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Webニューズレター新時代Vol.75 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

新しい都市の姿

本記事は、平成25年1月に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

人を惹きつける都市とは

成熟した、パブリックな意識のある街、パリ

―先生は沢山の海外の都市を歩いておられますが、特に心惹かれる都市を教えてください。―

パリは旅しただけでなくのべ2年生活したので印象深いところです。高飛車な美しさ、私は「美しきじゃじゃ馬」と呼んでいます。美しいけれども手に負えないところが魅力でもあります。私達の街の魅力が分かる人は来たら、といった感じの、誇りがあります。高飛車なのには理由があります。例えば、セーヌ川の遊歩道には柵がありません。夏など多くの人がピクニックをするので泥酔状態の人もおり、落ちた人をチェックするために、度々ボートがパトロールしていますが、柵を作ると美観を損なうので作らないのでしょう。地下鉄や街角にもエレベーター、エスカレーターが少なく、美観を優先しています。フランス人に聞くと、この街に誇りをもっているので不自由さとは引き換えだと言います。では、どうしているのかというと、車椅子やベビーカーの方が階段のところまで来ると、誰かしらが走り寄ってきて手伝います。一人一人がパブリックの意識をもっていて、それが結集し街としての意識になり、成熟した大人の街になっているということを実感しました。

 

一本裏道を歩きなさい

―人と国土ということが大きなテーマですが、住む人も一体となった全体が街の魅力ということでしょうか。―

俳句の世界では、一本裏道を歩きなさい、そこに詩があるといいます。裏道を行くと、人の声が聞こえて、佇まいが見えてきます。昔は、小さいながらも庭があったり、植木鉢に朝顔を育てたり、夏になったら風鈴を吊したり、水を打ったり、そういう文化がありました。ところが、冷房の登場でそれらの文化がどんどん廃れています。水を打たなくても、風鈴を吊さなくても、朝顔を育てなくてもスイッチ一つで簡単に涼が得られます。一本裏道に、街の素顔があり、詩はそういうところにあるのですが、最近の日本はそういうところが雑になってきています。特に、日本人は四季の移ろいに心を寄せて、季節感をとても大切にしてきた民族ですが、味気ない暮らしになってきてしまっているというのは残念です。

震災の半年前にドナルド・キーン先生と対談をした時に、70年間日本人を見続けてきて残念に思っていることが三つあるとおっしゃっていました。一番目が自然に対する繊細さ、暮らしの中に季節感が無くなってきていること、それから日本語の低下、三番目に新しいものへの好奇心が薄れて、物事を客観化してユーモアに変える力が無くなってきていること、とおっしゃっていました。特に若い人達にその傾向が顕著に見られ、私も今途絶えてしまうのではないかというくらい危機的な状況だと思います。

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バーチャルな都市の時代

バーチャルな都市、今を生きていない不安

―高度経済成長を目指して経済に力を入れてきたことも関係があるのでしょうか。御著書「引き算の美学」には、日本人が日本人たる所以は、高温多湿の気候と格闘し、その果てに美を見出してきた、自然観にあると書かれていますが、日本人の自然観は急速に損なわれてきているように思えます。―

都市はバーチャルです。空気も水も他の県が産出しているものを使わせてもらっています。全てキャッシュで解決し、自分が何によって生きているのかという実感が無いのだと思います。さらに、1日中家に閉じこもってネットの社会で生きていたら、本当に全てがバーチャルです。

最近、あちこちで「先の見えない不安」という言葉を聞きますが、先は見えないに決まっています。見えたらなおさら不安でしょう。先が見えない不安と彼らが言うのは、今を生きていない、その実感が無いという不安なのではないかと思います。

例えば教科書などもデジタル化される傾向にあるそうですが、一方で五感に訴える教育も取り入れるなどバランスをとっていかないと、どんどんバーチャルな世代が増えていってしまうことになる。今はまだ、年配の方がいらっしゃいますが、この後数十年経ったらバーチャル人間だらけになってしまいます。

 

