長良川河口堰建設差止請求控訴事件判決(H10.12.17)



 六 環境間題
  1 はじめに    (一) 環境間題に関する控訴人らの主張を、控訴人らの権利侵害の観点をふ     まえて要約すると、本件堰により、汽水域の破壊、水質の悪化、死水域の     形成が生じ、魚類、野鳥、昆虫などの生態に影響を与え、汽水域の魚貝類、     特にヤマトシジミが激減し、アユなどの回遊性魚類の遡上がなくなり、そ     の量が著しく減少し、ユスリカの大量発生による医学的環境の悪化、アレ     ルギー被害などが生じ、控訴人らがこれまでに享受してきた環境質が享受     できなくなる、というものである。    (二) 被控訴人は、控訴人らの上記環境破壊の主張は、控訴人らの生命、身     体の安全に関する利益が侵害されるというものではなく、主張自体失当で     あると主張するが、控訴人らの主張中には、健康被害など、人格権侵害に     結びつくとみられる部分があるから、これを直ちに主張自体失当というこ     とはできず、控訴人らの主張するような著しい環境破壊と人格権侵害の危     険の有無についての判断は必要であるというべきである。   2 本件堰完成後の状況     証拠(乙264の2、3、291の1、2、293、315の1、2、3    29の2、3)によれば、次の事実が認められる。    (一) 被控訴人は、長良川の水質を継続的に調査しており、その主要な項目     は、原判決別表一四に記載のDO(溶存酸素量)、BOD(生物化学的酸     素要求量)、総窒素、総リンなどのほか、クロロフィルa、塩化物イオン、     COD(化学的酸素要求量)、TOC(総有機炭素)などを加えたもので     あるところ、本件堰建設後の平成6年初めから平成9年10月までの間の     水質調査結果によると、長良川の水質の実測数値が、上記期間中、本件堰     に起因して、継続的に悪化しているものではない。      また、被控訴人は、長良川河床の底質を継続的に調査しており、その主     要な項目は、粒度組成、強熱減量、硫化物、酸化還元電位、フェオ色素、     クロロフィル、総窒素、総炭素、重金属等であるところ、平成6年度から     平成9年10月までの間の底質調査結果によると、長良川の底質が本件堰     ゲートの閉鎖に起因して、継続的に悪化しているものではない。    (二) 河床の標高は、堆積物の堆積状況を知る上での重要な資料となるが、     これについては、長良川流域に設置された各水質自動監視装置観測塔付近     及び本件堰直下において、若干上昇傾向の認められる地点もあるが、総じ     て安定しており、平成6年10月から平成9年10月までの間、本件堰上     流約1km(河口から6.4粁)地点の観測塔「イセくん」付近の標高には     大きな変化がみられず、本件堰下流約2.5km(河口から三粁)地点の観     測塔「イーナちやん」付近の標高は「深掘れ」による低下がある。    (三) 被控訴人は藻類の大量発生や集積現象が生じないようにする目的で一     定の対策を実施しているところ、水面監視パトロールの際、平成8年8月     29日には、本件堰上流水域の水のよどみ部で最大0.2haの範囲内で数     日間藻類の集積(アオコ)の発生がみられ、平成8年8月に吹き溜まり部     において緑色の物質がごく一時的に集って浮遊することがあり、平成9年     には、夏期に水面が緑褐色を呈したり、水中、水面においてアオコの原因     となる藻類が確認された日もあったが、アオコの発生自体は見られなかっ     た。    (四) 魚類の遡上状況については、本件堰に設けられた魚道(本件堰両岸の     呼び水式魚道及び本件堰右岸側のせせらぎ魚道)における稚アユの遡上数     (目視計測実数)は、平成7年は36日間(同年4月2日から5月20日     までの間のうち)で32万尾余りであったが、平成8年は63日間(同年     4月2日から同年6月30日までの間のうち)で181万尾余り、平成9     年は62日間(同年4月2日から同年6月30日までの間のうち)で22     6万尾余り(調査者の休息時間等を考慮した上で推定される遡上数は45     2万尾)となっている。本件堰上流(河口から51.2km付近)における     アユの推定遡上数(遡上期間中に推定される遡上数)は、本件堰完成前の     平成5年は700万尾程度であり、本件堰運用開始後の平成7年には20     0万尾程度であったが、平成8年は550万尾程度、平成9年は600方     尾程度となっている。      