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成熟した時代における建築と首都機能のあり方

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隈 研吾氏の写真隈 研吾氏 建築家・慶應義塾大学 教授

1954年生まれ。横浜生まれ。1979年東京大学大学院修了(建築学専攻)。コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。

主な作品に「養老山展望台」(公共建築賞優秀賞、「JCDデザイン賞’95」文化・公共施設部門最優秀賞受賞)、「高知県梼原町地域交流施設」(通産省選定グッドデザイン賞施設部門・新いなかデザイン賞対象受賞)、「水/ガラス」(アメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞)、「森舞台/宮城県登米町伝統技能伝承館」(日本建築学会賞受賞)、「馬頭町広重美術館」(村野藤吾賞、林野庁長官賞受賞)、「石の美術館」(インターナショナル・ストーン・アーキテクチャー・アワード受賞)。2002年にフィンランドよりスピリット・オブ・ネーチャー−国際木の建築賞を受賞。

著書に『反オブジェクト』(筑摩書房)、『新・建築入門』(ちくま新書)、『建築的欲望の終焉』(新曜社)、『負ける建築』(岩波書店)などがある。



成熟化時代の建築と都市計画

今の成熟化時代の建築のあり方とは、高度成長時代と基本的に全く違うものになるだろうというのが僕の基本的な考え方です。特に日本は、急速に成長から成熟へと反転した国です。それだけ変化が激しかったということですから、今は新しい時代にあった建築のあり方、都市のあり方とは何かということを模索している時期なのだろうと思います。

成熟期以前の都市というのは、効率が第一に優先されるので一極集中的で機能を優先した計画とかデザインで都市の建築がつくられていても、だれも文句を言いませんでした。しかし、成熟期になると、それぞれの場所の育んできた個性をどう生かすかということが国土づくりの基本になってくると思います。都市計画とは、それぞれの育んできたものは何かということをゆっくりと見つめ直すということになってくる。逆に、これまで育んできたものをもう一回発見するとか、再強化するとか、未来に向けてそれを再定義するという行為も都市計画になってくるわけです。それは、全く何もない白紙の上に何かを書くという成長期型の都市計画とは全く違うものになるということです。日本人は頭でそれを理解しようとはしていても、まだ体でわかっていないところがあります。現在の都市計画というものに関する議論も、まだ過去の定義に従って行われているところがあるように思います。

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ネットワーク型の都市とコミュニケーション

成熟した時代にどういう都市や首都が望ましいかというと、ネットワーク型の首都機能というものを僕は考えています。首都機能すべてが一極に集中して、センターから周辺へというヒエラルキー(階層)があるのではなく、いくつかの領域がそれぞれの機能を分担することで、地域の個性をうまく引き立てるような機能分担が行われないだろうかということです。

ネットワーク型の首都というのは、新しいアイデアだと思う人もいるかもしれません。しかし、実際にヨーロッパの都市を見てみると、首都が一応定められていたとしても、それぞれの都市がそれぞれの個性に応じて機能を分担していて、全体に緩いネットワークを形成しているという国土のつくり方になっています。日本もそのように変わっていくことはできないだろうかと考えるわけです。

これからのコミュニケーションの基本は、レイヤー(層)が幾つも存在する多層的なものだと思います。ITで瞬時にコミュニケーションをする部分もあれば、ある程度時間的な余裕のある場合に顔と顔を突き合わせてコミュニケーションをするレイヤーもあるでしょう。いろいろな種類のコミュニケーションの速度や密度を選べるというのが、これからの時代のコミュニケーションだと思います。20世紀型のコミュニケーションというのは、一つのオプションしかありませんでした。しかし、これからのコミュニケーションというのは、物凄く速いものから物凄くゆったりしたものまでたくさんのオプションが出てきています。そういったコミュニケーションが都市を結びつけていくようになると、豊かなネットワーク型都市と呼べるようになるのではないでしょうか。

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建物が発信するメッセージ

これからの都市や首都を考える場合には、建築のつくり方も白紙の上に何か新しい絵をかくということではなく、既存の文脈の上に、その文脈を継承した形で建築物をつくるということが重要になってくると思います。典型的なのは、コンバージョンというつくり方です。例えば、倉庫に使われている建物がある日から国会になるというようなことです。今の成熟した時代の建築のあり方には、その方がふさわしいのではないでしょうか。

