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首都機能の移転をきっかけに心地よく暮らせる社会へ

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中村 桂子氏の写真中村 桂子氏 JT生命誌研究館 館長

東京都出身。1936年生。東京大学理学部化学科卒。理学博士。

三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993年−2002年3月までJT生命誌研究館副館長。2002年4月より現職。また、1989年から早稲田大学人間科学部教授、1995年から東京大学先端科学技術研究センター客員教授を兼務し、1996年から大阪大学連携大学院教授となる。中央教育審議会委員、国会等移転審議会委員、国立大学法人評価委員、財政制度審議会委員などを歴任。

主な著書に、『生命のストラテジー』(ハヤカワ文庫),『自己創出する生命』(哲学書房),『あなたの中のDNA』(ハヤカワ文庫),『生きもの感覚で生きる』(講談社),『科学技術時代の子どもたち』(岩波書店),『生命誌の窓から』(小学館),『生命科学者ノート』(岩波現代文庫),『ゲノムの語る生命』(集英社文庫),訳書に『細胞の分子生物学』(教育社),『脳の時計・ゲノムの時計』(早川書房)などがある。


<要約>

  • 多くの人の心の中には、もう少し落ち着いた生活を求める気持ちが生れてきているのではないか。人間が心地よく暮らせる社会になるためにこれからは、今までよりも地球や緑、日常の人間関係にも目を向けることができるようにすべき。
  • 生活の視点から考えると、考えるべき社会の方向は一極集中型ではないだろう。落ち着いて暮らせる社会に向かうきっかけとして、国会に象徴される首都機能を東京から別のところに持っていくということがあってもよい。
  • 21世紀の都市は、近郊の緑も生活圏にあるような規模が望ましい。そのためにも、ミニ東京ではなく、豊かな緑と都市が共生するような風景の都市にすべき。
  • 金融や経済だけで、皆の生活が成り立っているわけではない。質の高い生活は、質の高い食べ物、健康、環境、文化、教育が大事でそれを支える農業や文化を生かしていくのがよい。

これからの日本の社会のあり方とは

これからの日本の社会のあり方を考えたときの私の見方は決まっていて、日常の生活が心地よい暮らしを求めます。お金ばかりに目を向けるのではなく一人一人の人間が生き生きと暮らせる社会をイメージしています。

20世紀は、便利さという意味では確かにとてもよくなったと思います。やるべきことはもうほとんどやったというところまで来ているといってもいいと思います。例えば、地上の交通を考えたとき、今は新幹線が日本のほとんどのところを走っています。私は東京と大阪を1週間に一度ずつ往復しているのですが、昔に比べると新幹線のスピードも上がってきています。ただ、私の感覚では以前に比べて疲れるようになりました。もちろん、これはデータが取れるわけではなくて数値的に証明しようもないことですし、私がちょっと年をとったということもあるかもしれません。しかし、日常の移動として考えると、これ以上のスピードはよくないのではないかと思います。時々旅に出るのなら時速500キロを楽しむこともあると思いますが、ビジネスで度々動くには、今の新幹線のスピードが限度ではないかというのが私の感覚です。また、通信も、携帯電話で自由に会話ができる現在、日常をサポートする技術としては「このぐらいのところでいいのではないか」というところまできていると思います。

というのも、そんな状況の中で、開発のために身のまわりの緑が減っているとか、皆がやたらに忙しくて少し心がすさんでいるのではないかという問題がおきてきているからです。今、多くの人の心の中には、もう少し落ち着いた生活ができればいいなという思いがあるのではないでしょうか。皆さんがスローライフと言い始めているということは、そういうことのあらわれだと思います。

そろそろ技術をフルに使って、もう少し人間が心地よく暮らせる方向へ社会を持っていくにはどうすればよいかという発想で、これからの30年、50年、100年を考えるのが、今の私たちに与えられているテーマではないかと思います。

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気持ちよく暮らせる社会になるために

これから30年、50年、100年先の社会を考えるとその時には、私たちが暮らしているわけではなくて、子どもたちの社会ということになります。子どもたちの毎日を見ていると、彼らがもっと気持ちよく暮らせる社会にするためには、もう少しゆったりとした、緑や日常の人間関係のことを考えたりできるような社会の方向に持っていったほうが多分よいと思います。

社会的にはいろいろな立場がありますから、ここで「多分」と申しましたが、生物学を専門にしている私の立場からすると、これは「必ず」だと思っています。生物学の立場から地球上にいるヒトという生き物を考えたときには、ゆとりのある方向に持っていくことが正しいと思います。

