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アジアハイウェイの歴史

アジアハイウェイの発足

パン・アメリカン・ハイウェイやヨーロッパ・ハイウェイのような国際道路網をアジアにも完成させようという構想は、国連を中心に1950年代半ば頃から検討がなされた。

1959年になり国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の前身である国連アジア極東経済委員(ECAFE)総会でアジアハイウェイ計画が採択され、この構想は具体化に向けて第一歩を踏み出すことになった。

アジアとヨーロッパを結ぶ道路網を形成し、地域間および国際間の経済・社会開発に貢献し、かつ貿易と観光産業を育成しようとするものであった。発足当時の加盟国は、アフガニスタン、バングラデシュ、カンボジア、インド、インドネシア、イラン、ラオス、マレーシア、ミャンマー(正式加盟は1988年)、ネパール、パキスタン、シンガポール、スリランカ、タイ、旧南ベトナムの15か国であり、アジア大陸の南側のほぼ全域をカバーしていた。

 

アジアハイウェイ・ネットワークの変遷

アジアハイウェイは計画加盟各国の首都、需要都市、需要港湾、工業の中心地などを結ぶことを基本として選択され、全41路線、道路総延長約6万5000kmの道路からなるアジアハイウェイ・ネットワークが決定された。なお、1981年にはフィリピンが計画に参加し、アジアハイウェイ・ネットワークの総延長は約6万8000kmとなった。

計画の発足後UNDP先進諸国の援助および加盟各国の努力により同計画はかなりの進展を見せ、多くの加盟国のアジアハイウェイ・ネットワークはその延長を伸ばし、かつ改良されていった。

特に1968年以降はESCAPの下部組織として、アジアハイウェイ運輸技術事務局が設置され、関係国の調整と技術面での指導・援助が行われてきた。そのための費用として国連開発計画(UNDP)からの特別資金が供与されていた。

しかし国連の財政難などの理由で、1975年この事務局は閉鎖された。これ以降、この計画はESCAPの運輸通信部に引継がれ、限られた資金と人材の中で同計画は継続されていった。

 

アジアハイウェイ・ネットワーク見直しの背景

1959年の開始以来アジアハイウェイ・ネットワークの見直しのきっかけとなるようなアジア地域の政治・経済情勢の大きな変化がなく、逆に数々の国際紛争や内戦など整備を阻害する要因のほうが多かった。そのため大幅なネットワークの見直しが行われないままに30年以上を経過した。

また加盟国の多くが第二次世界大戦以降に独立した開発途上国であり、道路整備に関する予算が十分に確保できない国が多く、一部の国を除いてアジアハイウェイの整備は必ずしも順調に進められてきたわけではなかった。

しかし1980年代末になってさまざまな明るい変化が見えるようになってきた。世界の冷戦構造の解消とそれを受けたアジアの国際情勢や関係各国の外交政策の変化、また社会主義各国における市場経済原理の導入がアジアに新たな交流の時代をもたらした。すなわち関係各国が国際貿易や外国資本導入を促進する為の必須条件として、国内および国際運輸通信インフラの整備をより一層推進する政策を取り始めたことを反映し、アジアハイウェイ計画の再活性化が強く望まれるようになってきたのである。なかでも中国(1988年)、ミャンマー(1989年)、モンゴル(1990年)の計画への相次ぐ加盟、ヴェトナムの計画推進意欲の表明(1991年)は、アジアハイウェイ計画に新たな転換機をもたらす画期的な出来事であった。

アジアの国際幹線道路網アジアハイウェイ・ネットワークも新規加盟国での路線設定はもちろん時代の流れに即応した路線の追加、削除などの見直しを行う必要性に迫られた。

 

アジアハイウェイ・ネットワーク整備計画

1992年、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)は、アジアハイウェイとアジア横断鉄道網および陸上輸送容易化施策から構成される、アジア陸上交通インフラ整備(ALTID)計画を採択した。

ESCAP事務局は、日本政府からの資金援助を受け、一連の調査を実施し、第1次の調査の報告書は1995年に出版された。この最初の調査では、29本のアジアハイウェイ路線、総延長69,000kmを確定した。

