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「新しい都市像に求められる演出」

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石井 幹子氏の写真石井 幹子氏 照明デザイナー

東京都生まれ。1962年東京芸術大学美術学部卒業。フィンランド、ドイツの照明設計事務所に勤務後、1968年に石井幹子デザイン事務所を設立。

都市照明からシャンデリア、レーザー、発光ダイオードまで幅広い光の領域を開拓するほか、光文化フォーラム代表としても国内外の光文化の継承・発展に力を注いでいる。2000年に照明デザインへの貢献により紫綬褒章を受章したほか、国内外での受賞多数。

主な作品に、国際花と緑の博覧会「光ファンタジー館」(1990年/北米照明学会大賞)、「レインボーブリッジ」(1994/北米照明学会大賞)、「明石海峡大橋」(1998年/北米照明学会優秀賞)、「名港中央大橋」(1998年/北米照明学会特別賞)、「山口県国際総合センター」(1998年/国際照明デザイナー協会優秀賞)など。

著書に「光未来」「光の21世紀」「光の総景」「光無限」などがある。



新しい都市をつくることの意味

首都機能を移転するための新しい都市をつくるということは、本当に長い間、大勢の方々の英知を結集して多角的に討議されてきたと思います。これほど長い時間をかけて、国土の形成、そしてその中心となるべき都市をつくるということを系統立てて計画したことは今までになかったと思います。幾つかの場所が候補に挙がり、私もほとんどすべての場所を見せていただきました。そして、日本の様々な場所で、現実にどういう都市像ができるのかということを考えてきました。

どの場所も日本の代表的な景観になり得る要素を含んでいると思いましたが、それぞれに一長一短があったと思います。ですが、そういった現実的な場所についての問題は別として、21世紀に新しい都市をつくっていくということを討議するのは、いろいろな意味で新しい創造の場となるだろうと思っています。

日本の歴史を見てみますと、奈良平安のころには首都を移すという壮大な計画が幾つか行われたわけですが、それ以降は極めて自然発生的に都市ができてしまっています。殊にこの100年、明治以降の首都の自然肥大ぶりは目に余るものがあると思います。それを一度、いわば戦後たまってきた「あか」を洗い落とし、ある意味でダイエットをしながら新しいものをつくっていくということが求められているのではないでしょうか。新たな出発を果たすために現在の英知を結集して新しい都市をつくるということほど、今の日本にとってふさわしいプロジェクトはないのではないかと思います。

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ショーケースとしての首都機能移転新都市

実験的に何かをつくってみるという意味では、かつて19世紀の終わりぐらいから、博覧会が相当の役割を果たしていた時代があったと思います。日本でも、1970年の大阪万博が大きな役割を果たしました。ただ、それ以降の博覧会は小規模になり、地域限定型のようになってきて、大きな発言力を持って時代をリードするということではなくなってきました。情報が瞬く間に伝達するようになったというような様々な外的要因もあって、かつて博覧会が持っていた機能が変化してきたということだと思います。

そういう意味で、これからは新しい都市をつくるということが、一つのメッセージ性を持ち、技術の進歩を示すと同時に新しいライフスタイルを提案するということにおいて、ショーケース的な役割を果たしていくのではないかと思います。かつて、アメリカのワシントンが整備されたときがそうでした。大きな公園をつくり、たくさんのすばらしい博物館や美術館、官庁をつくりました。ワシントンは、アメリカの最もすばらしい未来がわかるショーケースとしてつくられたのだと思います。

ですから、首都機能が移転する新しい都市に来れば、日本の未来はもちろん、東アジア全体の未来がわかるようなものにできれば、すばらしいのではないかと思います。そのときには、ぜひアジアの人たちに大勢見に来てほしいと思います。2010年には、東アジアの交流人口が1億人になると言われています。仮にその半分の人が来たとしても、年間に5000万人が訪れるわけです。新しく首都機能が移転する都市には、そのような大交流地になってくれることを期待しています。

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都市演出における「夜景」の大切さ

訪れる人をもてなすという意味でいえば、都市の夜景というものも非常に大事になってきます。夜景というのは、昼間の風景よりもある意味でインプレッシブなのです。ですから、どこの国の首都でも夜景を重視しています。夜にその街を見せるということは、もてなしということ以上に、都市文化のアピアランスにもなっているのです。

例えば、各国で大きなイベントを開催し、首都でお客様をもてなすときには、本当に工夫を凝らして夜景を演出しています。ローマでは、深夜でも特別にライトアップをして見せています。パリでも、国際会議などのときには、必ず関連する場所を特別にライトアップします。昼間は会議やミーティングなどをして、夜に食事をした後で街を見せるわけです。というのも、それが演出上一番有効なのです。ステージと同じで、闇の中で見せたいものにポッと光があたっているということが、都市を特徴づけるのに極めて有効ということだと思います。

今度の新しい都市は、一大新観光スポットとしての演出ということも大事になってきます。そのときに、本当に日本的な夜景を見せることができて、それが皆さんの心にしみるようなものになれば、大変よいのではないでしょうか。

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21世紀型の都市像とは

21世紀型の東西合併後の都市とは一体何だろうかということを考えてみますと、例えば、ブラジリアやキャンベラ、ベルリンなどといった様々な都市が20世紀に形成されてきました。しかし、必ずしもうまくいっているとは言えません。21世紀における都市形成には、新しいテーマが必要ではないかと思います。

