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リスクを分散するために日本がすべきこと

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塩野 七生氏の写真塩野 七生氏 作家

1937年7月、東京に生まれる。学習院大学文学部哲学科卒業後、63年から68年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。68年に執筆活動を開始し、『ルネサンスの女たち』を「中央公論」誌に発表。初めての書き下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。

82年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。83年、菊池寛賞。92年より、ローマ帝国興亡の1千年を描く『ローマ人の物語』にとりくみ、1年に1作のペースで執筆中。93年、『ローマ人の物語1』により新潮学芸賞。99年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全7巻を刊行。



ローマ帝国の首都とその変遷

私は、これからイタリアで『ローマ人の物語』の13巻を書き始めなければならないのですが、この13巻でどのようなことを書くかといいますと、だいたいローマ帝国は広すぎる。ゆえに、4人が分割して統治することになったということです。3世紀中ごろの話ですが、正皇帝が2人、副皇帝が2人の4人の皇帝が、帝国の西方を2人で分担し、東方を2人で分担するというやり方をとりました。そのときの拠点となったのが、ライン川防衛線としてのアウグスタ・トレヴェロールム(現在のトリアー)。それから、イタリア防衛の要であるメディオラヌム(現在のミラノ)。あと、ドナウ川防衛線であるシルミウム(現在のユーゴスラビアのミトロヴィカあたり)。そして、オリエントの要として小アジアのニコメディアでした。

そして、4人の皇帝はこれらの都市を首都化しました。首都化するというのはどういうことかというと、まず皇帝の住まう皇宮の建設をしました。しかし、ローマ人はそれだけでなく、円形劇場や公会堂などを建設していったわけです。街道の類いは、もともとローマ街道がそこに集まっていたので必要ないのですが、都市機能に必要なものは公衆浴場まですべて建設しました。

しかし、それから1700年たって、大都市として残っているのは当時メディオラヌムと言われていたミラノだけです。あとは、よくて小さな都市、悪くてほとんど村みたいなものになってしまっています。ミラノは特殊な事情で残ったので、ほとんど残っていないと言ってもいいでしょう。これはどういうことかというと、都市移転でハードだけを移転したからといって、首都になれるとは限らないということです。ローマ人の考え方からいうと、大きな都市になるのは神々が住み着いてくれているところなのです。なぜかはよく知りませんが、それがあるからこそいろいろなものが蓄積されて、大きな都市になるわけです。

歴史上でいいますと、何故にここに首都ができたのかということは、時代によって違います。ローマの軍団基地がすべて後代の国々の首都になっているわけではないのです。ブダペストやウィーンは首都になっていますが、ロンドンは軍団基地ではありませんでした。ただ、当時のローマ街道は、ドーバー海峡からロンドンに行き、そこからヨークやカーディフなどの軍団基地に広がっていました。ということは、当時のローマ人にとって、何らかの重要性がロンドンにはあったのだと思います。

4世紀に入ると、コンスタンティヌス帝がコンスタンティノープルを建てて、ローマから首都を移転します。このときには、現代の国会にあたる元老院まで移転しました。これは、コンスタンティヌス帝が国教をキリスト教に変えるために、都市も変えなければならないと考えたためでもあります。というのは、ローマにはローマの神々が住み着いてしまっていてどうにもならない。ですから、神々が住み着いていないところに移ろうという感じだったのだと思います。おかげで、コンスタンティノープルは1200年くらい経つと、イスラムにとられてしまうわけですが。

ただ、このときにコンスタンティノープルにすべてを移転して、ローマには元老院をはじめとして何も残さないとなると、ローマが反発します。ですから、ローマにある首都機能を全部なくすわけにはいかない。コンスタンティノープルへの移転は、無理に新しく首都機能を持つ都市を1つ作って、首都機能をもつ都市を2つにしたということなのです。

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日本の課題としてのリスク分散

日本の場合は、だいたいの場所が地震帯の上にのっています。ですから、東京に首都機能のすべてが集まってしまっているというのは、多くの理由で不都合なことも事実です。その中でも一番はっきりと不都合だと言えるのは、リスク分散の視点からだと思います。それに、テロのような我々が今まで意識していなかった新しい脅威がたくさんでてきています。

