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国会等の移転が循環型社会のシンボルになるために

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北野 大氏の写真北野 大氏 淑徳大学 教授・工学博士

1942年東京都足立区生まれ。1972年東京都立大学大学院工学研究科工業化学専攻博士課程修了。分析化学で博士号を取得(学位論文:光分解−ガスクロマトグラフィの研究)。専門は、環境化学。

(財)化学物質評価研究機構・企画管理部長を経て現職。経済産業省化学物質審議会委員、環境省中央環境審議会委員なども務める。

昭和62年、TBS「関口宏のサンデーモーニング」の出演をきっかけに「クイズダービー」(TBS)、「くらしの経済」(NHK)などに出演。現在も数々のテレビ・ラジオ・講演で活躍。タレント、ビートたけし氏(映画監督、北野武氏)の実兄。



環境問題の原因としての過密

私は環境問題の勉強をしているのですが、環境問題がどうして起きてきたかといいますと、自然の自浄能力を超えた人間活動が原因となっているのだと思います。これをもっとわかりやすく言うと、過密が環境問題を引き起こしていると一言で言ってしまえると思います。

車の大気汚染を考えても、昭和初期にはこういう問題は起きなかったわけです。ところが、今はかなり厳しい排気ガス規制が行われていても、日本全国で7000万台という車があることで大気汚染が起きています。生活排水にしても、北海道の原野の一軒家に住んでいる分には垂れ流しでも問題ないわけですが、集中・過密化してくると下水道で処理しないといけなくなっています。河川の持っている能力、言いかえれば環境容量では追いつかないわけです。そう考えると、結局、環境問題の本質は集中・過密だということになります。そして、自然の自浄能力を超えた人間活動という意味での集中・過密を何とか解決しなければならなくなっていると思います。

今までの社会の機能をいろいろと考えると、大きな施設を1つ作って全部そこで処理をする、中央制御方式がとられていました。電気でいえば、原発などの大きな発電所が発電をしてそれを配る。水道なら、浄水場で水をきれいにして、それを配るというような今までのやり方は、確かに効率的でもあったわけです。維持・管理の面でも、大きなシステムを1つつくるほうがよかったのだろうと思います。

ところが、神戸の震災などがいい例ですが、ライフラインがやられてしまうとそれでは不十分だということがわかってきました。そうなると、これからは一極に集中した中央制御的なシステムに加えて、分散型のシステムもつくらなければならないのではないかと思うのです。

例えば電力でいえば、発電所からの電力のほかに、家庭の太陽光発電や地域の風力発電というものがあります。そういうものを使って、分散型のシステムにしていく。水でいえば、水道局の水ももちろん必要なのですが、井戸を掘れるところは井戸を使ったり、各家庭で雨水をためていく。沖縄がいい例です。それぞれの家に400リットルぐらいのタンクがありますから、各家庭が貯水池になっています。そうなっていくと、各家庭がミニ発電所になり、ミニ貯水池になります。

このように、今までのような中央制御方式の大きなシステムに加えて、補完的な意味での分散型システムが使えるということにしていかないと、何かが起きたときの脆弱性を補えないと思います。

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一極集中から分散型の時代へ

分散型ということでいえば、江戸時代の日本文化はまさに分散型でした。例えば、大分県の日田市には、咸宜園(かんぎえん)というところがあります。そこには廣瀬淡窓という有名な学者がおられて、大村益次郎などが勉強に行っていました。今でも、大分県の日田といったら、遠いと思います。それなのに、江戸時代に日田の咸宜園まで、勉強をしに来る人が大勢いたわけです。江戸時代には、そういう文化的な拠点が地方にもあったということです。

そういう意味では、拠点、核を持つことによって文化が伝承されるということがあると思います。今の日本はすべて東京ナイズ、世界はすべてアメリカナイズということになってきていますが、これからは多様性ということが大事だと思うんです。多様性をきちんと残していくためには、それぞれが分散して一極集中を廃することが必要になってくると思います。

江戸時代には江戸が政治の中心地になっていて、大坂が経済の中心地というイメージがありました。それが明治以降、全てが東京に集中してきて、大阪の会社も東京に本社をつくったりしました。私は、やはり政治の中心地と経済の中心地は分けなければならないと思っています。