技術が進んだこともあって、地球が日常の中に入ってくるようになりました。毎日のニュースを見ても、ブラジルやイスラエルで何が起こっているのかという地球規模の情報が入ってきます。そこで、今も飢えている子供たちがいるとか、貧富の差がより大きくなっていると思わせる情報がどんどん入ってくるわけです。それを見ても、今のような金融経済の社会を続けていくのではなく、もう少しゆったりとした方向の社会へ向けて、自分たちが持っている技術や経済力を地球全体のために使った方がよいのではないかと思うのです。

地球の上で生きるということを考えたときには、地球のキャパシティに目を向けざるを得ません。例えば、熱帯雨林をやたらに壊してしまったら、地球本来の働きができなくなってしまうでしょう。近年、BSE(牛海綿状脳症)の問題が起きて牛に肉骨粉を食べさせることができなくなったため、かわりに大豆を牛に与えるようになり、ブラジルでは大豆の生産を増やしています。BSE以降、大豆の生産のために、一時期は止まっていたアマゾン川流域の熱帯雨林の開発が急速に進んでいます。それから、中国が大豆の輸入国になったため、ますます熱帯雨林の開発が進んでしまっているのが現状です。そういうことを見ても、地球全体のことを考えれば、緑や人間、生き物という方向に目を向ける社会を組み立てたほうがよいと思います。それが、私がこれからを長い目で見たときの社会のイメージです。

そのような社会でどのように暮らすのかというと、今の日本のような一極集中型にはならないと思います。人を生き物として考えると、日本列島全体に人々がうまく分散して、それぞれの場所の特性を生かしながら暮らしていくということになるはずです。そういう社会にするためには、首都機能移転も大事なきっかけになるのではないでしょうか。

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落ち着いて暮らせる社会へのきっかけとして首都機能の移転を

私は東京生まれで、四谷で育ちました。子どもの頃は近くに緑がいっぱいありました。赤坂のお堀でカエルを捕ったり、近くに遊びまわる原っぱもありました。でも、今の東京は大きく変わってしまいました。ふるさとが壊れていくとおっしゃる方は多いのですが、最も壊されたのは東京ではないかと思います。私は本当は東京が大好きなのですが、今の東京はあまりにも人が集中してしまっていて、人の住む場所ではなくなっているという感じがします。まだ開発を続けるなんて、とんでもないと思います。例えば、六本木の防衛庁の跡地を再開発していますが、あそこを森にすることを考えてもよかったのではないかと思います。明治時代には、明治神宮に森をつくりました。今、東京の中で皆が自由に入れて、最も森というものを感じられる場所は、神宮の森だと思います。あの森は、明治時代に木を植えてつくったわけです。もし、防衛庁の跡地にも明治のときと同じように木を植えれば、50〜60年であのくらいの森ができるということでもあるわけです。今の高層ビルは30年たつと古くなって価値が下がっていきますが、森は大きくなって価値が上がる。50年たったら、どれだけ価値があがるかわからないくらいだと思うのです。これからは人口も減っていくのですから、高層ビルはもう要らないのではないでしょうか。

そういう方向にいくためには、何かのきっかけが必要でしょう。そのために、国会がいいかどうかは別として、国会に象徴されている首都機能を移すということがあってよいと思います。日本列島を見ると、円ではなく長い楕円になっています。そうすると、中心は1つではなく、2つある形があってもよいのではないかと思います。江戸幕府以来の実績や、国際都市でもある今の東京が1つの中心になるとしても、もう1つ中心があってもよいのではないでしょうか。

考えてみると、国会とは、本来どこにあってもよいものでしょう。国会議員は何も東京の人だけではありませんから、国会が東京にある必然性はありません。国会を1つの船にしてしまって、今年は九州で来年は日本海でというように日本中を周ってもよいなどと半分冗談、半分本気で考えたりします。国会議員の皆さんにもお国があるわけですから、そのほうが日本列島の代表らしいのではないかと思います。皆が落ち着いて暮らせる社会を作るという方向で考えると、国会や官庁の機能、企業の本社が東京だけにある必要はありませんし、もっと散らばるほうがよいでしょう。

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新しい都市の規模とイメージ

私は東京人ですが、今大阪に勤務先を持っており、なぜそんなに皆が東京に集まっていたいのか理解できません。東京人の一人として考えると、東京をよい街にしたいと思ったら、やはり人を減らした方がよいと思います。

