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地域主権がもたらす新しい日本の可能性

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齋藤 精一郎氏の写真齋藤 精一郎氏 エコノミスト・千葉商科大学大学院教授・(株)NTTデータ経営研究所所長

1940年生れ。1963年東京大学経済学部卒業後、日本銀行勤務を経て、1972年立教大学社会学部助教授、1975年4月〜2005年3月まで立教大学社会学部教授、2005年4月から千葉商科大大学院教授(金融論・コーポレートファイナンス)。1991年よりNTTデータ経営研究所取締役所長を兼任、現在に至る。専門の社会経済学・経済政策・金融論を中心にエコノミスト・社会経済学者として幅広い評論活動を展開している。

著書に『新「成長経済」の構想』、『ゼミナール現代金融入門』、『10年デフレ』(日本経済新聞社)、『マネー・ウオーズ』(PHP研究所)、『経済学は現代を救えるか』(文芸春秋)、『日本経済 完全復活の真実』(ダイヤモンド社)、『アングラ・マネー』(講談社)、『痛快!新しい金融学』(集英社インターナショナル)など多数。


<要約>

  • これまでの中央集権体制から地域を基点とした「地域主権国家」体制にすることで、日本の多面性が引き出され、地域も活性化される。
  • これからは、首都が地方を変えるのではなく、グローバルな流れとの強い連関のもとでの地域が変わる。地域が本来持つ活力を引き出していくための制度的な変革が今の日本には求められている。
  • 多様な潜在力を引き出すためには、首都機能を東京だけに集中させるのではなく、大阪・名古屋にもハブ的な拠点として首都機能を持たせる。その上で、集権的にではなく、5年に1度くらいずつ政治機能を中心に東京・大阪・名古屋の間で首都機能を移していくべきである。
  • 今まで隠れていた各々の地域のオリジナリティが引き出され、活性化されてくることで、日本が多面的な力の集合となることがこれからのあるべき姿ではないか。

これからの日本にふさわしい首都機能とは

首都機能を東京以外に移転するということで前から不思議に思っていたのは、移転の話がありながら東京がますます便利になっているということです。地下鉄や道路を新しくつくっていますし、飛行場も羽田が国際的に展開されていくというような状況です。東京は、ますます便利で住み心地がよくなって、投資もたくさん行われているわけです。そうすると、東京にかわる首都を新たにつくるためにお金をそんなにかけていいのかなという疑問が出てくると思います。

ただ、これからの日本経済や社会の動向を見ると、東京だけが輝いていても意味がありません。私自身は、東京をどこかにもう1つ作るということではなくて、東京と名古屋、そして大阪の3つくらいを核にして考えるとよいのではないかと思っています。

日本を大きく分けてしまうと、関東圏と東北と北海道が東日本、そして中部に北陸・信越を含めた中央日本、それから九州・四国を含めた関西が西日本になると思います。そして、それぞれの地域に政治的機能と行政的な統治機能を持たせて、5年に一度くらい国会を移していけばいいのではないでしょうか。これから道州制をどうつくるかというようなことはあるけれど、3つの地域それぞれが全体を統括する機能を持っていながら、日本全体の象徴としての役割を果たしていく。5年に一度、そういった象徴が動くとすれば、地域も多様な展開をして、特色が出てきます。ビジネスは各地にあるわけですから、そこに核を作るということです。

地域を少し区切ることによって、各々の地域がグローバルに開かれるということもあると思います。西日本は中国やインドネシアなどのアジア、中央日本はロシアや他の地域、東日本はアメリカなどとつながりを深める形で、それぞれをグローバルに転換するための拠点として特色付けていくということができるのではないかという気がします。

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新しい日本の方向性と政体の変革

こういったことの前提となるのは、首都というのは統括、統治機能だということで、大きなものを作ればいいということではありません。今までというのは、江戸幕府が1603年にできて、江戸中心の封建制度である幕藩体制がありました。政体変革と結びついて江戸幕府が興って、首都機能も京都から江戸に中心が移ったということです。それから、今度は幕藩体制が崩れて、天皇も東京に来て、東京中心の中央集権体制の形になったわけです。

今の分権論の基本的な問題は、こうした江戸からの400年、あるいは明治維新から140年の集権体制の手直しだということです。方向としては、集権をそのまま前提にして、集権のいき過ぎたところを少し緩和するという点で、逆転ではなく手直しの域を出ません。しかし、本来であれば、完全な逆集権にしないと、基本的にはおかしいのではないかと思います。

