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Webニューズレター新時代Vol.76 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

寄稿文

本記事は、平成26年2月に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

東京オリンピック・パラリンピックを契機に首都機能移転を再考する

東京都市大学・環境学部・教授
中部大学・応用生物学部・教授
東京農業大学・客員教授
涌井史郎 氏
東京都市大学・環境学部・教授、中部大学・応用生物学部・教授、東京農業大学・客員教授 涌井史郎 氏

2020オリンピック・レガシーとメッセージ

2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定して非常に良かった。

かつて満州事変のど真ん中に、英米も賛成して、1940年、東京でオリンピックをやることになっていたが、軍の意向もあり返上した。当時は紀元(皇紀)2600年という明らかな目標があって、一緒に万国博もやろうという設(しつら)えがあり、赤坂離宮が唯一今日紀元2600年の記念物としてその時代を想起させてくれる。1964年の東京オリンピックは、日本が戦後から脱却し、国際社会に復帰するデビューであった。ここにもしっかりしたレガシープランがあった。首都高速や新幹線などの様々な社会インフラがその為に用意された。

では、2020年のオリンピック・パラリンピック先進国として大会後どのような社会イメージを提案するのかといった議論がなかなか見えてこない。大イベントというのは、世界に対して、日本、東京がどういうメッセージを送るのかということが非常に重要で、そこがちょっと未成熟な議論になっている。

 

今少し、東京を深掘りして考えてみると、森記念財団の世界の都市総合力ランキング調査では今世界第4位。去年、ニューヨーク→ロンドン→パリ→東京が、ロンドン→ニューヨーク→パリ→東京になってニューヨークとロンドンが逆転した。これは明らかにロンドンオリンピックの効果。

ブレア元英首相は、ロンドンオリンピックはロンドンのためだけではなく、英国経済の将来と英国の社会構造に対して大きな影響を与える、国土政策の一環であり、ある種のパブリック・ディプロマシーであると言っている。それによりスコットランドやアイルランドなどの他の地域にも大きな波及効果があった。現実に、ロンドンオリンピック以降、湖水地方などロンドン以外の地域の観光客が増えて、彼が考えたことが具体的に発現してきている。

これから考えていかなければいけないことは、国際的な都市間競争で東京がどう勝ち残っていくかということ。そのことと日本の立ち位置は密接不可分で、東京という都市が世界都市として高い評価、2位なり1位なりを狙って東京の未来を考えていくべきではないかというのが私の所見である。

ただし、それは東京の一人勝ちを意味しない。確かに「国土の均衡ある発展」の議論は残念ながら過去の議論で、人口減少社会の中でも都市集中がさらに進むという現実は受け入れなければならない。だが、それがイコール東京一人勝ちなのというと、少し違うのではないか。

 

また、オリンピック・パラリンピックの機会に3.11の時に世界中から支援をいただいた事に対し日本はどう恩返しするのか。日本はどんな眼差しでどんな国づくりをやっているか、答えを見せる必要がある。

少なくとも復旧から復興に進んでいる日本が、防災や減災の観点から地球温暖化を主たる原因として気候変動が生じ自然災害が増える傾向にあって、「防災という観点のみならづ、日本に歴史的に培われてきた、自然の力を借りた減災の形をも見出そうとしています」というメッセージを出すことこそが望ましい今日本が世界に示すべきポイントだと思う。日本ほど多様な自然の国。恵沢と災害が背中合わせとなったモザイクのような国土に対して、歴史的にどのような自然共生の技術を日本は持ち、かつそれをヒントにした技術創生を図っているのかを示せば、これは他国にとっても十分価値がある。

また、先進国に共通した課題である高齢化社会、人口減少社会を、どういう方策・知恵で日本は乗り切ろうとしているのか、それを世界に示すとともに、22世紀を見据えた持続的な未来の構想について、日本のシーズと経験を総動員しながらメッセージとして表現できればいいと思う。

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日本人の知恵

日本という国は、美しさの背中合わせに災害がある。そうした自然と付き合うためには、基本的には負けるが勝ちという発想に立ち、その力を柔らげる知恵が日本人に備わってきた。

