本記事は、大使館からの英文書面(平成25年1月)を和訳したものです。
カザフスタン共和国は大統領制の単一国家です。憲法には、民主的、非宗教的、法治、社会国家であり、国家として最大の価値を個々人の生活、権利、自由に置くことと定められています。
カザフスタン共和国の大統領は国家元首、最高位の職であり、国内外の政治の主要な方向性を決定し、国内外との関係においてカザフスタンを代表します。大統領は、国民の統一と国家権力、憲法と国民一人一人の権利と自由の不可侵の象徴であり、これを保障します。
政府はカザフスタン共和国の行政権を行使し、行政府を統率するとともに、その活動を監督します。
立法機能は常設の二院、セナート(上院)及びマジリス(下院)から成るカザフスタン共和国議会が担います。
セナートは憲法に則って選出された議員で構成され、具体的には各州、主要都市及び首都からそれぞれ2名ずつ選出されます。
国の文化やその他の社会的に重要分野からの代表を保持しておく必要から、セナート議員のうち15名は大統領が任命します。
マジリスは憲法に則って選出された107名の議員から成ります。マジリスの代表9名はカザフスタン人民議会が選出します。上院議員の任期は6年、下院議員の任期は5年です。現在、マジリスには、「人民民主党(NurOtan)」、「カザフスタン民主党(Akzhol)」、「カザフスタン人民共産党」の3党が代表を選出しています。
地方行政区分は、14の州と特別に位置づけられた都市であるアルマティ市と首都アスタナ市に分けられています。
首都移転は難しい決断でした。大統領は新首都が国内各地域から等距離におかれるべきであるということへの理解を得るため、大勢の議員を説得しなければなりませんでした。
アルマティは、大統領が指摘したとおり、経済的にも地政学的にも独立国家の首都としての要件を満たしていませんでした。約150万人にも上ろうという人口を抱えながら、国土のバランスからも、空間的な機能配置上も、将来に向けて有望な場所とはいえなかったのです。首都として維持していくためには、アルマティの市域を拡大する必要がありましたが、建物が非常に密集し、開発可能な地区が限られており、この都市をこれ以上広げる可能性は見出せなかったのです。
さらに、アルマティ周辺は地震活動が活発で、アルマティでの新規建設は、国内の他の都市と比べて、はるかに費用が嵩みます。しかも、新しい国家として、従来はさほど必要とされていなかった新しいオフィスビル、例えば議会コンプレックス、外務省、防衛省、銀行、外国の大使館などを建てる必要もあったのです 。
将来の活発な経済活動の場となりユーラシア経済を先導する都市へと急速に発展することを求められたのです。カザフスタン大統領の指示により、新首都の最適地を選定するため、国土全体についての詳細な調査が行われました。首都が満たさなければならない主要な基準は32ありました。とりわけ最重要とされたのは、社会経済指標、気象条件、地勢、地震活動、環境条件、工学・交通インフラの開発可能性、通信、ビル・コンプレックス、労働力などです。
この分析は、最も望ましい都市としてアクモラ(Akmola、アスタナの旧称)を示しました。アクモラとその周辺の移転前の状況からは、どのような建築手法でも用いることが可能でした。アクモラは地理的にカザフスタンの中心に位置し、重要な経済地域や主要高速道路の結節点にも近い都市です。
当時アクモラの人口は20万人前後でしたが、主な開発計画により40万人に膨らむことも見込まれていました。ところが、現時点での人口増加は、周知のとおり、我々皆の予測を上回っています。
アスタナはユーラシア大陸の中心という恵まれた立地により、ヨーロッパとアジアを結ぶユニークなトランジット・ブリッジになるとともに、経済的に有利な交通・通信・流通センターとなりうるのです。
1995年9月15日、カザフスタン大統領令「カザフスタン共和国の首都について」が公布されました。法と同じ効力を有するこの大統領令によって、最高機関及び中央当局の移転に関する業務を進めるため、特別国家委員会設立の指令が出されました。政府はアクモラに必要な全ての施設を準備するため、特別基金を集める目的で、予算外の「新首都基金」を設立しました。同時に政府は、新首都の建設、インフラ整備に加わった投資家への特例とともに、税金及び特恵関税に関する提案を大統領に提出する必要もありました。
公式の首都移転は1997年12月10日に行われました。1998年5月6日の大統領令によりアクモラはアスタナに改称され、新首都は1998年6月10日、国際社会に披露されました。
首都移転のプロセスは短期間に終わるものではありませんが、基本的には予定どおりの2000年までに完了しました。
現在、アスタナの面積は700km2以上となり、人口は2012年6月1日時点で750,000人超となっています。アスタナは、アルマティ、サリアルカ(Saryarka)、エシル(Yessil)の、三つの区から成ります。
