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日本の伝統と歴史から考える首都機能移転

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冷泉 為人氏の写真冷泉 為人氏 (財)冷泉家時雨亭文庫 理事長

冷泉家第25代当主。

1944年兵庫県生れ。1973年関西学院大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本美術史(近世絵画史専攻)。大手前女子大学教授、池坊短期大学学長を務めたのち、2002年より(財)冷泉家時雨亭文庫理事長に。同志社女子大学客員教授、立命館大学COE客員教授を兼務。冷泉家は歌人・藤原定家の孫を祖とする和歌の家で、「冷泉家住宅」(重要文化財)は旧地に現存する唯一の公家屋敷として知られている。

主な著書に『日本屏風絵集成第8巻花鳥画』(共著/講談社)、『花鳥画の世界第6巻京派の意匠』(共著/学習研究社)、『近世大阪画壇』(共著/同朋舎)、『五節供の楽しみ』(共著/淡交社)、『瑞穂の国・日本−四季耕作図の世界』(共著/淡交社)、『京都冷泉家の八百年』(NHK出版)などがある。


<要約>

  • グローバル化の中で、日本人のアイデンティティーとは何かが問われている。日本人の心とは何かということを歌から考えると、「限りなく推しはかる」ことが大事である。
  • 日本人の理念は無為自然にあって、何でも受容して積み重ねていくことにある。日本の個別性はそこにあるのであって、変化も徐々に起こることになる。
  • 日本人は物事を自然と一体にして理解しようとするため、情の部分が出てくる。そのため、日本で変革や新しいことをするためには、論理だけでなく、根回しや何らかの力が必要になる。首都機能移転の問題でも、こうした日本的な感性と力が必要ではないか。
  • 日本の歴史を見ると、時代が変わるときには、何らかの力が加わってきた。何かを変えるときには、不易(変えてはいけないもの)と流行(変わるもの)を同じ次元で考えることが大事ではないか。首都機能移転でも、不易と流行とは何かを識別し、変えるべきものを考えていくべき。 

日本人の心とは何か

近年、ことにグローバル化ということが言われていますが、私はそのときにこそ日本の文化というものが大きな意味を持つのではないかと思います。日本人のアイデンティティーとは何かというときに、皆さんがどうお答えするかがこれからは問われるのではないでしょうか。

いろいろなことが考えられると思いますが、私が関わっていることで言えば、基本は歌にあると思っています。今年がちょうど古今集が編まれて1100年になりますが、和歌論から茶道論、華道論、能楽論、そして江戸時代の俳諧論へと続いていることは、こうしたことに携わっている人に異議のないところではないでしょうか。その一つの例として、お茶の世界でわび茶とはどういうものかが問われたとき、千利休の先生である武野紹鴎(たけのじょうおう)は、「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」という藤原定家の歌がその精神だと言っています。これはほんの一例ですが、歌、あるいは歌道論を踏まえて、後々の芸能、芸道の精神が構築されていることを表しているのではないかと思います。

では、日本人の心とは何なのか。これは非常に難しい問題になってくるわけですが、鴨長明は『無名抄』の中で、我々日本人の心というものは「限りなく推しはかる」ことが大事だと言っています。先ほどの歌を例にとれば、「限りなく推しはかる」ことができない人は目の前の花やもみじを愛でるだけですが、それができる人は「今は花ももみじもないけれども、それがどういう花になるのか、どのように紅葉するのか」ということを推しはかる。それが心ある人だと言っているわけです。抽象的な言い方をすれば、限りなくイメージを膨らませることが大事ではないかということです。

今はいろいろなことが地球規模で行われていますが、こうしたことをヨーロッパの人たちに言っても通じません。それは、日本独特の個別的な精神だからだと思います。

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理念なきところに理念あり

日本には八百万の神がいるといわれます。子供が生まれたときにはお宮さんへお参りに行き、結婚するときにはクリスチャンでもないのに教会で結婚式を挙げ、亡くなったときにはお寺さんにお世話になる。我々日本人はそれにあまり違和感を持っていませんが、こんな民族が他にあるでしょうか。それをヨーロッパや中近東の人が見たら、「何という民族だ。理念がない」ということになろうかと思います。しかし、我々日本人にとっては、理念のないところ、老荘がいうところの無為自然が理念なのです。それはまさにフレキシブルといえばフレキシブルなのですが、それでは説明のつかないことでもあります。