これから首都機能を移転しても、そこがまた中心として新しい「東京」になっても意味がありません。今、道州制ということが提案されていますが、私は首都機能移転と同時に道州制というものを持ってくるべきだと思っています。道州制によって、意思決定がスピーディになりますし、それぞれの地域が特色ある文化を持てると思います。

国と企業を比較するわけにはいきませんが、例えばJRやNTTでは、分割民営化することによって非常によくなったと思います。意思決定も早くなりましたし、JR西日本、JR東海、JR東日本などで独自の文化がつくられてきていると思います。

マスコミにしても、日本は今まであまりにも東京に一極集中したがゆえに、全て東京にモノが集まって、東京から情報を出さなければだめだという形になっています。例えば新聞では日本は特殊で、外国を見ても部数が何百万部にもなるというのはありえません。テレビ局だって東京にある必要は何もないわけです。結局、政治であれば、政治部の記者は首都機能が移ればそこへ行けばいいのだし、経済部にしても東京が経済の中心地であれば、東京に残っていればいいわけです。バラエティなどをやるタレントさんなどは電波を発信できればいいわけですから、どこであってもいいわけですね。従来は一極にしておかなければ不便だったのでしょうが、今は情報技術が発達してきていますから、一極にしておく必要は何もないと思います。

昔は、東京にいなければ情報が入らないということもありました。例えば、国会図書館に行かなければだめだということがありましたが、今はそういうこともありません。新しい情報はインターネットでどんどん入ってきますから、これからはそれぞれの地方が特色を生かして、文化的な拠点をつくっていけばいいのではないかと思います。

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生活者として見たときの東京とは

私は東京生まれ東京育ちで、62年間東京に住んでいます。環境とは別に、生活者として東京を見ると、東京のサラリーマンが一番かわいそうだと思います。高い家賃の狭い部屋に住んでいて、都心で高いお昼ご飯を食べているのを見ていると、本当に幸せなんだろうかと思います。実際に生活者として住んでいる立場からいうと、東京は大変住みづらいですね。生活感としては、給与の面で都市手当てなどを多少見てくれてはいますが、カバーしきれないということです。

地方に行きますと、土地も安いし家が広かったりして、本当にうらやましいと思います。例えば、岐阜県などでは8畳の座敷を4つつくって田の字にするというのが基本らしいのですが、障子を外すと32畳の部屋ができて、大きな集まりでもそこでできるわけです。東京だったら、8畳すらない部屋に住んでいるということもあるわけです。余暇にしても、地方に住んでいれば川魚を釣るとかいろいろあると思いますが、東京だったらお金を出して釣堀に行かなければならない。東京ではお金を出さないと余暇を楽しめないということがありますから、地方の人のほうが人間らしい生活をしていると思います。

また、東南アジアなどには日本からのODAなどで生活をしている人たちがいますが、太陽が出たら仕事に行き、太陽が沈んだら帰ってくるという生活をしています。そういう人たちを日本から援助しているわけですが、実は援助を受けているほうが幸せなのではないかと思ってしまいます。

生活者ということと環境を結びつけると、これからはSOHOのようなものもありますが、やはり職住接近が一番ではないかと思っているんです。例えば、エネルギーを考えてみても、ラッシュアワーの山の手線は1分半に1回電車が来るという感じですが、一時だけのためにそれだけの電車を用意しなければならないし、莫大なエネルギーを使っています。そういう意味で、職住接近ということを考えていくとエネルギー的にも非常に有利になります。通勤を「痛勤」とも言うようなつらさがなくなってくる。そして、家庭でもっと家族との団らんの時間がとれるでしょう。

例えばヨーロッパなどを見てみますと、夏に日のでている時間が長いせいもあるのですが、みんな早く帰ってくる。朝は早いのですが、午後に帰ってきて、家にペンキを塗ったりしています。

そのようなことを見ていると、一極集中というのは、環境やエネルギーの面でも、生活者の快適性という面でも、決してよくありません。私は、やはり分散型の社会にしていくべきだと思うんです。

