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Webニューズレター新時代Vol.69 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

ロシアにおける首都移転の歴史的経緯について

Q.ロシアにおける、首都がモスクワからサンクトペテルブルク、それからまたモスクワに戻ってきたという歴史的な経緯についてお話をお伺いします。

A.歴史的にロシアには二つの首都がありまして、今でもある意味では二つの首都があります。モスクワはかなり歴史の長い都市で、初めてモスクワの名称が記録に現れたのは、1147年です。数百年にわたってモスクワはロシアの首都でしたが、ピョートル大帝が現れて、国の政策も変わりました。

ピョートル大帝はヨーロッパとの関係を発展させたかった。ロシアの有名な詩人プーシキンは、「彼はヨーロッパに窓を作った」と書いています。ピョートル大帝はツァーリ(皇帝)になっても、ヨーロッパへ旅行して、オランダで自ら船の造り方を勉強します。サンクトペテルブルクはヨーロッパへの窓口になりました。

1703年に新都サンクトペテルブルクが築かれてから10年後、ロシアの首都はサンクトペテルブルクに移りました。ピョートル大帝は非常に権力的なツァーリで民主主義を尊重していませんでした。経済的な理由ではなく、政治的な決定でロシアの首都をサンクトペテルブルクへ移転させました。

首都のサンクトペテルブルクへの移転は、ロシアの政治の方向性が絶対的に変わったという意味を持つものでした。それより前は、ロシアは少なくとも外交関係よりも国内を重視していましたが、ピョートル大帝になって外交も貿易も発展し始めました。そのためには海への窓口が必要でした。ピョートル大帝の時代に、ロシア海軍だけではなく、海の輸送が発展し始めました。そのような理由で、首都はモスクワからヨーロッパに一番近い都市サンクトペテルブルクに移されました。

その後、およそ200年以上、ロシアの首都はサンクトペテルブルクでした。第一次世界大戦が始まって、サンクトペテルブルク(ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味)はその名称をペトログラード(「ペトロ」はロシア語で「ピョートル」、グラートは「町」の意味)に改めました。ピョートルの都市、ピョートルの町という意味です。

戦争が終わって、革命が起こった1917年、レーニンの政府がペテログラードに作られました。それから、ロシアでは内戦が起こり、ペトログラードは、戦略的にも戦争状態から見てもちょっと危ないという理由で、首都はモスクワに移されました。ただ、首都がサンクトペテルブルクだったときでも、モスクワも一つの首都みたいなものでした。

例えば、ナポレオンが侵攻したとき、首都サンクトペテルブルクではなくモスクワを攻撃しました。なぜかというと、サンクトペテルブルクはロシアの頭、モスクワはロシアの心臓、それで、頭よりも心臓に攻撃するほうがいい。頭に傷を受けても生き残れますが、心臓を傷つけられたら人も国も生き残れないと考えたためです。

また、帝政ロシアの時代、セレモニーはモスクワだけで行われ、政府のエリートが皆サンクトペテルブルクからモスクワに移動しました。外交官や各国の大使もモスクワに移動して、少なくとも数ヵ月間モスクワに滞在しました。その意味でも、この時代、モスクワも二つの首都のうちの一つと考えられました。

ソ連時代には、モスクワから首都をほかのところに移転させるという話はありませんでした。第二次世界大戦のとき、安全のために、政府をモスクワから遠く離れたヴォルガ川の地域クイビシエフに移しましたが、首都はモスクワのままでした。

その後、ソ連が崩壊して、首都の移転とか、または首都の機関の一部のサンクトペテルブルクへの移転の話が発生したのは、2000年頃の事です。

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首都モスクワと文化の首都サンクトペテルブルクの現状と問題について

Q.ロシアの人々にとってのモスクワとサンクトペテルブルク両都市の位置付けについて、お話をお伺いします。

A.これは私の個人的な考えですが。実際に今モスクワはかなり渋滞がひどいですね。非常に多くの国家機関やいろいろな会社の本部がモスクワに集まっています。誰かに会いたいとか何かのビジネスがあると、車で行くと1日一つしか用事を済ますことができない。幾つかの約束があったら、地下鉄に乗っていくしかありませんが、その地下鉄も大体人でいっぱいですね。

