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Webニューズレター新時代Vol.75 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

大使館訪問記

本記事は、平成25年1月に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

首都移転の背景・目的、旧首都ヤンゴンの過密

問:ミャンマーではヤンゴンからネピドーに首都を移転しましたが、その背景と目的について教示えて下さい。

答:旧首都であったヤンゴンは密度が高くなってきており、場所的に狭くなってきたため、インフラの拡張、排水などの理由で、ヤンゴンからネピドーに移転しました。ヤンゴンの状況を説明することにより、より詳しい理由がおわかりになるかと思います。

ヤンゴン市は、1755年にアラウンパヤー王によってダゴンからヤンゴンという名前に変更されました。ヤンゴンの意味は、「ヤン」は敵、「ゴン」は克服するで、全ての敵を克服したという意味です。その後、イギリスとの戦争により1824年から下ビルマ1はイギリスにより占領され、ヤンゴンはイギリスの政治、商業のハブとして発展しました。1885年には全ビルマがイギリスにより完全に占領され、ヤンゴンはビルマの首都になりました。イギリスはヤンゴンの開発に先進技術を取り入れ発展させ、私が読んだ参考文献では、20世紀のはじめには、ヤンゴンのレベルはロンドンに等しいと述べられています。

ヤンゴン市は、1950年と1980年の開発により、面積は230平方マイル(キロでは600平方キロ)に拡張されました。ヤンゴン管区は東西南北に地区が分かれています。また、ヤンゴン市内の区は33区あります。植民地時代からある建物は、ヤンゴン市内だけで200以上あります。

ヤンゴンの道路、上水、下水、電気、ゴミ収集システムは1962年から1988年までの間にかなり機能が低下しました。ヤンゴンの人口は500万人くらいまで増え、人口密度が高まることにより、交通渋滞、道路の破損、水道システムの不良などが発生しました。そうした状況に対応するため個人で井戸を掘ったり、下水も集中管理システムではなく個別に処理するような状況になりました。

ヤンゴン市を拡張するためには、土地の確保も必要ですし、また、ヤンゴン市の場合は雨期になると道に1、2フィートまで雨水が溜まります。そうしたことも新しい場所に移転した理由の一つです。歴代のヤンゴン市長も与えられた予算の範囲内で修繕等をしてきましたが、首都のインフラとしては十分なものではありませんでした。

もう一つの理由は、他の国、例えばオーストラリアではシドニーという大都市が海岸に近いところにありますが首都は内陸のキャンベラに、また、中国も海に近いところに大都市がありますが、北京に首都をおいています。ミャンマーも同様に内陸に首都を移転しました。

1 ビルマ(ミャンマー)の歴史的、地理的区分で、南部沿岸地域及びベンガル湾及びアンダマン海に面したデルタ地域。(上ビルマの反対。)タニンダーリ管区域(旧名テナセリム)及びラキン州(旧名アラカン)を含む。

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ネピドー選定の理由:国土の中心、土地取得の容易性など

問:ネピドーを首都の移転先として選んだ理由は何でしょうか。

答:ネピドーの名前ですが、英語でRoyal Capital(王の都)という意味です。ミャンマーの歴代王朝は、首都としてマンダレー、タウングー、バガンといった行政を行いやすいところに移転したという歴史的背景があります。これと同じようにネピドーはヤンゴンから320km北にあり、ピンマナにも近く、また、王朝があったタウングーにも近いのです。ネピドーはタウングーとマンダレーの中間くらいのところ、地理的にも東西南北への行政の業務を行いやすいように国土の中心に位置しています。

また、周辺では農業が盛んで、それ以外にも電力、水道などの機能も十分供給できます。パウラン、イェジンの2つのダムがあり、パウランダムは水力発電により280メガワットの電力供給能力があり、イェジンダムは灌漑用です。南北へ移動する際にもヤンゴン〜マンダレー間の既存道路の真ん中ぐらいにあることから、北はメークティラやマンダレー、西はタウンドウィンジー、マグウェ、東はシャン州のピンランなどの地域にも容易に移動することができ、交通上非常に便利です。また、ネピドー地域内の地形も、平野もありますが、ちょっとした坂もあり水が流れやすく、この点は、ヤンゴンとは対照的です。

ネピドーの面積は7,054平方キロと広大な土地です。このような、広大で風光明媚な土地は、ヤンゴン付近ではなかなか確保できません。この広大な土地に、省庁などの地区、住宅地区、ショッピング地区、レクリエーション地区−例えばゴルフ場などの施設があります。また、宝石美術館や、宗教関係施設もあります。ミャンマーで有名なシュエダゴォン・パゴダに似たパゴダがあります。シュエダゴォン・パゴダより1フィート低いのですが、その高さは325フィートあり、ネピドーの一つのランドマークになっています。先程申し上げた通り、ヤンゴンはこれ以上拡張できないということがあり、全ての条件が揃っているこの土地を選んだのです。

