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これからの都市のあり方と公共建築

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長谷川 逸子氏の写真長谷川 逸子氏 建築家・長谷川逸子建築計画工房(株)社長

静岡県生まれ。関東学院大学、東京工業大学を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房(株)設立、主宰となる。1986年日本建築学会賞、日本文化デザイン賞を受賞。一方、早稲田大学、東京工業大学、九州大学などの非常勤講師、米国ハーバード大学の客員教授などを務め、現在は関東学院大学大学院客員教授。1997年王立英国建築協会(Royal Institute of British Architects)より名誉会員の称号を授与される。2000年第56回日本芸術院賞受賞。公共建築賞受賞。2001年ロンドン大学名誉学位賞授与。2005年9月男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣賞受賞。

また、藤沢市湘南台文化センター公開コンペ最優秀賞、新潟市民芸術文化会館公開コンペ最優秀賞を受賞したほか、1997年パリを皮切りにヨーロッパ巡回展覧会を開催。以後、ベルリン、オスロ、ロッテルダムと巡回し、各地で好評を博している。

主な作品には、すみだ生涯学習センター、大島町絵本館、山梨フルーツミュージアム、袋井市月見の里学遊館など。作品集に『Itsuko Hasegawa』(スイスBirkhauser刊)、『The Master Architect Series / Itsuko Hasegawa』(オーストラリアImages刊)、『生活の装置』(住まいの図書館出版局)、『Island Hopping』(NAiオランダ建築博物館)などがある。


<要約>

  • 首都機能を移転するのであれば、今のライフスタイルをそのまま持ち込むのではなく、新しいライフスタイルが確保できる開かれた環境の都市にするべきである。
  • 江戸時代などを見ても、日本人は都市の中に自然を取り込むことが得意であったし、それは今でも可能だと思う。こうした得意を生かして環境への負荷の少ない都市を積極的に作ればよい。
  • これからの公共建築や都市は、つくる側の論理ではなく、使う側の論理で作るべき。首都機能を移転するときも、そこでの生活をイメージしたものにするべきである。
  • 公共建築では、そこを使う市民のライフスタイルの一部になるような公共空間をつくることが大事ではないか。そのためには、使う側とのコミュニケーションが必要になる。
  • 日本はまだまだ豊かで多様な世界であり、日本の全てを知るために移動国会にしても良いと思う。今は、政治や都市のあり方も変わりつつある。首都機能を移転するときには、新しい時代を象徴するような建築像をつくって、それがこの国の建築が変わるほどの刺激になってほしいと思う。

首都機能を移転する都市のイメージ

私は、地方の市町村を中心に公共建築をつくっているので、色々なまちに行きます。松山や新潟、静岡などでも仕事をしたのですが、かつて城下町だったところでは、まだ独特の文化が継続している。昔の領主は、お江戸に通いながらも、地域の人たちに文化や芸術を育てさせたのだと思います。ところが、今の行政の人たちは、コンサートホールやオペラハウスをつくって、外国の立派なオーケストラが来ることを要望するけれども、地域の伝統芸のための場所をつくろうとはなかなかしません。日本の地域の伝統芸は「原っぱ」でやることが多いのですが、そういう場所で芸能ができるように、さまざまなファンクションを埋め込んで公園をつくるということは少ないと思います。

地方の公共建築をつくるときにびっくりすることは、行政とそこに住んでいる人たちとのコミュニケーションの下手さです。「市民の意見を聞きました」というときには、例えば利害関係のある団体の代表者の意見であったりして、実際に鑑賞する不特定の人の意見を聞く手法を持っていない。実際に生活している人たちは、公共建築をつくるときに交流がないから、公共建築を批判したり、政治を批判したりするということになってしまうのだと思います。

例えば、首都機能を移転して新しい都市をつくっても、閉鎖された場所ができるだけなら、一般の国民にとっては何の意味もありません。政治や行政の場所というのは、セキュリティーなどを考えると、どうしても色々な意味でクローズした(閉ざされた)ものになってしまうと思います。ただ、私はそうした場所がクローズした環境であっていいとは思いません。開かれた場所をつくるということはなかなか難しいことでもありますが、これから政治が開かれたものになってくれば、そういった環境も変わってくるのではないでしょうか。

今、政治や行政は若返りを図りつつあると思うのですが、もし行政のような部分が地方に行くならば、そこで働く人が新しいライフスタイルを確保できるような計画にするべきだと思います。今、行政の人たちはラッシュアワーにもまれながら、この混乱した東京を横断して霞が関に通っているわけです。そして、霞が関のビルでは夜中でも電気がついていて、どうやら夜中の12時まで働いているらしい。もしかしたら土日も出ているかもしれないという人たちの生活を持ち込んでも、よい環境はできないだろうという気がします。