その一つは、環境ということになると思います。照明ということから次の都市像を考えてみますと、やはりエネルギーをどのように使っていくかということが大きなテーマになるのではないかと思います。つまり、できるだけ少ないエネルギーで最大の効果をあげる都市であってほしいということです。

そこでは、太陽光発電、風力発電、地熱発電などができるのであれば、もちろんそれも望ましいと思います。ですが、そのような自然エネルギーを使うよりも、むしろバイオマスなどを利用し、ゼロエミッションを達成できるような自然共生型の都市を創っていくということが求められるのではないでしょうか。私がイメージする21世紀型の都市とは、まず高層ビルが林立しているというようなものにはなりえません。これは、ニューヨークに代表されるような20世紀の工業化時代における都市像です。

21世紀型の都市というのは、これまでと全く違ったものになるのではないかと思います。まず小さな都市であること、そして低層の都市であることが求められるのではないでしょうか。また、それと同時に日本の風土に極めてなじみやすいものでなければならないと思います。

結局のところ、風土になじみにくいということは、極めてエネルギー消費が高いものになってしまう気がします。ですから、今まで都市をつくるときに忘れられてきたことを、もう一度復権できないかと思います。日本のように森林の豊かな国は世界的に見ても少ないわけです。最近、中東の様々な映像が流れる機会が多いですが、それを見ますと、本当に草木の少ないところであることがわかります。日本は、放っておけば美林になるという、世界でも珍しい恵まれた気象条件、風土条件を持っています。もっと真剣に木を使うということを考えられないだろうかと思います。

また、日本は、水も豊かで恵まれています。にもかかわらず、景観からいっても、使うことからいっても、日本人は水を大変粗末にしてきたのではないでしょうか。そして、四季折々の変化がこれほどすばらしいところはほかにありません。そういうものを、新しい都市にどういう形で取り入れていくかを考えていく必要があると思います。

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日本人としての「五感」を取り戻した都市デザイン

これからの新しい都市をつくっていくときには、日本人が大事にしてきた固有の文化をどれだけ継承し、発展できるかということが、フィロソフィーも含めて非常に大事ではないかと思います。日本人というのは、元来自然に対してとても繊細で、センシティブです。俳句などが象徴的だと思いますが、短いセンテンスの中に季節感や日本人の自然に対する感覚を入れて、つくられてきたわけです。しかし、そういったものは、今ほとんどなくなってしまったと思います。

これからの都市を考えるのであれば、日本的な季節感をいかせるような空調というものがあってもよいのではないかと思います。夏はちょっと暑くてもいいのです。暑いからこそ、麻の服や沖縄の芭蕉布などに価値が出てくるわけです。日本的な感覚というものをもっと取り入れることを考えてもよいと思います。

また、今はいろいろなところでBGMがかかっていますが、かつては水のせせらぎや木の葉を渡る風の音などの自然の音を大事にしていました。だからこそ、茶の湯の釜の煮え立つ音などが美しく感じられたわけです。こうした日本的な感覚の音というものを取り入れていくことを考えるとよいと思います。

これからは、こうした日本的な感覚をきちんと思い出し、大切に継承してつくっていくことを考えていくことが大事なのではないでしょうか。そういう意味で、新しい都市をつくっていくときに、日本人が本来持っていた「五感」を取り戻すことのできるようないい街をつくる実験をしていただきたいと願っています。

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照明から考えるこれからの都市づくり

21世紀は、日本人のライフスタイルが大きく変わらなければ、皆が不幸せな気分で過ごさなければならなくなってしまうように思います。ですから、新しい首都をつくることが国民の方々にとってライフスタイルを考え直すようなきっかけになっていけばいいのではないでしょうか。

照明でいえば、私は「光」で街をつくるのではなく、「あかり」で街をつくるということが大事だと思っています。「あかり」とは、自然の光ということではなく、懐かしい光、優しい光のことです。私ども日本人の原風景には、障子越しのあかりが家の中から漏れてきて、それが田んぼの水面に映っているというようなものがあると思います。奥飛騨の白川郷の照明を手がけたとき、私が「これぞまさしく日本のあかりだ」と強く思ったシーンです。このような本当に温かで優しいあかりこそ、日本人が何百年もの間、稲作と一緒に抱いていたものだと思います。新しい都市は、こうしたあかりの原風景でできている夜景が実現できるような街であってほしいと思っています。

もう一つは、例えば、地球の24時間は、昼の時間が12時間、夜の時間が12時間ですね。そのちょうど中間に、季節によって違いますが、朝焼けと夕焼けの時間、いわゆるトワイライトタイムというものが1,2時間あります。今の私たちの生活の中ですと、朝焼けの時間はそれほど体験できませんが、夕暮れの時間はだれでもが体験できると思います。そのときの風景が都市の景観に生かせるようになれば、そこに住む人たちにとって、大変幸せなのではないでしょうか。

そういう都市をつくることの一番のねらいは、日本人そのものが変わっていくということだと思います。大企業の方や官庁の方をはじめ、今は誰もが非常に忙しくてトワイライトを楽しむどころではありません。これからは、昔から日本人がずっと培ってきた暮らしの知恵のようなものを大事にしながら、日本ならではの都市景観をつくっていく。その上で、一人一人が豊かな人生を送れるような都市をつくることが、21世紀には大事になってくるのではないかと思えてなりません。

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