そうすると、お金を預けるときと同じ心境にならなければいけないのではないかと思うのです。つまり、以前の日本の銀行は徹底的に安心でしたが、今では全く安心とは言えなくなってしまっています。夫の給料の振込先はA銀行、しかし、妻がパートで稼いだお金の振込先はB銀行というぐらいは、どこの家庭でもやっているでしょう。今や、多くの人がリスク分散について考え始めているということだと思います。こういったリスク分散という視点は、首都機能移転の場合でも絶対に考えておくべきことではないでしょうか。しかも、時間をかけて首都機能を移転させるというようなことではなく、すぐさま最小限の機能を移転させて機能できるようにしておくべきだと思います。

例えば、東京が地震か何かで機能しなくなってしまった。ゆえに、どこかに移ってすぐさま機能できるというようにはならないと思います。ですから、私は、いざというときのために首都の機能が2ヶ所といわず、4ヵ所くらいあってもよいと思います。そして、少なくてもそのうちの2ヶ所は同時に機能しているべきではないかと思うのです。

こうしたことは、5年、10年をかけてするべき問題ではありません。コンスタンティノープルを建てるのにも、当時でさえ4、5年でやっているわけです。あまり時間を長くかけてしまうと、求めるものが変わってしまうということもあります。

現在の首都機能移転の問題でも、随分前に首都機能を移転するという話がされた頃と、問題がものすごく変わっているのではないかと思います。時代が変わってしまったわけです。ただ、リスクの分散の必要性というのは、これからの世界、21世紀の世界でも変わらないものだと思います。

すべての首都機能を移転するのであれば、広いところとか、あらゆる意味でのインフラが完備しているといったことが必要ですが、ただ単にリスク分散のための移転でしたら、条件はずいぶん違ってくるのではないでしょうか。そう考えると、問題解決は意外に簡単なのではないかと思います。

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首都機能のリスクを分散する方法

首都機能を一括して移転しようとする場合にあっては、どこを移転先地とするかを国会での話し合いにより決めることは困難な面があると思われます。しかし、東京が移転するわけではなく、リスクを分散するための機能だけが移転するということにしたら話はまとまりやすいのではないでしょうか。

実際に、首都が崩壊してしまったときのことを考えてみましょう。エコノミストたちは「失われた10年」とよく言いますが、日本はいまだに世界第2位の経済大国です。その日本の首都が機能しなくなってしまったら、世界に及ぼす影響は大変なことになります。ですから、リスク分散という問題は、日本にとって必要であると同時に、世界の安定に対しても必要なことなのです。そういう意味で、日本の首都機能のリスク分散化は早急に解決すべき問題だと私は思っています。

そのときに、首都機能が1ヵ所にあるだけでは足りないから、「首都機能を分散します」ということを言っていけばよいのではないかと思います。日本には四つの島があるのですから、4カ所に分散させるということでもよいと思うのです。ローマは七つの丘からなっています。そうすると、何をするにも7つなのです。ローマ人にとって、「7」という言葉は、何となく縁起がいいように思わせる何かがあるのでしょう。それと同じで、「日本には四つの島がある。ゆえに、首都機能は4つに分散する」というようにするのです。4ヶ所に首都機能を移転するということになれば、リスク分散のための移転ということが明らかです。

20世紀に日本がした歴史的な事業の1つは、四つの島の間に橋やトンネルをつくってすべてを結んだということです。せっかく結んだのですから、それを大いに活用することを考えたほうがよいのではないでしょうか。場所はどうでもいいのですが、本州は広いので2つ、九州・四国で1つ、北海道が1つというような感じです。そして、東京ともう1ヵ所は少し大きめにしておいて、常に機能しているようにする。ほかの2つも、防災訓練と同じように時々訓練させて機能するようにしておく。これが、私の考えです。

