ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 現状の議論にピリオドを打って新しい構想を

国会等の移転ホームページ

現状の議論にピリオドを打って新しい構想を

講演の一部を音声でお聞きいただけます

(注) 音声を聞くためには、Windows Media PlayerまたはRealPlayerが必要です。
Windows Media Playerのダウンロードページへ real playerのダウンロードページへ


西室 泰三氏の写真西室 泰三氏 (株)東芝 取締役会長

1935年生まれ。山梨県出身。1961年慶應義塾大学経済学部卒業、東京芝浦電機(株)(現(株)東芝)入社。取締役東芝アメリカ社副会長などを経て、1996年代表取締役社長。2000年同会長。2003年より取締役会長。

社外職として、内閣府地方分権改革推進会議議長(平成13年〜16年)を務めたほか、日本経済団体連合会副会長、財務省財政制度等審議会会長代理、日米経済協議会会長、(社)日本広告主協会理事長、(株)WOWOW取締役、(株)角川ホールディングス取締役などを兼任。



日本の象徴的なイシュー

基本的に、首都機能移転の問題が非常に大事な問題であるという認識はもちろん持っています。どういう意味で大事かというと、1つには将来における日本の政治の形をどのように決めていくかということです。つまり、法律を決めていくプロセスの問題と行政の問題がある。首都機能移転の論議を見ると、この問題を中心にして政治がそれをどのように決めていくかということについて、非常に大きなインプリケーション(示唆)があると思います。

日本の政治の問題の一つは、難しいイシュー(問題)はできる限り先送りしようというモメンタム(勢い)が非常に強く働いているということです。私どもの会社でもそうですが、日本の社会の中では、変わるよりは前と同じことをやっている方がいい。大きく変えるという話はできる限り先送りしたほうがいいというモメンタムがどこにでもあるのです。

その典型的な例が、この首都機能移転の話なのだと思います。重要な問題であるにもかかわらず、合計14年間にわたって少なからざる経費を使いながら、いまだに結論が出ていない。結論を出さないがために何が起こっているかというと、もし移転が正しいという結論で具体的に動き出すとすれば、まったく不要な建設が東京の都心で盛大に進んでいる。しかも、意思統一もできていなければ何の建設的な結論も出ないものだから、国家のお金を使った新しい建設が東京の中心で進んでいるのに、このイシューに配慮した形跡が全くない。しかしながら、それに対するアピールを誰もしていない。これで本当に国の政治というものはいいのだろうか。根本的なところで、日本の象徴的なイシューがここにあるのだと思います。

ページの先頭へ

どこかで区切りをつける必要性

首都機能移転の問題でもっともアピールすべきなのは、何千億円の単位で公共建築の建替えその他が東京都心で同時並行的に進んでいるということです。首都機能移転の予算は少ないかもしれないけれど、少なくともそれは明らかに国民の税金から出ている支出です。そういうものが許されて、国会の両院協議会からは、1年半議論をして結論は出ていない。中間的な報告が出ているにとどまっている。そのようなことが現実に行われているということで、日本の政治の将来について非常に暗い感じを抱かざるを得ません。

しかしながら、いろいろな方が首都機能移転にはいろいろなメリットがあるということも言っているかと思います。多分、メリットの中で一番インパクトがあるのは、早く実行できるのであれば、首都機能移転で地方分権の形が変わってくるということであろうと思います。しかし、早くやらなければ意味がないのに、そのための方向性が全く出ていない。ですから正直にいうと、国会、あるいは首都機能を移転するということを一つの旗印として、何らかのモメンタムの発生と具体的な動きを期待するのはもうあきらめたほうがいいのではないかと思います。二重投資的なもの、延命のために先送りしている経費というのは、実はプロダクティビティ(生産性)が全くないのです。そのことについて、すごく深刻な疑問を抱かざるを得ません。