本件堰上流(河口から38km付近)におけるサツキマスの漁獲数は、平     成6年(漁獲期間同年5月1日から同月31日まで)は895尾、平成7     年(漁獲期間同年5月5日から同年6月5日まで)は385尾、平成8年     (漁獲期間同年5月5日から同年6月18日まで)は950尾、平成9年     (漁獲期間同年4月25日から同年6月19日まで)は863尾となって     おり、長良川産サツキマスの岐阜市場への入荷量の増減も上記と同様の傾     向を示している。      以上のアユの遡上数、サツキマスの漁獲量は、いずれも、年により増減     はあるが、一方的に減少しているわけではない。      なお、平成7年は、アユの遡上数、サツキマスの漁獲量とも減少してい     るが、同年のアユの遡上数の減少は、木曽川や揖斐川、さらにアユの漁獲     量の減少は天竜川、大井川などでもみられ、また、同年のサツキマスの漁     獲量の滅少は揖斐川でもみられた。    (五) 本件堰の運用開始後、本件堰上流水域においては、魚類、底生動物、     藻類、動物プランクトンなどで、汽水性の種が減少し淡水性の種が増加し     ているが、植物相に顕著な変化はなく、ヨシ等の植物群落の減少が著しい     とか、野烏、昆虫の激減といった事態は生じていない。    (六) 平成7年9月から平成9年9月までの間の本件堰上流域におけるユス     リカの発生状況は、調査時期及び調査地点によって増減まちまちであるが、     本件堰上流域でユスリカが地域住民の健康に脅威となるほど大規模、大量     に発生したといった事態は生じていない。   3 控訴人らの主張に対する判断    (一) 本件堰下流域におけるへドロの堆積について     (1) 控訴人らは、超音波による河床調査の結果、本件堰直下流(河口か      ら5.2粁地点から下流0.5km程度の範囲)で、平成6年1月22日      の河床と平成9年6月30日の河床とを比較すると、最大1.2mの河      床上昇があり、これが本件堰の運用の結果堆積したへドロ(シルト以下      の粒度が優占する植物プランクトンの遺骸を含んだ黒色の嫌気性の悪臭      を発する軟泥)である旨主張し、これに沿う証拠を提出する(甲280、      281)。       しかし、上記は、いずれも揖斐長良大橋中央部と本件堰中央部とを結      ぶ線上を船で探査し、各調査時点における河口から2.6粁地点(揖斐      長良大橋付近)の河床の水深をそろえた上で、その余の地点の河床の水      深を比較したものであるとみられるところ、平成6年の調査と平成9年      の調査とで、上記2.6粁地点の河床の標高が同一であったかどうかは      明確ではなく(ちなみに、前記のとおり、河口から3粁地点の長良川右      岸に設置された水質自動監視装置観測塔「イーナちやん」周辺の河床の      標高が、平成6年7月に約マイナス7mであったのが平成8年10月に      は約マイナス8mとなっており(乙329の2・2―93頁)、装置設      置直後の「深掘れ」により約1m低下したとみられるところであって、      2.6粁地点における河川中央部の河床の標高も、平成6年から平成9      年までの間に河床浚渫などの影響で低下した可能性も当然には否定でき      ない。)、また、上記探索調査地域の長良川の川幅と湾曲を考慮した場      合、上記両年の調査船の航行ルートが同一であったかどうかも明確では      なく、さらに、水深をもとに河床の変化を比較するにあたり平成6年と      平成9年とで水面の標高を正確に求めた上で比較するという方法を用い      ていない点で、その分析結果には間題があり、直ちにこれを信用するこ      とはできない。     (2) 控訴人らは、本件堰下流において、平成6年度調査報告書では長良      川の河床表層は礫混じりの砂質ないし砂質とされていたところ、本件堰      運用開始後の平成8年9月ないし11月ころ、へドロの堆積があった旨      主張するが、平成6年3月から平成9年10月までの間の本件堰直下を      含む堰上下流地域の底質、堆積厚等の調査結果(乙264の2・4―3      45頁、4―383頁、4―391頁、291の1・2―184頁、2      ―190頁、315の1・2―216頁、2―236頁、329の2・      2―93頁以下等)によれば、本件堰運用開始前において、シルト・粘      土質の河床堆積物は(これをへドロというかどうかはともかくとして)、      河岸寄りの浅い所に分布が多かったものであり、また、本件堰運用開始      時点で河床に存していた河床堆積物の厚さは、本件堰運用開始直後の平      成7年8月から平成9年10月までの間、季節の変化により増減し、あ      るいは、台風などにより一時的に増加することなどはあるが、極端に増      加する傾向があるわけではないことが認められ、これによると、控訴人      らのいうへドロの堆積量が、本件堰の運用開始後において、顕著に増加      しているものと認めることはできない。     (3) また、控訴人らは、本件堰運用開始後、本件堰直下から下流(河口      から五粁ないし3粁の間)の長良川の底生動物の生息個数が少ないこと      をあげて、上記区域にへドロが堆積して貧酸素状態にあると主張するが、      証拠(乙329の4・図―4―3―2(1)、(2))によると、生貝がほと      んど見られないのは本件堰下流の河床浚渫区域内であると認められるか      ら、底生動物の生息個数が少ないとの事態は河床浚渫の影響によるもの      であるとみられ、底生動物の生息個数が少ないことをもって、直ちに、      本件堰を原因として控訴人ら主張のへドロの堆積が大幅に進行したこと      の証左となると認めることはできない。     (4) 控訴人らは、本件堰下流の流向につき、本件堰ゲート閉鎖後は、下      層における持続的逆流が生じており、これが低層の溶存酸素量の低下や      へドロの堆積を生じさせる旨主張するが、証拠(乙264の2、329      の2)によると、流心における下層の流向は、平成6年10月、11月、      本件堰下流の4粁、4.4粁、5粁地点でなされた調査において、本件      堰ゲート閉鎖時に必ずしも逆流ばかりというものではなく、また本件堰      ゲート解放時に順流ばかりというものでもなく、さらに、平成9年8月      及び9月に、本件堰下流0.8粁ないし5.2粁の間の6地点でなされ      た調査においても(ゲート操作状況はアンダーフロー)、低層の流向は      逆流もあるが順流もあり、しかも逆流が発生する地点が一定しているわ      けでもないのであって、要するにその流向は複雑であり、明確に持続的      逆流が存すると認めることはできない。     (5) もっとも、証拠(甲281・10頁、11頁、乙329の2・2―      22頁)によれば、本件堰下流域において、夏期を中心に低層DOの値      が3r/L以下に低下することがしばしばあり、その結果、底質の底泥      において還元による黒色化が進行し易くなり、控訴人ら主張のへドロの      増加に結びつく可能性があると認められる。しかし、このことが控訴人      ら主張のような大量のへドロの堆積を来すものとはみられず、また、今      後、ゲート操作の工天などにより底質の悪化を防ぐための対策がとれな      いものともみられないから、上記の低層DO値の低下から、将来、大幅      な環境破壊が生じると認めることはできない。     (6) 以上によると、本件堰の運用開始後、本件堰下流域において、本件堰      の運用に起因して大量のヘドロが堆積したとの事実は、これを認定する      ことができない。    (二) アユ等の遡上について      控訴人らは、アユの平成7年の漁獲量などをもとに、河口堰ゲート閉鎖     後の天然アユの遡上がほとんどないと主張するが、上記2(四)のとおり、     その後の平成8年及び平成9年の調査結果によると、本件堰を通過して遡     上する稚アユも相当数みられるから、その主張に沿う事実は容易に認定で     きない。また、平成7年の長良川におけるアユの遡上数及びサツキマスの     漁獲量の減少は、上記2(四)のとおり、同年中、他の河川でも認められた     ものであるから、これが、本件河口堰の運用に起因するものと断定するこ     とはできない。