東京が首都になったのはたかだか100年か150年のことですから、またも変えるといっても、国民の賛成を得るのは少し難しいと思います。しかし、リスクの分散ということであれば、賛成を得られるのではないか。何故かというと、お金の預かり先でさえも、国民はリスクを分散させようと思っているわけです。1つの銀行がだめになるかもしれないといっても、それはほんの小さな可能性でしかありません。それでも、2つの銀行が必ず機能していなければ困ると思っている。それと同じではないでしょうか。

マキャベリも言っていますが、一般の民衆は正確な判断を下せないのではなく、下す能力がないのでもありません。彼らはしばしば、抽象的なことを言われると、判断するのが難しくなるのです。しかし、具体的に言われたときには、相当正確な判断を下します。今までお役人たちは、国民がわからないように指導したほうがいいと思っていたかもしれません。しかし、今は時代が変わっています。ここで頭を入れかえて、具体的に判断できるような材料を示すべきです。

首都機能移転についても、「これをやったときには、これだけの費用がかかります。しかし、やらなければこれくらいの被害があります。世界に対しても、これだけの被害があります」と、具体的に見せる必要があると思います。「皆さんがお金の振込先を2つに分けているのと同じで、リスク分散のためには首都機能を4カ所に分散しなければならない」と言えば、結構わかってくれるのではないでしょうか。

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首都機能のリスク分散に必要な思考法

今、「ニーズを求めている」「ニーズに応じる」とよく言いますが、どうやってそれを正確かつ客観的に調べることができるでしょうか。世論調査というのも一つの方法だとは思います。そういうことになってしまいます。しかし、答えは皆違っているわけです。そのときに、多数決ではなく、自分がその立場になったら何が欲しいだろうということですすめればよいと思うのです。もちろん、そのためには客観的なリサーチが必要になりますが、自分ならば何が欲しいだろうという思考法が大事です。

首都機能の移転も同じです。東京が崩壊してしまうかもしれない。そういった条件下においては自分なら何が必要だろうということを考えるわけです。そうすると、結局リスク分散だということになってくるのではないでしょうか。それでは、リスク分散にはどういうものが必要なのか。そして、最低限の機能を移すにはどれくらいの場所が必要かということも分かってくると思います。

こうしたリスクを分散するために最低限の首都機能を分散するということであれば、お金がかかるとしても、絶対に必要な経費だと思います。しかし、リスク分散のために行うわけですから、多くのものは移転できません。リスク分散のために必要ではないものを移転するようなお金はありませんということをはっきりと言わなければいけません。そうすると、あまり利権は伴わないということも分かります。「雇用はあまり期待できません。それどころか、東京から人間を送りますから、現地の雇用というのは事務所の受付くらいです。」ということになれば、各地域の誘致運動も静まるのではないでしょうか。

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4カ所への首都機能分散で得られるもの

首都機能を分散するときには、余計なものは移転できませんということと同時に、とにかくまず1ヵ所やってみるということも大事なのだと思います。頭の中には4ヵ所への分散があるにしても、まず2ヶ所に機能を分散してみるということです。そうすると、実際に分散させるべき機能として何が必要か、どのような人材が必要かというようなリスク分散に最低限必要なものが分かってきます。ノウハウが蓄積されるので、3ヵ所目・4ヵ所目に何が必要になるのかもはっきりしてくる。最初の分散は試験運転だというくらいの感覚を持たなければいけないと思います。まず1つやってみて、それ以後のものを柔軟に進めていくようにすればよいのではないでしょうか。

そして、首都機能をリスク面から4ヵ所に分散することを考えたとき、そこに勤める人間を孤立させないようにすることも必要です。孤立してしまうと、島流しにあったように思う人もいる。それは困るので、必要な政府の役人などは始終その4つを渡り歩くようにするとよいのではないかと思います。

そうしますと、2つの面で有利です。まず、左遷されたと思われないということです。人間は常に帰ってこられるという保証さえあれば、そういう思いを感じません。また、例えば3カ月であれば単身赴任でよかったものが、長期になってしまうと家族を連れていかなければならなくなります。そうなると、子供のための学校や家族の住む官舎も建設するということになるわけです。ですから、まずは身軽にやっていけるようにするということだと思います。