今、国の中枢部にいる人たちの生活はすごく忙しくて、東京の真ん中にあっても隔離されているような状態だと思います。政治家もそうだと思います。もっといい生活をして、国民がもっと楽しんで仕事ができるように仕向けていくことが求められているのではないでしょうか。そのように行政の人たちも変わっていけば、首都機能を移転する新しい都市にもよいイメージができてくるのではないかと思います。

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日本人の身体感覚に合った都市づくりとは

都市というものを考えたとき、セキュリティーの問題にしてもクローズにしなければならないところとオープンにしなければならないところがでてくるように、どうしても矛盾したことが起きてきます。しかし、そういうことを克服して都市づくりをやっていかないと、人が住むにはいい環境にはなりません。それに、ヨーロッパのように都市は人工的なものだから自然は要らないというようにしていっても、私たちの身体感覚には合いません。やはり、私たちには日だまりも必要だし、緑も水も欲しい。ウォーターフロントに都市がある社会ですから、自然のよい風を受けたりしていることが本当は快適なわけです。都市の中にそういう環境を持ち込めないことはないと私は思うのです。

以前、江戸時代の江戸のまちを空中から写した写真を見たのですが、武家屋敷がたくさんあるけれども、家の中にまでお花畑があるように見えるくらい、植物でいっぱいなんですね。まさに自然と共生している都市の絵がある。大きな建造物があっても、緑の林の中にありました。特に江戸時代には、武家屋敷でもどこでも、家の中に花畑をつくったり、花の屏風を立てたりして、世界でも稀に見るほど装飾的で、美しいものを好んでいたわけです。そういうことは、今でも可能だと思うのです。ですから、一概に都市とはアーティフィシャル(人工的)なものだから、アーティフィシャルにしなければならないということではないと思います。日本人は、都市の自然というものをもっと積極的に築いていって、その中で生活し、働くというようなことができるのではないかといつも思っています。

環境への負荷の少ない都市をつくるということは、もともと日本を含めてアジアの人たちはすごくうまいのです。今は建築が集合化する中で随分失われてしまっていますが、日本人はそこに快適さがあることを知っているから、第2の自然のように建築を都市の中につくっていくということは、本当は得意中の得意のところなのです。こうしたことは、世界をリードできることだろうと思います。

イタリアの大学にいったときのことですが、彼らはもともと農業でさえも人工的なものだと思っているし、都市とは人工的なものだから第2の自然なんていうものはつくれないと思っています。もしつくれても、それもアーティフィシャル(人工的)だというわけです。人工的でもいいじゃないかと言うと、そんな面倒なものはつくらないほうが良いということになってしまって、理解されないところがある。しかし、日本であれば、まちの人にはとてもよく理解されて、そういうものをつくることができると思います。

屋上庭園にしても、日本では市民が自分の庭を作っているから、すぐ参加できるわけです。屋上庭園や段々畑をつくって植物をいっぱい植えて、だれが手入れをするんだと議会などから怒られても、市民が「自分たちでやる」といってくれるわけです。かつてはそういうものが世界中にあって、特にアジアの国では優れていたわけです。本当はこうした環境負荷の少ない都市づくりを積極的にやれるような方式を作っていけるのではないかと思います。省エネにしても、私たちの国は世界をリードできる知識と技術があるのですから、そのことをもっといかした都市を積極的に作っていったほうがよいのではないかと思います。

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公共建築におけるコミュニケーションの重要性

1985年に藤沢(神奈川県)の湘南台文化センターの仕事をしたのですが、建物を地下に埋めたり、屋上庭園で雨水をせせらぎのように流したりというようなことをして、都市の自然と建築を結び付けてみたんですね。それまでの公共建築というのはたいてい男性がつくっていて、権威的で、普通に生活している人は近寄りがたいものでした。そこで私は騒音対策と温度の安定を狙って、建物を地下に埋めて見えないようにしてしまおうと考えたわけです。地上は丘のような感じで、パッシブソーラー(間取りなどの工夫により、特別な機器を使わず、太陽熱を利用する方式)にするために光や風を取り入れる装置をたくさんつけて、地上には入り口と光と風を取り込むシャフトだけあればいいというようにしました。建築というよりも、土木の丘をつくるというものにしてコンペで1等賞になったのですが、はじめは立派さを欠いたということで市民からも非難を受けました。

このときは、もともとプラネタリウムや劇場、シビックシアターなども地下に埋めるという計画だったのですが、市民との対話集会で、キノコのように少しずつ頭を出すようにして完成しました。もちろん、そこまでいくには、市民とものすごくコミュニケーションをしなければなりませんでした。市民が権威的で立派な高層ビルを期待している中で、地下建築を通すには、それこそ何十回も議論しなければ通らない。しかし、そういうコミュニケーションを通していくことによって、まちの人たちにも「自分も参加してつくった」という意識が芽生えてきます。その建築のプログラムが市民参画でできたということが意識に上ると、自分たちの建築になって、自由に使い出すわけです。