国家の中心的な建物だから、モニュメンタルにつくらなければいけないという時代はもう過ぎ去っているわけです。昔は建築というものがビジュアルコミュニケーションの中心にありました。建築の形の派手さがその建物の重要性を示すというような非常に荒っぽい形のビジュアルコミュニケーションの時代には、そうしたモニュメント性が求められていました。昔の建築物が人間に与えるメッセージはモニュメンタルな建築という言葉があらわしているように、形が面白かったり、変わっているから何か特別な建築だろうというような、極めて浅いメッセージだったわけです。

しかし、今のビジュアルコミュニケーションというのはもっと多岐にわたっていて、建築の形だけでコミュニケーションする時代ではなくなってきています。過度にモニュメンタルなものというのは首都にも要求されていないし、国の機関にも要求されていない時代なのだと思います。むしろ、既存の建築物を再利用するぐらいのほうが、これからの時代の国の建物としては、成熟化した社会のあり方を示す意味でもおもしろいのではないかと思うわけです。今の時代は、建築に関してそこから情報を読み取ろうという能力が格段に高くなっていますから、単なる形の新しさはマイナスメッセージを出したりします。そういう意味で、コンバージョンだからといって、建物のメッセージ性はなくなるのではなく、これまで以上に深いメッセージが発信されることにもなってきています。

例えば壊されようとしている建物が救われたとか、地域の産業が再活性化されたというような建物ができ上がるまでの物語を詰め込んでも、それを皆が読んでくれるという時代になってきています。人間と人間のこんなネットワークがあったからこの建物ができ上がったというような長い物語を詰め込んだ建築というものもあるのではないか。建築をつくるとき、そういったメッセージ、物語が発生するきっかけというのは幾らでもあります。そういうプロセスを大事にしながら建築をつくっていくことがこれからは大切なのではないでしょうか。

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時間を継承する建築のきっかけとしての首都機能移転

最近では自然や環境との共生というようなこともいわれます。しかし、これも地域によって違う部分があるわけです。環境というのも何か抽象的なものではなくて、ある場所に立っている木をどうするかとか、土をどうするかという具体的なものであって、背後にはその木や土を大事にしている人間がいるわけです。やはり人間とのうまいコミュニケーションができて、人間との合意ができているということが、環境問題を解くことにつながるのではないかと思います。

今までは、都市にはもう余地がないから、森を切って何かをつくらなければいけないという成長時代の都市づくり像がどうしても頭にありました。森を切るのではなく、森と共生して新しい都市をという形での「自然との共生」も、既存の街を捨てるという点で、20世紀流の成長期のパラダイムに従っています。これからは、今ある街に何をかぶせていけるかという重ね合わせのロジックが必要になるのではないかと思います。

建築は「ゼロからつくる建築」のつくり方を学校で習うわけですが、これからの建築教育の中心は増改築になってくると思います。ヨーロッパの建築は、既にほとんどが増改築です。増改築とは、歴史とか伝統というものから何を学ぶかを建築家が考えるということです。あるいは、歴史、伝統についてはその地域の人たちに一番深い愛着があるはずですから、そういう人たちとのコラボレーションの中で、それを継承する建築を考えていかなければいけないということになると思います。

首都機能移転ということでいうと、どうしても「ゼロから作る建築」をイメージしますが、そうではない建築のあり方のほうがこれからの首都にはふさわしいのではないかと思います。民間の商業建築などでは、そういった時代の変化を感じてコンバージョン型のつくり方、時間を継承するようなつくり方ということをうまくやっている。しかし、公共建築での予算のつき方というのは、土地を更地にして新しい建築をつくるというのが普通です。コンバージョン型の建築は余計に手間がかかったり、予算が読めなかったりと、今までの公共建築の仕組みからいうと乗りにくいということもある。ですから、公共建築でもきちんとした時間の継承ができる建築が可能になるにはどうしたらいいかということをこれから考えて行く必要があると思います。

こうしたパラダイムチェンジのきっかけとして首都機能移転を考えると、非常に面白いのではないでしょうか。首都機能移転というと白紙にかくものとイメージしていたのが、そうではないということになると、世の中の価値観がガラッと変わると思うのです。そういうモデルケースとして、首都機能移転を考えてもよいのではないかと思います。

