ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 全国各地のクリエーションが支えるこれからの日本

国会等の移転ホームページ

全国各地のクリエーションが支えるこれからの日本

講演の一部を音声でお聞きいただけます

(注) 音声を聞くためには、Windows Media PlayerまたはRealPlayerが必要です。
Windows Media Playerのダウンロードページへ real playerのダウンロードページへ


大原 謙一郎氏の写真大原 謙一郎氏 (財)大原美術館理事長

1940年神戸市に生れ、倉敷、京都で成長し、現在倉敷に在住。1963年東京大学経済学部卒業。1968年エール大学大学院博士課程(経済学研究科)修了。

1968年倉敷レイヨン(現クラレ)に入社。副社長として財務、総務、労務、経営管理、研究開発などを担当。1990年中国銀行に移り、1998年まで副頭取。

現在、(財)大原美術館理事長として財団法人の経営にあたるかたわら、倉敷芸術科学大学客員教授として非営利事業経営論を講義している。また、倉敷中央病院理事長、倉敷商工会議所会頭、岡山県教育委員等を兼務。

著書に『倉敷からはこう見える−世界と文化と地方について−』(山陽新聞社)がある。


<要約>

  • 首都機能を移転するニーズは、首都のサイドからすると薄れているように思えるが、地方のニーズは必ずしも薄れているわけではない。
  • 日本を支えているのは、日本各地の文化的クリエーションとビジネスのクリエーションである。各地の歴史や文化を背景にして生れてきたクリエーションを移植することで東京が成り立っているとすれば、各地のクリエーションのパワーはなくしてはいけない。
  • 東京に地方の情報が届かず、全てが東京に集まる現在の状況が続けば、地方のクリエイティブなマインドが残り得るかというと、若干の危惧を抱かざるを得ない。
  • これからは、全国津々浦々のクリエーションを生み出すバックグラウンドを大事にする必要があるのではないか。そのためにも、多様な文化が見えるような首都がこれからは必要ではないか。

首都機能を移転する3つのニーズ

首都機能の移転にはいろいろなニーズがあると思うのですが、「首都のニーズ」「地方のニーズ」「日本のニーズ」というように分けるとすれば、首都のニーズは過密で効率が悪くなってしまったからという議論がありました。今まで色々なところで言われてきて、ひところかなり盛んになったと思います。それから、今度は地方のニーズとして、何でも東京に吸い上げられて、地方が疲弊を極めているというのでは困るから、首都機能の移転に伴って、もう少し地方のことに配慮した政策が行われるようになってほしいというニーズがあったと思います。そして、日本のニーズとは何なのか。これが一番大事なところなのですが、正直、まだ十分に詰められていないという感じを受けます。

この三つのニーズのうち、首都のニーズについてはかなり解消したという感じがします。東京の方は「道が渋滞して困る、通勤時間が長い」とかとおっしゃいますけれども、10年前、20年前に比べれば、かなり改善されてきています。私も時々東京に行って感じるのは、昔と比べたら今や天国だということです。そのあたりの思いが首都の方とは温度差があると思うのですが、私たちからすれば、地下鉄を含めて首都圏にかなり集中的な投資がなされて、首都の機能はずいぶんと充実したという感じがしています。そういう意味では、首都サイドから色々なものを出さなければやっていけないという形の、いわば放り出し型の首都機能移転のニーズはかなり薄れたのではないかと思います。

それならば、地方のニーズが薄れたかというと、どうでしょうか。今でも税制や政策などの中に、いろいろなものを東京に集中させようというような仕組みがまだ残っているような気がします。ビルトイン・セントラライザーと私は呼んでいるのですが、地方で芽生えたいろいろなものを東京に吸い上げようとする動きはまだ続いているように思います。バブル以降の景気回復の波の中でも、地方がよくならないうちに東京だけがよくなって、東京がよくなったからということで景気刺激をやめてしまった。それで、日本全体が不景気の波に落ち込んでいくということを今まで何度も繰り返していると思います。そういう意味では、地方サイドのニーズは薄れていない。今の首都一極集中で、地方はいろいろな迷惑を被っている。多分、その迷惑は薄れていないだろうという感じがします。