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江戸の知恵を生かしたまちづくり

首都の移転といえば、私は行ったことがないのですが、ブラジリアには非常に先進的なイメージがあります。ただ、日本で首都機能を移転するのであれば、江戸の知恵というものに新しい技術を入れて、自然にうまく適合した街というのが新しい首都のイメージになるのではないかと思っているんです。

一番わかりやすい例でいうと、家の西側に落葉樹を植えるというのが江戸の典型的な考え方です。西側に落葉樹を植えると、夏は葉が茂るので西日をさえぎってくれます。そして、蒸散によって気化熱を奪うので、気温を下げてくれます。冬には葉が落ちてしまいますから、西日がサッと入ってくる。このような知恵は、今でもそのまま使えると思います。

江戸というのは完全な循環型社会ですし、太陽依存型社会とも言えると思います。江戸時代を再現しても何の意味もありませんから、彼らの持っていた知恵に今の技術を入れて、太陽を徹底的に使った社会にするということです。太陽依存型社会というのは、基本は循環なんです。今、その循環という思想に今の我々の技術を入れていこうではないかということです。

江戸時代は、薪を燃やすにしても、菜種油を燃やすにしても、太陽のエネルギーを使っていました。これは今でいうとバイオマスということになりますが、当時のエネルギーは太陽が唯一といってもいいわけで、太陽エネルギーに支配された循環型社会だったのです。今の我々の社会はほとんどが化石燃料の入った循環型になってしまうのですが、そこをできるだけ江戸時代に似せた循環型にできればいいと思います。

今、我々がバイオマスを使うというときには、あんどんで菜種油を燃やすという意味ではなくて、菜種油からバイオディーゼルみたいなものがつくれるわけです。バイオを使うというとやはり太陽ということになりますが、太陽熱というものもあるし、太陽光も発電に使えます。それから、風力も発電に使えるわけですから、太陽をもっとうまく利用していくということがあるのではないかと思います。

今、我々が目指しているのは持続可能な発展(sustainable development)のできる社会です。社会が持続可能な発展をしていくためには、社会システムを循環型にしなければいけません。私はいつも学生に言っているのですが、循環型にすることは目的ではなく、持続可能な社会をつくるための手段なのだということです。そして、そのためには、現代技術に頼るだけではなく、古来の知恵というものを踏襲していく必要があると思います。

明治以降、われわれはあまりにも人為的に環境をつくりすぎてきました。例えば夏でも、昔は窓を開けてすだれを通して風を入れていました。今は窓を閉め切って、エアコンになっています。今さら江戸時代のやり方に戻せとはいいませんが、我々はあまりにも自然から隔離した環境というものを人為的につくりすぎたのかもしれません。

これから理想とする循環型社会というのは、資源・エネルギー低投入型ということになると思います。要するに、大量生産・大量消費・大量リサイクルではいけないということです。江戸時代の循環型社会は太陽エネルギーが中心ですから、クリーンであり、無限なのですが、今の我々の工業型社会は化石燃料が中心になっています。化石燃料を大量に投入すると、温暖化や大気汚染などの問題につながってくる。ですから、やはり資源・エネルギー低投入型社会を目指さなければならないんです。

そのためには、過密というものがよくないんですね。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という言葉がありますが、それが諸悪の根元になっているような気がします。過密を避けることは、自然の自浄能力、環境容量をより生かしていくということです。まさに「自然とともに」ということではないでしょうか。首都機能を移転するなら、そこが自然をうまく取り入れた循環型社会のシンボル、モデル都市になればいいと思います。

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コミュニティをつくることの重要性

私が足立区に住んでいるということもあって負け惜しみを言うと、1つ1つの家は世田谷区にあるような立派な家が足立区にも結構あるのです。ところが、街並みで見ると、足立区は全くかないません。世田谷や田園都市線の沿線などを見ると、いわゆる街並みというものが美しいのだと思います。また、ワシントンのモールの美しさというのは、街並みの美しさなんですね。一つ一つの建物の美しさではなく、街並みの美しさが大事なのだと思います。これからは、そういう街並み、景観の部分を少し考えなければならないと思います。

ただ、新しい街でもっと考えなければならないのは、その都市がコミュニティを持てるかどうかということです。つくばという都市ができて、いろいろな研究者が移り住みましたが、あそこでどういうコミュニティができてきたのかということに非常に関心があるんです。