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建築家の役割とコミュニケーションのデザイン

これからの建築技術者というのは、コミュニケーターみたいな存在になってくると思います。建物をつくるという行為が、いろいろな人がかかわって物語をつくり上げる行為になってくるとすると、そのときのコミュニケーションを潤滑にする役割が建築家に求められてくるということです。図面に線を引く行為から、何かコミュニケーションをデザインすることに役割が移っていくので、こうした能力が建築家に期待されてくる。コミュニケーションをうまくデザインするという能力は、建築家だけではなくて、実は行政にも求められていく能力でもあります。

コミュニケーションの場が用意されたところに、そこでデザインの仕事をする人だけではなく、そこの地域の住民がかかわってきて、全員がデザイナーというような感じになってきます。「この建物は自分がデザインしたんだ」というように皆が言える状態をどうやってつくれるかです。これからは、国が勝手に場所やデザインを決めて、何も知らない間に建築ができてしまったというのではなくて、皆が自分達でつくったと言われないと建物は成功だとは言えない時代になっていくと思います。

そのためには、住民参加の委員会を結成すればいいというものではありません。従来の委員会という方式に頼るのではなく、建築作りに決まった公式はないというところからスタートして、それぞれの場所に応じたやり方を毎回発見していくほうがよいのではないかと思います。

建築と都市計画ということで考えると、今までの20世紀流というのは都市計画が上位にあって、都市計画で決定されたものに建築家が従うという形でした。都市計画の先生が何か言うと、建築家は逆らえないという感じが多かったわけです。これからはそういう上下関係ではなく、もう少し対等なコミュニケーションにすべてを変えていかないと、多くの人を巻き込んだつくり方という風にはならないように思います。建物をつくるという行為は都市の中で連続して起こり続けるわけですから、それに対して都市計画がどう働きかけていくか、それを建築の側からもどう返していくかという相互的な働きかけが大事になるのではないかと思います。

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都市の魅力を競うことで首都機能の分散を

首都機能をネットワーク型にするということは、下手をすると縦割りを強化する危険もないわけではないと思います。ネットワーク型の首都機能を考えるのであれば、どのようにしたら分散したもの同士のコミュニケーションが潤滑になるかということが重要になってきます。

そのためには、それぞれ機能分散した都市が人をよびよせることのできる魅力をつくって、競わなければいけません。そうすると、そこに人間の動きが自動的に発生し、情報的なサポートのネットワークもできる。それぞれの都市がそういった機能と魅力を競うというような分散はあり得るのではないでしょうか。首都機能を配置するとき、その街に「行ってみたい」と思うかどうかが機能分散を決定する上でも重要になると思います。

ヨーロッパの街は機能だけで競争しているわけではありません。何か会議をやった後においしいものを食べにいけるとか、泊まって気持ちのいい街であるというような、都市全体の魅力の競争をきちんとしているわけです。日本でも、そういう魅力を競うことが原則になると思います。要するに、昼間の会議や執務をするだけの都市像ではなくて、その後の時間も含めての総合的都市像を構築することが必要だろうということです。

ネットワーク型の首都機能分散がうまくいけば、テロや災害などの危機管理の問題も解決するということもあります。しかし、大きいのは、地方都市の魅力をつくるということです。今までは、首都とは何か業務的なものであって、地方都市の魅力とは観光だと思われていた。片方は仕事の世界で、片方は遊びの世界というふうな二分法だったわけです。そうではなくて、都市の魅力というのは、仕事の後に観光もということにあるのではないかと思います。

ヨーロッパの都市づくりというのは基本的にそういう大人の都市づくりです。観光というのは女子供がするもので、男は仕事だけをしているというのではなくて、観光も仕事も大人の社会の一部だという成熟型の都市づくりをヨーロッパの都市はしてきているわけです。やはり、日本もそういうものに切りかわっていかないと、都市全体の魅力を枯らしていく一方になってしまうのではないかと思います。

首都的な機能を考えると、どうしてもすぐに大きいビジネスホテルをつくればよいというふうになるけれども、箱ではなくてネットワーク的なものに発想を切り替えていかないといけないと思います。宿泊にしても小さなものや面白いものが寄り集まってきて、新しい観光都市が成立するというようになればよいのではないでしょうか。

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