なお、サツキマスに関し、控訴人らは、本件堰の運用開始     後38km地点の業者が上記地点から下流の漁獲を独占しており、岐阜市場     の入荷量について、その業者からの入荷分を除外すれば、入荷量は減少し     ている旨主張するところ、その事実によって、直ちに長良川全体の漁獲量     が大幅に減少したことや、本件堰の運用に起因してサツキマスの遡上数が     大幅に減少したことを推認し得るとはみられず、むしろ、同市場の入荷量     の動向(乙329の3・3―58頁)からみて、本件堰の運用がサツキマ     スの岐阜市場への入荷量の総数について大きな影響を与えていないことは     明らかであり、木件堰の運用に起因してサツキマスの遡上数が大幅に減少     してはいないことが裏付けられるというべきである。   4 今後の監視態勢    (一) 自然環境の間題は、種々の要因を総合的に判断しなければ解明しない     間題であり、自然環境に対する侵害作用が、ある時点ではさほど激しくな     いものであっても、これが長期間にわたり徐々に進行し、結果として大き     な自然環境の破壊をもたらす場合もあり得るので、本件堰のように完成後     運用を継統している施設の場合には、将来の自然環境破壊に基づく人格権     侵害の危険を判断するにあたって、本件堰運用による白然環境破壊を監視     して自然環境を保全するための適切な態勢がとられているか否かといった     点も考慮する必要があるものと解される。    (二) 証拠(前記2掲記の各証拠、乙285、弁論の全趣旨)によれば、本     件堰本体完成後の平成6年度に学識経験者からなる長良川河口堰調査委員     会が設置され、建設省及び被控訴人は、その指導、助言を受けて環境等の     調査を実施し、平成7年度に、本件堰の運用開始に伴い、改めて、学識経     験者らからなる長良川河口堰モニタリング委員会が設置され、その後現在     まで、その指導、助言を受けて環境等の調査を実施し、以上の調査結果は、     平成6年度調査報告書、その後の各年度のモニタリング年報として外部に     公表し、それぞれの原資料を閲覧できるようにし、上記各委員会の議事内     容及び配付資料も公表し、平成9年度からはモニタリング委員会を公開で     実施しており、今後もこのような態勢を継続していく予定であること、調     査の方法、内容は、主要なものをみても、水質について、長良川河川治い     の6カ所に設置された水質自動監視装置による24時間の連続観察、成分     分析を行うほか、定期的に採水調査をし、水面監視パトロールなどをし、     底質について、定期的に数カ所から採泥し、成分分析をし、堆積厚観測、     水中ビデオ撮影をし、本件堰における魚類等の遡上・下降状況について、     目視観測、採捕調査、ビデオ撮影などによる実態の調査をし、上流におけ     るアユの遡上状況やサツキマスの漁獲量の調査を行い、動植物や魚貝類の     生息状況につき、観測地区を設定して継続的にモニタリングを行うととも     に、流域数カ所でヨシの成育成長状況調査(地盤高、被度、高さ、密度等     の調査)やユスリカ調査(個体数、湿重量、種の調査)などの特定項目に     ついての調査を行う等のもので、専門的、科学的見地から相当詳細な調査     がなされているとみられること、被控訴人は、調査結果に基づき、環境の     悪化が少なくなるようにゲート操作の方法を工夫したり、ヨシ原の植生を     するなどの対策を講じていること、今後ともこのような態勢による調査が     継続する予定であることが認められる。    (三) 上記事実によると、本件堰前後の長良川流域の自然環境については、     建設省及び被控訴人において、一定の監視の態勢を確立し、専門的、科学     的見地から相当詳細な調査がなされ、調査結果を公開して一般からの批判     ができるようにし、調査結果をもとに自然環境保全のための対策がある程     度とられており、今後ともその態勢による調査等が継続する予定であると     認められる。   5 まとめ     上記2の事実によると、本件堰完成後、特にその運用開始後、大幅な水質    の悪化、へドロの大量堆積による控訴人ら主張の死水域の大幅な拡大、魚類    の遡上の極端な減少、ヨシ等の植物群落、野鳥、昆虫などの激減、ユスリカ    の異常な大量発生などの事態が生じているとは認められない。また、上記2、    3、4の事実を総合すると、本件堰の運用により、将来、上記のような著し    い自然環境破壊の結果が生じることを具体的に予見することはできない。     そうすると、環境間題の関係で、本件堰ゲート扉の閉鎖に起因して、控訴    人らへの生活妨害等の事態が現に生じ、又は、今後生じる具体的危険がある    とは認定できない。