ドイツでは、1990年の東西ドイツの統一を機に旧西ドイツの首都であったボンからベルリンへの首都機能移転の議論が本格化し、1991年の連邦議会のベルリン移転決議を経て、1999年9月に移転が実施されました。
[ドイツの概要]
政治行政システム:連邦共和制
人口: 8,226万人(2000年)
面積: 35.7万km2
[首都機能移転の経緯]
1990年 東西ドイツの統一
1991年 連邦議会ベルリン移転決議
1994年 ベルリン・ボン法の制定(首都機能移転の基本法)
1999年 ベルリン移転の実施(9月1日)
ドイツの首都機能移転の目的は、ベルリンを首都とすることで、「自由と統一の象徴」を実現することにあります。
ドイツの首都機能移転では、連邦議会・連邦参議院・大統領府のほか、連邦首相府を含む10の連邦省庁がベルリンへ移転し、その対象となったポストの数は、約11,000です。移転費用は、およそ200億マルク(約1兆1000億円)です。ドイツの首都機能移転の特徴は、移転対象となる省庁を選定する際に、「混合モデル」と呼ばれる方法を採用したことにあります。「混合モデル」とは、連邦政府の各省庁について、母体の配置をベルリンとボンに振り分け、その上で各省庁の内部部局をそれぞれの性格によって、ベルリンへ置くものとボンへ置くものに分けるという仕組みです(表1参照)。この「混合モデル」の実施にあわせたポストの精査などにより、ドイツの行政改革は一層進みました。また、ドイツ政府が首都機能の移転にあわせて進めた行政のIT化により、「混合モデル」は円滑に機能しています。
なお、ベルリンへの首都機能移転にあたっては、ボンに対して適切な補償を行うことがベルリン・ボン法に明記され、それに基づいて、元々ボン以外に所在していた行政機関や国際機関の一部がボンに移転したほか、約28億マルク(約1,555億円)相当の補償措置が行われました。さらに、近年ではIT関連の企業が集積しつつあり、首都機能移転後もボン市は、国際都市として発展を続けています(表2参照)。
注)連邦食料・農林省はボンの残留省であり、ベルリンに支所を置いている。表中でベルリンとボンの両方に○印がついているのは、両市に事務所があることを表す。
図1 ベルリン中心部に立地する首都機能と主な都市施設
:Sバーン(近郊鉄道)
:Uバーン(地下鉄)
各々点線は計画中を表す
(1999年2月時点)
連邦大統領官邸(ベルビュー宮殿)、連邦大統領府
ドイツ連邦議会議事堂(旧帝国議会議事堂建築、総会議場)(写真2)
ドイツ連邦議会(会議場、会派、議員会館、議会事務局)
連邦参議院
連邦首相府
連邦情報広報庁
外務省
連邦内務省(写真3)
連邦司法省
連邦大蔵省
連邦経済・技術省
連邦食料・農林省(ベルリン支所)
連邦労働・社会省
連邦国防省(ベルリン支所)
連邦家族・老人・婦人・青少年省
連邦保健省(ベルリン支所)
連邦建設・国土・交通省
連邦環境・自然保護・原子炉安全省(ベルリン支所)
連邦教育・研究省(ベルリン支所)
連邦対外協力・開発省(ベルリン支所)
ベルリンでは、首都機能移転に伴う新たな政府関連施設の建設にあたってコンペが実施され、連邦議会議事堂や首相府などの施設やシュプレーボーゲン地区などの美しい街並みが新たに整備されました。また、ソニーセンター(写真1参照)、ダイムラーシティなどの高次都市施設や地下鉄などの交通インフラの整備も進められています。
1999年にベルリン市州政府が行ったアンケート結果によると、83%の国民がベルリンへの首都機能移転を成功だと答えています。
問:ベルリンへの移転は成功したか?
・調査委託者 : ベルリン市州政府
・受託実施機関 : EMNID研究所
・実施地域 : ドイツ全国
・対象人員 : 2,013名(旧西ドイツ地区:1,604名、旧東ドイツ地区:409名)
・実施期間 : 1999年11月29日〜12月30日
・調査方法 : 電話