それから、いざというときに4カ所のうちの幾つかがすぐにでも機能できるような体制にしておけるということがあります。普段は休止していても、何かあったらすぐに機能するためには、必要な人間が渡り歩く必要があります。やはり、首都というのは権力機構が残っていないといけません。人間の体と同じで、体の主要な血管に血液を送り出すための心臓だけは機能し、血液が回ってこなければ、その部分は腐ってきてしまいます。体の主要な血管に血液を送り出すことで、その腐りをなるべく防がなければなりません。そのためには、首相などが移ってきたとたんに権力機構の心臓部が機能する状態になっていることが必要です。そのようなことができて初めて、本当のリスク分散になると思います。ですから、東京がだめになってからということでは、機能しません。箱だけはつくったけれど、中身はできていないということでは、お金の無駄遣いになるのではないでしょうか。

ユダヤ人というのはどうして各方面で成功するのか。ディアスポラ(離散)してしまって、自分の国がなくなったユダヤ人の知恵がもしあるとすれば、それはノウハウに投資をしたことだと思います。

自分の国がなくなってしまって、仮にドイツに住んでいる。しかし、いつまで住めるかわからない。あちこちで常にそういう問題を繰り返していたわけです。そうすると、持ち運びができるものにのみ投資をするようになった。それは何かというと、技術とか頭です。金銀というのは、しょせん枝葉末節な問題です。ですから、音楽方面や科学などに投資をした。2000年間投資していれば、いくら何でもうまくなってきますよ。

我々がユダヤ人から学ぶべきことは、自分がいったん取ったものを、頑固に渡す、渡さないとやっているイスラエルのようなやり方ではなく、2000年間蓄積してきたものを学ばなければならないのです。国会等の移転というのは絶好のチャンスです。ハコの問題ではありません。ハコを議論しないと具体的でないような気がする人達もいるかもしれませんが、そのようなことではないのです。国会等の移転から、最終的に私たち日本人が得るであろうものは、リスク分散のノウハウなのだと思います。

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四国のフロリダ化

今、イタリアでは本州とシチリア島の間に橋を架けようということで大騒ぎしています。内閣はやると言っています。もう調査に移っていまして、用地の買収などを始めています。これができると、吊橋のスパンが明石海峡大橋よりも長くなる。そのときにいつも話が出るのは、日本の橋の技術です。あれは、やはり技術的にすごい成果なのです。

せっかくそんな橋を3つも作ったのですから、利用するにはどうしたらよいかということで、私は「四国のフロリダ化」ということを考えているのです。四国をアメリカのフロリダのようにすればいいのではないかということです。

このごろ、年金をもらい始めた夫婦が外国に行ったほうがよいと言っています。私のように外国の生活が長いと、外国で老後を過ごすなんてそんなに簡単なものではないと思うのですが。夫婦は一緒でなければ駄目、しかも言葉ができなければ駄目。夫婦のうちのどちらかが死んでしまったら、1人では絶対にいられません。それから、病気にでもなったら、途端に日本に帰る。どういうことかというと、日本は年金を払っていて、それを外国で使われるわけです。それで、介護保険が必要なころになって戻ってこられてしまう。それは困るので、やはりなるべく国内で使っていただきたいわけです。

そのためには、フロリダのように老後を過ごしやすい場所があればよいのです。四国は気候もよいし、食べ物もよい。しかも、橋も3つ建ててしまっている。今、3つの橋は何か文句を言われていますが、すばらしい橋を立てたのですから使おうではないですか。「これだけの費用がかかって、これだけ採算が取れない。しかし、どうやったら別の面で何とかできないか」と考えたのが四国のフロリダ化です。

シニア世代が何を求めるかといいますと、医療施設と文化施設です。四国ではすばらしい音楽家が音楽会をしたり、由緒ある歌舞伎の劇場もあるのですから、それを利用すればよいのです。温泉もありますし、おいしい食べ物もたくさんあります。そうしたら、私だって行きたいと思います。終の棲家にならなくても、半年だけ住んで、台風の季節に戻ってくるということでもよいと思います。橋の通行料なんてただにしてしまってもいいわけです。国民にすばらしい老後を暮らしてもらう。それくらい魅力的なところであれば、両親を訪問するために子どもたちが来るのも楽しくなると思います。