我が国の首都は、世界中の20か国以上と友好的な姉妹都市関係を通じて結ばれています。1999年7月には、UNESCOの決定によりアスタナは「ワールド・シティ・タイトル」を受賞しました。2000年以来カザフスタンの主要都市として首都・都市国際議会(International Assembly of Capitals and Cities)のメンバーとなっています。
アスタナの使命は、ユーラシア地域の文化的・知的センターとなること、そしてカザフスタンの持続可能な開発の主たる原動力となることです。
今日、アスタナは建築規模で見ると国内最大級です。首都となってからのアスタナには住宅が1,000万u前後建設されました。地元の建設会社及びフランス、イタリア、スイス、トルコといった海外の会社が何百社もアスタナ開発に携わりました。
21世紀の都市開発の、ハイテクノロジーや革新的手法が都市建設に幅広く利用されました。カザフスタンの近代的首都の建築様式は、東西の伝統文化を上手に調和させ包含したものです。世界中の著名な建築家が最高のプロジェクトを実施しました。
バイテレックタワーは新首都のメインシンボルになり、ランドマークとして知られるようになりました。その他にも特徴的な建造物があり、有名な英国人建築家ノーマン・フォスターが設計したピラミッド型の「平和と調和の宮殿」、世界一高いテント型建築であるカーン・シャティールショッピングセンター、海から最も遠いドゥマン水族館、カザフスタン中央コンサートホール、「アスタナの勝利)」や「極地の光」といった居住コミュニティ、国内企業であるカズムナイガス社(KazMunayGas)やカザフスタン鉄道(Kazakhstan Railways)の事務所ビルなどが代表的です。
首都の近代的スポーツ施設の中には30,000人収容可能な「アスタナ・アリーナ」スタジアム、2011年には世界一とされた10,000人収容可能な独特な自転車トラック「サリアルカ(Sary-Arka)」もあります。また、スケートリンク「アラウ(Alau)も最高の国際水準を満たす重要な複合スポーツ施設です。
今日、アスタナは庭園都市にもなっています。グリーンベルトはより幅を増して、アスタナは広大なステップの中の緑のオアシスのようになってきており、無公害のメガシティのモデルとなっています。
2011年には第七回アジア冬季競技大会(冬季アジア大会)の出場者とゲストを迎えました。
首都移転はアスタナの経済発展に強力な勢いをもたらしました。アスタナの高い経済成長率は数えきれないほど多くの投資家を呼び込んでいます。例えば、誘発投資額は30倍に、地域の域内総生産は90倍にも上りました。国内総生産(GDP)はアスタナが占める割合は約8.5%になります。
首都の経済の基礎となっているのは、貿易、工業生産、交通、通信及び建設です。工業生産は主に建築資材、食品、機械工学に集中しています。首都移転以来、首都の工業生産額は11倍に増大しています。
アスタナはカザフスタン最大のビジネスセンターの一つとなりました。アスタナの企業家文化はダイナミックに発展しており、50,000以上の中小企業で約200,000人が働いています。
2012年11月、アスタナにおける国際博覧会・EXPO-2017の開催が決定されました。これは、アスタナのさらなる発展の基礎となることでしょう。EXPO-2017のために建設される全ての施設によって、アスタナは、主要な国際展示会のプラットフォームとなることでしょう。
一方、アルマティについて触れておくと、同市がカザフスタン最大都市であり続けることは明白です。現在、アルマティは中央アジアおよび独立国家共同体(CIS)の地域金融センターを目指しており、南部の都市としての大きな潜在力を活かすことで、この都市を国際水準に高めていくことができます。そして2つの強力な拠点のプレゼンスによって、国全体の経済的なポテンシャルが高まります。
一つの国に二つの大きな拠点がある例は沢山あります。アンカラとイスタンブール、モスクワとサンクトペテルブルク、カラチとイスラマバード、リオデジャネイロとブラジリア、メルボルンとキャンベラ、オタワとトロント、ワシントンD.C.とニューヨークなどです。こうした流れの中で考えれば、我が国は最初でも最後でもないでしょう。
カザフスタン初代大統領の意思によって誕生したこの新首都は、短期間で、国の理念となり、若い我が国の独立と世界的な成功のシンボルとなったのです。
「いにしえの土地ここサリアルカ(Sary-Arka)に、我が国の未来の、新たな揺籃の地が生れた。アスタナの歴史とカザフスタン国民の向かう先は、互いに分かつことはできない。
首都は我が国の力強さ、躍動的な発展、そして永続性を体現する。アスタナは輝かしく、力強く、豊かな都市となり、カザフスタン国民を一つにし、未来を渇望する。
我々の首都は、母なる大地の心臓であり、その力を信じる人々の志の象徴であり、大いなる使命でもある。今日、我が国土全体がそうであるようにアスタナには百余の民族が暮らしている。国民の友情、相互理解、そして連帯が、アスタナと新しいカザフスタンの発展の礎となる。」
国土交通省 国土政策局 総合計画課