ただ、「首都は居心地がよくなったから、よそに移転する必要はない。やはり東京が一番いい。」とか、「地方が疲弊するのは、もうかなわない。もっといろいろやってくれ」というような次元の首都と地方の引っ張り合いをしているのでは、話はいいほうには行かないだろうという感じがします。ですから、それが日本の国の姿としてどうなのかということをきちんと議論しなければいけないのではないかと思います。

ページの先頭へ

今の日本を支える日本各地のクリエーション

文化の側面から日本の姿を見ると全国各地に多様で多彩なものが伝わり、今もそれが新しい創造に結びついていることがわかります。そして、文化的なクリエーションとビジネスのクリエーションは、分けては考えられないものだろうと思います。文化的クリエーションとビジネスのクリエーションが、日本各地の土地に生れてきた歴史や文化などの蓄積を背後にして出てきているということは、やはり忘れてはいけないと思います。

例えば、アートの世界でいえば、つい2年前が棟方志功という版画家の生誕100年でした。あの人は、津軽の風土の中でじっくり自分の思索を燃焼させ、醸成させ、発酵させて、それを画面にぶつける。そういう非常に激しい画面をつくっているわけですが、これはあくまでも津軽という風土の中で醸成されたエネルギーであるに違いないと思うのです。ですから、棟方志功は決して瀬戸内からは生まれません。逆に、坂本龍馬や西郷隆盛が津軽から生まれてくるかといえば、まず生まれない。彼らは南国の気風の中でこそ生まれるのだろうと思います。鹿児島などにはそういった絵描きもたくさんいます。

それから、久留米というところがいま非常に注目されています。久留米は、孫正義さんや堀江貴文さんを生み出したところです。なぜ久留米から生れたのかはいろいろと謎だと思いますが、実はそれだけではないのです。美術の世界でいえば、青木繁や坂本繁二郎などが久留米です。もっと言えば、民間の美術館としては大原美術館が日本で最初にできたものですが、東京で最初に出来た美術館はブリヂストン美術館です。それでは、ブリヂストン美術館は東京の美術館かといいますと、実は創業者の石橋さんという方は久留米の方です。ブリヂストンという会社も、創業の地は久留米で、東京で創業した会社ではないのです。

このように、久留米はいろいろなものを東京に移植している。そうして成り立っているのが東京だとしたら、移植をするもとをつくり出す久留米のクリエーションのパワーというのは決してなくしてはいけないものだと思います。こういったことは、久留米だけの話ではないのではないでしょうか。

美術館の世界でいえば、上野の国立西洋美術館はどこに基礎があるかというと、松方幸次郎さんのコレクションです。松方さんという方は、ご存知のとおり神戸の事業家です。美術の世界でも、そういうものが地方から芽生えてきたということだと思います。これは美術館だけの話ではなく、ビジネスの世界でもそうだと思います。今のリーディング産業である自動車を見ても、トヨタさんは愛知の会社です。もっとも、創業者の豊田佐吉さんという方は、そもそもは遠州の方だったようです。遠州といえば、本田やスズキも浜松です。ダイハツは大阪だし、広島には東洋工業(マツダ)がある。そういう形で、全国でクリエートされたものが今の日本を支えているのだと思います。

ページの先頭へ

全国各地でおこるクリエーションのバックにあるもの

浜松というのは、昔から繊維産業の技術の蓄積と、東海道を往来する多くの文人墨客が残した文化的な遺産が非常に色濃くあるところです。そこからトヨタさんが生まれ、本田さんが生まれ、今では浜松ホトニクスが生まれてきている。日本で初めてテレビ電波が出されたのも、浜松(浜松高等工業学校)です。そうしたものを生み出すには、東海道筋の文化の蓄積と繊維産業の蓄積が大きかったと思います。

