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首都に求められる危機管理の意識と対策

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志方 俊之氏の写真志方 俊之氏 軍事アナリスト・帝京大学教授・東京都参与(災害対策担当)

1936年3月生れ、石川県出身。1958年防衛大学校(第2期)卒業。1966年京都大学大学院博士課程修了(工学博士)。防衛庁に入庁後、米陸軍戦略大学国際研究員、在米日本大使館防衛担当参事官、陸上幕僚監部人事部長、第二師団長(旭川)、防衛大学校幹事、北部方面総監(札幌)などを歴任。1994年3月退官。1995年4月より帝京大学法学部教授に。また、中央大学大学院客員教授、世界平和研究所研究顧問のほか、1999年より東京都災害対策担当参与を併任。

著書に 『極東有事』(クレスト社)、『現代の軍事学入門』(PHP研究所)、『最新極東有事』(PHP研究所)、『自衛隊に誇りを』(小学館)、『フセイン殲滅後の戦争』(小学館)などがある。


<要約>

  • 災害には自然災害とテロのような人為災害の2つがある。そのときに、首都であるが故に守らなければならないものは首都機能である。また、自然災害とテロのような人為災害では対処すべき方法が異なる。
  • 日本の場合、首都になくてもいい機能まで首都に集中している。首都になくてもいいものは外に出す、あるいはどこかにバックアップをおくことが必要である。首都機能の大部分は、直下型地震や人為災害でも同時に被害を受けない距離の所にバックアップをおけばいいのではないか。
  • テロというのは、日本でも起こり得るが、防ぎがたいものである。また、事前にテロの対策を行うのは様相に不明な部分があり、全体像が分からないが故に手探り状態にならざるを得ないが、やるべきことをある程度決めておくことが必要である。
  • 首都機能については、アクセプタブル・リスク(受け入れられるリスク)、アンアクセプタブル・リスク(絶対に受け入れられないリスク)を峻別し、最低限のBCP(Business Continuity Plan:業務継続計画)ができるようにしておくことで、安全を確保することを緊急にすべきである。

首都であるが故に守るべき機能

首都機能を移転するという問題に関して、色々な見方や考え方を整理すると、今のところ2つに分かれていると思います。大きくいえば、首都そのものを遷都して違うところに新しくつくるという考えと、首都の中で重要な機能のバックアップを外に持つという考えがあります。私個人としては、遷都をするというような考えよりも、首都になくてもいい機能はなるべく首都の外に出すことが望ましいと考えています。そのために、首都になければできないこととそうでないことを峻別する。それから、首都になくてもよいものは外に出して、首都の中でも危機管理のような機能はバックアップができるようにしておくということです。こういったことについて、首都の機能が今のままでいいという認識の人はいないのではないかと思います。

もう一つ基本的なことは、災害が起きたときに何を守るのかということです。このテーマは、国民を守るというよりも、国家の体制を守るということです。これは、内閣府に設置されている中央防災会議の首都直下地震対策専門調査会でも、首都機能と首都の国民のどちらをまず守るのかということで最後まで問題になりました。しかし、国家体制を守るのか、国民を守るかという問題ではないのです。それで、最終的に国民を守るためには、まず首都機能を守らなければならないということになったわけです。他の機能については、大阪や名古屋で災害が起きてもすべきことが共通しています。しかし、大都市災害と首都の災害とは別であって、首都であるが故に守らなければならないのは首都機能ではないかということです。

もっとも、首都機能といいながらも、地震が中央官庁のある千代田区だけで起こるわけでもありません。地震が起きたときに霞ヶ関に通う人たちは都民でもあるし、近隣県の人でもあるわけです。ですから、守るべきは国家機能だといっても、都民や近隣の人として守った人がそれを支えているということにもなります。

そうすると、何かが起こったときにまず助ける人、復興すべきものの優先順位をつけなければならないということになります。今はやりのBCP(Business Continuity Plan:業務継続計画)でいえば、まず守るべきものに首都機能がくるということです。

それでは、首都機能、あるいは国家の体制を何から守るかというと、やはり大きくは自然災害、それから有事やテロのような人為災害ということになると思います。ただ、守る側としては、人為災害と自然災害で全く異なる対策が要るかというと、そうではありません。瓦礫の下から人を救う場合、例えばミサイルで壊れたものであっても、地震で壊れたものであっても、やることは同じです。ですから、ほとんどの部分は、災害対策基本法と今回できた国民保護法でカバーできます。しかし、災害対策基本法はあくまでも自然災害を対象にしたものですから、人為災害については自然災害と違うところを抽出して、手当てをする必要があるのではないかと思います。

