失って得る幸せ

失って得る幸せ

 『ここにも新幹線が走ったらいいのにな。』当時、新幹線に乗るのが好きだった私はそんなことを思っていた。その数年後、私の家のすぐ近くで本当に新幹線工事が始まった。何も知らない小学生だった私は、わくわくしていた。「美穂が高校生になるぐらいには、ここに新幹線が通るんだよ。」家族からそう言われるたびに、期待がふくらんだ。『もし、この近くに駅ができたら、お店とかマンションができて、町に住む人が増えるかもしれないなぁ。小学生が増えればいいなぁ・・・。』そんな想像をいつもしていた。考えれば考えるほど、早く新幹線が通ってほしいという思いでいっぱいだった。

 でも、実際に工事が始まってみると、困ることがあった。祖父やいろんな人の田んぼを狭くしなければならなかった。さらに、通学路が道路のすぐ隣でガードレールがないため、トラックなどの大型車両が通り出すと、登下校は危険なものとなった。また、駅も私の家からは少し離れた所にできることが分かり、少しがっかりした。そして私は、重大なことに気付いた。それは、毎朝見ている朝日が見えにくくなるということだ。私は小学1年生の時、通学路にできる走る車の影を使ったおもしろい遊びを教えてもらった。登校の時はよく、その遊びをみんなでしていた。でも、線路の柱で余計な影ができてしまえば、その遊びはできなくなってしまう。大きな工事に比べれば、私個人の問題なんてどうでもいい話だ。だけど私は、その遊びのおかげで大嫌いだった長い一直線部分の通学路が楽しくなったし、遊ばなくなってからも毎日きれいな朝日を見ながら歩くのが好きだったから、悲しくて仕方ない。何かを得るには何かを失わなければいけないのか、と残念だった。現実は私の想像から大きくはずれていった。でも、逆に考えてみるとどうだろう。何か失うものがあるから、その後に失ったもの以上に得るものがある。私にとって、失ったものは大きい。だからその分、得るものはもっと大きいはずだ。私は自然を大切にしようという気持ちを得た。やさしい工事の人達に出会えた。先生達はいつも「登下校は気をつけてね。」と私達を気遣って下さった。たくさんの人達のやさしさを感じた。登校班の班長だった私は、『通学路がさらに危険になるから、私がみんなを守らなきゃいけない。』と思い、班長としての責任を感じた。もし工事がなかったら、私は環境のことを深刻に考えることはなかったと思う。責任感とかもなかったかもしれないし、登下校でも、私までふざけて誰か事故にあっていたかもしれない。何より、工事の人達のやさしさ、あたたかさを感じることはなかったはずだ。妹は帽子を溝に落としてしまったとき、工事の人に取ってもらったそうだ。もし工事の人がいなかったら、取ってくれる人がいなくて、最悪の場合は誰かが怪我をしていたかもしれない。渡るのが危ない道に信号や横断歩道ができることもなかったはずだ。それに近くに駅ができなくても、昔考えたようにこの町に人が増えるかもしれない。だけど、このままでもいいような気がする。いつも静かで、でもあたたかくて緑がいっぱいあるこの町のほうが、やっぱり好きだから。

 何かを失うということは悲しいことだ。でも失ったもの以上にたくさん得るものがあって幸せがある。それは、これから先進んでいくのに大切なことだ。私もいろいろ失った分たくさんのものを得て、この町はどんどん安全になっていく。

 あれから2年、まだ新幹線の線路工事は続いている。線路が完成して新幹線が通ったとき、また新たに得るものがあり、この先も新しい発見や出会いがきっとあるはずだ。そしていつか、新幹線に乗って見慣れた景色を別の目線から見れることを楽しみにしている。私達の町が幸せになることを願いながら。

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