水管理・国土保全

  

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米代川の歴史


"米代川は、江戸時代に木材や鉱石を大量に運ぶ手段として舟運が行われてきました。舟運が発達した背景には、上流域に160にものぼる鉱山や付近の山々が天然秋田杉の宝庫である事等があげられます。"



米代川は、江戸時代に木材や鉱石を大量に運ぶ手段として舟運が行われていました。舟運が発達した背景には、上流域に160にものぼる鉱山や、付近の山々が天然秋田杉の宝庫である事等があげられます。舟運には様々な工夫もありました。米代川のように大きな川と阿仁川のような中小の川では、積み荷の種類によって大小の舟を使い分けをしていました。中流から下流部で活躍した舟は、細長く水切りに適した「長舟」という丈夫なもので、帆長約18m、幅7.5m、端高約6.6mという大型舟。一方、水深が浅く流量が少ない支川では、阿仁川でよく使われた「ズアイ舟」や舟を2艘並べた「ニハイ舟」が主流で、幅も約1mほどと小型でした。
 また、木材は山の上流部から木を丸太にして、筏に組んで川を下って運びました。筏は水量がたくさんないと利用できないので、雪解けから田植え前までの期間、米代川は筏のラッシュとなったほどです


【秋田杉を組んだ筏流し】


江戸時代後期の紀行家・菅江真澄は、米代川の上流から河口まで巡り歩き、流域での様子を図絵と文章とで「菅江真澄遊覧記」に記しています。 例えば、二ツ井町のきみまち阪から見下ろす米代川と七座山の雄大な景色をはじめ、滝などの景勝地を多く記録。小又川や阿仁川などの支川もたびたび訪ね歩いています。


【菅原真澄「阿仁の沢水」(写本)県立博物館所蔵】





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