モスクワの人口は、公式的には1,000万人ちょっと。実際には、モスクワの市民は少なくともプラス300万人。これはモスクワへのゲストの人数ですね。今モスクワには、旧ソ連の諸国から来た非常にたくさんの労働者や、国内からの仕事探しやビジネスのために来たゲストがものすごく多くいます。

モスクワの渋滞を減らすには、モスクワにある組織をほかのところに移転して、いろいろな機関の活動をもっと合理的にする必要があります。

また、あと一つ非常に重要なのは、サンクトペテルブルクへの支援です。

本当に立派な、非常にきれいな都市です。モスクワもきれいな都市ですがモスクワとサンクトペテルブルクは全然違います。モスクワは伝統的な古い町で、100パーセントヨーロッパの町ではないですね。クレムリンには、ある意味で純ロシア的な赤の広場があります。

一方、サンクトペテルブルクは100パーセントヨーロッパの町ですね。ものすごく大きな美術館、町の中心部にある歴史的な建物はそのままに保存しています。建物のオーナーは、その場所に自分の新しい建物を造ることは絶対に禁止されているんですね。経済的には、新しいものを建設することは簡単で安く済みますが、保存するには非常にお金がかかります。

社会主義時代には、保存の必要があれば国家がサンクトペテルブルクにお金を出していましたが、今のロシアは資本主義ですから、税金を使って保存に充てている。ただその税金があまり足りていないですね。

2003年にサンクトペテルブルク市建都300周年祭を祝いました。参加した各国の代表団はきれいなサンクトペテルブルクを見る事が出来ました。これはロシア政府が、建物をきれいにするための修理などに非常に多くのお金を出したからです。もし、サンクトペテルブルクに首都機能の一部が移転すれば、政府から直接サンクトペテルブルクへお金を出してもらえます。

サンクトペテルブルクは第二の首都、また、ソ連時代から文化の首都ともいわれています。エルミタージュ国立美術館は世界三大美術館の一つで、三日間かけても全部を見ることができません。サンクトペテルブルクには立派な美術館がものすごく多いですね。郊外には、エカテリーナ宮殿があり、有名な琥珀の部屋や立派な庭園があります。

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サンクトペテルブルクへの憲法裁判所の移転について

ヤーセネフ・セルゲイ 駐日ロシア連邦大使館 報道担当参事官
Q.なぜ憲法裁判所をモスクワからサンクトペテルブルクへ移転させたのですか。

A.憲法裁判所をサンクトペテルブルクへ移転させたのは、少なくとも二つの理由があると思います。一つは、モスクワの中心部から一つの大きな組織を移すことで首都の負担を軽減するため。もう一つは、サンクトペテルブルクの社会的地位を高めて、経済基盤を強化する必要がありました。

今、幾つかの大きな会社の本部をモスクワからサンクトペテルブルクへ移転させるという話が進んでいます。これからもっと大きな会社が移転されることになれば多くの税金がサンクトペテルブルクに入ることになります。

ちょうど今、ガスプロム関連会社は、サンクトペテルブルクに本部の建設を予定しています。本部はものすごく高いタワーになるようです。しかし、サンクトペテルブルクは歴史的な都市ですから、反対する組織や人が非常に多い。また、私がユネスコの専門家に聞いたところでは、もしそのタワーが建設されたら、サンクトペテルブルクをユネスコのリストから外すという話もでているそうです。ただし、基礎となる工事はすでに始まったみたいですね。

モスクワから首都の機能とか、または一部の機関を移転するためには、問題が非常に多くあります。まず移転の予算。例えば憲法裁判所の移転は、公式的に移転だけで2億2,000万ルーブルですが、これは実際に移転にかかった経費の一部です。実際には数十倍の経費がかかったみたいですね。

モスクワにある機関で仕事をする人をほかのところに移転するのには、経済的な理由だけでなく、家族、子供、親戚関係の問題も非常に多いですね。私が知っている限り憲法裁判所のスタッフの中には、あまりサンクトペテルブルクに行きたくなかった人もいると聞いています。

憲法裁判所の代表部がモスクワにありますので一部のスタッフはモスクワに残り、一部は仕事を辞め、一部はサンクトペテルブルクに行きました。サンクトペテルブルクに移ったスタッフのために、立派な仕事場の他に、良い場所にすばらしいアパートが提供され、医療施設も整備されました。

