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多様性と信頼から生まれる新しい首都

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モンテ カセム氏の写真モンテ カセム氏 立命館アジア太平洋大学 学長

1947年生まれ。スリランカ・コロンボ市生まれ。1970年スリランカ大学自然科学部建築学科卒業。スリランカ工学技術公団 設計・コンサルティング局建築士として勤務後、1972年に来日。大阪外国語大学で日本語を学び、1981年東京大学大学院工学系研究科都市工学課程修了。国際連合地域開発センター主幹研究員などを経て、1994年立命館大学政策科学部教授。2004年より現職。

国土庁「四全総以降の首都圏計画フォローアップ計画」、建設省「近畿圏ビジョン形成」などの委員を歴任。また、NGO「自立のための道具の会」に所属し、不要になった道具を修復してアジアやアフリカの人々に送るなど、活動は多岐にわたる。



多様性を引き出す「謙遜」の首都

21世紀が「創造の世紀」ということになるのであれば、多文化、多様性というものが主になってくると思います。そういう意味では、東京が首都として成り立ってきた時代の考え方とまるで正反対に近いような形でこれからの新しい首都は形成される必要があるのではないでしょうか。

江戸時代には個性豊かな藩がありましたが、今日の日本の創造はある意味で江戸以来の遺産を食いつぶしているだけだと言っても言い過ぎではないと思います。20世紀は国力がなければならない時代でもありましたので、国家統合や言葉の標準化をすること、大量生産、商品の大衆化などの時代だったのだと思います。そして、東京とはそうした時代に見合った首都だったと思います。

しかし、21世紀になると、我々が想像もできなかった情報技術の進歩によって、従来のものを逆立ちさせるくらいの技術力が庶民の手の届くところとなりました。また、我々の良心、常識を覆してしまうほどにバイオ技術などが発達してきました。こうした中では、多様性にもとづいた生き方が非常に大事だという気がします。

私は、生物学的な観点から環境問題を集中して追いかけていて、荒れた熱帯雨林やサンゴの復元などをこの10年間やってきました。そこで感じたのは、20世紀の後半くらいから「緑化さえすればいい」という発想で、コスメティックに環境を考えている感じがするということです。しかし、緑化するだけでは足りないのです。やはり、荒れた森林をもとの多様性に戻すというくらいの気持ちで復元しなければならないのではないかと思います。本当に集中して考えていけば、方策は出てくるものです。

今度の首都機能移転の場合でも、このようなことと似た努力をしなければならないのではないかと思います。多様性を受け入れ、多様性を育てるということです。多様性の中から、誰も考えていなかったものを創造する。首都機能を移転する新しい都市は、そういう力を持つ場になってほしいと考えています。

従来の首都は「威張る」ところでしたから、首都であることが「威張り」の元になっていました。ですが、21世紀における首都は、「謙遜」の首都でなければならないと思います。皆が持っている多様な力を引き出せる場でなければならないのです。それは日本国内の首都としても大事なことですが、日本の国力を考えれば、世界の中でも名門の首都であるために必要になってくることだと思います。ですから、新しい首都では、日本の多様性も引き出さなければならないし、世界の多様性も引き出さなければならないのではないかと思うわけです。それをどうするかということが、21世紀の首都における最大のチャレンジだと思います。

場所はどこでもいいのです。ただ、新しい首都が周りにある全てを受け入れたり、刺激を与えたりする力を持たなければならないと思います。そういうような構想が受け入れられるようにしていけるかということが、今後のカギになるのではないでしょうか。

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日本国を代表する首都に求められるもの

これまでの時代の首都の考え方では、人が来やすい、集まりやすいということが大事でした。首都に来やすくすると、交通網がだいたい放射状になっていきます。そうすると、東京には来やすいのですが、ほかのところに行きづらくなります。しかし、それでは東京というのは日本国を代表しているのではなく、首都圏を代表しているだけということになるのではないかと思います。これからは、首都に来やすいだけでなく、他の町にも行きやすくしなければいけないのではないかと思います。

どうすればよいかというと、だいたいどのような国でも、首都が物価水準の最も高いところになっています。その物価水準を下げることができれば、外国からきても他の地域に行くようになるかもしれません。例えば、1日2万円かかっていたものが1万円で済むということになれば、日本に1日多くいるかもしれません。そして、2日目に例えば別府市や角館に行くようになるかもしれない。物理的に全ての場所に行きやすくするのは難しいと思いますが、こうしたことがネットワークを考えるカギになるのではないかと思います。そして、新しい時代の首都はいやしの場として、国を代表する誇りのあるものになればよいのではないかと思います。

