あったかみのある道路

あったかみのある道路

 私が住む弘前市は「お城と桜とりんごのまち」としてよく知られています。「古都弘前」とも言われ、約400年にわたり歴史を刻んだ城下町でもあります。古くからの街並みやその当時からの町名が残っています。そして、この古い町名の由来を記した標柱が、市内のあちらこちらに立てられてあるのです。

 私が通う中学校の近くにも「桝形」「松森町」の町名があります。「桝形」とは、弘前城下の道路で、二重に角をつけた道路のことなのです。これは敵の侵入を困難にする目的で、直進を防ぐために「桝形」にし、町の出入口などに多く設けられました。ここの桝形は南東入口の守りとして作られました。

 「松森町」は、松の木の手入れをする人達「松守」を、この辺りに住まわせたことから松森町と呼ぶようになったのです。この松とは、参勤交代の通路となった碇ヶ関街道の両側にあった沢山の並木松のことです。

 弘前は古くからの町名、そしてその街並みが残っていて素晴らしいと思う反面、道路はとても狭くて、複雑なところもあるので、迷うことも度々あります。

 青森市のように、二車線、三車線の道路は数えるほどしかありません。大きな道路とは違い、歩行者同士がとても近くに感じられ、あったかみのある道路がたくさんあります。

 先日、そんな道路で、ちょっとした出来事がありました。市内には、まだりんご畑に隣接する通学路がいくつかあります。道路の一方はりんご畑、もう一方は住宅とスーパーが立ち並ぶ通りです。この道路の道幅はとても狭く、車二台がやっと通ることができるぐらいです。歩道はりんご畑側にしかありません。スーパー側の歩行者は車が通るとき、側溝のフタの上を歩くことになるのです。

 ある日、この道路を父の車で通りました。私の父は、ものすごい安全運転です。急発進、急停車、急加速はしません。車間距離も十分とり、追い越しもしません。クラクションも、相手がびっくりするといけないからと言って使いません。スピードを出しすぎている車や、ピッタリくっついて走っている車が来ると、脇に寄り先に行かせてしまいます。そんなときはいつも、
「学校でしっかり勉強しないと、こんなふうに人の嫌がることを平気でする人になるよ。この田舎にいて、こんなにスピードを出すことより、もっと時間に余裕を持って出ればいいことなんだから・・・。」
と言います。

 そんな話を聞きながら走っていると、スーパー側の車道を80歳くらいのおばあさんが歩いてくるのが見えてきました。小走り気味なそのおばあさんの履いているサンダルが、側溝のフタとフタの間のすき間にはさまり、顔面から転ぶのが見えました。すぐ父に教えると、父はびっくりして、
「何?どうしたの?」
と、バックミラーで今通り過ぎた場所を見て、大急ぎで車をスーパーの駐車場へ入れました。
「お姉ちゃん、携帯電話持ってきて・・。」
と車から飛び出し、おばあさんのところまで走っていきました。

 少し前を歩いていた女の人や、すぐ横を走っていた車の人も降りてきました、転んだおばあさんは、すぐには起き上がれず、ゆっくり体を起こして、その場に座りました。目の下と左手から血が流れていました。
「大丈夫ですか?この近くの方ですか?ご家族の方へ連絡をとりましょうか?」
「救急車を呼ばなくても大丈夫ですか?」
「ご自宅まで送りましょうか?」
「立てますか?歩けますか?」
と話しかけられる度に、
「迷惑かけてしまって申し訳ありません・・・。」
と何度も謝っていました。私の祖母も同じくらいの年なので、とても気の毒に思いました。もし私が一人でいたときに、こんなことがあったら、同じようなことができたのでしょうか。

 私がびっくりしたことは、すぐにたくさんの人たちが、駆け寄ってきてくれたことです。そして田舎はあったかい人が多いなあということを肌で感じることができました。

 この、いつもは狭い、狭いと話している道路、でもこの狭い道路だからこそ、通るとき全てが見通せたのです。これがもし大きな道路だったら気がつかなかったかもしれません。

 この道路は、人の笑顔が見え、いろいろな人と心が通い合い、人の優しさに触れることができる道路なのです。狭いけれども、このまま守り続けていきたい道路の一つです。道が狭いので、不便だなぁと思うこともあるけれども、私は、この町が大好きです。

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