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Webニューズレター新時代Vol.71 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

世界の首都機能移転

オーストラリア連邦(キャンベラ)

((C)外務省HP)

1901年に連邦制国家が成立し、英国からの独立を果たしたオーストラリア。19世紀から発展を見せていたシドニーとメルボルンが首都誘致合戦を繰り広げましたが、新たな都市を建設し首都にすることとなりました。1908年に連邦議会の投票により現在のキャンベラ(先住民のアボリジニ語「kamberra(出会いの場所)」に由来)の地が選ばれ、国際コンペで第1位を獲得した米国の建築家グリフィンの案を基に人造湖を中心とした都市建設が行われました。しかし第一次世界大戦の影響で建設はなかなか進まず、1927年に仮設の連邦議会議事堂が竣工し、暫定政府が置かれていたメルボルンから最小限の首都機能が移転しました。世界恐慌と第二次世界大戦という苦しい時期を経て、都市整備や施設建設が急ピッチで進められ、1988年に新たな連邦議会議事堂が完成し、現在の姿になりました。

キャンベラは連邦政府直轄の首都特別地域です。人造湖「バーレー・グリフィン湖」を境に、政府機関が集まる南側と商業地区の北側とで形成される中央地区が都心部となっています。ここから南北に展開するニュータウン郡が衛星都市的に発展しており、市街地相互の近接を避けたクラスター開発方式(小都市群に分散した開発方式)によって、緑あふれる都市を実現しています。1980年からの30年で人口は約23万人から約36万人に増えました。2019年までには39万人を上回る見通しで、今日では、立法・行政・司法等の国の主要な機能を備えたオーストラリア最大の内陸都市として成熟段階に入っています。

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カザフスタン共和国(アスタナ)

((C)外務省HP)

ソヴィエト連邦の構成共和国のひとつであったカザフスタンは、1991年のソヴィエト連邦解体により独立後、新たな首都アスタナ(カザフ語で「偉大な都市」の意。旧アクモラ)を建設し、1997年に旧都アルマティから移転しました。

アスタナが首都に選定された理由としては、旧都のアルマティ(アルマ・アタ)が抱える経済的、地理的、環境的な問題を解消するのに適していたからであったようです。アルマティが地震多発地帯に位置していたのに対して、ユーラシアプレートの真ん中にあるアスタナは地震の心配が少ないこと。更に中国国境に近いアルマティでは安全保障上の問題点があることや、国内最大の都市ゆえに大気汚染や人口過密問題に悩まされていたことが挙げられます。また、アスタナを含むカザフスタン北部はロシア系人口比率が高い地域と言われており、首都地域にカザフ系人口が流入することによって民族の国内融和を意図したことも選定要因の一つだと考えられています。

カザフスタンが独立して以来、初めて自国の手で建設する首都は、1998年に開かれた新首都アスタナ計画の設計国際コンペで第1位を獲得した日本の黒川紀章建築都市設計事務所案をベースに開発が進められています。首都が移転してくる前には約27万人であった人口が、2007年には約57万人まで倍増し、2030年には100万人になる見込みです。インフラ整備にはまだ多くの課題が残されているものの、国際空港の新ターミナルが日本のODAによって建設され、首都の玄関らしい空港設備が整ってきました。会議場やオペラ劇場などが含まれるピラミッド型の「平和と和合の宮殿」や、およそ100メートルの高さを有するネギ坊主のような形をした塔「バイテレック(カザフ語で「生命の木」の意)タワー」も完成し、外資系企業によるプレミアムマンションの建設も行われるなど、建設面で目覚しい発展を遂げており、草原の中の商業都市が21世紀にふさわしい機能を備えた新都市に生まれ変わりつつあります。

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