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人為災害と自然災害の違いとは

人為災害と自然災害のどこが大きく違うかというと、人為災害は相手がある意図を持っているということがあります。自然災害は、たとえ被害が広範囲にわたるとしても、自然現象ですから相手に意思はありません。また、地下鉄サリンテロのようなものがあった場合は、災害のときに人を救わなければならないということは同じですが、どう行動すべきかということが大きく違ってきます。

例えば、阪神・淡路大震災のときは、瓦礫の下から救われた人の75〜80%が隣人、あるいは隣人の情報によって助けられました。消防や自衛隊などは、やることはやったけれども、20〜25%しか救えませんでした。これには原因があって、そこの角から4軒目というような細かい話になっても、近隣の人にはすぐ分かる。けれども、他の地域から来た部隊は、周辺がどこも瓦礫になっているわけですから、位置を特定するのが難しい。そこに到達したとしても、今度は家のどこから捜せばいいのかということが問題になってきます。そのときも、隣人であれば「東側の2階に老夫婦が住んでいる」というようなことがわかりますから、そこから捜すことができます。しかし、そういう情報を持っていなければ、家のどこから捜していいのかわからないので、かなり広範囲に探すことになる。そうすると、最終的に到達するまでに時間がかかって、結局は被害が増えてしまうということがありました。

ですから、自然災害のときには、まず自分が助かったことを確認する。体を全部調べてみて大丈夫であれば、すぐに隣人を助けることを始める。これが自然災害のときの一市民がすべき行動です。

しかし、テロの場合は、自分の身が助かれば、まず一斉にその場から立ち去ることが取るべき行動になります。サリンのような毒ガスがあるかもしれませんから、その場にいるだけで死んでしまう可能性があるわけです。そこで、他の人を助けに入ったりすると、さらに被害が増えてしまう。実際、地下鉄サリンテロのときには、助けに入った人がかなり被害を受けています。ですから、例えば地下鉄が壊れたとしても、自然災害であれば自分の安全を確認してから助けに入るということになりますが、人為災害であればその場から逃げるということが求められるわけです。

そういう面で、人為災害は津波と似ています。津波が起きたときは、自分がまず高いところに逃げることが第一です。そこで人を助けに行ったら、自分も被害を受けることになります。それと同じで、テロのような人為災害の場合も、まずそこから立ち去ることが最大の貢献になるわけです。ですから、自然災害と人為災害というものは、起きた結果は同じでも、対処すべき方法が典型的に違うということがあります。

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首都機能のバックアップをおくことの必要性

人為災害と自然災害でもう一つ根本的に違うのは、被害を受ける範囲です。例えば、直下型地震のような自然災害が起これば、かなり広範囲の地域が被害を受けます。しかし、人為災害では、核兵器以外であればある程度スポット的で、それほど広い範囲が被害を受けることはありません。例えば、大規模テロが起こるとすれば、ニュース性がある首都・東京、中でも千代田区、中央区、大使館がたくさんある港区辺りということになります。

ただ、テロというのはスポット的なのですが、ここが駄目なら別のところというように相手も考えますから、防ぐのはなかなか難しい。ですから、一番重要なのは、テロから守るとなれば、千代田区の付近でターゲットになりそうなところから優先順位をつけて守るということになると思います。ただ、そうすると彼らは優先順位の低い方をターゲットにしていくだけの話ですから、完全に防ぐことはできないということになる。

もちろん、7月23日に起きた震度5の地震でさえ、地震情報の通報が遅れたり、エレベーターや電車が止まったりして混乱したわけですから、人為災害に対しても、自然災害に対しても、首都としてもう少しレディネス(準備能力)を高めておく必要があると思います。特に、国会や中央官庁で直ちに対応するオペレーションはいろいろな方法がありますが、継続的に機能させるべきものについては、しっかりとしたバックアップをはかっておくことが必要ではないかと思います。

それから、今の日本は、首都にあまりにも集中しすぎていて、機能的に東京になくてもいいものまで、東京に集まっています。例えば、日本赤十字は東京にありますが、アメリカのRed Cross(赤十字)はアトランタにあります。CNNやCDC(アメリカ疾病管理予防センター)も、ニューヨークやワシントンではなく、アトランタにある。首都とは相当離れていますが、そこから全米を統制しているわけです。FEMA(アメリカ連邦危機管理庁)も本部はワシントンにありますが、地方にある10ヶ所のブランチに分かれて独立しています。ところが、日本では赤十字もNHKも東京にあるというように、あまりにも集中してしまっている。例えば、造幣局もそうです。何も紙幣を東京で刷らなくてもいいわけで、東京でなくてもいいものも東京に集まってきています。