結論を出さないということを、これから先も続けるということには反対せざるを得ないということです。どこかで区切りをつける必要があると思います。

つまり、ポジティブに考えるのであれば、さっさとスケジュールをつくりなさいということになります。ネガティブに考えるのであれば、さっさとアクティビティをやめなさいということになるのだろうと思います。

ページの先頭へ

これから先の日本の社会と地方分権

これから先の日本の社会と国民の幸福というものを考えると、今の日本の国と地方との関係とは全く合っていないように思います。先進国家の中でいえば、日本の今の国と地方の関係というのは、未だに中央集権的な部分がほとんど残ったままになっている。ヨーロッパで一番中央集権的と言われたフランスですら、日本よりはまだ地方分権的なところが明らかに保護されているし、それをもっと強くしていこうと言われているわけです。

なぜ地方分権をするべきかという議論のスタートは、ご承知のとおり、国と地方との責任、あるいは行政の分担において、補完性の原理をとりいれるということにあります。つまり、家庭のことは自分たちでしっかりとやる。コミュニティのことはコミュニティが決める。それから、市町村のことは、できることについては市町村が主体的に決めるということです。そういうことを積上げていくと、国家がセントラルでやらなければならない部分は相当限られた部分でいいはずだという議論は正しいと思うし、それに向かって行くべきだと思います。

その1つのピークとして、首都機能移転の話をしているということを実は夢見ていたのですが、今のような状況であれば、一度幕を閉じて、まず地方分権の議論をしっかりとするべきだろうと思います。経費、調査費があるのであれば、地方分権についての動き、同時に道州制にするのであれば道州制といったことに振り向けるべきではないでしょうか。

地方分権については非常に幅広い議論がいま行われていますが、私は基本的に徴税権まで含めた税源を地方に移転するべきだと思っています。それと同時に、地方が責任を持って住民に対する福祉、あるいはあらゆる意味での行政をしっかり行う形を作らない限り、経費のむだ遣いは直らないと思います。

いま、大阪市の過剰手当が問題になっていますが、他のところでも地方公務員のあり方には問題があります。こういう問題をもっと真剣に取り上げて、合理化していかなければならない。そうしなければ、行政に対する経費が大きすぎる。本来、住民のために使うべきものを職員のために使っている、ということをこのまま続けていいのだろうかということに大変な危機感を抱く必要があると思います。

ページの先頭へ

基本的な議論をすることの重要性

郵政や防衛を別にすれば、国家公務員は37万人しかいないのに対して、地方公務員は308万人もいます。地方の議員だけでも、6万人もいるわけです。その6万人が本当にフルタイムのアクティビティをしているかというと、していないだろうと思います。議会の開催日数は120日と称していますが、実際にはせいぜい50〜60日です。それで裕福に暮らせるだけの給料を6万人に払っているわけです。そんなことをやっていていいのかというと、そうではないと思うのです。

地方のコミュニティを発展させたものである自治体の議員の給料、あるいは勤務体系というのは、他に生計を立てるすべがあって、ボランティア的な活動として議員をやっているというほうが普通ではないか。日本とは国の成り立ちが違うから仕方ないけれど、アメリカやヨーロッパの地方議員というのは、もっとボランティア的な地位、あるいは時間の使い方になっています。それが明らかに分かっていながら、勤務時間に制限があって、給料だけはちゃんとフルタイムで支払われる。こういう税金の無駄遣いをきちんと直していくということを真剣にやらなければならない。そう考えると、地方分権にまともにとりくむより仕方がないのです。それこそ、地方が地方のために地方で自治をするということを本当にするべき時期が来ているのだと思います。

