雄物川は、全川にわたって蛇行が著しく、洪水のたびに氾濫を繰り返し、甚大な被害を受けていたことから、江戸時代から洪水防御や舟運の便を図るための河道の付け替えが随所で行われました。
江戸時代の著名な河川改修として、上流部では横手市雄物川町沼館(ぬまだて)付近において元和(げんな)元年(1615)秋田藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)が梅津憲忠(うめづのりただ)に命じて河道の付け替え等の河川改修を行った記録が残っています。
下流部では、万治(まんじ)2年(1659)に秋田藩家老梅津半衛門利忠(うめづはんべえとしただ)(三代目)が藩の許可を得て、現秋田市仁井田(にいだ)付近を大きく蛇行して流れていた雄物川の河道を、15年の歳月をかけて付け替えました。玉川合流点下流の大仙市神岡町(かみおかちょう)付近では、安永(あんえい)5年(1776)、安永6年(1777)、天明(てんめい)元年(1781)と大洪水に見舞われたことから、天明2年(1782)6月から8月にかけての約2ヶ月で延べ3万6千人余人を動員して、新川を掘った記録が残っています。