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「首都機能移転を具体的に進めるためにすべきこと」

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川村 亨夫氏の写真川村 亨夫氏 早稲田大学大学院教授

1951年福岡県生まれ。慶應義塾大学卒業後、住友銀行入行。東京、ニューヨークで勤務。その後、マイアミ大学大学院、ハーバード大学大学院で国際関係論、国際法を専攻。

1983年国連ニューヨーク本部に入り、国連事務総長室法務官として国際問題を法的側面から分析した。その後、国連本部財産査察審議会議長の兼務を経て、1997年4月より現職(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)。ケンブリッジ大学国際法研究所、ニューヨーク大学法律大学院、オックスフォード大学大学院、ジョージタウン大学法律センターの客員研究員を歴任。



首都機能移転と日本人の遺伝子の関わり

国会等の移転に関する議論が始まってからだいぶたちますが、私はこれまでの長い期間は決して無駄ではなかったと思います。日本人の遺伝子にかかわる大きなテーゼが掲げられたのだという気がするのです。というのは、これまでに指摘があったように、日本という国は行き詰まったら都をかえて、そのたびに気分を変えてきたといいますか、体制を一新してきました。江戸に幕府を開いたときでも、公家や僧侶などを政治の舞台から除くことで、旧体制の様々な影響力を廃した新しい国家体制をつくったわけです。江戸以前においても、平城京から平安京への遷都などでそういったことが行われてきましたから、日本人の遺伝子には割とビビッドに反応するテーマなのだと思います。ですから、新しいテーマが突然降ってきて、1から考えなければならないということではありません。しかも、我々の先祖も同じように悩んで、実行してきたことなのです。

明治維新のときには、大久保利通が遷都ということを明白にしないまま、実質的に「天皇の東京への行幸」という知恵を出して、新しい体制を固めました。そう考えると、首都機能移転というのは、日本の歴史上初めてやる作業ではありませんし、たびたび行われている作業だということが分かります。

ですから、首都機能移転とは「やるかやらないか」という二者択一を突きつける問題ではないと思います。先祖たちも実際に遷都を行うことで良い体制をつくり、その積み重ねとして日本の長い歴史があるわけです。そういう意味で、日本人にとって首都機能移転は割と受け入れやすいテーマなのではないかと思います。

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3地域への分都という考え方

現在の首都機能移転問題に関しては、既に経済効果、環境問題、危機管理など、様々な角度からほとんど言い尽くされていて、これ以上の議論は出ないのではないかという気がします。基本的なコンセプトはもうほとんど出尽くしているのではないでしょうか。

平成11年12月の国会等移転審議会の答申で、栃木・福島地域、岐阜・愛知地域、三重・畿央地域の3候補地が選出されたわけですが、今まで出された様々な資料をもとに考えますと、この3地域への分都が望ましいのではないかと思います。私はずっと海外にいましたので、この問題について先入観があまりありません。また、出身地が福岡ですので、どこに肩入れしようということもありませんので、公平に考えると、私も含めた利害関係のない一般国民のコンセンサスはその辺にあるのではないかと思うわけです。今の時期、そんなに大きなお金をかけるわけにはいきませんし、一番現実的で、しかもさりげなく国民の大きな抵抗を受けずに進めることのできる方法として3地域への分都があるのではないかと思います。

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ドイツと韓国における首都機能移転

分都を含めた首都機能移転について諸外国の例を見てみますと、ドイツの場合は、日本と少し違うのではないかという気がします。首都をボンからベルリンに移して首都の機能を分けたわけですが、将来的には「ヨーロッパの首都」を見据えて、ベルリンを東西両ドイツ合併後のシンボリックな都市として復活させたいという狙いがあるように思います。

韓国でも、首都機能移転の計画が進んでいます。日本でも韓国の状況はいろいろと研究されていると思いますが、やはり非常に意味のあることだと思います。韓国では行政と経済を担う都市としてソウルがあるわけですが、実は軍事的に見ると極めて弱い。しかも、青瓦台(大統領官邸)の裏にある山を越えると38度線があるということから、危機管理に非常に弱くなっています。日本は島国ですから、首都が仮想敵国の北朝鮮に隣接している韓国と少し違うのですが、ソウルの機能を分散させようという考え方自体は、日本にも通じるところがあると思います。また、日本にとっては、韓国におけるスピードの速い論議と、その実行過程は非常に参考になると思います。