また、地方分権と並んで、今は憲法改正の議論もいろいろあります。憲法改正の議論の中にはいろいろなトピックスがありますが、大きくいうと憲法を変えていいのかどうかという議論が最初にあって、その次に変えるのであればどうするかという議論があるはずです。憲法を変えていいのかどうかという議論は、片方で憲法というのは国の基本法だから変えるべきではないという話があります。自由と平和を愛する日本の憲法はすばらしいというものです。一方で、憲法を変えなければならないというのは、憲法の条文そのものが全く変えられないものだから、それを解釈することによってやってきたことに端を発していると思います。基本的に今の憲法の解釈というのは内閣法制局が代表してやっています。それを時の政府が方針にするという形は、国会でもそれを表明して賛成を得ているという意味でレジマシー(正統性)がないわけではありません。ただ、正統性はあるけれど、憲法の条文から読んだものと実際のプラクティスがこれだけ乖離してしまうと、子どもたちや学生さんが国民の精神や国のあり方を考えるときに大変甚大な影響があると思うのです。一番大事な国の基本法でありながら、書いてあることとやっていることが違うではないかということです。ロジックの積み重ねによって、その基本法と違ったことをやることが正当化されるということをこれ以上続けてはいけないから、私は憲法を変えるべきだと思っています。

そういう基本的な議論をすることが大事なのではないでしょうか。首都機能移転の話は、今までの経過を見ると、既に議論を何度も重ねて状況も変わってきています。これから先のことを考えたならば、現実に今やっておかなければならない問題にまず手をつけるべきではないかと思います。

ページの先頭へ

すぐにでもするべき首都機能のバックアップ

震災その他の自然災害などに対する首都機能のバックアップをどうするかということは、非常に大事なことで当たり前のことをやっていないのですから「さっさとやれ」ということになると思います。お金が限られているから優先順位の話があるのでしょうが、これに反対を唱える人はいないはずだし、当然やらなければいけないことです。会社にしても、コンピュータセンターが1カ所にしかなくて、それがつぶれたらおしまいということをやっていたら、いざというとき会社がつぶれてしまいます。それと同じです。

また、バックアップということを考えれば、これからますます情報化社会になっていくと、情報の流通がいわば社会の生命線のようになるだろうと思います。情報の流通の中で大事な部分とは、1つに情報の流通のパイプをいかに確保するかということがあります。もう一つは、情報プロセスを集中させるか、分散させるかということで、集中でやるとすれば安全性をどう確保するかということです。

そうすると、今はデータセンター的な部分に皆が注目しているのですが、データセンター間およびデータそのものを交換するためのインフラが今のままでいいのかということをしっかりと考えておかなければなりません。今はNTTが基本的なところをやっていますが、NTTにしてもIP電話のようなものが出てきてしまうと、経営の問題からこれ以上やれなくなってしまうと思うのです。一般の人たちがユビキタスということで、たくさんの情報を「いつでも、どこでも、だれにでも」となった場合、大変大きな情報量が国の中を飛び交うようになります。そのインフラは一体だれがどうやってつくるのか。つまり、ディストリビューション(流通)の部分については、真剣な議論をして対策をうつということが大事な問題になってくると思います。

もう1つバックアップということでいえば、人的資材というものがますます大事になるわけです。人間は、原則的に代替がききません。もちろん、常に新しいものに期待するという人間の将来にかける夢はありますから、代替がきくと思わなければいけないのかもしれません。しかし、それぞれの人間の尊厳を考えたら、その人たちがなるべく幸せに長く充実した生活を送っていただきたい。それから、人口は減るのではなく、増える形に何とか持っていってもらいたい。それが基本的な願いだろうと思います。そう考えると、バックアップをしっかりやった上で、防災対策を総合的に考えることが必要になってくると思います。