行政もそうですが、建築家が勝手にやるというのでは、いくらいいものをつくっても、あまり使われません。やはり、コンセプトを伝えて、どういう活動が可能か、1日の生活の中でどういう気持ちのいい利用法があるのかというようなシミュレーションを市民と対話しながらつくっていけば、本当によく使われる建築になる。

私はこの経験を通して、公共とは何だろうということをずっと考えてきたのですが、この国では使う側の論理を学校でもあまり勉強しません。大学の工学部建築科にいっても、学ぶのはつくる側の論理ということになります。よく使ってもらうための論理をやってこないから、使う側の論理でやろうとするとコミュニケーションが必要になってくるわけです。今まではそれをしてこなかったから、つくる側の論理で一方的につくるということをずっとやり続けてきたのだと思います。また、それに慣れている国民も、立派な建築を望むわけです。自分たちが使うというよりも、飾り物としてつくる。それが公共建築の歴史だと思います。

ところが、これまでは経験のある人にしか公共建築をつくらせなかったのが、最近になって若い人でもつくれるということになってきました。それで、若い人が公共建築を手がけるようになると、私と同じように市民とワークショップをしながら作っていくので、これまでとは少し違う建築がいくつか出来てきました。今ではワークショップつきの設計なども出てくるようになってきました。

使う側の論理から首都機能を移転する新しい都市像を考えると、そこで働く行政マンを単なるワーカーとしてだけではなく、家族も連れてくるわけですからその生活をきちんとイメージしたものにならなければならないと思います。それに、今はどこでもインターネットを開いて仕事をしているわけで、働くということもすごく変わってきています。もう、じっと机に座っていればいいという時代ではありません。そうすると、働く空間というのも、もっと自由で快適にしていかなければならないと思います。ガラス張りのオフィスに詰め込んでおけば働いてくれるという時代は、もう終わりではないでしょうか。新しい都市をつくるのであれば、そのときに新しい道具を使って最先端の仕事のあり方を提案していくと、みんなそれに倣うと思います。そういう刺激を与えるぐらいの計画であってほしいと思います。

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市民のライフスタイルの一部になるような公共空間とは

新潟にある新潟市民芸術文化会館をつくるときにも、三つのホールが入っている大きな建物の屋上を緑化しました。そこは屋上庭園として、オープンスペースになっています。周辺9haもできる限り土を入れて緑化したのですが、そうすると街の中より3〜5度も温度が違うわけです。しかし、緑化の提案に対してここでも、反対はありました。どういう植栽を導入し、どういう管理をするのかというような問題があって、大変だと思ってしまったのだろうと思います。公共の建築や場所には、管理する側と管理される側がいるわけですが、市民と行政で考え方が裏腹で一体化していないんですね。それは、やはりそこで市民参加をさせていないからだと思います。公共というものは、市民が参加するプロセスがあって、はじめて生まれるのです。そのプロセスがないと、公共にはなりません。

それから、参加することによって、使い方の形態もわかるし、さらに新しい使い方に発展させていくこともできる。しかし、行政が無断でつくってしまうと、市民はどのように関わっていいのかわかりませんし、管理されているから入ってはいけないと思い込んでしまいます。新潟の屋上庭園もランドスケープも今では、みんながいいところだと思って利用していますね。みんな、犬を散歩させたり、家族でピクニックをしたりと、ものすごく楽しそうに様々なことに使っています。ここにはたくさん空中庭園を作って、伝統芸をやる「パフォーマンスの庭」も作ったのですが、みんなが自由にやってきて、色々なことに使っています。

そういうものができると、地方の持っている豊かさというものが、公共の場所で見えてきます。そこで行われている伝統芸やピクニックをしている家族を見ると、東京にはないいい風景になっています。東京にいるとなんとなく単位は個人だけれど、地方に行くとまだ家族が単位になっていて、そこに一番の信頼を置いて楽しそうな顔をしていることが、そういう風景からわかるわけです。その楽しそうな風景というのが、地方の文化を支えているのではないかという気がします。

私が公共建築の仕事をするときには、いつも「原っぱ」をつくると言っています。ロビーもインテリア化した「原っぱ」みたいなものだと思うんですね。かつて、アジアの人たちは、外に幕を張って能を見たり、劇場にしたりとあらゆるパブリックを「原っぱ」でやっていました。その続きをやってもらうためには「原っぱ」=多目的空間が要るということで、公共建築をつくるときにそういう機能を持つ場を作るようにしています。実際、オペラハウスやコンサートホールのような専門家が来るところより、多くの場合は多目的ホールである「原っぱ」をよく使うんですね。そういう場所と専門家が来るような場所を一体化しておかないと、市民はなかなかやってこないと私は思います。やはり、市民が来るようなギャラリーやお茶を飲むところがあったりして、市民のライフスタイルの一部になるような公共空間をつくることが大事なのではないかと思います。