ただ、韓国の場合でも、相当数の官僚が新しい行政首都に移らなければなりません。ですから、最後のところのコンセンサスというところでかなり抵抗があるのではないかと思います。逆にドイツでは、ボンとベルリンで首都機能を分けていてもあまり抵抗がないようです。ドイツの場合、同じ省庁でも部署ごとに二つに分かれていますが、大臣などがテレビ電話を使ったり、決裁のためにボンとベルリンを行き来したりということで、あまり不都合は聞こえてきません。

これは、ボンとベルリンが官僚の人や大臣がそれほど不平を言わずに行ったり来たりできるという距離感にあるからではないかと思います。

ドイツの例を見ながら日本のことを考えると、物理的にスムーズに動くことのできる「距離感」が重要だという気がします。

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これから訴えるべきものとは何か

日本の首都機能移転は、パンフレットなどを見ていますと、あまりにも美しく描かれすぎているのではないかという気がします。新しい首都機能移転都市のイラストを見ると、ワシントンのポトマック河畔やキャンベラというような感じになっていたり、高原都市をイメージさせるようなものになっています。こういうものを見ると、多額な費用がかかるという意識も高まりますし、しかも首都機能移転というのはそれほど美しい話ではないという気にもさせます。日本人にとっての首都機能移転とは、もっと身近で、先祖もいろいろと考えて実行してきたものです。

私たちの先祖も、今と同じように遷都を企画したときには、候補地がたくさんあったのだと思います。特に、平城京から平安京に移るときには、当時の大和の一帯をあちこちと探しまわっています。その当時の平安京というのは、これまでの都より相当北にあってよく分からない地域でしたが、そこへ都を持っていきました。そういったいろいろな経験を我々の祖先は持っていました。今回の候補地の選び方でも、実に知恵の詰まった選定がされたと思います。選定された3地域は、どこも反対があがらないようなうまい選ばれ方をしているのではないでしょうか。

ただ、国民や有識者の人たち、特に東京ご出身の人たちが抵抗感を持っているのは、この3地域のどこかに全部を持っていくという意識があるからだと思います。1箇所を選ぶということになると、残る2地域は今まで何をやっていたのかということにもなりかねません。今までの議論の中では、選ばれた3地域で「ここはおかしい」というような議論が本質的になかったわけですから、選ばれなければせっかくステージに上がったのに、ぬか喜びに終わっただけということになってしまいます。

具体的にどこへどのような首都機能を移すのかということになれば、またいろいろと議論が出てくると思いますが、重要なのはそこではないでしょうか。歴史的に見ても、首都機能移転というのは10年単位ぐらいで構想されて、実行に移されています。今回の首都機能移転については、構想されてから相当たちますし、ガス抜きの議論も含めてほぼ言い尽くされています。そういう意味では、この3地域をもとにして、分都を前提に実質的な首都機能をどの地域に割り振るかという作業に入る時期にきているのではないかという気がします。

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危機管理体制の充実と首都機能移転

それでは、どのようにすればこの議論に最終のアクセルが踏まれるかということですが、一つには危機管理がきっかけになると思います。差し迫った危機管理というと、まずテロがあります。それから、周辺地域からの脅威やサイバーテロということもありますから、この三つに対応する必要があると思います。

今の東京がこうした危機に対して強い都市かというと、そうとは言えません。まず、司法と立法府、行政機関と経済機能、国事行為を行う天皇がいらっしゃる皇居があまりにも近すぎます。攻撃する側からすれば、わずか10キロ四方の範囲にミサイルを撃ち込めばいいわけですから、極めて狙いやすいということになります。こうした非常に脆弱な部分を分散していく必要があるように思います。