力には力をという理論もあるが、力を力で制するのは巨額の費用がかかるし効果に限界がある。日本人の知恵は「いなし」の知恵とでもいうべきものであり、力には力で対応しない、柳に風のような技術や対応策を作り上げてきた。加藤清正の「鼻ぐり井手」や信玄の「信玄堤」、水制工法も木造軸組工法もそうだ。わかりやすいのは、3.11の東京タワーと東京スカイツリーで、東京タワーは一所懸命踏ん張った結果アンテナが曲がり、スカイツリーは五重の塔の芯柱の構造と柔軟なトラス構造で建設されていたが故にびくともしなかった。ここに明らかなように、日本人は日本なりの自然との付き合い方をしっかり学び技術に投影してきた。

 

地域には地域の、都市には都市の自然との付き合い方、英知があったというのが日本の特異性であろう。

例えば、当時世界でも最大級の都市であった江戸は、公衆衛生上の懸念がほとんどなかった。欧州の諸都市は、城壁を巡らせて、その城壁の外側に自然を置いて、城壁の内側は永久不滅の人工構造物を作って都市としてきた。これが結果として伝染病や後の大気汚染等、公衆衛生上の大きな問題をもたらした。ところが江戸は、下町の町人地など1ヘクタール当たり800人くらいの人口密度だが、公衆衛生上の問題が殆どなかったといっても良い。「大家は店子の糞でもち」という江戸川柳があるが、江戸には里山とか、社寺林とか、農地が「入れ子」のようにつながっていて、排泄物や廃棄物は再利用や循環する構造を持っていた。

振袖火事などの大災害もあったが、そういう大災害を克服するメカニズムをうまく作っていた。例えば、町火消しや大名火消、コミュニティを基礎にした減災組織を江戸は備えていた。都市構造としても広小路などをしっかり作っているため、大災害が起きても意外と死傷者の数が少ない。それは柔軟な都市構造で、自然と共生し、循環することによって、上手に自然と付き合ってきたという成果が現れている。やはり、そういう点にしっかり目を向けていかなければいけない。

 

一方、地方に目を転ずると、日本の自然は、良い意味でも悪い意味でも人が関わってきて作った自然。つまり、二次的な自然がほとんどで、その典型が里山である。

里山というのは、生態系サービスを人間の都合で最大化した結果生み出されたもの。人の手を入れ、山に柴刈りに行き、労力を惜しまない結果、生態系サービスを最大化する。その結果、自然の応力を最小化してきた。つまり、里山というのは単に刈敷農法とか、集落の建材を供給したとか、燃料源であったとか、そういうことだけではなく、里山が健全であれば、結果として獣害が防げ、災害の時には逃げ込む場所となり、土砂の流失防備等、防災・減災に貢献する重要な機能を持ってきた。

人手によって維持されている自然を作り出していったことにより、自然と共生ができる生産メカニズムが里山によりできていた。

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都市と地方

ところが、人が手を入れて作った自然であるだけに、人が退いていくと、たちまち人間に牙をむく。専門的には「遷移」というが、元の自然に戻ろうという力が働いて、これが取り残された人や集落を圧迫する。わかりやすいのは、害獣として出てくる鹿。鹿だけであれば鹿の食害だけで済むが、山蛭も背負ってくる。一番大変なのが猿害で、高齢者の人たちが営農継続できないと集落放棄する事態が起きている。

こういうリバウンドをどうやって我々は防ぐことができるのか、あるいは放棄するのか、このあたりの選択はこれから迫られてくる可能性が高い。一方でインフラということを考えれば、そこで人が居住してくれていたが故に、ある種の防災・減災機能を果たしたということがあって、もし人が引き上げてしまったら、今度は災害防備のために国富を投入しなければならないという問題も出てくる。

地方は人口が少なくなってきたとき、どことどこを残していくのかという整理をせざるを得ないが、全く人が引き上げてしまうような状況だけは防がなければならない。国土管理の観点からこうした課題をどうするかは大きな課題。それは単なる人口問題だけではなくて、国土を総合的にマネジメントするという観点から、どうしたら良いのかということになってくる。

 