21世紀には、日本の人口も定常状態から減少に入っていきます。そういう中で日本の持っているポテンシャルを引き出していくには、明治以降、あるいは戦後の集権的な流れではなく、多様化するということが必要になってくる。地域が各々の自律的な力と特色、オリジナリティを出すような仕組みがどうしても必要ではないかと思うのです。

そのためには、明治以降の中央集権の流れを完全に逆転させる必要があるということです。経済は東京が強いのは確かですが、政治機能までいつまでも東京に張り付いているのはどうかと思います。東京が中心だという考え方自体から離れなければならないということが一番重要ではないかと思います。そうしなければ、地域は、多様な展開がなかなかできないと思うのです。これからの新しい日本を支えるためには分権が必要になってくると思います。私は地域主権といっていますが、これからは20万から30万人程度の行政単位を基点にすべきではないかと思っています。

これは、「補完性の原理(サブシダイアリティ)」とEUで言われるものをベースにしているのですが、地域は地域主権で主体的な決定権を持つ「藩」を基点にして、藩ではできないことを担う広域ブロック共同体としての道や州があり、それでもできないことを国が担うというもので、中央集権を逆転させるということです。現在の市町村を200から300の「藩」に集約し、「地域主権」の担い手となることが考えられます。また、道や州については、「北海道・東北」、大きすぎるという問題はありますが「関東」、東海と北陸を含む「中部」、「近畿」「中国」「四国」「九州」の八つくらいにする。そして、東日本、中央日本、西日本という三つの大きなブロックの核として、首都機能を持つようなハブ的な拠点をつくる。例えば、東日本は東京、中央日本は名古屋、西日本は大阪というような感じです。また、土台はあくまでも地域にということでいえば、税源についても、2割を中央政府が持ち、8割を地域が持つという2:8ぐらいの関係がよいと思います。道州をどのようにするかは別として、「藩」のような地域の基礎自治体と州、中央政府の割合を4:4:2くらいの比率にする。そうすると、税制も大きく変えなければならない。そういう新しい21世紀型の政体を前提にして、はじめて新しい日本を方向付けることができるのではないかと思います。

今の日本には、地域が本来持つ創造力や発展性というような活力を地域に引き出していくための制度的、あるいは仕組み的な変革を行うことが必要だと思います。その上で、日本国全体の統治機能としての首都をどうすればよいのかということを考えていくべきではないかと思います。

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東京・大阪・名古屋を軸にした首都機能の考え方

これからの議論というのは、例えば年金や地域福祉、医療の問題のようにナショナル・ミニマム的な議論が強まる一方で、むしろ個別的に対応せざるを得なくなってきています。一番の例は、年金の問題です。社会保障費にしても、できるだけ削減するというのは確かにそうしなければならないけれど、かなり自由度があってもよいのではないかと思います。ある地域では、介護のことに非常に力を入れている。また、ある地域では介護はできるだけ自立してやるようにするということでもいい。

年金の問題にしても、個人の積立てを充実するかわり、ネガティブタックスではないけれども最低限の生活は保障する。年金は個人の積立預金にして、運用したものについての税制の優遇などはきちんとするということも考えられます。最低限のことはきちんとやっていくにしても、全てを全国一律にするというと、もう持たないのではないかと思います。
ですから、地域や個人に少し選択権を広げていかないといけない。そのためには、地域を分けてしまって、ハブとなるような核都市に教育や医療、介護といった社会的なサービスの裁量権を与えるようにしたほうがよいのではないかと思います。そういう国づくりの中で、新しい首都とは何なのかということを考え直していくと、展望が開かれるし、各地域も元気になってくるのではないかという気がします。

これまでには、焦点が2つあるということで、東京と大阪の二眼レフ論というようなものが言われたことがありました。私は、東京と大阪だけでなく、そこに名古屋を入れた三つの都市を軸にして、多様な潜在力を引き出すようにすればよいのではないかと思います。