日本は今、政府をはじめとして電力会社やガス会社、水道局などといったライフラインを支えているところの電子上のセキュリティが極めて弱い状況にあります。しかし、現状のままそれを強化しようとすると、東京の地下を掘り直して光ファイバーを入れ直すというようなことをしなければならないため、莫大な経費と時間がかかってしまいます。とてもそんなことはできないように思います。そうなると、インターネットセキュリティ等がほとんど確立できないまま、私たちのライフラインが放置される状況になってしまいます。

ボンとベルリンの場合、テレビ電話の配線網や光ファイバーを引いて対応しているということもあるのですが、日本の場合は危機管理の面からライフラインを支える部分を新首都にかなり持っていって、そこで最も新しいセキュリティを確立した施設をつくる必要があると思います。このようなことは、東京で経費と時間をかけるよりも、新首都でやった方が早いのではないかという気がします。

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首都機能移転を進めるときに忘れてはいけないこと

ちょうど今、テロ対策や危機管理の必要性が強く叫ばれています。そういう話と首都機能分散とを結びつけられれば、国民のコンセンサスを得ていくことができるのではないかと思います。先ほども申し上げましたが、首都機能移転の問題はもう最終作業の段階に入るべき時期に来ています。その最終作業に向けて、旗を振るといいますか、「この話は進めたほうがいいですよね。もう最終的な作業に入ったほうがいい時期ですよね」という雰囲気づくりをすることが、今の時期には最も必要なのではないかという気がします。

ただ、分都を含めた首都機能移転の最終作業に入るにあたって、忘れてはならないことがあります。それは、3地域それぞれの知事、県庁や地域の推進協議会の皆さんなどに対して、「どのような首都機能が来ても、異存はない。これからの新首都の機能を担っていく地域としての意識をもつ」ということの徹底が意外と必要なのではないかということです。「どの首都機能が来たとしても、それを支えていただきたい」「地域エゴなどの感情的な部分を抑えて国家百年の新しい体制をつくることに協力してほしい」と説得することが必要なのではないでしょうか。地域によっては、「自分のところは国会に来てもらうつもりだったのに、最高裁判所が来てしまった。」というようなことにもなってくるでしょう。そうなると、雇用が少ないといったことや、移転に伴って移ってくる人が少ないといったことも出てくると思います。そういうことに対しては、今のうちからくぎを刺しておいたほうがいいという気がします。国家百年の大計として新しい体制をつくるという話なのですから、「地域のために」というよりも、「国家のために」というコンセンサスの醸成が必要なのではないでしょうか。

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「この指とまれ」方式に見るコンセンサスの醸成

コンセンサスを得るということについて世界的に見てみますと、地雷禁止キャンペーンの例が挙げられます。地雷禁止キャンペーンは、ジョディ・ウィリアムズさんというNGOの女性が中心になって行われていました。当時、私は国連にいましたので彼女が地雷禁止のために国連に来られたことを覚えていますが、地雷禁止というのは当時「この人は何を考えているのだろう」という感じでした。しかし、彼女のアプローチが非常に画期的であったがゆえに40代でノーベル平和賞を受賞するまでになったのです。それは要するに、「この指とまれ」方式で行われたものでした。

当時、国連加盟国は181カ国ぐらいだったのですが、彼女は国連に来て「この指とまれ」ということで、まず地雷に反対の国を集めました。最初、賛成だった国はアフリカの小国など、地雷に悩まされている5カ国から10カ国程度でした。しかし、毎年、決議案のドラフトを書き、地雷がいかに恐ろしい兵器であるかということを言い続けていったのです。そうすると、地雷に反対して決議案に賛成する国が少しずつ増えていきました。

地雷が一番悲惨な兵器だと言われるのは、踏んで爆発したとしても死ぬのではなくて、足だけが飛ばされることにあります。死んでしまったら同僚の兵士は見捨てていけるのですが、足だけを飛ばされた兵士は同僚の兵士が抱えて行軍をすることになります。それで狙い撃ちされやすくなるわけです。