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新首都ネピドーの概要:計画と建設

問:ネピドーの計画や建設経緯などについて教えて下さい。

答:ネピドーは、連邦地域2として建設されました。その連邦地域の中には8つの既存の区も含まれています。

2001年に計画を策定し、2005年に第1期の建設、2008年に第2期の建設が完了しました。先程もお話ししましたが、ネピドーの面積は、約7千平方キロですが、周りにある区と合わせ、その人口は92万5千人になります。ネピドーの中もいろいろな地区に分けられています。その中に国際地区というのがあり、その面積は4.9エーカー、約2ヘクタールあります。計画では、この地区の中に、大使館などが立地します。先日、バングラデシュ首相のミャンマー訪問に際して、この国際地区の中に大使館の土地を確保し、建設を始める式典を行いました。

ネピドーの中には主な区が4つあります。病院、駅、さらに、イェイゼン農業大学、林業大学、獣医大学の合計3つの大学があります。ヤンゴン、ネピドー間の道路ですが、8レーンの高速道路で、長さは323.5kmあります。それからネピドー内の道路は、最大で片側10レーンあり、将来を見込んで幅広くつくってあります。

ネピドーへの移転は、まず、国軍司令部が2005年に移転し、同じ年の11月に11の省が移転しました。首都の建設を開始したのは2002年です。25社の企業により建設が行われました。

2 連邦地域とは、ミャンマー憲法(2011)で他の州・管区と並記されているが、自治体ではなく、大統領が直接統治するとされている。

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旧首都ヤンゴンと新首都ネピドーの役割分担:議会及び全ての省庁はネピドーへ、ヤンゴンは経済の中心

問:ヤンゴンとネピドーの役割分担はどのようにされているのでしょうか。

答:ミャンマーの全ての省がネピドーに移転しました。国会議事堂もネピドーに新しく建設し、移転しました。元の国会議事堂は、現在ヤンゴン管区の議事堂として利用しています。各国の大使館はヤンゴンに残っています。ただし、先程お話ししたように、バングラデシュ大使館の新しい建物はネピドーで建設中です。商業機能もヤンゴンに残っていますが、これからミャンマーに進出し、投資しようとする企業はネピドーに支社、事務所を開設しています。例えば、ある日本の総合商社はネピドーに事務所を設けています。

先程、全ての省がネピドーに移転したとお話ししましたが、ある省の場合は業務の都合上、移転できない部署もあります。例えば、ミャンマー運輸省の航空局、港湾局などの部署はヤンゴンに残してあります。港湾局の場合は、海外から来る船のヤンゴン港への出入国管理業務もありますし、航空局の場合も同じくヤンゴン空港の管理などをしているということで、ヤンゴンに残してあります。また気象関係の機関は、世界の気象機関と連携をしているので、ヤンゴンから移転しておりません。同じく、中央銀行の建物はネピドーにありますが、中央銀行の機能は、まだヤンゴンに以前の中央銀行の場所に支局という形で残しています。ほとんどの民間の銀行もヤンゴンにおかれています。それから、工場及び工業区もヤンゴンに残っています。

ネピドーとヤンゴンの役割分担の考え方ですが、全ての行政管理はネピドーで行い、その指示を受けて実施する部分は、ヤンゴンなど他の市が実施しています。大統領府、大統領官邸、副大統領のオフィスと官邸、議長公邸などもネピドーにあります。公務員の官舎も4階建ての建物で1.200戸分つくりました。これからも、一層増えていくと思います。ネピドーには国際空港も整備されています。

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将来ビジョン:商業ハブとしてのヤンゴン、行政都市としてのネピドー

問:現在の、ネピドーへの首都移転への評価と、今後のビジョン・見通しについてお話し下さい。

答:基本的な枠組みとしては、快適さ、クリエイティブ、健康的、知能的、ケアフリー、美しい都市計画、農村、地域、環境を基本として、将来に向けた政策を進めていくことにあります。将来の見込みですが、ヤンゴンは商業的なハブとして発展を続けていくと思います。今後30年間かけて、ヤンゴンの拡張計画を進めていくことになっています。

今年、2013年には「第27回東アジアスポーツ大会」が首都ネピドーを中心にミャンマーで開催されます。このようにネピドーは将来の国の方針による知的な社会資本としての文化の発展と、環境政策を取り入れた都市として、今後も発展し続けていくと思います。

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日本へのメッセージ:末永い友好・協力関係の発展を

問:大使から、ミャンマーと日本の今後の友好関係、アジアの共存共栄と発展のためにメッセージをいただきたいと思います。

答:日本とミャンマーの友好関係は長い歴史があり、あたたかい関係にあります。ミャンマーの独立運動の際にも支援をいただいき、その後も様々な協力をいただきました。現在、ミャンマーは民主化への道を歩んでおりますが、民主化への道でも日本はリードをしています。これから経済支援と協力、日本からの投資、技術協力の受け入れなども今後進めていく予定ですし、現在既にスタートしております。この機会に、ミャンマー国民を代表して、日本政府、日本の国民の皆様に御礼を申し上げたいと思います。今後も、日本との友好・協力関係が末永く発展することを祈念します。

地図
((c)Esri, DeLorme, NAVTEQ, TomTom, Intermap, increment P Corp, GEBCO, USGS, FAO, NPS, NRCAN, GeoBase, Kadaster NL, Ordnance Survey, Esri Japan, METI, swisstopo, and the GIS User Community)

連邦議会鳥瞰図
連邦議会鳥瞰図
(出典:ネピドー開発委員会資料)

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Tel:03-5253-8365 Fax:03-5253-1570 E-mail:itenka@mlit.go.jp