Q.憲法裁判所は大体何人ぐらいの方がお勤めでしょうか。

A.古い情報ですが200人ぐらいかと記憶しています。去年辺りから、ロシア海軍の総本部もサンクトペテルブルクに移転する計画がありましたが、結局実現しませんでした。新聞報道では、ロシア海軍の中にはあまり行きたくない人もいるという話がありました。これが一つの理由でもあったかもしれません。世界の経済状況も影響したかもしれません。他にロシア国内のいろいろな問題もあって、実現していません。

Q.なぜ憲法裁判所が選ばれたのですか。

A.憲法裁判所の機能は、主に、その法律が憲法に違反しているか違反していないかなどの問題を検討してその決定をすることです。そのため、他の組織との会合や至急の打ち合わせの必要がないので移転させる機関として適当でした。

また、なぜ2000年にその話が出たかというと、サンクトペテルブルク出身のプーチン大統領になって、ロシア政府の指導部に多くのサンクトペテルブルク出身者が揃った結果、サンクトペテルブルクのステータスを高くするため、政府の機関の移転を考えたからでした。

Q.サンクトペテルブルクのステータスが落ちていたのですか。

A.落ちていたわけではありません。ただ、さらにステータスを高くして、都市の予算を増やし、都市をよりきれいにするという目的があったと思います。また、2003年には建都300周年記念行事があったため、サンクトペテルブルクをきれいにする必要があったと思います。

今、サンクトペテルブルクではビジネスホテルが足りない。もし日本の会社がサンクトペテルブルクにビジネスホテルを建設すると、そのホテルの値段は、東京のビジネスホテルの値段よりずっと高い値段になります。

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モスクワとサンクトペテルブルクの交通事情について

Q.モスクワの人口は増えていますか。

A.人口は増えています。また、車の台数が非常に非合理的に増えています。これは絶対に良いことではない。例えば勤め先にどのよう方法で行くか。地下鉄とかトローリーバス(低騒音の路面交通機関)、または車ですが、一部の若者たちは絶対に地下鉄とかバスに乗りません。これはステータスの問題です。若者は豪華で立派な車に乗ります。若者から「私は10年に一回も地下鉄に乗ったことはない」という話をいつも聞きます。これは良くないことです。私は、地下鉄とかのイメージが変わらなければならないと思います。

私は、モスクワから来る皆さんに対して、「日本人はお金持ちでも地下鉄とかJRに乗り、何かの会合に時間通りに行きたいときには地下鉄を使っています。」と教えます。

私は一度、夏休みにモスクワへ行ったときに友達に招待され、家内に地下鉄で行こうと提案しましたが、同意してくれませんでした。そのため、タクシーを利用しましたが、20分間かけて200メートル進んだだけでした。運転手に「目的地にあと何分ぐらいかかりますか?」と聞くと、1時間半とか2時間とか言われ、結局、家内は「地下鉄で行きましょう」と。結局地下鉄で彼らの家に向かい、15分で着きました。モスクワでモスクワ市民、特に若者の一部は「地下鉄を使って来ました。」と言うと、貧乏と思われてしまいます。これも時々メンツの問題ですね。実際は、モスクワの地下鉄は一番便利な交通機関です。しかも本当にきれいな乗り物です。

Q.ロシアの冬は寒いので、車に乗りたくなるということはありますか。

A.乗りたくなります。冬はものすごく寒い日があるのですが、屋内の駐車場を持っている家庭はほとんどありません。例えばマイナス20度の外に出て、まずは雪を落としてエンジンを掛けますが、寒くてすぐにエンジンが掛からないですね。エンジンが温かくなるまでには10分は待たなければならないですね。そのため私は、車のほかに、時々トローリーバスを使っています。

以前は、外務省までトローリーバスで行くと、乗れないほど車内は混雑していました。今は、トローリーバスで座って本を読みます。以前トローリーバスを使っていた人は、今はみんな車に乗って行きます。