インターネット句会と「座」の共有

―一方で、先生も携帯電話で句会を催されるなど、新しい技術も取り入れておられます。―

20年ぐらい前、インターネット句会というのが出始めた頃、私は懐疑的でした。インターネットでは「時間」と「場」は共有できますが、句会は座を囲むもの。インターネットは「座」は共有できないと思っていました。

ある時山形で句会があったのですけれど、雪も多くお年寄りは夜の時間帯に参加できないでいました。すると参加者の一人が句会の結果を携帯メールで教えていました。これはツールとして使えるかもしれないと思い、石井威望先生に協力していただいてサイトを作り、最初に開いたのが「桜を詠む」というiモード句会です。同じ日の同じ時間に、沖縄から北海道までの会員さんが、それぞれの地方の桜の下に立って、サイトにお互いに句を送り合って選をすると、結果が出るというサイトを作りました。掲示板も作りましたので各地からメッセージが飛び交いました。ところによっては満開だったり、花の雨だったり、花曇りだったり、花冷えだったり、二分咲きだったり、花吹雪だったり、あらゆる桜の季語が網羅されて、非常に面白かったものです。

もう一つ良かった点に、子育て中のお母さんや闘病中の方など、日頃句会に来られない方達が参加できました。現代ならではの新しい「座」ができたのです。ただ、元々顔を知っている者同志がというのが大原則だと私は思います。今でも年に1回ぐらい開きますが、その間には、膝を交えて句座を囲み、初めてインターネット句会も健康的に成立すると思っています。

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「型」の文化と自然観、日本人のアイデンティティ

ローカルに拘った街づくりを

―人口減少社会を迎える中でも、日本の首都が世界から人を惹きつけていくためには、何ができるでしょうか。―

グローバル化は仕方がないことですけれど、だからこそローカルに拘った街づくりをとことんやっていくべきだと思います。それから、日本人の細部への美意識というものを、もっともっと打ち出していくのがよいと思います。

私は「日本再発見塾」を主宰し、日本に埋もれた宝を掘り起こす活動をしています。昨年、飛騨高山で開催しましたが、例えば高山の古い街並みの側溝を作り直すのに、飛騨高山には地元でとれる非常に良い石があって、親子でやっている石工さんがいるのに、わざわざ輸入産の石材を使っています。地元の石は古くなっても独特の風合いを持ち、街並と馴染みますが、輸入産の石は馴染む前に汚くなっていきます。安価なので使っているそうです。コンクリートや安い輸入産石材、パネル石材に押され、地元の石工さんは仕事が無く、ぎりぎりのところで踏ん張っておられます。そういうことが日本中で起きています。だから、とことんローカルに拘るということが大事だと思います。地産地消の街づくりですね。

 

日本の文化への誇りを

―地方都市ではなく、首都のような大都市は、どのようにローカルに拘り、それぞれの都市らしさを際立たせてゆくことができるでしょうか。―

パリの、ファーストフード店の拒否の仕方は大変なものです。子供たりとも染まらない、「私達はフランス人だ」、というあの誇りは、どう教育していくとああなるのだろうと思います。日本人にもそれに勝るとも劣らない文化があります。日本人がそういう誇りをもてないということが私は不思議です。むしろ、フランス人の方が日本の文化を認めているほどです。あの自信とプライドを日本人ももってもよいと思います。

 

「型」の文化と自然観、日本人のアイデンティティ

―日本人は自分達の文化に今一つ自信をもっていないところがあるのでしょうか。街へのプライドや、古いものを守っていく意識は、どのようにしたら育まれていくのでしょうか。―

「型」の伝統文化を、お花でも、お茶でも、俳句も含めて、教えるべきだと思います。それから、自然を尊ぶ意識、和菓子でも、着物でも、必ず季節を写していますが、四季の移ろいを大切にするということを伝えていくべきだと思います。そうでないと日本人は根無し草になってしまうのではないでしょうか。