首都機能を移転する都市の規模は56万人(国会等移転審議会試算の最大ケース)となっていますが、これは都市として非常によい規模だと思います。私はいろいろなところに行ったときにそこの人口を伺うようにしているのですが、50〜60万人くらいの規模であれば、都市機能は充分あり、近郊の緑なども生活圏にある都市になっています。これより小さいと、少し寂しかったり、都市らしくない感じを受けます。例えば、岡山市(66万人)や金沢市(46万人)などは、まとまりのあるよい都市です。100万人を超す政令指定都市になると、ミニ東京になってしまいますが、60万人くらいであればミニ東京にはならない。これから新しい都市をつくるというときには、ミニ東京を作っても仕方がありません。ですから、60万人くらいの都市があちこちにあるというようなクラスター(まとまりをもった配置)になっていけば、よい生活圏ができるだろうと思います。

そういう意味でいうと、例えば、東京から山形新幹線や東北新幹線に乗ると、20世紀から21世紀に向かって走っているような気がします。私の21世紀のイメージは、豊かな緑と都市とが共生している風景なのです。今の東京に緑をもどすことはとても難しい。しかし、山形や東北新幹線の沿線には、ある程度都会的な部分もありますし、少し離れれば昔の風景も残っています。我々が日本をイメージしたときに思い浮かべる風景があるわけです。きれいな田んぼがあって、屋敷林に囲まれた家がたっている。そこの人たちは、ちょっと新幹線に乗れば、東京の音楽会にも来ることができるわけです。別に首都の移転先ということではないですけれども、そこに60万人くらいの都市を作るということであれば、今ある風景を壊さない形でできると思います。そうすれば、今の東京よりもはるかに質が高くて、よいまちができるのではないでしょうか。

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質の高い生活のためにすべきこと

今の日本の発想は、まだ東京に集中させたり、少子化を恐れたりしていて、開発途上国的だと思います。落ち着いた生活をしていくためには、少子化は歓迎すべきものだと私は考えています。日本列島の農地のポテンシャルや緑や水を守るためには、今の1億2000万の人口は多すぎます。本当は半分くらいでもよいと思います。例えば、人口6000万人で60万都市が100個くらいあるということになれば、とても美しい国になるのではないでしょうか。そして、それぞれのところが、外国からの観光客を呼べるような魅力を持っている。ヨーロッパには、ドイツのバイロイトなどのように小さな街でも外国からの観光客が集まるというところがたくさんあります。今は観光立国ということがいわれていますが、日本の都市でもうまくやればそういうことが可能だと思います。今のように金融や経済だけで国を動かしていくのではなく、これからはそういうことでも国を立てていけばよいのではないでしょうか。

人間の暮らしということを考えたとき、お金が活発に動いていれば、みんなが気持ちよく暮らしていることになるかというとそうではないと思います。もちろん、国民の生活の基本を支えているわけですから、必要なことは充分認めますが、それだけが日本を支えているわけではありません。金融や経済を否定することはできませんが、それだけで私たちの生活が成り立っているわけではありません。日本中の人がコンピュータを動かして株の個人ディーラーになっている未来ではなく、楽しそうに大根や里芋をつくっている人が大事にされる社会を求めます。

生物学の立場から私が今の日本で一番気になっているのは、食糧自給率の問題です。現状は不安定すぎると思います。日本には資源がないと言われますが、豊かな土があり、水があり、お日様が照っているので緑が豊か。これが資源ではないでしょうか。そこで農産物をもっとつくれば、今輸入している農産物よりもはるかに質の高いものができる。生活の質を高めることを考えると、今我々が食べている食べ物は決して質の高いものではありません。

私は子供のころ、愛知県の衣浦湾のあたりに疎開をしていました。そこでは、車海老や蟹が毎日たくさん獲れました。お米はほとんど兵隊さんのところにいっていたので、毎日お芋と海老や蟹ばかりを食べなければならなかった。獲れたての天然の海老ですから、今から考えるととてもぜいたくな話ですが、そのころはお米が食べたかったという記憶があります。それくらい日本の近郊では、海老や蟹のような海産物がたくさん獲れていたわけです。今ではもうほとんど獲れませんが、日本には、本来そういう海があるはずです。そういった海を取り戻していけば、養殖の海老を買って来なくても、質の高い食べ物が手に入るようになるのではないかと思います。

難しく「環境を守りましょう」と考える必要はなく、暮らしやすい生活を考え、質の高い生活をしたいと考えたときの生活の仕方がおそらく豊かな環境にもつながっていくのではないでしょうか。今後はそうしたことに取り組んでいくべきだと思います。

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