繊維産業の蓄積というのは3つの意味があります。1つは、アパレル産業、あるいは織物を作る産業というのが、非常に大きな技術的な蓄積、ビジネスマインドの蓄積を残している。もう1つは、機織りの機械をつくるということも非常に大きな蓄積を残しているということです。さらにもう1つは何かというと、特に明治以降の繊維産業は情報産業であるということです。繊維というのは、メーカーが生産で儲けているだけではなく、相場でも儲けている。そういう意味で情報産業なのです。だから、繊維産業というのは、繊維機械の産業でもあり、アパレルや織物の産業であり、情報産業でもある。そういう蓄積があるために、浜松の機織機の機(はた)の技術からトヨタが生れたわけです。機の技術というのは、木を使った精密機械ですから、身近にある木の精密機械の最たるものであるピアノの産業が浜松に生まれたのも必然なのだと思います。福井県も繊維産業の盛んなところですが、実は日本一のハープ産地でもあります。ハープは台数そのものも少ないですからあまり目立ちませんが、これも木製の精密機械だということがあると思います。

このように、いろいろな土地から生まれてくる産業というのは、それぞれの歴史と文化とをしっかりとバックに持っています。そういうことを考えれば、京都のベンチャーもよくわかるような気がするのです。京都というのは、お武家さんの町でもあるのですが、優れて町衆の町です。明治政府が小学校令を発したとき、京都では既に町衆がつくった学校が60以上も存在していました。その中に明倫小学校というものがあったのですが、すばらしい建築で、閉校した今でも京都芸術センターとして見事に機能しています。これも町衆が作った学校です。

そんな町衆の心意気がつくり上げた京都という風土の中で、さまざまな商人道が育ってきているわけです。それも京都からだけではなく、鹿児島から京セラの稲盛さんが来られたり、近江からワコールの塚本さんが来られたりということで色々なクリエーションが行われてきたとすれば、土地の伝統や文化というものが事業のクリエーションにすごく結びついているのだろうという気がします。例えば、京都のベンチャーの旗手の方と話をしていると、石門心学などをよく口にされます。石門心学というのは石田梅岩がつくり上げた商人道で、リスクをとるとかチャレンジするとか、技術開発ということを言っているのではなく、誠実にやる、約束は守る、先祖を敬うということを言っているものです。そういう形で、京都の町衆の中で育ってきた文化は、京都のベンチャーと無関係ではない。

こうした日本全国にあるクリエーションのパワーというのは、色とりどりなのです。全国津々浦々にあるいろいろな文化的バックグラウンドを大事にすることで、はじめて日本の国を支えるものが生まれてきている。だとすれば、それを大事にするということを是非しなければいけないのではないかと思います。

ページの先頭へ

東京と地方での意識の違いとメディア

そこで翻って、今の日本の状況を考えますと、東京の方々は日本のことをどうもよくご存じないということがあるのかもしれません。日本のことが目に入らなくなっていて、自分たちの足元しか目に入っていないような気がします。

例えば先日、新潟で地震がありました。これは大変なことですから、集中的に報道されるのは非常に結構なことです。ただ、新潟と同じころに大雨で水浸しになった兵庫の豊岡、京都の舞鶴に対してメディアがどれだけ冷たかったかということを思い出すと、東京の関東甲信越に対するまなざしと、その他の地方に対するまなざしには差があると感じてしまいます。この豊岡という町では、ずっと後まで何十人もの方が応急仮設住宅に住まわれていて、道にたまった大量のゴミの掃除すら出来ていない。そういう状況があるときに、新潟は盛んに話題に上るけれども、豊岡は口の端にも上らない。その結果、新潟には全国から援助や義援金が集中して、豊岡にはほとんどないということになる。そういうことでいいのだろうかと、地方から見ていると思うのです。

もちろん、新潟が早く回復したのは良かったと思います。ただ、そういう状況を見ても、関東に色々なものが集中しているということは、メディアのような民間ベースで考えるべきことにいたるまで首都圏偏重になってしまって、日本の国の姿を歪めているのではないかと思います。