その上で、新しい首都をどう考えるかということになると、東京だけに集中させておくのもおかしいわけで、他のところに首都機能があってもいいということになります。しかし、他のところでまた集中するのであれば、やはり一種の集権的な考え方になってしまいます。ですから、これからの首都をどうするかというとき、5年位ずつ政治機能を中心に5年くらい東日本から中央日本、中央日本から西日本というように移していくのがいいのではないかと思います。プランを立てたり方向性を出すには、3年では短すぎるし、10年では長すぎるので、5年くらいが一区切りになると思います。例えば、これから5年間は西日本に首都機能が来るということになれば、西日本で独自に新しく違ったことをやろうとする。そういう形で、日本のいろいろな多面性が引き出されてくるような気がします。そのように回していけば、みんなに元気が出てくるのではないでしょうか。もうどこか1カ所に集中するという時代ではないのではないかと思います。全体としては、政体変革があって、最低限のことさえ決めておいて地域のハブにかなりの自由裁量権を与えれば、各地域でかなり独特なことができるのではないかと思います。

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グローバルな流れから地域が変わる

いま、名古屋が非常に元気なのは、もちろんトヨタの力もあるけれど、それと同時にグローバリゼーションによる影響が大きい。名古屋の場合、トヨタを中心に1985年のプラザ合意による円高で急にグローバル化したわけです。海外に拠点を設けたり関係を持たないと、あの地域はやっていけないということで、トヨタやデンソー、アイシン精機などが海外との関係を作った。それで活性化しているわけで、政治機能との関係は全然ありません。

名古屋を見ていると、独自にグローバルという場を使って、ついに飛行場までつくってしまった。ですから、経済機能は本来、自由にいろいろなところでやればいいのではないでしょうか。核となる拠点を作って、そこに求心力を持たせて、地域の自発的な創造性につなげていく。それは絶対にグローバルにつながっていくと思います。名古屋のケースを見ていると、本当にそう思います。地域と経済がつながったから、みんなが元気になってきたという感じです。

これからはグローバルな流れの中から地域が変わるのであって、東京という首都が地域を変えるのではないのです。明治政府以降は東京が中心でやっていたわけですが、これからは世界と地域の関係で日本も変わっていく。その統合をどのようにするかということで、首都機能というものが必要になってくるということだろうと思います。

日本の場合、首都機能というのは天皇制と歴史的な象徴の問題、あとは国会ではないかと思います。国会とは何かといえば、安全保障、外交、国全体の調査の問題で、あとは金融の問題などにかなり限定されてくるのではないでしょうか。それが、経済的機能の中心と一緒になっている必要は全くないわけです。経済は、必要に応じて動いていきます。常に時代の潮流に対応していなければ、マーケットがなくなってしまう。しかし、行政は違います。ずっと東京に居座っているわけです。

東京中心で政治と経済がくっついてしまっているのは、経済のある面ではいいのですが、逆に封じ込めてしまっている部分もあるのではないでしょうか。現在は、それぞれの地域に基本的な経済機能がないから、東京からみんな持ってくるという形になっているわけです。これから地域が動いてくれば、政治機能と経済機能は分離していいのではないかと思います。そのほうが経済機能の本来の潜在力の湧出につながっていくのではないかと思います。

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これからのあるべき姿としての地域の活性化

今の東京のようなあり方は、これが最後になるのではないかと思います。政治と経済が1点集中しているというやり方は、20世紀までの話だろうと思います。世界を見ても、アメリカという巨大な一極はありますが、ほかは散らばっています。一極であること自体、怪物的で、融通がきかなくなってきて、かえって時代の流れに対応できなくなってきているのではないでしょうか。

そういう意味で、東京の役割は終わったのだと思います。キャッチアップをしてきて、1985年に1人当たりGDPがアメリカと同じになりました。そのときに円が上がって、そこからバブルが始まるわけですが、そこで東京の機能は基本的に終わったのだと思うのです。その後、バブルで方向性が分からなくなってしまって、今日まで来てしまったわけです。ですから、これから新しい方向を考えないと日本の再生はないということではないでしょうか。

確かに政治機能は国として大切ですし、国の象徴でもありますから、東京だけでもいいのかもしれません。しかし、地方にも常に国全体の方向を見る目を持たせることで、固定化しないほうがよいのではないかと思います。各地域で行政機能を持ち、高度な政治機能と象徴的なものは首都でやるとしても、政治・行政機能と経済機能は分離したほうがいいとのではないでしょうか。

気候、風土、歴史などはおのおのの地域で違うわけですから、今まで隠れていた地域のオリジナリティが引き出されてくると、多面的な力の集合としての日本がいろいろな面で展開されてくるのではないかと思います。それぞれの地域がいろいろな面でもっと自由になることで活性化されるというのが、これからのあるべき姿ではないでしょうか。

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