都市が今成り立っているのは、地方が頑張って供給してくれている水・エネルギー・食料等を受益しているからである。また、労働力にしてもそうであるといえるかも知れない。それを考えなければいけない。都市と地方は相互補完関係にある。

誤解しがちだが、農林水産空間がイコール農林水産業空間だと考えるのは間違い。これからは、多目的、公益的な機能で地域を維持していくという概念。それは農林水産業もその中に包含しながら、地域をマネジメントする。その立場で「地域に住んでください」ということを都市の側からお願いをして、住んでいただく必要性も高くなってくる。

EUと同じように、営農条件の有利・不利をマトリックスにして、そこに住んでくれるためのインセンティブを政策によってどれだけ高めるか。防災とか生物多様性といった観点から重要だと思われる地域に対しそういう戦略的な政策を講ずることが必要になってくる。

 

だから、東京が一人勝ちであるかのような国家像を描くのは許されない。また、東京は東京として、江戸の歴史に学んだ持続的な未来を示唆できるような、循環型で自然共生のモデル的な都市像を世界に示せるとするならば大きな価値がある。

先程のレガシープランの話で言うと、先進国としてオリンピック・パラリンピックを誘致した以上は、自然と共生し、しかもエネルギーなり物質の循環を果たしていく新たな都市像を東京が世界に示せるならば、大きな意味を持つ。江戸モデルの再評価をし、そうした歴史を持つ都市としてもう一回東京を見直してみるということが非常に重要。であればこそ、東京が他の都市とは違い、新たな持続的未来のために貢献できる都市としての姿を世界に発信する価値がある。

 

国土のグランドデザインを描く上に、人口が減少して、都市間競争が激しくなって、しかも地下資源が払底して、遺伝子資源や生物資源を非常に重要視しなければならない未来を考慮するならば、社会資本だけでなく自然資源も資本財として位置づけて考えていかなければならない。

国家像を描くときには、今のみならずテッピングポイントに迫ろうとしている世界を考え、成長と成熟のバランスをどう取るのかという議論の上に、首都機能をどうするのか構想しなければ具合が悪いのではないか。

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豊かさを深める

そういう考え方を前提にして、3.11という大災害を機に、我々は何を考えなければいけないのか。確かに、一定の経済成長は必要であり、それを否定するわけでないが、永遠に成長できるのかというと、地球環境問題や開発途上国における爆発的な人口増加を考えても、できはしない。そうすると、豊かさを追い求める方向のみならづ、豊かさを深める社会の実現を図る方向を主流とした考え方に転換を迫られるであろう。日本の国土政策にとって、国民が豊かさを深める方向をどう実現するのかが非常に重要な課題となってくる。つまり、今までは、(釣りバカ日誌の)スーさんを目標にしてきたが、みんながスーさんになれるわけではなく、ハマちゃんの幸せも大事にしていこうという構図を描き出す事が大切であるように思う。今既に豊かさを深めるということが大切と、多くの人たちが気付き始めている。内閣府の国民生活に関する世論調査では、1980年を境に物の豊かさより心が豊かな方が良いという答えが60%以上になってきている。

一方では国際的な都市間競争に勝ち抜く都市をどう作っていくか、一方では豊かさを深められるこれまでとは異なる幸福感が得られる地域をどう作っていくか。双方の複眼的な課題にどう答えていくか問われることになる。

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これからの国土構造

3.11を機にリンゴ型の国土構造から、もう1回ネットワークを重視したブドウ型の国土構造というものを再検討する機会ではないかというのが私の持論である。

リンゴは真ん中に芯があり、芯が果肉を支えている。この構図がこれまでの国土構造と言えよう。それは国土の均衡ある発展を前提にした構造であり、限りない成長を前提とする産業革命的な経済構造を前提とした発想から生じた構造である。都市−例えば東京は商業の中心だけではなく、ありとあらゆるものの中心となり、リンゴのような構造が不本意にできてしまった。そして、集中、巨大、高速、あるいは中央集権といったキイワードがその構造を造ってしまった。