日本には誇れるところがたくさんあります。ですから、単純にどこかのまねをする必要はないのです。例えば、お客様がきたら大事にする。その「もてなしの心」というのも、日本の誇るべき価値観だと思います。日本の中にあるそういう価値観でいろいろな人が一緒に何かをすることによって、お互いを理解するという関係をつくれば、摩擦はなくなると思います。他人との違いを強調するのではなく、「一緒にやろうじゃないか」という気持ちをつくることが大事ではないでしょうか。日本国民にとって、首都がそういうことのできる場になっていれば、そうした価値観が海外から来る人にも浸透する場になると思います。

今の日本の首都は、そういうことができないところになっていると思います。日本国民にとっても、少し格好をつけなければならない場所になっている。心から「我が国の首都だ」と言うことができなくなっていると思うのです。ある意味では、首都が「出島」になっているわけです。これからの新しい首都は、そういう「出島」にしないでほしいと思います。非常に抽象的ですが、それをどう具体化して可能にする関係をつくるかということが大事ではないでしょうか。

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ブラジリアに見る新しい首都のコンセプト

私の経験では、ブラジリアにそういう狙いがありました。ブラジリアは、自然や天然資源が多くあるゴイアス州の真ん中につくられた首都です。住居はすべて多文化共生型の分布になっていて、学校の整備もすべてその考え方が基本となっていました。しかし、それはすべて60年代から70年代の間に軍事政権によってつぶされてしまいました。それは、「こういうとんでもないところは、我々が暴力で支配できない」という危険性を感じたからです。しかし、平和の番人である日本は逆にそれを基盤にするべきですし、可能なことだと思います。

ブラジリア建設のドキュメントは非常におもしろいものです。ブラジリア建設の100年前に、ロバと人間の足で4000キロを歩いて調査をしたものが実際に首都を建設するときに一番役に立ったといいます。また、ブラジリアには記念館があるのですが、大統領などの偉い人を記念しているのではなく、ブラジリアをつくった建設労働者を記念しているのです。「声なき声」を代表する場になっている。私は、それこそが「謙遜」の心だと思います。

日本の新しい首都も、同じようにアジア周辺諸国やアフリカなども含めた「声なき声」を代表する場になれば、世界の皆さんがすばらしいと言うようになると思います。

数多くの方が賛同する新首都のコンセプトは、「声なき声」を代表して世界平和や地球環境を大切にする。日本の技術力を使って地球の生き物の生存に貢献するということだと思います。そして、そのコンセプトを具体化するためにはどういうものが必要かを議論して、プロジェクト型でやっていけばよいのではないでしょうか。

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信頼関係によるネットワーク型統合

ヨーロッパの共同体は、いろいろなステップを踏んで自由貿易の協定を結んだり、全てが参加しているわけではないですが通貨統合も徐々に進めたりしています。こうした発想は、単一で小さなものがたくさんあるよりも、多様性のある大きなものにしたほうが、自律的な機能が出てくるのではないかと期待したからだと思います。

日本の周りを見ると、東アジアの共同体という議論がこれから進んでいくと思いますし、それはASEAN諸国まで延長するかもしれません。また、南アジアと東アジアにある人口大国やアジア太平洋の島嶼部とどうつき合っていくかというような課題が出てくると思います。

ですから、アジアの統合というのは地理的統合ではなく、ネットワーク型の統合だと私は思っています。これからの新しい日本の首都にも、こうしたネットワーク型統合のコンセプトが大事ではないかと思います。私は、ネットワーク型統合はどうすればできるかということを、国連勤務時代から10年近く取り組んでいたことがあります。いずれ地域産業は国際化するだろうということで、地域産業の国際ネットワークを作ることを支援するビジネス情報・支援システムを作りました。そこで学んだ教訓なのですが、ネットワークがあるからといってネットワーク社会ができるわけではないのです。しかし、よい目的を持つ人を支持するときに皆が共有する理念や目的があれば、必要に応じて情報を共有することで信頼関係を築いていけるということが大事なのだと思います。

情報の共有といっても、やはり情報を手放さないことが力だと思っている人がたくさんいます。しかし、共有する何かの理念に向かってお互いに自分の持っているものを出し合って、共同の関係を作ろうという意志が強ければ、いいものが出来上がるのではないかと思います。

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理念の共有という"接着剤"