それならば、首都になくてもいいものは外に出す、あるいは東京にあるものでもどこかにバックアップをおくということが必要になるということです。私は、何もそれを遠く離れた場所まで持っていかなくてもいいと思います。バックアップというのは必ずしも距離だけではありませんから、物理的に同時に破壊されないところであれば、どこでもいいわけです。あまり近くては意味がありませんが、首都機能の大部分は直下型地震や人為災害でも同時に被害を受けないような距離のところにバックアップをおけばいいのではないでしょうか。

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危機管理意識の現状

バックアップということを考えたとき、やはり大事なのはクリティカルインフラということになると思います。一番重要なのは、電気、水、ガスなどのライフラインのバックアップです。生命の危機に直結しますから、水道が何日たっても復旧しないようでは話になりません。その次が交通インフラ、経済活動のインフラ、情報インフラなどになります。こういうもののBCPが重要であって、もう1つ首都を遠くにつくればそれでいいという話ではないと思います。

ところが、例えば東京電力は、新潟などから電力を供給しているわけで、新潟が被害を受けたら東京も大きな影響を受けることになります。それで、電力会社に資料を請求すると、ここまでどのように電気が来ているかという図面まで来てしまう。そうすると、東京をブラックアウトにするには、何も東京でやらなくても、その中継所をやればいいということがわかってしまうわけです。また、以前に自衛隊の飛行機が入間川に落ちたときに電線が切れて、5万世帯くらいがブラックアウトになったことがありました。そのときも、どこの電気が切れたらどこが真っ暗になるという情報を電力会社もメディアも平気で流していました。こういうことはほかの国では国家機密になっていますから、あり得ません。そういうところの危機管理意識は極めて希薄であるように感じます。

もちろん、昔に比べれば、危機管理意識もかなり高まってきているように思います。きっかけになったのは阪神・淡路大震災で、それで地震に対する特措法などが出来ました。やはり、何かがあって、これではいけないということになるわけです。

ただ、テロについては、地下鉄サリンテロがありましたが、日本ではそれを地下鉄サリン「事件」と言っているわけです。外国では「テロ」だと認識されているのに、日本ではテロであったという認識があまりありません。軍用の猛毒ガスが、平和である日本の首都の、しかも政治中枢の真下で一般市民を対象にまかれたというのは、まぎれもなく世界で初めての化学テロです。しかし、日本人には、そういった凄いテロが日本で起こったということを意識している人があまりいなくて、何となく事件として片づけてしまっているわけです。

そういうことからいくと、日本がテロについて本格的に考え始めたのは、やはりアメリカでおきた9.11同時多発テロからということになると思います。テロは21世紀の人類が共通して戦うべきだということで、日本もその一端を担わなければならないとなりました。それで、国民保護法というような形で、本格的にいろいろなものができました。

では、これから日本でテロが起こる可能性はどうかというと、日本はやはりアメリカやイギリスとは違います。先日テロがあったイギリスのように、いろいろな人種の人を労働力として集めてきて1カ所で生活させるというようなことを日本はしていません。ですから、イスラム原理主義に基づくようなテロが発生する可能性は、イギリスなどに比べれば、ずっと低い。しかし、彼らはそういう盲点を狙ってくるということでもあるわけです。

特に日本の場合は、アラブ系の人が来れば目立ちますから、みんな警戒するでしょう。しかし、日本の中にも不平分子はいるわけですから、日本人を使ってやる可能性が高い。ですから、イスラム原理主義の人が日本でテロを起こすときに、必ずしもその人が日本に来る必要はありません。

そういうことで考えていくと、日本ではテロは起こらないと言う人がよくいますが、テロはもう自分の国の足元で起こっているわけです。そして、テロはこれからも起こりうるということを認識する必要があるのではないかと思います。

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テロが起こる可能性と事前に考えるべきこと

テロが起こったときにどうなるかを事前に考えるということは、イマジネーションの問題で、全体像が分からないが故に手探り状態にならざるを得ません。実際にどういう状況になるかは前もってわからないですから、東京都では病理学者や細菌学者、それから地下鉄の職員も集めて、地下鉄でバイオテロが起きたらどうなるかということをやっています。それでも、現実にどうなるかというのはわからない。ですから、それぞれの専門家が専門的立場から見るとこうだろうということで、もし日本の地下鉄でバイオテロが行われたらこういう状態になる。だったら、我々はどうしなければならないのかということであって、現実に起こるまではあくまでもすべて想像の産物だということです。

