ヤーセネフ・セルゲイ報道担当参事官へのインタビュー(平成21年12月15日)
*写真提供 財団法人日本生産性本部
ピョートル大帝はヨーロッパとの関係を発展させたかった。ロシアの有名な詩人プーシキンは、「彼はヨーロッパに窓を作った」と書いています。ピョートル大帝はツァーリ(皇帝)になっても、ヨーロッパへ旅行して、オランダで自ら船の造り方を勉強します。サンクトペテルブルクはヨーロッパへの窓口になりました。
1703年に新都サンクトペテルブルクが築かれてから10年後、ロシアの首都はサンクトペテルブルクに移りました。ピョートル大帝は非常に権力的なツァーリで民主主義を尊重していませんでした。経済的な理由ではなく、政治的な決定でロシアの首都をサンクトペテルブルクへ移転させました。
首都のサンクトペテルブルクへの移転は、ロシアの政治の方向性が絶対的に変わったという意味を持つものでした。それより前は、ロシアは少なくとも外交関係よりも国内を重視していましたが、ピョートル大帝になって外交も貿易も発展し始めました。そのためには海への窓口が必要でした。ピョートル大帝の時代に、ロシア海軍だけではなく、海の輸送が発展し始めました。そのような理由で、首都はモスクワからヨーロッパに一番近い都市サンクトペテルブルクに移されました。
その後、およそ200年以上、ロシアの首都はサンクトペテルブルクでした。第一次世界大戦が始まって、サンクトペテルブルク(ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味)はその名称をペトログラード(「ペトロ」はロシア語で「ピョートル」、グラートは「町」の意味)に改めました。ピョートルの都市、ピョートルの町という意味です。
戦争が終わって、革命が起こった1917年、レーニンの政府がペテログラードに作られました。それから、ロシアでは内戦が起こり、ペトログラードは、戦略的にも戦争状態から見てもちょっと危ないという理由で、首都はモスクワに移されました。ただ、首都がサンクトペテルブルクだったときでも、モスクワも一つの首都みたいなものでした。
例えば、ナポレオンが侵攻したとき、首都サンクトペテルブルクではなくモスクワを攻撃しました。なぜかというと、サンクトペテルブルクはロシアの頭、モスクワはロシアの心臓、それで、頭よりも心臓に攻撃するほうがいい。頭に傷を受けても生き残れますが、心臓を傷つけられたら人も国も生き残れないと考えたためです。
また、帝政ロシアの時代、セレモニーはモスクワだけで行われ、政府のエリートが皆サンクトペテルブルクからモスクワに移動しました。外交官や各国の大使もモスクワに移動して、少なくとも数ヵ月間モスクワに滞在しました。その意味でも、この時代、モスクワも二つの首都のうちの一つと考えられました。
ソ連時代には、モスクワから首都をほかのところに移転させるという話はありませんでした。第二次世界大戦のとき、安全のために、政府をモスクワから遠く離れたヴォルガ川の地域クイビシエフに移しましたが、首都はモスクワのままでした。
その後、ソ連が崩壊して、首都の移転とか、または首都の機関の一部のサンクトペテルブルクへの移転の話が発生したのは、2000年頃の事です。
モスクワの人口は、公式的には1,000万人ちょっと。実際には、モスクワの市民は少なくともプラス300万人。これはモスクワへのゲストの人数ですね。今モスクワには、旧ソ連の諸国から来た非常にたくさんの労働者や、国内からの仕事探しやビジネスのために来たゲストがものすごく多くいます。
モスクワの渋滞を減らすには、モスクワにある組織をほかのところに移転して、いろいろな機関の活動をもっと合理的にする必要があります。
また、あと一つ非常に重要なのは、サンクトペテルブルクへの支援です。
本当に立派な、非常にきれいな都市です。モスクワもきれいな都市ですがモスクワとサンクトペテルブルクは全然違います。モスクワは伝統的な古い町で、100パーセントヨーロッパの町ではないですね。クレムリンには、ある意味で純ロシア的な赤の広場があります。
一方、サンクトペテルブルクは100パーセントヨーロッパの町ですね。ものすごく大きな美術館、町の中心部にある歴史的な建物はそのままに保存しています。建物のオーナーは、その場所に自分の新しい建物を造ることは絶対に禁止されているんですね。経済的には、新しいものを建設することは簡単で安く済みますが、保存するには非常にお金がかかります。
社会主義時代には、保存の必要があれば国家がサンクトペテルブルクにお金を出していましたが、今のロシアは資本主義ですから、税金を使って保存に充てている。ただその税金があまり足りていないですね。
2003年にサンクトペテルブルク市建都300周年祭を祝いました。参加した各国の代表団はきれいなサンクトペテルブルクを見る事が出来ました。これはロシア政府が、建物をきれいにするための修理などに非常に多くのお金を出したからです。もし、サンクトペテルブルクに首都機能の一部が移転すれば、政府から直接サンクトペテルブルクへお金を出してもらえます。