首都機能を移転するときも、そういう部分をもっと重視していかないといけないのではないでしょうか。そして、その先に国会などを作るというようにしないと、地方に移転しても行政の人だけがいて、何か議論しているのを周辺の人が遠くで見ているというようになってしまうのではないかと思います。そのためには、セキュリティーのためにある程度閉じていても、工夫してオープンなところをつくりながら、中にいる人が楽しく生活していけるかということを考える必要があるのではないでしょうか。閉じるところは閉じる。開くところは開くというようにして、うまくセキュリティーの方法を考えることができれば、新しい都市空間というものが実現できるのではないかと思います。

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日本の多様性を知ることと移動国会

以前のことになりますが、私はメガフロート(超大型浮体式構造物)の開発などにも関わったことがありました。メガフロートを日本で使うときには、よく空港にというようなことが言われますが、私はこの上に国会を載せて、あちこちの港湾に行けばよいのではないかと思いました。相撲みたいですけれど、今年は大阪港、来年は福岡港、その次は北海道、その次は沖縄というように、国会をメガフロートに載せて移動させる。

私もあちらこちらへとよく移動しているのですが、移動するということはすごく大事で、移動したところでご飯を食べたり、人と会ったりすると、その地方が本当に見えてきます。国会議員も、東京と地元の移動だけではなく、もっと日本中を見て回ったほうがいいと思うんですね。地域の代表であるためには、日本の全てを知らないといけないということで、しばらく移動国会をしたらよいのではないでしょうか。行政を小さくすることはなかなかできませんが、国会の機能はもっと小さくてもよいと思います。国会議員は、自分の地域のことだけを考えているのではなく、日本の全部を知るくらいの行動力のある人たちでないといけません。東京にいて、東京のことだけを考えていても駄目だろうと思います。

私たちが公共建築をつくるにはその地域に入り込まなければならないものですから、あちこちのお祭りにいったり、色々なことをしていて思うのですが、この国はまだまだ豊かで多様な世界です。色々なところに、色々な食べ物があり、気象も違えば、独自の文化も残っている。すでに均質化しつつあるというようなことも言われますが、多様さをもってしかグローバル化は図れません。国会が移動することで、日本全体を身体感覚で知るというような機会になればよいのではないかと思います。

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首都機能を移転するときにみんなが期待していること

2000年になってから、ものすごい勢いで都市の様相が変わりつつあるように思います。色々なものに対して、私たちがネットワークで参加できる時代になってきました。それに、社会というものが見えないとソフトプログラムがつくれない時代になってきています。若い人たちもネットを開いてそういうものを学習するようになってきて、意識が相当変わってきています。

そうすると、公共という部分にも、生活者が参加できる状態が生じてくる。若い建築家の中には、政治に参加してもいいと思うような人も出てきています。建築科の学生の志向を見ても、前よりずっと広がってきているように見えます。そういう意味では、首都機能の移転などについても、随分関心を持つような環境になってきているのではないかと思います。今という時代は、良質な情報もたくさん手に入って、色々な分野の人たちとのコラボレーション方を広げています。そういうさまざまな分野の人たちの考え方を集合させていったところに、これからの都市像というものがあるのではないでしょうか。

首都機能を移転するときにみんなが期待していることは、国会議員や行政人も生活者であって、家族がいる。そういう中で国のあり方を説いているわけだから、そこにある公共もまた生活者の活動から生じてくることを拾い上げてほしいということだと思います。ですから、国会議員や行政人が、きちんとよき生活というものを見せるべきなのではないでしょうか。そうしていかないと、政治というものは自分たちの生活に密着していることが多いのに、外交のような遠い世界のことだけをやっているような感じに見えてしまいます。外交にしても、私たちの平和な生活のためにあるわけで、そのことがわかるようにしてほしいと思います。そうすることによって、政治がもう少し違うものに見えてきて、生活と政治がうまくまじりあえるときに距離のないリアリティが生まれるのだと思います。今はどこかでまだ距離がありますが、これから女性や若い人がたくさん入ることによって、国会のあり方も変わってきて、身近になってくれればと思います。国会にしても、いかにも自由にディスカッションできるような空間にすればよいと思います。あまり権威的でなく、フラットな社会を象徴するようなものを表明していけばよいのではないでしょうか。そして、国会や霞ヶ関を移すというときには、新しい時代を象徴するような建築像をつくって、それがこの国の建築が変わるほどの刺激になってほしいと思います。

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