「型」というのは日本人のアイデンティティだと思います。「型」は、理屈抜きで子供の内に身につけるものです。今、家庭ではお父さん、お母さんができない時代になってきてしまいました。義務教育で教える以外にはないと思います。

日本には、他国のような強い宗教がありませんが、それに代わるアイデンティティが「型」と「自然観」だと思います。

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東日本大震災と俳句、文化の力

被災地で連綿と続く万葉集

―災害から逃れられない我が国で、災害を生き抜く上でも文化の力は大きいと思います。先生が最近東北で取り組まれていること、印象深かったことなどお聞かせいただけないでしょうか。―

東日本大震災後に寄せられた手紙がありますが、その方は津波を被ったその日から俳句を作っていたと書いておられました。40代の学校の先生で、ひたすら泥を掻き出しながら、気がつくと俳句を作り、それが生きる支えになっていた、そういう方が一杯いらっしゃるそうです。阪神・淡路大震災の時にも被災地で沢山の俳句、短歌が作られ、多くの人を励ましたという話を神戸で聞いてきました。

もっと昔に遡れば、万葉集の時代にも地震も飢饉も噴火もあり、非常に厳しい自然環境の中で、人は深呼吸をするように歌を作ってきました。その時代に一般庶民が詩を詠んでいたというのは、他国ではあまり例が無いことと思います。機を織りながら、農作業をしながら、一般庶民が歌を詠い合っていたのです。深呼吸するように七五調にのせて思いを上にあげていくことで、苦しさから逃れ、思いを浄化し、昇華して明日に生きる力に変えていった、それが実は今も連綿として続いていたということを、私は被災地で目の当たりにしました。それまで私は、万葉集は古典と思っていましたが、古典ではなく、あれは東歌であり、今ここで詠まれている。万葉集は、今でも日本人に続いている文化の厚いベースとしてあります。

しかも、皆さん自然を詠んでいます。仙台に住む30代の友人が、メールに「まどかさん、瓦礫の街の空に美しい星空が広がっています。僕がこれまでの人生の中で見た最も美しい星空です。」と書いていた。自然に打ちのめされた後で、自然が美しいと仰ぐ、その日本人と自然の揺るぎない信頼関係というのは、ずっと続いてきていると思います。それを詩に詠んでいくことで昇華し、浄化していくのです。去年3月にフランスの新聞の震災特集で、日本人は震災直後から俳句を作っている、「言霊の国」と書いてありました。そういう自国の尊い文化をもっと知り大切に引き継いでいく、それが街づくり、国づくりにつながっていくことになるのではないかと思います。

歌舞伎とか能を文化といいますが、あれは文化芸術というピラミッドの一番上のところで、一番下のベースのところは生活文化です。この部分が今とても危ういと思います。庶民一人一人の生活が雑になりグローバル化されて、日本人本来の、夏になったら風鈴を吊すとか、お客様が来る前には水を打つといった、とても丁寧に暮らしてきたものが無くなっています。この部分がやせ細ると上の部分もやせ細っていくと私は思います。俳句はその下の部分にあります。一般庶民の暮らしにある文化というのがとても大事で、それは学校と家庭の、或いはコミュニティの中での日々の教育により引き継がれていくのだと思います。

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黛まどか(まゆずみまどか)氏 プロフィール

俳人。神奈川県生まれ。

2002年、『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。2009年、東京文化会館にて初演のオペラ「万葉集(明日香風編・二上挽歌編)」の台本執筆、2012年NYにて初演の福島県の応援歌「そして、春〜福島から世界へ」の作詞(共に、作曲:千住明)など、俳句に限らず幅広く活動。現在、「日本再発見塾」呼びかけ人代表、「国立新美術館」評議員、京都橘大学客員教授などを務める。

近刊に、句集『てっぺんの星』、随筆『引き算の美学』、編著『まんかいのさくらがみれてうれしいな』など著書多数。

問い合わせ先

国土交通省 国土政策局 総合計画課
Tel:03-5253-8365 Fax:03-5253-1570 E-mail:itenka@mlit.go.jp