「日本人はイエスと言っているのか、ノーと言っているのか、わからない」ということも外国人からよく言われます。その一番の典型が京都ではないかと思いますが、「わかりました」と言っても、「お話はお聞きしました」という意味なのですから、これは難儀だと思います。そのときの雰囲気からイエスが何%くらいで、ノーが何%くらいなのかを感じなければならないわけで非常に難しい。でも、それが日本人なのではないでしょうか。

もう一つ言いますと、日本人は受容型というか、何でも受け入れるということが基本にあるのではないかと思います。そして、我々に合ったように形を変えていく、変容させることに長けている。こうした日本人の特色は、東南アジアや中国、朝鮮半島などと考え方が全く違っています。中国では、時代が変わったら前の時代のものを全部破棄して、新しい時代の精神でそれをまたこしらえていきます。しかし、日本人は前の時代のものに新しいものを積み上げていくところがあるわけです。ですから、一気に変わるということは絶対になくて、徐々に変わっていくということになるのだろうと思います。外国の人には理解し難いところかもしれませんが、それが日本特有のものなのではないでしょうか。

イギリスと日本は、伝統を重んじるということなどで、民族性が非常によく似ているといわれます。ある地理学者が、日本やイギリスのような大きさの島には文明や文化が積み重なっていくと言っていましたが、小さな島であれば、新しい文明が入ってきたときに元の文化まで押し流してしまう。ところが、日本くらいの大きさの島では、それが積み重なってたまっていく。そうすると、地層を切ったような感じで、さまざまな文化が日本にはあるということになってくる。すっぱりと時代が変わるのであれば非常にわかりやすいのですが、日本では理念で時代が変わるのではないので、徐々に徐々に変わってきているわけです。

正倉院の宝物がそれを一番よくあらわしているのではないかと思います。ペルシャのものもあるし、中国やインドのものもある。また、奈良時代に聖武天皇が使っていたものも正倉院には入っていたりするわけです。それはまさに我々日本人の個別性だと言わざるを得ないのではないでしょうか。今回の首都機能移転の問題でも、そういうところをよく考えて案を立てればよいのではないかと思います。

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何かを変えるときに必要となる力とは

私は江戸時代の美術史を専門にしているのですが、江戸時代には元禄期、安永・天明期、文化・文政期という文化が大きく高揚した時期が3つありました。そして、その後には必ずといってよいほど改革が行われています。元禄の後には享保の改革、安永・天明期の後には寛政の改革、文化・文政期の後には天明の改革が行われました。歴史というのはいろいろなことを教えてくれるもので、バブルのときには文化が非常に盛んになって、そのあとには改革が行われるということだと思います。

そのときの改革でも、前のものを全部否定したかといえば、必ずしもそうではありません。自然が変わっていくのと同じような変わり方をしています。ヨーロッパの北のほうに行けば、秋が短いと言われていて、木枯らしが吹いたらすぐに葉っぱが散ってしまう。しかし、日本では、そのように一変することはなくて、徐々に徐々に変わっていきます。これはよく使われる例ですが、「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という発句があります。梅が一輪、また一輪と開いていくほどに暖かくなっていく。それほど微妙な心情を我々日本人は持っているということだろうと思います。

もう一つ例を言いますと、「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」という藤原敏行の歌があります。目にははっきり見えないけれども、風の音で季節を知るということですが、日本人にはそういう細やかさがある。よく言われることですが、日本人は物事を理解するとき、自然と一体となって理解しようとします。そこには、論理よりも情の部分が出てくる。ヨーロッパ人の場合は、自然と対峙して物を見ているわけです。客観的に物を見ていますから、そこには論理性が出てくる。そこに大きな違いがあるのではないかと思います。

何かを変えるときも、日本人はヨーロッパ人のように論理で動く民族ではありませんから、昔から根回しという言葉があるわけです。根回しというのは、木を植えかえるとき、根を回して枯れないようにしておいて、時が来たら植えかえるということです。日本人が変わっていないとすれば、やはりそういう方法も活用しなければならないということではないでしょうか。

