守り続けたい椎葉村

守り続けたい椎葉村

 私たちがあの被害にあったのは、今から3年前のことでした。平成17年、夏。台風14号が私たちの住む椎葉村をおそったのです。

 私たち家族は、安全な親せきの家に避難をしていました。静かな家の中から外を見ると、激しく雨が降っており、強い風が木を横に激しく動かしていました。

 次の日の朝。親せきの家の電話がなりました。その内容は、私たちの家に行くまでの道路の真ん中に大きな穴があるというものでした。実際にその場所まで行き、穴から下を見てみると川が見えました。私たちが見ている間も、どんどん道路がくずれていっていました。私はこれを見た時、ひどい、ここまでやるなんてと思いました。一本道なのでどうしようもなく、おばの家に戻りました。

 雨や風が少しずつおさまると、地域の人で今までは山だった所に道をつくりました。土をほって、石をどけて、私たちが通れるようにしてくれたのです。どんなに疲れても、作業が思うように進まなくても、だれ一人あきらめずに、汗を流しながら、どろまみれになりながら、道をつくり続けてくれました。そのおかげで私たちは家に帰りつくことができました。 

 しかし、ようやく帰り着いた私たちの家に、とんでもないことが起きていました。

 家に入るまでに階段があります。その階段がくずれていたのです。家に入るとあちらこちらにひびがあり一歩動くと「みしっ」という音が聞こえました。お風呂にもひびが入っていました。

 頭がくらくらしてきて、恐くてたまりませんでした。両親はとても残念そうに頭をかかえていました。

 家の一部を作りかえることになりました。できるまでは、仮設住宅で暮らしてました。一気に生活がからりと変わりました。家はせまくなり、お風呂とトイレは同じ部屋にありました。慣れない所で生活することは、どんなに不便かを知りました。

 家の工事は、大工の祖父と、親せき、知り合いの方々が手伝ってくれました。母、父も仕事が休みの時は家を作ります。

 でも私たち兄弟はずっと見ているしかできませんでした。おとなのように私たちは力がありません。何かしたい。できることがあればやくにたちたいと思いました。

 あの台風から4年がたち、私たち家族はもとの家で暮らしています。これまでいろいろと手伝ってくれたみなさんにとても感謝しています。私たちにとって道路はなくてはならない存在です。道路がなくては、家に帰ることもできません。道路がなければ行きたい所にも行けません。私はこの経験を通して、道路があることでどこにでも行ける、山道を通らなくても行ける、ということを改めて考えました。そしてそんな道路にありがたさを感じました。

 今、椎葉村はとても平和です。でも、またいつ前のような事が起きるか分かりません。私たちに出来ることは、私たちの住む椎葉村をみんなで守ることです。

 どんなにつらい事があってもみんなで支えあいながらがんばりたいです。

 みんなの笑顔がきえないように。 

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