ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 地域社会の「共創」と首都機能移転

国会等の移転ホームページ

地域社会の「共創」と首都機能移転

講演の一部を音声でお聞きいただけます

(注) 音声を聞くためには、Windows Media PlayerまたはRealPlayerが必要です。
Windows Media Playerのダウンロードページへ real playerのダウンロードページへ


井上 繁氏の写真井上 繁氏 常磐大学 教授

1941年生まれ。1964年早稲田大学第一政経学部卒業、日本経済新聞社入社。自治、地域、都市問題担当の編集委員、論説委員などを歴任。社説、時評などを執筆した。

2000年に常磐大学コミュニティ振興学部教授。日本経済新聞社社友。2004年より常磐大学大学院コミュニティ振興学研究科教授を兼務。専門は地域政策、地域連携戦略、地域づくり。

都市計画中央審議会委員、伝統的工芸品産業審議会委員、産炭地域振興審議会委員、経済審議会特別委員などを歴任。現在、国土審議会特別委員、水産政策審議会委員、地方自治経営学会理事。

主な著書に『自治体の地域政策』(同友館)、『共創のコミュニティ』(同友館)、『地域連携の戦略』(同友館)、『都市づくりの発想』(丸善)、『市民主導の都市創造』(同友館)、『まちづくり条例』(ぎょうせい)、『変容する日本の都市』(同友館)、『地域づくり診断』(同友館)など。



首都機能移転を必要とする三つの理由

熱しやすく冷めやすいのは日本人の習性なのでしょうか。国会、あるいは国民の首都機能移転に対する熱は冷めてしまったというのが率直な感想です。直近では1990年代、新聞やテレビでかなり報道、論評されましたが、21世紀に入ってからは、移転候補地として挙がった地域を除いてこの問題がマスコミで取り上げられることも極端に減ってしまった感じがしています。しかしながら、首都機能移転の必要性は、主として3つの理由からいささかも変わっていないと私は認識しています。

まず第1に、東京を中心とした南関東一帯は、日本列島の中でも地震が起こりやすい地域の一つであるということです。仮に東京を大地震が襲った場合、機能の集中度が高いだけに、東京のみならず日本の社会・経済システム全体が麻痺してしまうおそれが強い。まして、東京の世界における位置づけ、重要性からいって、世界の政治・経済にも多大な影響を及ぼすことになると思います。ただ、地震そのものを避けることはできないわけですから、その被害やそれによる影響を最小限に食い止めるようにするのが政治の責任ではないでしょうか。それでは、東京はどうなるのかという議論があるわけですが、移転跡地を防災拠点などに活用すれば、むしろ東京の防災性を高めることにもなるのではないかと考えています。

移転が必要な第2の理由は、今、政府が取り組んでいる行政改革、あるいは地方分権、規制緩和がいずれも不十分だということです。三位一体改革は、地方交付税の削減などで国より地方のほうが大きな痛みを感じているわけです。私に言わせますと、地方分権はまだスタート台に立ったばかりです。特に財源の移譲が伴っていません。

地方分権というものは、本来財源の移譲がなければなりません。税は所得、資産、消費の3つに分かれていてそれぞれに国税と地方税があるわけですが、財源を移譲する場合、その3つに対する現在の課税体系、そして国税と地方税の割合そのものを抜本的に見直していく必要があると思います。現状では、相変わらず国が補助金などを通じて地方を縛っています。国が政策を提示し、自治体がそれに対して手を挙げて、国が指定をするというようなパターンはあまり変わっていないのです。本来、国と地方は対等の関係にあるということが地方分権の精神、地方分権一括法の精神なのですが、それがないがしろにされているとも言えるわけです。日本の行政構造そのものの改革が必要なのですが、現状では部分的な改革にとどまっていると認識しています。ですから、国会等の移転をそうした抜本的な改革のきっかけにする必要があるのではないでしょうか。

移転が必要な3つ目の理由は、東京を中心とした1都3県、いわゆる東京圏に日本の総人口の4分1が集中しているという構図はいまだに変わっていないということです。これから日本の人口が減少するといっても、その集中度が高いことに変わりがなければ、むしろ地方圏の人口の減少幅が大きくなるということになってしまいます。また、情報の一極集中にも著しいものがあります。その結果、政治が多数の国民の意向を汲むものになっているとは必ずしも言えないのではないかと思うのです。つまり、東京以外の地域の特性、あるいは個性を見落とすというような弊害も目立っているのではないでしょうか。