サンクトペテルブルクは第二の首都、また、ソ連時代から文化の首都ともいわれています。エルミタージュ国立美術館は世界三大美術館の一つで、三日間かけても全部を見ることができません。サンクトペテルブルクには立派な美術館がものすごく多いですね。郊外には、エカテリーナ宮殿があり、有名な琥珀の部屋や立派な庭園があります。
今、幾つかの大きな会社の本部をモスクワからサンクトペテルブルクへ移転させるという話が進んでいます。これからもっと大きな会社が移転されることになれば多くの税金がサンクトペテルブルクに入ることになります。
ちょうど今、ガスプロム関連会社は、サンクトペテルブルクに本部の建設を予定しています。本部はものすごく高いタワーになるようです。しかし、サンクトペテルブルクは歴史的な都市ですから、反対する組織や人が非常に多い。また、私がユネスコの専門家に聞いたところでは、もしそのタワーが建設されたら、サンクトペテルブルクをユネスコのリストから外すという話もでているそうです。ただし、基礎となる工事はすでに始まったみたいですね。
モスクワから首都の機能とか、または一部の機関を移転するためには、問題が非常に多くあります。まず移転の予算。例えば憲法裁判所の移転は、公式的に移転だけで2億2,000万ルーブルですが、これは実際に移転にかかった経費の一部です。実際には数十倍の経費がかかったみたいですね。
モスクワにある機関で仕事をする人をほかのところに移転するのには、経済的な理由だけでなく、家族、子供、親戚関係の問題も非常に多いですね。私が知っている限り憲法裁判所のスタッフの中には、あまりサンクトペテルブルクに行きたくなかった人もいると聞いています。
憲法裁判所の代表部がモスクワにありますので一部のスタッフはモスクワに残り、一部は仕事を辞め、一部はサンクトペテルブルクに行きました。サンクトペテルブルクに移ったスタッフのために、立派な仕事場の他に、良い場所にすばらしいアパートが提供され、医療施設も整備されました。
また、なぜ2000年にその話が出たかというと、サンクトペテルブルク出身のプーチン大統領になって、ロシア政府の指導部に多くのサンクトペテルブルク出身者が揃った結果、サンクトペテルブルクのステータスを高くするため、政府の機関の移転を考えたからでした。
今、サンクトペテルブルクではビジネスホテルが足りない。もし日本の会社がサンクトペテルブルクにビジネスホテルを建設すると、そのホテルの値段は、東京のビジネスホテルの値段よりずっと高い値段になります。
私は、モスクワから来る皆さんに対して、「日本人はお金持ちでも地下鉄とかJRに乗り、何かの会合に時間通りに行きたいときには地下鉄を使っています。」と教えます。
私は一度、夏休みにモスクワへ行ったときに友達に招待され、家内に地下鉄で行こうと提案しましたが、同意してくれませんでした。そのため、タクシーを利用しましたが、20分間かけて200メートル進んだだけでした。運転手に「目的地にあと何分ぐらいかかりますか?」と聞くと、1時間半とか2時間とか言われ、結局、家内は「地下鉄で行きましょう」と。結局地下鉄で彼らの家に向かい、15分で着きました。モスクワでモスクワ市民、特に若者の一部は「地下鉄を使って来ました。」と言うと、貧乏と思われてしまいます。これも時々メンツの問題ですね。実際は、モスクワの地下鉄は一番便利な交通機関です。しかも本当にきれいな乗り物です。
以前は、外務省までトローリーバスで行くと、乗れないほど車内は混雑していました。今は、トローリーバスで座って本を読みます。以前トローリーバスを使っていた人は、今はみんな車に乗って行きます。
また、ロシア人は日本人と違って、趣味の散歩で数時間にわたって歩きます。そのため、時々車を使わずに歩くことがあります。
また、観光客にもホテル代を払うよりも夜行列車を使うことをお勧めします。夜行列車は非常に便利ですね。ロシアで一番良い列車は23時とか23時半とか、23時59分とかにモスクワを発車します。時々様々な有名人と同じ列車に乗り合わせることがありました。以前は、サンクトペテルブルク出身の代議士は皆、金曜日の夜の列車でサンクトペテルブルクに戻りました。
モスクワで一つの業種に長けた専門家を探すのは難しいですね。サンクトペテルブルクではもっと簡単に見つけることが出来ます。また、人件費はもっと安いと思います。
いろいろな外国の企業がサンクトペテルブルクの郊外で工場を造るのは、これが一つの理由だと思います。
その意味でも、すでに必要なインフラは整備されています。地図を見ると、首都をその地域に移転するのはちょっと合理的ではないですね。防衛の面からみても、国境に非常に近い場所ですから。
問い合わせ先
国土交通省 国土計画局 首都機能移転企画課
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