私の住んでいる足立区は、自然発生的に農家があって、そこが土地を売って皆が集まってきて大きくなってきました。もちろん、もともと住んでいる人もいますし、街の中心には鎮守様があるわけです。しかし、つくばというのは、働き盛りの30代、40代という同じような年代の人たちが一斉にやってきてつくったまちですから、まちの中心たる鎮守様もないと思います。そういうところがどのようにコミュニティをつくってきているかということは、首都機能を移転する都市を考えるときにも非常に大事だろうと思います。

首都機能を移転する都市には、中央官庁の方が行かれるでしょうし、民間の方も行かれると思います。自然発生的ではなく、人為的に同じような年代の人たちが集まってくるわけですから、子供時代の共通の体験もなければ、集団としての連帯感もないわけです。いわゆる団地がそうですね。同じような年や収入の人が一斉に集まってくる。学校にしても、皆が一斉に来て、社会人になって出て行って、がらがらになってしまう。そういうところでどういうコミュニティをつくっていくかということを、考えなければならないと思います。一時、つくばでは非常に自殺者が多かったということを聞きますが、それはやはりコミュニティ、一体感がなかったからだと思います。

コミュニティをつくるためには、まちの中心となるものが必要なのだと思います。例えば、足立区ではまちの中心にあるお宮を精神的なシンボルとして、お正月に初詣に行くとか、赤ちゃんが産まれて7日目にはお七夜のお祝いに行きます。まさか行政府がお宮を作るわけにはいかないけれど、首都機能を移転する都市にもそういうものを考える必要があるのではないかと思います。そこに住む人たちが工夫して、お神輿を作ったりするということでもいいかもしれません。

もともと地域にいる人たちには、彼らに対して「ここは仮の住まいで、いずれ出ていってしまうのではないか。地域に根を下ろしてくれないのではないか」という意識もあるでしょう。そういう面も考えなければならないと思います。ですから、公務員宿舎をつくって、4,5階建てのマンションのようなものを作ってしまって、従来の住民とは違う生活をするということではだめだろうと思います。できれば一戸建てにでもして、地域の中に一緒に入っていくというような、地域との融合ということを考えていかなければならないと思います。

人間というのは、食べ物があって、快適な住まいがあって、緑も多くて、通勤が楽で、仕事にもやりがいがあれば、それですべていいのかというとそうではないわけです。建物や町並み、自然を生かしたまちづくりというハードも大切なのですが、そこに住む人がどういう生活をするのかということです。やはり、そこでの人間同士のかかわりをどのようにつくっていくかが大事なのではないでしょうか。

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新しき酒は新しき革袋に

国会等の移転というようなものは、幾らお金をかけるかはともかく、やはり国家百年の大計ということで考えていかなければならないと思います。自分が使うためということではなく、次の世代のことを考えるということです。最近は国家百年の計というようなことが少なくなっていますが、民意を問うだけが能ではないと思います。

結局、一般の国民はどうしても自分たちの損得で考えてしまいがちです。国家百年の計とかそういうことではなくて、今の損得なわけです。首都が移ってしまうと、地価が下がって自分の土地の資産価値も下がってしまうということで反対する人もいるのかもしれません。

いずれにせよ、国家百年の計ということで先のことを考えれば、東京にばかり集中しているというのはおかしいですよ。サラリーマンの通勤費を1人1時間減らしたら、どれだけの人件費になるか。どれだけのエネルギーを使ってつくっているかということを考えれば、地下鉄にしても、道路にしても過剰な投資をしなければならなくなっています。それから、交通渋滞で待たされている人の人件費を計算したら、大変な額です。過ぎたるは及ばざるが如しという感じで、過密が諸悪の根源になっているような気がします。そういった社会的損失というものを考えれば、「新しいところに」という気も起きてくるのではないかと思います。

歴史的にも、遷都というのは人心一新の意味もあったりします。島崎藤村の「新しき酒は新しき革袋に盛れ」ということでもないのですが、これから首都機能を移転することで新しい日本をつくっていくんだという意味でも、効果があるのではないかという気がします。

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