水管理・国土保全

  

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地域と信濃川下流

親水空間の創出

近年は、水辺の活用による地域活性化を目指した「ミズベリング」にも取り組んでいます。取り組みのひとつとして、「都市・地域再生等利用区域」に指定された区間では、民間事業者による企業活動(商売)が可能となります。このように、民間の活力を取り入れることにより、“水辺”から”まちなか”へとにぎわいの広がりが期待されます。
 関屋分水と分かれて日本海へ注ぐまでの新潟市街地を流れる区間の堤防は洪水による被害を防ぐことに加え、良好な水辺環境の創出に配慮した緩やかな斜面をもつ堤防整備に全国で初めて取り組み、通称「やすらぎ堤」と名付けられ、市街地に近接した「水と緑のオープンスペース」として散策やスポーツ、花火大会等イベントの場としても利用され多くの人々に親しまれています。
 このやすらぎ堤区間と三条防災ステーション周辺でミズベリングに取り組んでいます


やすらぎ堤


三条防災ステーション周辺(三条夏まつり)





伝統文化
信濃川下流域で有名な伝統行事の一つが、白根大凧合戦です。
 毎年6月上旬の5日間、信濃川と中ノ口川に挟まれた新潟市南区(旧白根市)で中ノ口川を挟んで、白根と対岸の西白根との間で行われる大凧の大きさは縦7.27m、横5.46m、この大凧に縦3.03m、横2.42mの六角凧が混じって、合わせて十数枚の凧が空を乱舞します。上杉謙信や桃太郎の巨大な図柄が大空に浮かぶ様は勇壮そのものです。
 この大凧合戦は、空中で凧を絡ませ、どちらかの綱が切れるまで引き合って勝負を決めます。だから綱は軽くて丈夫でなければならず、綱よりの名人が斎戒林浴してよりあげると言います。
 白根大凧合戦の起こりは、一説では、江戸時代中期の元文二年(1737年)にさかのぼります。白根側が中ノ口川堤防工事が完成したことを祝って大凧を揚げたところ、その凧が対岸の西白根に墜落して農作物に大きな被害を出してしまいました。怒った西白根の人々が大凧を揚げて挑んだのがこの凧合戦のそもそもの始まりと言われています。



白根大凧合戦(新潟県新潟市提供)






河川とのつながり
河川敷地利用
三条市大島の信濃川河川敷は、大正時代からモモが植えられています。その後野菜畑や水田となりましたが、再びモモの栽培が盛んになり、春先になると大島の河川敷はモモの花でピンク色に染まります。
 洪水によって悩まされ続けた土地は、肉質、風味とも抜群の「幻のモモ」を育む恵みの大地に変わりました。三条市大島から信濃川下流域の新潟市南区大郷にかけての河川敷にはモモとナシの畑が続き、県内でも有数の果樹地帯となっています。


三条の桃畑(出典:信濃川下流紀行)


白根の梨畑(新潟県新潟市提供)

水面の利用
昔の信濃川は交通の手段や物の運搬などで船が行き来していました。現在では、観光舟運や水上スポーツなどの他、サケ漁などの漁業が盛んです。


昔の舟運

現在の舟運












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