そういうところで、新しいことをするために必要なのは、何らかの大きな力なのだろうと思います。首都機能移転の問題でも、必要なのは論理だけではなく、力ではないかと思います。力にはいろいろありますが、必ずしも権力ということだけでなくて、経済力や腕力、胆力や知力もあります。それだけではないにしても、多くはこうした力に支配されるのが人間だと思うのです。それに、我々はみんな、現世利益(げんせいりやく)的なところを持っています。損するか、得するかということで、現実的で一番わかりやすいところですけれども、そういう考えも必要になってくる。そうしたことをわからせる誰かが出てくるか、何らかの力が加われば、皆が納得するようになるのではないかと思います。そのときに、日本的な感性に訴えるということで、よく理解してもらうということが大事ではないかと思います。

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歴史に見る時代の転換

我々日本人の長い歴史をひもといていきますと、日本は飛鳥のときからずっと中央集権の国でした。歴史的には、鎌倉で政治が行われていたり、都が京都や大阪にあったりしたわけですから首都を移転することは可能なことは可能だろうと思いますが、そのためにはいろいろな議論がなされるべきところだと思います。今までは権力者が「ここにする」ということで決まっていましたが、今回の場合も最終的にはそういった何らかの力が必要になってくるのではないでしょうか。

時代が変わるときには、これまでの歴史を見てもそれなりの力が加わってきていると思います。奈良から平安に都が変わるときには、南都六宗から密教である天台宗と真言宗が中心になりました。鎌倉に変わるときには、禅宗が入ってきて、浄土宗や(浄土)真宗、日蓮宗なども出てきています。次に大きく変わったのは、種子島に鉄砲が伝わって戦争の仕方が変わったから、それで戦国時代がおこってきた。そして、それを整えた徳川家康が、今度は宗教ではなく儒学を持ってきました。道徳、忠孝をもって世の中を治めるということをしたわけです。

江戸から明治に変わるときも、ペリーに代表されるように外国から圧力がありました。江戸時代が270年も続いて疲弊してきていたのと一致していて、このときは公家や旗本が外国の勉強をしていました。それで、非常にスムーズに時代の転換がなされた珍しいときだといわれているわけです。次に大きく変わったのは、第2次世界大戦でしょう。アメリカの占領下に置かれて、アメリカの文化がどっと入ってきた。そういう時代の転換のときというのは、やはりなるべくしてなっていると思います。今はITということがいわれていて、それで大きな時代の変革がおきるかというとわかりませんが、いずれにせよこうした大きな力が加わらなければ、時代は変わらないというのが歴史というものではないかと思います。

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首都機能移転で考えるべきこととしての不易流行

これまでの歴史でも、時代によっていろいろな変化がありました。ただ、何かを変えるときには、松尾芭蕉が不易流行ということを言っていますが、変えてはいけないもの、変わらないもの(不易)と変わるもの(流行)を、同じ次元で考えることを常にしなければならないと思います。それは、私ども冷泉の家でも必要なことだと思っています。ややもすると、不易と流行は対概念のように対峙するものだと思いがちですが、同じ土俵の上で考えることが大事だと芭蕉は言っているわけです。その上で、時々の華というものがありますから、流行も無視するのではなく、不易というものを考えるとよいのではないでしょうか。

不易なものというのは、何が大事かという、まさにコアになることだと思います。例えば、何かを表現するときにも、中核になるものが不易だと考えられて、時代にあわせて加えなければならないことを調和させていく。我々日本人は、それが非常に上手なのではないかと思います。そのためには、豊かな感性とか知力といったものが常に要求されるということではないかと思います。そういうことでいいますと、調和させるということは、聖徳太子の言う「和を以て尊しと為す」に帰結するのではないでしょうか。

こうしたことは、日本人として「ああ、そうか」と思うところだろうと思います。例えば、短歌や俳句などの七五調というのは美文調なわけですが、実は演歌もほとんどが七五調になっています。それは日本人の息づかいやリズムと関係があるのではないかと思うのです。演歌を聞いたら、たとえ嫌いな人でも何となく「しゃあないな」と納得するところがある。不易というのはそういうものだと思います。そういうことを考えると、何か変えなければならないことがあっても、一変することはほとんどないということになります。徐々に変わっていくということが積み重なっていくのではないでしょうか。

首都機能移転の問題でも、変えてはならないことと変えなければならないことは何なのかを識別して、変えるべきものを考えていけばよいのではないでしょうか。それが日本人に最も受け入れられる方法ではないかと思います。

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