ページの先頭へ

持続可能な森林都市の方向性

日本は、顔が見えない国であると国際社会でしばしば指摘されています。首都機能を移転する新都市は、国際的にも役割を増した日本のショーウィンドーとなる必要があるのではないでしょうか。それは、国際社会に開かれ、世界の人が「なるほど」と思えるようなものでなければなりません。

そのためには、環境に配慮したサステイナブルシティ(持続可能な都市)である必要があります。日本の国土の7割は森林が占めています。森林を切り倒して開発するということではなく、森を生かして「森の中の国会」というように、自然と人工物とが調和しているということが大事だと思います。また、ゼロエミッション型の都市を目指すということも大事です。それは、地球の生態系を大切にするという世界へのメッセージになるのではないでしょうか。

これからの都市では、自然エネルギーを大いに取り入れることを考えるべきだと思っています。風力発電について考えてみますと、日本は長いあいだ消極的でした。しかし、最近では風力発電を地域おこしに取り入れている地域も出てきています。2010年までに町の消費電力のすべてを風力発電で賄う計画を立てている町もあります。現地に行きますと、丘の上に風車がたくさん建っていて、自分たちの使う電力を賄っている。昔は、風が強くて作物が育たないというような生活しづらいところだったのですが、いってみればそれを逆手にとったわけです。日本の場合、電力会社の力が強いですから、以前は電力会社以外が発電することに冷たかったということがありました。しかし、最近では売電もかなり柔軟に認められるようになってきていますし、だいぶ環境が整ってきたのではないかと思います。

また、太陽光発電も大事でしょう。あるいは、雨水利用のための設備をつくることに対して独自の補助金を出すというような自治体も出てきています。都市の中にミニ火力発電所などを建設することもできるのではないでしょうか。ドイツのフライブルクなどでは、そうした動きが盛んです。これからは、地域のエネルギーを可能な限り地域で供給するという姿勢を持つことが大事ではないでしょうか。

ページの先頭へ

新都市の理念としてのユニバーサルデザイン

高齢社会は、日本経済が高度成長から安定成長に転換するのとほぼ並行する形で進んできました。望ましい高齢社会とは、長生きしていることを真にことほぐことのできる社会だと私は考えています。とすれば、新しい都市は働き盛りの人たちだけのまちにしてはならないということになるのではないでしょうか。まちのデザインを機能本位にしないことが大事だと思います。国会や中央官庁を中心とした新都市は、とかくダークスーツ族だらけのまちになりがちです。ジーンズにTシャツの若者、エプロン姿の女性、泥んこ遊びに夢中の子供たちとそれを見守る高齢者というような多様な人が住んでこそ、「まち」と言えるのではないでしょうか。要は、特別なまちにしないことが大切だと思います。

また、これからは、ユニバーサルデザインを設計の重要な理念にすることも必要ではないでしょうか。高齢者、若い人、健常者、障害者、妊婦、幼児を持つ母親、子供など、いずれも1人の市民であり、対等な人間なわけです。これからのまちは、障害を持っている人を含めて年齢や立場を問わない、万人にとって自由に動き回れるものでなければなりません。それは、まちに住む人々にとって、一種の権利だと思います。このように、すべての人が公平に使えるデザインがユニバーサルデザインです。バリアフリーとはどこが違うのかということになりますが、バリアフリーはすでにできてしまっているバリア(障壁)をなくすということですが、ユニバーサルデザインは初めからバリアをつくらないということが特徴です。そういうデザインと同時に、ソフト面でのユニバーサルサービス、つまりコミュニケーションなども大事だと私は考えています。