ところが、阪神・淡路大震災、そして東日本大震災、そしてこれから起こり得るであろう東南海三連動、あるいは首都直下型地震というものを考えたとき、本当にそれで国家としてのBCMは可能なのかということが問われ始めている。例えば、百数十兆円の国富が一瞬にして消えてしまう。そのリスク・マネジメント戦略を放置しておいて良いのかというと、それは少し違うのではないかという話になる。

 

国土計画論としては、これからの方向はブドウのような構造を作るべきであると考えている。一つ一つの地域が自立的に、それぞれの個性を強めながら、将来を見渡していく。ただし、ブドウを支えているのは茎であり、その茎はネットワークに擬えられる。一つ一つのブドウの努力もさることながら、効果的なネットワークの形成をどうできるかが重要で、端的に言えば、交通系のネットワーク、情報系のネットワーク、そして生態系のネットワーク、それからエネルギーのネットワークの強化がますます必要となるのではなかろうか。このような、自立分散的な地域構造とネットワークの構造は国のBCMを考える上に欠かせない。

東京のような都市を否定するわけではなく、東京という特異な存在はあったとしても、原則国土構造というのはブドウであるべきというのが基本的な考え方である。

先程の2020年以降のレガシープランとして、東京は東京で都市間競争の中で十分に勝てる、そういう基盤を強化する。一方で、地方は地方でそれぞれの個性を磨き上げながら、自立できる地域構造をどう構築していくのかをしっかり戦略的に考えて、それをお互いに支えるネットワークをどう重視していくのかが最終的な答えになると思う。

 

その上で、東京はもう日本という枠組みの中だけで考える存在ではなく、東京が成長する、東京を強くするということは、国際的都市間競争の時代において日本そのものを強くする道。現状の東京には日本もあれば、アジアもあれば、ヨーロッパもあって、それがディズニーランドのように混成しているところに魅力がある。なおかつ日本人はカオスにしないから、秩序ある多様性が混在する空間というのができている。そこに東京の良さがある。

では日本全体が東京であって良いのかといえばそれは違う。東京の多様性、国際性とは別に、地方を訪ねると純化された日本に触れることができる。こうした先端と伝統の相対性があればこそ、日本が世界をリードする未来へのクリエイティビティを生み出す国に成り得る。

今までは、どちらかと言うと中央集権型で産業革命型の国家構造。つまり、広域、巨大、高速といったキイワードの利益追求型。これからは、地縁結合型社会を大事にすることが、実は豊かさを深める成熟型社会を創造するのに相応しく、それこそが新らたなライフスタイル創造の原動力となるのでは。そちらへシフトしなければならない。そういうマインドで国土計画を見ていく、俯瞰型だけではない目線、虫の目線をも混えてで考えることが必要。

西洋庭園と日本庭園の違いは何か。西洋庭園は神様の目線。例えば、ベルサイユの全体像はわからない、あれは神の平面図、すなわちその代理人を自称する王様にしかわからない。対して、日本庭園というのは見上げる、「座観」。これからの国土計画というのは、「座観」の国土計画でなければだめだというのが私の持論。

 

これから、ICTとかITSといったことを考えると、情報をどのようにしっかり守るのか、電子情報を前提とした国家のマネジメントやBCMが必然。そうした近未来の国家の姿に最適なシステムを考えることが真のレジリエンスだと思う。

本来、レジリエンスとはES細胞みたいなもので、喪失しても新しい再生細胞がそこにあって、それがある故に全体象が即再生される。原生動物のプラナリアの例でいえば、プラナリアのES細胞は、いつもは頭部にある。ところが、本能的に自分の危険を察知した時、ある座標軸に基づいて、体中にこのES細胞を振りまく。そうするとプラナリアを切断しても、ES細胞が入っているところは、その部位から同じプラナリアが再生される。

 

これを可能にするのは情報ネットワーク。今までの首都機能移転の議論というのは、空間の議論ばかりをしてきた。そうではなくて、これからの情報化社会の中で、何が重要になってくるかを考えなければいけない。

そういう面で、首都機能の移転について、国家としてのBCPを考えた時のリスク分散として、多核的な機能を果たす地域をしっかり定めるということはすごく大事。首都機能を受け入れたいと考える人たちは、非常に活力のある、言ってみればミニ東京みたいなものができることを期待されるだろうが、そうではなくて、先程申し上げたブドウのような構造で、東京とデュアルでしかも各々の地方と連携された多核構造を維持できる、より望ましい国土構造をどう実現するのかというところに首都機能移転の議論がしっかりかみあっていくことが望ましい。