また、アメリカにいる私の友人がたまたま日本に帰ってきて岡山のホテルに泊まったことがありました。それで、次の朝、朝食を食べていたらびっくりしたというのです。どうして岡山のテレビで山手線が混んでいるというような東京のローカルニュースを流すのかというわけです。逆に言えば、私どもの大原美術館の館長に高階秀爾先生がなったということを倉敷支局から上げても、東京ではあまり記事になりません。なるとしても小さな記事になる程度です。これを東京の文化部にもっていくと、それなりの記事になって出てくる。そういう構造があるということだろうと思います。

これは倉敷だけではなく、大阪ですらそうです。だから、大阪の会社は、決算発表のときは大阪の記者クラブでやりますけれども、東京でも同時に発表している。というのも、一般国民だけでなく投資家もマスメディアの情報を参考にするわけで、会社が東京に行く理由はそこにある。東京に行って東京のメディアの露出を増やさないと投資家対策にならないということがかなり大きな要因としてあるように思います。

もっとも、東京からタレントさんがやってきて、「空気がきれい、水がおいしい、こういうところに住みたい」と言われて喜んでいる地方の人もたくさんいます。ですから、東京と地方の両方に意識の問題があって、東京はお上で偉いと思う意識が地方にもあるのだと思います。

ただ、メディアから発信されている情報が、そういうものを増幅しているところもあるのではないでしょうか。首都機能を移転することでメディアも移っていくとしたら、こうした構造も少し変わるかもしれないというのは、1つの救いになるのではないかという気がします。

ページの先頭へ

税金に関する東京の人の誤解

東京のほとんどの人は、自分たちがたくさん払っている税金を地方が無駄遣いしていると思っていらっしゃるのではないでしょうか。ですが、地方にいる人から言わせればそれは誤解です。会社の本社が東京にあるために税金の納付窓口が東京に集中しているということはよく言われていると思いますが、それだけではありません。例えば倉敷のそばにもJFEや三菱自工などがあり、若いたくさんの人が働いています。まだ若い彼らは多額の税を負担するほどの収入は得ていません。しかし、彼らの子どもたちはこの近くの小学校や中学校などに行っているように、家族を含め、地方の行政サービスを濃厚に受けています。その人たちがだんだん部長になり、常務になって税金をたくさん払うようになったら、みな東京に行ってしまう。そして、東京でたくさん税金を払う。とすると、東京人がたくさん税金を払っているのではなく、税金をたくさん払っている人がみな東京に行ってしまっているということでもあるわけです。

もっと言うと、そういう人たちが東京へ行くときに、「倉敷はいいところでした。退職したら帰ってきます。」とおっしゃるわけです。それはうれしいことではあるのですが、退職して帰ってこられたら、もう税金は払わない。逆に年金をもらって、介護保険などの行政サービスを非常に濃厚にお受けになる。これが嫌だということでは全くなく、そういう構造になっていることをもう少し理解する必要があるのではないかと思います。

ページの先頭へ

新しい首都は文化の多様性が見えるところに

関東文化というのは、1つにお上の文化という側面があるように思います。基本的に鎌倉時代は「いざ鎌倉」の文化でしたし、江戸幕府にも「御公儀大事」のお上の文化がありました。しかし、京都は町衆文化ですし、瀬戸内はかなりシビル(市民)文化といってよいと思います。これからは、そういう文化の多様性が見えるようなところに首都をおかれたほうがよいのではないかという感じがします。

今の日本の状況を考えると、東京という首都は非常に便利になりました。しかも、そこにいろいろなものをトランスプラント(移植)する仕組みが非常に発達して、美術館にしても、ビジネスにしても、みんな東京にヘッドクォーターを持っていくという仕組みになってきています。それでも、今はまだ地方がクリエイティブなマインドを失っていませんが、今の延長線上でそういうものが本当に残り得るのかということには若干の危惧を抱かざるを得ません。

日本を文化的にも事業的にも支えるクリエーションというのは、なにも関東平野、あるいは関東甲信越だけから出てきているのではなくて、全国津々浦々から出てきているわけです。ノーベル賞学者が京都大学から多く出るというのも、あれは京都の文化的な蓄積があって出来たものであって、偶然ではなく必然なのだと思います。ですから、そういうものをこれからはもっと大事にしないといけないのではないでしょうか。

ページの先頭へ