私どもの立命館アジア太平洋大学は私立大学ですから、国も背負っていませんし、国旗もありません。ですが、何もないので何でもできるということがあります。研究開発でも、アメリカやアジアの人など、さまざまな国の人と自由にできる。デバイスや情報システムなど、さまざまなものの開発において、驚くことに2年か2年半以内に試作品となるようなものが生まれてきます。しかも、早く生まれてくるだけではなく、従来のコストの10分の1くらいでできることもあります。

なぜそういうことができるのかというと、理念に共感した人々がお互いに自分の持ついいものを出し合うからだと思います。我々の中には、理念に向かう共同体という緩やかな意識があるので、まず信頼関係があります。その信頼関係とは、長年の友情かもしれませんし、尊敬かもしれません。そういう中であれば、自分ができることを最大限にやり、他の人がやるべきところは任せられるわけです。そうすると、結果としていいものができる。理念を共有するということは、それが皆の"接着剤"になるということです。

それと同じように、今回の首都機能移転についても、幾つかの高い目標を理念として共有するということが必要だと思います。

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ネットワーク統合型の首都となるためには

私のいる大学は、山の上にあって立地条件がいいとは言えません。ですから、「こんなに立地条件の悪いところにどうして70以上の国・地域から人が来るのか。」「大分は、どうして東京の次くらいに留学生が多い県になっているのか。」とよく聞かれます。しかし、シンガポールのチャンギ空港も、航空路から外れていて立地条件がよくありませんが、世界の名門空港になっています。カリフォルニア大学のサンディエゴ校にしても、とんでもなく遠いところにあって周辺に大した町もありませんでした。しかし、40年間で将来に向けていろいろな発想や知識を創造する世界的名門になっています。

やはり、コンセプトがよくて多くの人が賛同してくれれば、「行きたい」というエネルギーが出てきて成功するのだと思います。しかし、そこで自分が威張っていては絶対にだめなのだと思います。

20世紀の国力は、威張ったほうが強かったということがありました。しかし、21世紀におけるネットワーク型の国力は、信頼によって築かれると思います。力ではないのです。信頼というものは、理念を持たなければ築けませんし、それに対して誠実に動かなければなりません。また、人と対等につき合う技を身につけなければなりません。そういった価値観を、首都機能を移転するときに形成してほしいと思います。新しい首都がそういったことを創造する場になれば、ネットワーク統合型の首都になることができるのではないかと思います。そうすれば、日本国民のエネルギーもそこに注ぐことができますし、周辺諸国の信頼も得られると思います。

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議論をすすめるために

今回の首都機能移転は、もう14年ぐらい議論を続けていることになりますが、これは議論好きな国民性ということもあると思います。ただ、その中には、議論をしただけで仕事をしたような気分になるという錯覚があるようにも思います。会議を開いたり講演会をやったりすることで、「ああ、いい仕事をしたな」と思うのですが、本当はそれだけでは何をしたことにもならないことも多いのです。

大学というのも、日本の国会とあまり変わらないところがあって、議論に議論を重ねてということがあります。私のいる大学でもそうなのですが、なぜ時間がかかるかというと白紙の頭で審議を始めるからです。そうではなく、世界じゅうから優秀な人、オピニオンリーダーを10人ほど集めて、まず素案をつくってしまうとよいと思います。専門的な知識を持っている方や造詣の深い方を集めて、その方々にヒアリングなどをして素案をつくり、それをたたき台にして議論したほうが断然早いのです。そのときに、利害関係などではなく、本当に貢献してくれる専門家をどう集めるかが大事なのだと思います。

この大学は、構想から着工まで4年です。企業のオピニオンリーダーなど多くの方から話をききました。「こんな山の上にできるか」「建設コストの高い日本でつくるより、海外につくったほうがいいのではないか」などという否定的な意見もありました。しかし、「アジア太平洋地域が世界を引っ張るエンジンになるのであれば、人々がアジア太平洋地域を知らなければならない。その器をつくろう」ということで決断したのです。結果として、想像以上の国から反響がありました。その国々に対しても、アジア太平洋地域とは何なのかということを理解させる場となるでしょう。

成功は成功を招くのだと思います。一生懸命努力すれば、応援者が増えます。否定的な意見も大事です。それで私たちの限界がはっきりわかります。しかし、そこで暗くなってしまうのではなく、それを超える理念と熱意を持つ人が何人かいたから、この大学はできました。「不景気だから、あきらめましょう」と言ってしまっては、それで終わりです。コンセプトがあり、そのコンセプトに賛同する人がいて、その上に実行です。物事を進めるのは、この順番だと思います。今回の首都機能移転でも、こうした順番で進めることが大事なのではないでしょうか。

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