ページの先頭へ

文化の香り高いまちの魅力

現在、世界においてグローバル化が進んでいます。グローバル化というのは、多様性のある社会と考えがちです。しかし、現状では、むしろ画一化が進んでいるのではないかと思います。このことは、アメリカで発展したインターネットが瞬く間に世界を席巻し、世界の情報通信が英語を中心に統一されてきたことを見れば明らかです。パソコンは私も使いますが、ワードやエクセルが用意しているイラストやデザインはアメリカの感覚でつくられています。ですから、世界が画一化すればするほど、一方で地域の個性や文化を大切にする必要が出てくるのではないでしょうか。
首都機能を移転する場合でも、移転する先の土地の風土、あるいは歴史や個性を大事にした「文化の香り高いまち」にしたいものです。新都市は、ローカルでいいのです。今までのように、地方対中央という発想を切りかえることが大事ではないでしょうか。今はグローバル化によって、むしろローカルが見直されている時代ではないかと思います。
次に、文化と経済を考えてみたいと思います。ローカル(地域)を見直す上で、経済や産業の問題は欠かすことができません。経済や産業は、地域を活性化する有力な手段に違いないわけです。回復傾向にあるとはいえ、全国的に見れば雇用はまださまざまな問題を抱えています。雇用の場がなければ、人々は職を求めてその土地を後にしてしまいます。つまり、料理でいえば、経済はメインディッシュなのです。ただ、成熟社会では、メインディッシュだけで人々が満足するかといえば、必ずしもそうではありません。きれいに盛りつけたデザートが食事の楽しみの一つであるように、人々は「文化の香り高いまち」により魅力を感じるのではないでしょうか。「デザートがおいしい」という理由だけで、そのレストランの常連になっている人もいるわけです。
欧米のさまざまなコンベンション都市では、会議が終わった後のいわゆるアフターコンベンションを楽しむための豊富な仕掛けが必ず用意されているものです。新都市は、新しいライフスタイルや多様な文化を創造する場にすることができればよいと思います。

ページの先頭へ

「競争」から「共創」へ

戦後の日本は、効率や機能性を追求し、生産重視の社会を築いてきました。その底流にあるのは、「競争」つまり競い争うという原理です。会社と会社、人と人とが競争することによって、さらなる向上を目指し、高度成長の原動力になってきたわけです。
これからは、ゆとりや豊かさに価値を見出すような生活重視の社会に切りかえていく必要があるのではないかと私は考えています。それを支えるのは「共創」の原理、つまり一緒(共)に新しいものを創りだすということではないでしょうか。地域づくりでいえば、地域を担う各主体が協働で活動し、それによって新しい地域社会を創りだすということです。従来と違う形で活性化された地域社会が、共創のコミュニティなのだと思います。
私は、36年間、新聞記者として国内外の地域づくりの現場を取材してきました。その中で、海外では「自分たちの地域は自分たちでつくる」という地域へのこだわり、あるいは市民の行動力というものを肌で感じてきました。日本もそうなればいいなあと考えていたのですが、1995年に発生した阪神・淡路大震災が大きなきっかけとなって、日本人の価値観が大きく変化したと私は見ています。あの震災が発生した直後のことなのですが、行政による救援活動は必ずしも十分ではありませんでした。行政の方も同時被災しているということもあったわけです。そのときに台頭したのが市民によるボランティアでした。現在では、それが法律の制定を経て、NPOとして結実しています。
現在では、地域自治組織というものをつくる町も出てきました。地域自治組織とは、地方自治法と合併特例法の改正に伴って、コミュニティを活性化するための一つの手段として出てきたものです。ある町で、これまで住民と一緒にやってきたさまざまな独自の取り組みが、市町村合併によって止めざるをえなくなってしまうおそれがでてきました。しかし、それでは住民にとってプラスにならないということで、全所帯が2000円ずつ出してNPOをつくったのです。そして、自治体が合併した後も、NPOが受け皿となって、これまでの取り組みを続けていくことになりました。おそらく地域自治組織の一端を担うことになるでしょう。このようにNPOができていて、自分たちがやろうとしている取り組みをアピールすれば、たとえ大きな市と合併したとしても、自分たちのアイデンティティを主張できるのではないかと思います。これも、全住民参加型の地域づくりを活性化させるための活動といえるのではないでしょうか。