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クリエイティビティと新たなライフスタイル

未来の日本を考える上に、クリエイティビティということが非常に重要。日本は、江戸時代までは良かったが、特に戦後そこが一番貧弱になってしまった。

例えば、iPadなども要素技術は日本の方が高い。では、スティーブ・ジョブズは何を発明したかと言うと、ライフスタイルを発明した。つまり、情報端末を机の上からはがしてフリーホールルドのタブレットにした。彼は、これからの時代に必要な、新たなライフスタイルの大クリエーター。残念なことに、日本は要素の方に細分化してしまって、どういうライフスタイルが未来にとって望ましいかという、創造性が欠落してしまった。機能だけを良くすることに一所懸命になって、あれだ、これだと機能を付けて付加価値を高くする方向に邁進してしまった。

そうではなくて、来るべき時代にどのようなライフスタイル提案を世界にできるかということが一番重要で、それと、それを支える要素技術がセットになれば、こんなに強いことはない。かつて日本人は、江戸を含めライフスタイルの大クリエーターであった。豊かさを追い求めるのではなく、深められるライフスタイルのクリエイティビティを生み出すに相応しい地域・地方の個性を尊重した国土をつくらなければならない。

これからの先進国とは、どこで、誰に、いくらのコストで、どのようなものを作ったら良いかを考えることもリードする。何もかも自分のところで作る必要はない。あくまでも全世界を俯瞰しながら、新しい地球環境の限界も前提にして、どういうライフスタイルこそが持続可能な未来を保証するのかを考え世界をリードする。

そこで私は、リンゴ型の国土構造を産業革命追随型国土構造、ブドウ型の国土構造を環境革命先進型の国土構造と言っている。つまり、豊かさを追い求めてくると、高効率で合理的となるとリンゴ型になる。豊かさを深めるということになると幸福感の多様性が重要。幸福感の多様性がサブ・カルチャーを生み出し、これが新たなクリエイティビティを生み出すことにつながるのではと考えている。

 

産業革命型の国土像と環境革命型の国土像の何が違うのかというと、産業革命型は成長が原則で、その成長で今ある矛盾を吸収していくという答え。一方、環境革命型はバックキャスト。限界があるから、未来の人が困らないようにするには、我々の使いしろはどのくらいかということを決めること。だから発想が全く違う。

豊かさを深める社会を作るというのは、成熟型社会をどう作っていくのかということなので、つまり魅力的な成熟性こそが、実は世界が求めている新たなライフスタイル。そこで生み出されるクリエイティビティこそが、世界のライフスタイルをリードする。

それを実現できる国家の構造なり、国土像なり、地方像をどう作っていくかという話になってくると、首都という空間を移転するという話ではなく、首都という機能をどう評価して、その機能を移転なり、複核化することによって生み出される新たな未来に対する国家像、そしてそれを投影した国土像の可能性は何かという戦略を詰めていかなければいけない。

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涌井史郎(わくいしろう)氏 プロフィール

造園家・ランドスケープアーキテクト

1945年神奈川県鎌倉市生まれ

東京都市大学 環境学部教授

岐阜県立森林アカデミー 学長

東急関連会社の社長であった当時手掛けた多摩田園都市、ハウステンボスなど実践的プロジェクトのリードを経て、大学に勤務。

農村や水源地域そして地方都市の活性化計画などを手がける。

「愛・地球博」(2005年)では、会場演出総合プロデューサー、国連生物多様性の10年日本委員会委員長代理、首都高速道路構造物の大規模更新のあり方に関する調査研究委員会委員長、などを歴任。

著書には、NHK「景観から見た日本の心」、三省堂「奇跡と希望の松」、KKベストセラーズ「いなしの知恵」等多数。

問い合わせ先

国土交通省 国土政策局 総合計画課
Tel:03-5253-8365 Fax:03-5253-1570 E-mail:itenka@mlit.go.jp