1996年、アジアハイウェイ路線網の第2次の調査が中央アジアと南コーカサス地域を対象として実施され、13本の路線、総延長21,000kmが追加されることになった。

更に、1999年、トルコ国内のアジアハイウェイ路線が合意され、総延長3,200kmのアジアハイウェイが路線網に追加されることになった。

ALTID実施戦略では、アジア全域をカバーするアジアハイウェイ路線を選定することの重要性を強調している。この重要性に鑑み、第3次の調査が2001年に実施され、中国、カザフスタン、モンゴル、ロシア連邦および朝鮮半島のアジアハイウェイ路線が選定された。これらの路線は、アジアハイウェイの北部回廊を構成し、北東アジアと中央アジア、コーカサスおよびヨーロッパを効率的に結び付ける路線網であり、総延長約40,000kmの道路網がアジアハイウェイ路線網として選定されることになった。

2001年および2002年には、グルジアとブータンで、アジアハイウェイ路線が確定された。2002年5月、30カ国の加盟国が参加して専門家会合が開催され、路線網全体の見直しを行い、31カ国の都市にまで路線を延長し、総延長141,000kmのアジアハイウェイ路線網が確定することになった。

更に、2003年11月、日本がアジアハイウェイ・プロジェクトに参加し、東京-福岡間が路線網に含まれることになった。また、ブルネイも、アジアハイウェイ・プロジェクトに参加することに前向きな関心を表明している。

 

アジアハイウェイプロジェクトの経緯

1959年 ECAFE(国連アジア極東委員会)がアジアハイウェイ・プロジェクト実施決定。
アフガニスタン、バングラデェシュ、カンボジア、インド、インドネシア、イラン、ラオス、マレイシア、ミャンマー(正式加盟は89年)、ネパール、パキスタン、シンガポール、スリランカ、タイ、ベトナム(旧南ヴィエトナム)の15カ国が参加。
1960年 調査スタート。
1968年 アジアハイウェイ運輸技術事務局設置(UNDP資金)
ネットワーク延長65,000km、40路線。
1975年 UNDP資金援助中止。アジアハイウェイ運輸技術事務局廃止。
1981年 フィリピンが参加(ネットワーク延長68,400km、41路線に)。
1988~91年 中国、ミャンマー、モンゴル、ベトナムが参加。
1992年 アジアハイウェイ・ネットワーク調査開始。
中央アジア及びコーカサス7か国(アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)がESCAP加盟
1993年 新規アジアハイウェイ・ネットワーク決定(約69,000km)。
旧構造基準の見直し。
1994年 中央アジア及びコーカサスのアジアハイウェイ・ネットワーク調査開始。
1996年 11月東京にてアジアハイウェイ・シンポジウムを開催。アジアハイウェイ整備促進に関する行動計画を提言する。
中央アジア及びコーカサスのアジアハイウェイ・ネットワーク決定。
ネットワーク総延長が約89,500kmとなる。
トルコの加盟及び路線設定。
1997年 ロシア、韓国、北朝鮮加盟。北部回廊におけるアジアハイウェイ・ネットワーク調査開始。
2000年 グルジア加盟
2001年 ブータン加盟。
10月に北部回廊に関する専門家会合が開催され、北部回廊を含むアジアハイウェイ・ネットワーク設定。
11月のソウルでのESCAP大臣レベル会合で、アジアハイウェイ政府間協定の締結が勧告された。
2002年 5月の路線見直しのための専門家会合で、ブータンを含む31ヵ国のネットワークの見直しが行われ、総延長が141,000kmとなる。
2003年 11月にバンコクで開催された政府間会合でアジアハイウェイ政府間協定原案が採択された。同会議で、日本が参加表明。同会議での路線見直し提案ならびに日本の路線を含めると、32ヵ国で総延長が142,000kmとなる。
2004年 4月に上海で開催されたESCAP総会で、アジアハイウェイ政府間協定の調印式が行われた。8ヵ国以上の政府が批准してから90日目に同協定が発効する。
2005年 3月末時点に8ヶ国が協定を批准したことにより、2005年7月4日に協定が発効。

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