ページの先頭へ

安全で豊かな暮らしのために必要な防災対策

災害に対する対策というのは行政が責任を持ってやらなければならないはずです。しかし、東京というこれだけ人口が集積した場所に対する災害対策は、徹底的になされていない。シミュレーションでは、東京で直下型地震が発生すれば1万人以上が死ぬということになってしまっています。きちんとお金をかければですが、今の技術を持ってすれば、考えられるほとんどの自然災害の被害はミニマムにできるはずです。それを首都機能がいつか移ってしまうという議論が一方であることで、あの石原都知事ですら抜本的対策ができきらないということもあると思います。あれだけ豊かな都の財政をもってしても、まだまだやれない。それで何がおきているかというと、民間のデベロッパーが土地を買い集めて六本木ヒルズを作ってみたり、あちこちで耐震建築のビルをつくったりしているわけです。本来なら、それに伴うインフラの整備をもっとやっておかなければならなかったのだと思います。お互いに東京圏に住んでいるのですから、防災対策をないがしろにして済む話ではありません。本当に災害が起きて、1万人以上が死んでそれでいいのかという声が上がって当たり前でしょう。みんな「自分ではない」と思っているのでしょうが、現実に1万人以上も死んだら大変ですよね。やはり、今の東京が必要な防災措置がとりきれていないという現実を何とかしてくれということになると思います。

実際には、今の国家財政はほとんど破産状態ですので、すぐに予算の中から何兆円というお金を防災のために使えるかというと、ほとんど無理だろうとは思います。ただ、防災の問題に対する国民の関心は非常に高い。国の借金の残高が602兆円、国と地方のトータルは2005年末で774兆円になるわけですが、「防災のためにはこれだけお金がかかります」ということで、特別国債を発行してもいい。防災にかかるお金は、出す気さえあれば工面することは可能な金額だと思います。そこに住んでいる人に全部買っていただく新しい国債を出すということだってできるでしょう。国債の形でなければ、そのための募金をすることにしても、決して不可能な話ではないと思います。

これから先の社会では人口が減っていくのですから、どれだけ人々の幸せを確保し、将来のことを考えるということになったときには、それぞれの場所をもっと安全で豊かな暮らしに変えていくという方向に切りかえるべきではないでしょうか。

ページの先頭へ

首都機能移転は区切りをつけて新しい構想を

首都機能移転論というものは、1つの大きな国家事業でもあるし、早く移転したほうがいいということがオリジナルにはあったのだと思います。そのときには、みんな青春の志に燃えていたし、私もその議論は正しいと思います。

しかし、このイシューは意思決定ができないことが10何年でわかりました。日本では、意思決定をするのに大変なモメンタムを必要とします。力学的にいうと、非常に大きな力がないと新しい変化が生み出せない。意思決定そのものがなされていない一番大きな原因は、国も地方も含めた行政や政治に関わっている人たちにとって、現在のシステムそのものが極めて安楽なポジションを確保しているから、それをはずしたくないということだと思います。しかし、今はもう新しい変化がなければもたないところまできています。

結局、首都機能移転というのは、夢を語る題材としてアトラクティブ(魅力的)でありすぎるのだと思います。つまり、この話があるばかりに、いろいろな夢があって本当に真剣に考えている方々がたくさんいるわけです。夢っていいなと私も思います。だからこそ、結論を早く出さないと困るのです。

政策の過ちに対しては、きちんと句読点をつけて、反省をする。それをやらないと、将来に対して何の指針にもなりません。失敗の一番のメリットは、その失敗をちゃんと伝承して、繰り返さないようにできるということです。そういうメリットを、みんなでしっかり見つめましょうということをあえて言いたいと思います。

首都機能移転については、これだけの間に何も進まなかったのだから、ピリオドを1回打って区切りをつけるべきではないでしょうか。もちろん、移転の話とは別に、首都機能バックアップや防災はしっかりとやっていく必要があると思います。人が死ぬといっているわけだから、これはやらなければ大変です。

そして、具体的にすぐやらなければならない地方分権の話をまず進める。いま大事なのは、地方分権をさらに徹底して、地方が自分で考えて自分でお金を使うというような、税体系を含めたシステム作りをやらなければならないということです。地方分権が進んでいくうちに、政府が小さくなりましたということになったら、首都機能はどこにおいてもよくなるはずです。首都機能移転を考えるのであれば、その上で新しい構想を立ててもよいのではないかと思います。

ページの先頭へ