ページの先頭へ

地域社会を担う「共創」のコミュニティ

首都機能を移転する新都市を考えるときも、もとから住んでいた旧住民と、移転によって新しくやってきた新住民との交流ということが大事になってきます。
かつて人口が全国で最も急速に増えていた都市では、さまざまなきっかけづくりや交流が行われていました。旧住民というのは大半が農家なわけですが、休日に新住民の住む住宅地の広場で朝市を開いたりして、交流のきっかけにしていました。また、公民館やコミュニティセンターなども、普通は旧住民と新住民で分けがちですが、行政が工夫をして、いろいろなことを一緒にできるように工夫するというようなことをやっていました。
もちろん、何か決め手があるわけではありませんから、それぞれの土地にあったものを試行錯誤していく中から、いいものが生まれてくるのだと思います。また、コミュニティというのは住民が自主的に活動すべき世界ですから、行政がきっかけをつくるにしても、いずれは住民主体に変えていくことが必要です。いずれにしても、同じ土地の水を飲み、ものを食べ、空気を吸っていく住民同士なわけですから、どのようにすればいいのかということについて、額を寄せ合って考えるプロセスが大事なのではないでしょうか。
「公」というものは、行政だけが担うものではなく、市民もまたそれを担わなければ地域社会が成り立たないということに多くの国民が気づいてきたのではないかと思います。これからの地域社会は、NPO、企業、行政、商店街、経済団体など、さまざまな主体、幅広い人々がパートナーシップを組んでいく必要があるのではないでしょうか。最近、都市経営という言葉が使われるようになってきましたが、市民もこの都市経営の一端を担っているという自覚が必要なのだと思います。幸い、これまで会社を中心とした職域型一辺倒のきらいがあった市民の行動も、最近になって徐々に地域型に変わりつつあります。新しい市民社会の土壌は、着実にできつつあるといえるのではないかと思います。こうしたことは、首都機能の移転先となる新都市を考えるときも、例外ではありません。

ページの先頭へ

首都機能移転の進め方

最後に首都機能移転の進め方について考えてみたいと思います。東京以外の地域に新都を建設しても、政治や行政の仕組みが現状のままでは、第2の霞が関をつくるということになりかねません。新都の建設と並行して、国の行政の仕組み、国と地方の関係などを改めて見直さなければならないのではないでしょうか。
社会は、基本的に補完性の原理で成り立っていると思います。自分でできることは自分でやるというのは、当然のことです。しかし、それだけではすまないことも多くあるのではないでしょうか。自分だけではできないことを家族が助け合う。家族でもできないことをコミュニティで処理していく。そして、コミュニティでも難しいことは、基礎自治体が担っていくということになると思います。それでも難しい広域的なことは、都道府県が担う。都道府県が担っても限界のあることについては、あるいは国が担当したほうが望ましいことについては、国がそれを行う。このような考えが補完性の原理です。ただ、この場合でも、国がするべきことは大幅に減らしていく必要があるのではないかと思います。長期的に見れば、国の役割というものは、外交や防衛などのような国を維持するための最低限の仕事、それから国勢調査等の全国的に整合性の必要なものなどに思い切って限定してしまって、それ以外を地方自治体の仕事に移していくことが望ましいと私は考えています。
市民にとってみれば、国の権限を少なくして身近な自治体で物事を処理できるというほうが幸せ度も強いのではないかと思います。そのためには、受け皿としての基礎自治体には一定規模のまとまりが必要となってきます。そうすると、市町村合併が大きな前提になってくるのではないかと思います。
現実に、市町村合併が進んで権限の受け入れ態勢が整えば、都道府県の存在意義は薄れてきます。そこで、都道府県と国の地方出先機関を合体して、道州制を検討することが望ましいということになるのではないかと思います。道州制を敷くことによって過度の集中を防ぐことができるようになれば、首都機能を移転する新しい都市の規模も、かつて言われていたほど大きなものである必要がなくなります。新都市の規模は、20万人程度で足りるのではないでしょうか。そう考えると、首都機能移転と道州制は同時並行して進めるべきことではないかと思います。
もちろん、道州制については、受け入れる準備の整ったところから徐々に切りかえていくということが現実的です。私は、1時的に1国2制度となっても構わないと思います。日本は今まで、みんなが同じ足取りで進んできたのですが、これからはできるところから進めていくというように物事の考え方を少し変える必要があります。道州制にしてもさまざまな意見があるわけで、まとまるまで相当時間がかかるかもしれません。しかし、こういった考えは、日本の将来のあり方として必要なのではないかと思います。
首都機能移転は、次の世代に影響を及ぼす歴史的な事業であるにもかかわらず、国民の関心が薄いのも残念ながら事実です。過去においても、首都機能を移転するという議論は興ってはしぼむという歴史を繰り返してきました。90年代に再燃した移転論議も、21世紀に入ってから急速にしぼんでしまいました。このテーマがマスコミに登場する回数も減ってきていると思います。
今回の首都移転が過去のものと大きく違っているのは、日本の将来を見据え、平和裏に進めようとしている点です。それだけに、多くの国民の合意を得ることが前提にならなければなりません。首都移転の必要性というものは、今日においてもいささかも変わっていないと思いますが、現状ではある程度時間がかかることも覚悟しなければならないのかも知れません。いずれにしても、首都機能移転は日本の未来のために必要なことですし、地方分権をさらに進めるためにも大事なのではないでしょうか。

ページの先頭へ