このことがうまくいけば、日本人の多くがセカンドハウスを持つということにもつながっていきます。セカンドハウスは買わなくてもいい。ある期間だけ借りるということでもいいのです。これは、日本人に複数の場所を常に機能させるということを見せるのに最適なことでもあるのです。人間の心と頭というのは、あるところまで行って放っておくと、その進行状態が遅くなる。しかし、時に別の要素でプッシュしてあげると、勢いを取り戻して活気が出てくるということがあります。ですから、魅力的な刺激を与えればよいと思うわけです。彼らがセカンドハウスを魅力的と思うのであれば、それが日本にとっても首都機能の分散という魅力的な刺激が重要であるということにもつながるのではないかと思います。

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柔軟なきりかえのすすめ

日本の官僚は、予定していない事態に陥ると、途端にあわててしまうところがある。失礼ながら、それは本当に頭のよいことではありません。頭のよいというのは、予定していない事態に直ちに即応できるということです。おそらく日本の官僚は、柔軟に切りかえができる頭のよさを持っていると思うのです。ただ、それにはやはり訓練が必要です。

柔軟ということであれば、主婦的感覚も役に立ちます。何にせよ、やるのであればうまく利用しようではないか。今日食べなければ腐ってしまう材料が冷蔵庫に入っている。それなら、自分のメニューを変えて、それを使ったメニューにする。これが主婦の感覚です。

ただ、そうはいっても主婦的感覚ばかりでは、品格がなくなってしまいます。国民を説得するためには、やはり具体的な話だけではなく、色づけが必要になってきます。つまり、フィロソフィーという色付けです。

お金の話ばかりをしていると、反対しやすいのです。そうではなく、「これは日本の大戦略の問題であり、日本の存亡の問題である。」などと言うと、ちょっと話が上等になるわけです。実際は、お金の問題かもしれません。しかし、お金だけでは動かない人を動かさない限り、大事業はできないわけです。かつての日本列島改造論は、具体性とフィロソフィーという両輪で行かなければならないところを、具体性だけで行ってしまった。それで、多くのことはもっともだったのですが、何となく反対されてしまったわけです。

マキャベリではないですが、政治というものは可能性の技能ですから、可能にしなければ話にならない。実現しなければ意味がないという意味で、小説や詩とは違うのです。小説や詩は、今読まれなくても、次の世代で読まれるかもしれない。しかし、首都機能の移転は、今実現しなければ次の世代に実現するのかという気がします。今はテロの危険もあるし、地震も経験しているわけですから、リスク分散のためにぜひ進めていただきたいと思います。

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計画の立て方、すすめ方

イタリアでも、平たいところに新しい町を作ると、実に淡々と2つの通りを交差させて、何をどこにおいてとやっています。ところが、首都であるローマだけは、7つの丘があったこともあって、都市計画ができていないのです。こちらに付け足し、あちらをやめるということを続けてきて、1人の建築家の頭から生まれたものではありません。だから、面白いのです。

完璧な計画になっていると、時代が変わって必要なものができても、その中に何も入れられなくなってしまう。そうすると、キリスト教徒がやったように、競技場を壊してそこに法王庁を建てるというようなことになるわけです。

ですから、首都機能の分散ということでも計画を出さなければならないと思いますが、そのときに完璧な計画案を立てないほうがいいと思います。基本だけはしっかりと通っていて、いつでも中身を動かせるようにしておくということです。今は、そういう案が必要になっていると思います。つまり、まちづくりがローマ的なまちづくりになるわけです。基本だけしっかりして、「計画の1合目まではこれです。2合目・3合目はおいおい決めます。」ということで始める。そうすると、費用も非常に少なくて、皆がオーケーするのも簡単になると思います。

これは、ハードのハコものだけを移す、移さないというような問題ではありません。私は、時代の要請だけでなく、ハードな要請、ソフトな要請すべてを含んだ戦略だと思います。明らかに、これからの日本の戦略なのです。そのためには、頭から利権のことなどを切り離して、日本の将来を決めるにふさわしい目線でやっていただきたいと思っています。

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