東京を中心とした上り下りの交通体系によって、日本全体の交流を妨げているのです。東京が日本列島の交流をある意味で分断しているといえます。

「首都が東京にあるので便利だ。みんなが行きやすい」と多くの人がよく言います。しかし、それは一時的なものであって、これからの時代を考えたときもそういえるのか、特に東京以外の人は考える必要があるのではないでしょうか。

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新しい国土構造の形成と首都機能移転都市像

日本には今、「新しい国のかたちづくり」に向けた議論が必要になってきています。新しい時代が到来しつつあるという歴史認識に立ち、情報化時代の新しい国土構造をつくっていくということが求められているのです。そのためには、まず国づくりについて国民共通の哲学をつくる必要があります。歴史認識や空間認識に基づいた理解しやすい国土開発哲学をつくり、国民だれもが夢を持って国づくりに邁進できる首都機能移転論を展開する必要があるのではないでしょうか。意識構造と国土構造、ソフトなものとハードなものがしっかりとリンクしていなければならないと思います。こういったことは、首都機能の移転だけでなく、これからの国づくりのすべてに関わってくることだと思います。

また、首都機能が移転していく新しい都市には、水平ネットワーク型の都市構造によって、上下関係のない開放的な地域・人間関係を持つ都市像を具現化することが重要だと思います。その上で、情報化時代の美しい日本の街をリードするような、小さな高品質の都市をつくっていくことが求められるのではないでしょうか。単なる行政都市ではなく、国際政治都市として世界に認知してもらえる街をつくることが必要なのです。それが同時に政府の進めている観光立国のシンボルにもなってくるのではないかと思います。

私は今、月に1、2回京都に行っていますが、京都駅のロビーに蛇の目傘が置いてあったり、毛氈が敷いてあったりするのを見かけます。それだけでも、やはり雰囲気が少し違うのです。これは京都の文化ですが、これからの時代の日本文化とは何かということを皆で考え、創り出していくことが重要なのではないでしょうか。

また、東京の都市景観を批判する人が多くいますが、私は皇居、中央官庁のあるあたりは世界的に見ても美しい都市景観と思います。このようなまちを創り上げたことは、明治以降の日本の近代化における一つの成果です。次の時代においては、それを真似するのではなく、新しい時代・情報化時代の首都像をみんなで創っていかなければなりません。

そのときには、五感で魅力を感じることのできる街を形成することも必要になってくると思います。個人の時代になってくると、人と人とが出会う場の楽しさが重要になってきます。また、界隈性・喧噪性を持ちながらも、美しさ・質の高さを保持していくことが求められています。これからは豊かな日本だからこそできる人間中心の街、皆が英知を出し合い、新しい時代の世界に範となる人間中心の街をつくっていかなければなりません。

我々は、ようやく高い水準まで到達したのですから、少々経済成長が悪くなっても慌てることなく世界をリードしていけるシンボル的な都市を創ればよいのではないでしょうか。それが、東京に代わる首都機能都市であり、新しい首都機能都市は21世紀におけるモデル都市づくり・リーディングシティづくりだと思います。

今の日本にとって首都機能移転は緊要の課題であると、私は思っています。首都機能を移転させ、新しい21世紀におけるモデル都市としての1首都機能都市を創ることは、全国民の生活を幸せにすることに繋がります。しかし、なかなか国民はそれを理解してくれない。そこで、これから検討しなければならないこととして、「小さな首都機能都市を創り、分権型の国土構造にしたらこうなる」ということを国民だれもが明確にわかるように示す必要があります。それをできるだけ早く国民に示して、構造改革を推し進めることが重要なのではないでしょうか。

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