また、ロシア人は日本人と違って、趣味の散歩で数時間にわたって歩きます。そのため、時々車を使わずに歩くことがあります。

Q.サンクトペテルブルクでは交通渋滞は起きていませんか。

A.実はサンクトペテルブルクでは今、交通渋滞がひどい。人口も増えていますが車の台数の方が増えている。

Q.サンクトペテルブルクの近くに空港はありますか。

A.プルコヴォ空港があります。ちょうど今、改修をしています。

Q.モスクワとサンクトペテルブルクは、大体500キロとか600キロぐらい離れているようですが移動手段は飛行機ですか。

A.大体650キロから700キロ以内です。私の印象としては、飛行機でモスクワからサンクトペテルブルクへ行くのは、日本人とか外国人が多いと思います。私は、サンクトペテルブルクへ100回以上行きました。家内はサンクトペテルブルク出身で、夏は子どもと一緒にサンクトペテルブルク郊外の別荘で、私は金曜日に列車に乗って、特にソ連時代は夜にモスクワの中心部から列車に乗って、朝7時半、サンクトペテルブルクの中心部に着きました。

また、観光客にもホテル代を払うよりも夜行列車を使うことをお勧めします。夜行列車は非常に便利ですね。ロシアで一番良い列車は23時とか23時半とか、23時59分とかにモスクワを発車します。時々様々な有名人と同じ列車に乗り合わせることがありました。以前は、サンクトペテルブルク出身の代議士は皆、金曜日の夜の列車でサンクトペテルブルクに戻りました。

Q.夜行列車に乗る人たちは、サンクトペテルブルクに家があるということですか。

A.家族がサンクトペテルブルク住んでいて、金曜日の夜に夜行列車に乗って帰宅して、日曜の夜にモスクワに戻ってくる。翌朝月曜日は8時半には出勤していました。

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モスクワとサンクトペテルブルク二つの都市の特色について

Q.モスクワだけに一極集中するのではなくて、経済的な機関や銀行などが移転すれば良いですね。

A.今の経済状況から見て、少なくとも大きな機関がサンクトペテルブルクへ移転することはないと思います。ただ、銀行や会社の本部が移転される可能性はかなりあると思います。また、重要なことですが、モスクワとサンクトペテルブルクを比較すると、アパート代はサンクトペテルブルクのほうが安いし、優秀な人材も多くいます。

モスクワで一つの業種に長けた専門家を探すのは難しいですね。サンクトペテルブルクではもっと簡単に見つけることが出来ます。また、人件費はもっと安いと思います。

いろいろな外国の企業がサンクトペテルブルクの郊外で工場を造るのは、これが一つの理由だと思います。

Q.サンクトペテルブルクは土地や建物を借りる値段は安いのですか。

A.土地の値段はモスクワよりずっと安い。人件費も安く優秀な人材が大勢います。

Q.日本にも、東京と大阪という二つの都がありますが、東京はロシアでいうとモスクワに当たると思いますが、大阪とサンクトペテルブルクは、何か共通点がありそうですか。

A.モスクワは首都であり、経済の中心地でもあります。ですから、大阪と東京の共通点を持っていると思います。サンクトペテルブルクは非常にインテリ的な都市ですね。ソ連時代は、サンクトペテルブルクはインテリ的な首都、文化の首都で、モスクワはちょっと、一般市民とかそのような感じでした。サンクトペテルブルクは文化の首都であり、日本の京都に近いのではないでしょうか。最近、特に夏と秋の良い時期には観光客が非常に多いですね。冬でも非常にきれいな町ですよ。

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首都を移転する可能性について

Q.ソチ(黒海沿岸の保養地)で冬季オリンピックが開かれるということで、インフラが整備されると伺ったのですが、今のモスクワとかサンクトペテルブルクの渋滞を考えたときに、ソチへの移転という話はありますか。

A.その話は絶対にあり得ない。8月とか9月頃の夏期休暇では、ソチにプーチン首相や大統領府の一部も行き、休暇を取るのと同時に、国家の課題について検討して、ここでいろいろ問題を解決します。特にプーチン首相はソチが大好きで、大統領時代に各国のお客さまをソチに招待しました。

その意味でも、すでに必要なインフラは整備されています。地図を見ると、首都をその地域に移転するのはちょっと合理的ではないですね。防衛の面からみても、国境に非常に近い場所ですから。

Q.モスクワは国全体の西に位置していて、首都は国の真ん中にあった方が安全との考え方もありますが、どのようにお考えですか。

A.モスクワで大丈夫です。安全を脅かすものはありませんから。

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問い合わせ先

国土交通省 国土計画局 首都機能移転企画課
Tel:03-5253-8366 Fax:03-5253-1573 E-mail:itenka@mlit.go.jp