首都機能のバックアップについても同じではないかと思います。ですが、すべて想像であっても、まず脅威というものを設定しなければ、話が進みません。脅威というのは、1つが自然災害、1つが人為災害です。日本は自然災害についてはかなりノウハウを積み上げてきたし、訓練もかなりやっています。法律的にもしっかりしていますし、国と都道府県、市町村との役割分担もはっきりしています。

しかし、テロのような人為災害では相手が意図を持っているわけですから、今、我々に一番欠けているのは、人為災害のときにどのような様相になるか、それから人為災害とはどういう脅威なのかを決めるということです。前もってある程度のことを決めておけば、あとは応用動作ができる。我々の想像を絶するような攻撃もありますが、少なくとも我々が想像できるような脅威を想定して、やるべきことをきめておく。そのときにどういう状況になるかは「郡盲象をなでる」ですから、しっかりと研究を積まなければいけません。そうすれば、我々が今の体制や法律でできないことは何かということが分かってくるのではないかと思います。

テロを起こさないようにするということでよく進歩的な学者と議論になるのですが、彼らは「テロはもとから断たなければ駄目だ。テロの原因は差別と貧富の差であって、それをなくせばテロはなくなる。」と言うわけです。それはそのとおりかもしれませんが、貧富の差をなくすといっても、それは難しい話です。

私は今、帝京大学で危機管理について、500人ぐらいの学生を教えています。その中の70人が中国人ですが、彼らは「日本には金持ちがいない。今の中国には、広い敷地に緑の芝生。その中に白亜の殿堂があって、ガードマンや使用人を雇っているところがたくさんある。」と言うのです。それで、「そこから1ブロック離れると、ストリートピープルやマンホールチルドレンがあふれている。日本にはそれほどの金持ちもいないし、ストリートピープルもそんなにいない。これが私たちの目指す究極の共産主義国家だ。」と言うわけです。ですから、もし貧富の差が原因であれば、日本ではテロは起こらないことになります。

宗教にしても、日本はどの宗教に対しても寛容で、宗教的な差別はほとんどない。イスラム教の人も日本をセグリゲート(差別)していません。そうするとテロは起こらない社会ではないかということになるのですが、そんなことはないわけです。現に、地下鉄サリンテロのようなものも起きているし、経済的に繁栄しているということだけでターゲットにもなり得るということを認識しておくべきではないかと思います。

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考えるべき首都機能のアクセプタブル・リスクとアンアクセプタブル・リスク

テロというのは防ぎがたいものです。もし、日本が強力な警察国家になれば、テロをなくすことが出来るかもしれません。ですが、夜に歩いているだけで、警察に質問を受けるというような社会はテロよりも怖い世界ではないかという気がします。ですから、民主主義社会を守るためには、どの程度まで非民主主義的なことが許されるのかということを決めなければならないと思います。それから、非人道的なことをなくすためには、どの程度まで非人道的なことが許されるのかということを決めなければなりません。非人道的なことに人道主義だけで立ち向かっても何もできませんから、ここまでは仕方がないのではないかというところをある程度まで決める必要があるのではないでしょうか。

アメリカの学者と話すと、アクセプタブル・リスク(acceptable risk)、アンアクセプタブル・リスク(unacceptable risk)という言葉がよく出てきます。受け入れられるリスクと絶対に受け入れられないリスクというものです。アメリカでは、空港などでも犠牲者を全く出さないように警備を厳重にしていたら、大変なお金がかかって航空産業が成り立たなくなってしまいます。だったら、ある程度のところまでで仕方がないではないかということで、アクセプタブルなものとアンアクセプタブルなものを分けている。しかし、日本では、そういう考えはまだありません。一人でも犠牲者を少なくすることが最大の任務だということになっています。何から何まで守ろうといってもそれは無理ですから、絶対に守るべきものとそうでないものを峻別する。そして、守ろうとするとコストも大変だし、かなり不自由になるというようなものは、アクセプタブル・リスクとして、起こったときにどうするかを考えればいいのではないかと思います。

首都機能を考えたとき、中央官庁のような機能がなくなるというのは、アクセプタブルではありません。それは、アンアクセプタブル・リスクであって、国家としてどんなことがあっても守らなければならないと思います。ですから、首都になくてもいいものは外に出す、それから必ずバックアップをとるということが必要になってくるわけです。それで、首都機能が自然災害と人為災害のときにも、最低限のBCPができるようにしておくということを緊急にすべきではないかと思います。まずはそういったことで安全を確保するということが大事なのではないでしょうか。

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