水管理・国土保全

  

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馬淵川の歴史

"馬淵川は、豊臣秀吉の全国統一最後の戦い「九戸の乱」の舞台となりました。また、江戸時代には舟運による水上交通が発達していました。
 馬淵川の改修工事は、河口部の付替えと堤防の築堤により、八戸臨海工業地域の発展をもたらしました。"



馬淵川・白鳥川・猫淵川に取り込まれた自然要塞の九戸城絵図
出典:H20馬淵川治水史




○馬淵川と全国統一
馬淵川は、秀吉の全国統一最後の戦いとなった「九戸の乱」(南部宗家の跡目相続に不満を抱いた九戸政実(くのへまさざね)の謀反が、秀吉の奥州平定軍との戦に発展した)の舞台となりました。

九戸城は「水量豊富で流れも速い」馬淵川や、白鳥川、猫淵川に三方を囲まれた台地に築かれた城であり、まさに天然の要害でした。



九戸城位置図




○馬淵川の改修工事
馬淵川は河口付近で大きくカーブし、新井田川と合流して太平洋に注いでいたことから、大雨のたびに二つの川の流れが押し合い、八戸地域は洪水常襲地帯となっていました。このため、河口部の抜本的な治水対策と八戸臨海工業地帯の発展を目的とした河川改修工事が昭和12年に着工されました。

途中、戦争による休止もありましたが、この改修工事は昭和30年にほぼ完工し、放水路開削により新井田川と分離された馬淵川は、洪水による被害が軽減され、現在の八戸地域の発展をもたらしています。

なお、旧河口は現在、第一工業港として利用されています。




旧馬淵川河口と現在の河口
H27.11.30 撮影
出典:H27青森河川国道事務所管内航空写真撮影 馬淵川




○馬淵川の舟運
馬淵川が物資の輸送路として利用されるようになったのは、江戸時代からです。
 舟による上流・下流間の物資輸送だけでなく、上流の山地から切り出された木材を、筏を組んで流す輸送も行われていました。
 そのため、流域の要所要所の川岸には船着場が作られ、その周辺に家が建ち、賑やかな町が生まれる原因となりました。
 特に馬淵川と新井田川の河口部にある旧湊村では、漁業や海上交通の拠点であったことも加わり、活気のある町(村)が形成されることとなりました。
 江戸時代中期には河口港の大規模な整備も行われています。





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