そういう悲惨な現実を知らしめながら、決議案を書いて「この指とまれ」を続けていくうちに、彼女は賛同国を50カ国、60カ国と少しずつ増やしていきました。国連加盟国の3分の2以上の賛成があると、その決議は効力を及ぼします。あるとき突然3分の2を超え、国連決議として対人地雷禁止条約が採択されたのです。それが各国で批准されると、国内法を国会にかけなければなりません。日本の場合も、小渕首相のときに対人地雷禁止条約を批准して、国内の地雷を全部処理しました。

これは、結果的にいうとウイリアムズさんが「地雷は悲惨な兵器だからやめよう」と言い始めて、10年ちょっとで実現してしまった話です。彼女がどこからヒントを得たかといいますと、それはフロンガスの排出規制です。そのときも、各国の産業界は反対したのですが、「この指とまれ」方式でやってみたところ意外とうまくいった。彼女はそれを地雷にも適用したわけです。

この方式は、首都機能移転の問題を進めるときにも通じるところがあると思います。「私たちの先祖もやってきたことだ」「体制が行き詰まったとき、世直しする処方箋の一つだ」「危機管理の面からも必要なことだ」というような大義を掲げながら、「この指とまれ」方式でコンセンサスを得ていくことも考えられるのではないでしょうか。

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もう一歩踏み込んだ首都機能移転の議論を

首都機能移転というのは、決して怖いことではありません。しかし、今の日本人には、すごい変化のように映っているように思います。私は国連に15年いて、5年前に日本に帰ってきたのですが、一番びっくりしたのは、変革に対してみんなが非常に恐れているということです。幕末のときには、体制の中に勝海舟のような変革者がいて、自ら体制を壊しました。ロシアもそうです。行き詰まったときにゴルバチョフが出てきて、自ら体制を壊しました。そういう先駆者のような人が体制側にいればいいのでしょうが、今の日本にはそういう人もなかなかいないというのが現状です。

そのかわり、いろいろなものが行き詰まったときの日本人の知恵として首都機能移転という方法があるわけで、この10年間モチーフを大事に温めてきたのだと思います。ですから、首都機能移転を推進するのであれば、「決して大変革を促すものでも、お金をかけるものでもなく、ブルドーザーなどで国土を壊してしまうものでもない」ということを国民に分かってもらうようにしなければならないと思います。平成の首都機能移転は、静かに、穏やかに、あまり金をかけずに行う新しいタイプの首都機能移転です。決して恐れるものではないということを、大義を掲げつつ説得していく必要があるのではないでしょうか。

今、全体的に何となく議論が進まないという状況がありますが、それは議論の土台となるようなアドバルーンが上がらないことにも起因しているのではないかと思います。ですから、まず思い切って具体案を出してしまうのも一つの手ではないでしょうか。例えば、この地域には国会の機能を移転するというような具体的な案を出せば、それに対する反応があると思います。その反応を見つつ、最終的な部分を調整していけばいいのではないでしょうか。現状の議論を進めるためには、もう一歩踏み込む必要があるように思います。今は、まさにそういう時期に来ているのではないでしょうか。

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21世紀に自信を持つために

平成の首都機能移転において大切なのは、速やかにさりげなくローコストでありながら終わってみると、よかったなと言えるようなものであることなのだと思います。そして、危機管理の面でも首都の機能が三つの地域に分散されることで、安心感を持って住めるような国土ネットワークを自分たちの手でつくったと思えることではないでしょうか。こうしたことを安上がりにできれば、21世紀の私たちの自信になると思います。

今の日本人は、基本的に1945年以来の体制のままやってきたというところがあって、自分たちの手で何かを変えたということがありません。ですから、おそらく30代、40代、50代の世代は自信がないのです。60代、70代、80代の人は、自分たちの手でご苦労されたという経験があるので、意外に自信を持っています。そうすると、迫力でも、議論でも勝てないということになるわけです。

ですから、今回の首都機能移転においては、ターゲットを30代、40代ぐらいの人たちに絞り込んで、これから少なくとも30年、40年と日本を担っていく人たちの手で実行してほしいという問いかけをすることも重要なのではないでしょうか。

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